天国を探して。
--てんごく を さがして--
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まっくろな空から厚い雪が降る寒い夜。じっとりと汗をかいた窓は凍りついて、高く積もった雪景色が歪んで見える。
赤いキルトを掛けたコタツの上には、火の消えた携帯コンロがひとつ乗っていて、良い匂いを撒き散らして茹っていた土鍋も静かに、揺れる湯気も消えてしまった。
すでに脂の浮いた汁の中には数えるほどしか実が残っていないけど、クツクツと煮立ち熱い汁を吸って味の染みたガンモにツクネに大根、ハンペンがお腹を十分に満たしてくれた。もちろん、ボクの大好きな糸こんにゃくも縛られて入っていた。
ぬくぬくのコタツに入ってアツアツのおでんをつついていた父さんは、一合のお銚子に入ったお酒をお猪口に注いで、ちびりちびりと舐めていた。
舐めるように飲んでいたハズなのにコタツの天板の上には空になった3本のお銚子が乗っている。
「ここは天国だぁなぁ。」
父さんは酔っぱらってグデンとだらしなくひっくり返って、でも、これ以上の幸せは無いと言わんばかりにニヤニヤと笑っていた。
「ちょっと、こんな所で寝ないでよ!」
母さんに蹴とばされてもボクが叩いても全く動かない父さんは、ぷんぷんとお酒の匂いがしてクサイ。
お正月にお屠蘇と言われてお酒を舐めさせられた事があったけど、美味しいオデンにわざわざ苦くて美味しくないお酒を飲むなんて良く分からない。甘いジュースでも飲めばいいのに。
でも、父さんは幸せそうだ。
これ以上ないくらいに幸せそうに笑いながら、母さんに蹴とばされて笑っている。蹴とばされるのが嬉しいかのように。
ボクにも父さんのように天国は見つかるんだろうか。いや、ぐでぐでになった父さんでさえ幸せだと言えるんだから、毎日、母さんのお手伝いをして頑張っているボクにだってきっと天国と思える事があるよね。
小学校の友達と遊んでいる時や、遊園地、楽しいオモチャ。オデンよりも美味しい食べ物を見つければきっとボクだって、ボクだけの天国を見つけられるんだ!
お酒なんて飲まなくてもね。
あくる朝、太陽を照り返して輝く白銀の雪に足跡をつけて、ボクは自分の天国を探すために玄関の大きな扉を開けた。
ざっくざっくざっくと膝まである深い雪の道をわざと選んで掻き分けて歩くと、さらさらと流れる音の隙間に声が聞こえた。
「ここは天国だよォ。」
雪に埋もれた小川に流れる水の中を覗き込むと、群れてひかる小さな魚がゆらゆらと揺れながら言った。
「冬は天敵も寝ているし、水草の中は暖かいんだ。」
でも、轟々と流れる冬の川は冷たくて、大人たちが掻いた雪がぷかぷかと浮かんでいるんだ。とっても寒そうで全然天国には見えない。
「ここは天国だよォ。」
雪にから覗く木の根の下の穴倉で、一匹のヘビがニョロニョロとぐろを巻いて寝ながら言った。
「暖かい土の中で眠っていれば腹も減らないし、そのうち春も来るってもんさ。」
でも、穴の周りは深い雪で埋もれていて、ちっとも暖かそうじゃ無いんだ。コタツの中で冬眠すればいいのに。
「ここが天国だよォ。」
いつも遊ぶ公園の雪を掻き積み上げたカマクラで、ショウちゃんが声をかけて来た。
「オレが掘ったんだぜすごいだろ。遊ぼう遊ぼう!力の限り。」
しばらくいっしょに雪を投げ合って遊んでいると、息が切れて汗をかいてしまった。
「くしゅん。」
思わず小さなくしゃみが出てしまう。
「ここは天国だね。」
公園の片隅で、いつもボクたちが遊ぶのを見ているお婆さんが、水筒から淹れた温かいレモネードの入った紙コップを「熱いから注意してね」と注意をつけてボク達に渡してくれた。
「子供たちの声がいつも元気に響いている。それ以上に幸せな事は無いさ。さぁ、風邪をひく前にお帰り。」
お婆さんの言った意味は解らないけど、寒い公園は天国には思えないよ。だって、風邪をひいてしまうんだもの。
「ただいま。」
「あらぁ、ずぶ濡れじゃない。」
玄関で手袋と長靴を脱ぐと母さんが、ボクをバスタオルでくるんでくる。頭をゴシゴシとこするバスタオルがじんじんとする耳に当たって痛い。
「痛いよ!」
痛くて逃げ出そうとすると、今度は耳を引っ張られた。ひりひりする耳を引っ張られてストーブの前に連れて行かれる。
「乾くまで、そこでじっとしてなさい!」
真っ赤になった指先をカンカンになったストーブに向けると、どくどくと血が流れていく。
ここは、天国じゃないよね。
怒る母さんは、いつも乱暴者だ。
ボクの天国はどこに行けばあるのだろう。
バスタオルを体に巻き付けて、ストーブに当たっていると、眠くなってくる。うとうとと。
たくさん歩いて、たくさん遊んで、暖かい部屋に眠くなる。うとうとと。
うとうとと。
ストーブの前でバスタオルにくるまれて、どれくらい経ったのか、じゅんじゅんと薬缶の湯気が鳴る部屋に再び雪の埃っぽい冷たい匂いが入ってきた。
「ここは天国だなぁ。」
仕事から帰ってきた父さんが言った。
雪の降る道を歩いて冷たくなった大きな体で、ストーブの前で寝てしまったボクを包み込むように抱きしめて。
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