奴隷の幼女を拾ったんだが
天気職人の弟子が慌ただしく漆黒の帳を降ろし始めた。弟子の不手際に苛立ちながらも職人は帳に輝く洋燈を縫い付ける。地上の人々がすっかり寝こける時間になっても職人の手は止まらない。
職人が用意した帳に隠れ、しめやかに転移魔法が展開されていた。術式から現れたのはフードの男。天気職人たちが丹念に編み上げた暗闇ですら男の鋭い眼光を隠すことはできない。
「……なんだあ、てめえ」
男は転移酔いを起こすことなく足元の異物を目根つける。鬱蒼と生茂るシロツメグサの上に、泥まみれの少女が転がっていた。
*
男には父と、五つ歳の離れた姉がいた。母は男が物心ついた頃には父に殺されていた。曰く「若い男にのぼせ上がる売女」だったかららしい。
父はまだ幼かった男が稼いだ金を巻き上げ昼間から酒を飲んでいた。生活は苦しかったが姉がよく面倒を見てくれていたため、男は幸せだった。
男が九つの時、父が姉を犯している姿を目撃した。気がつくと男はすでに父を殴り殺していた。姉は半狂乱で男に刃物を向けた。
「お前は私の幸せを壊した! 鬼っ子め! お前は他人を幸せにすることはできない!」
男は泣きながら優しかった姉の首をへし折った。男の涙は朝も昼も夜も止まらず、三日間泣き続けた。四日目に涙が止まった。以降男が泣くことはなくなった。
男は無断で仕事を休んだため仕事をクビになっていた。金がなかったので奴隷として身売りし、買った雇主とその家人を悉く殺し尽くして家財を盗むことを繰り返した。
自然男は祖国を追われ、今も殺人を繰り返すことで日銭を稼いでいる。
今も姉の言葉が男の脳内に響く。
「お前は他人を幸せにすることはできない!」
*
そんなことねえよ、と男はぼやく。
男は泥まみれの少女を睥睨する。頬には奴隷の身分を示す刻印がなされ、服は擦り切れ体は傷だらけの異邦人。ボロ雑巾のほうがよっぽど立派に見える。
息も絶え絶えの少女を前に、男はうんうんと考える。
こいつは不幸を煮詰めたようなやつだ。適当に金と食料をやれば簡単に幸せになれるに違いない。姉の言葉が嘘っぱちだと、こいつを使って証明してやる。
男は下卑た笑い声をあげる。
男はこの少女の所有者である奴隷商を暗殺し、少女を秘密の隠れ家に連れ帰る。太陽の端女が漆黒の帳を結い上げた頃、男は少女に人を殺して奪った金と食料を与えた。少女は金と食料に見向きもせず泣き続けた。
「ふざやがつて。どうして幸せにならねえんだ。何? おとうさんとおかあさんに会いたい? なんだ、簡単なことじやあねえか」
男は下卑た笑い声をあげる。
男は家に押し入り、幼子を蹴り殺して両親に少女の親になるよう脅した。ふたりは命乞いしながら男の言に従った。
男は少女と彼らを引き会わせるが、少女は泣き止まない。
「おとうさんとおかあさんに会わせてやったのにどうして幸せにならねえんだ。何? ホンモノのおとうさんとおかあさんじやあないとだめだあ? 早くそれを言えよう」
男は用済みになったふたりを惨殺した。少女はますます激しく泣いた。
「泣き止めよう。泣いてたら幸せにならないだろう」
男は血塗れの手で少女の涙を拭う。少女の顔は赤黒く汚れた。
↓
「お前の故郷はどこなんだあ?」
少女は答える。男は思わず唸ってしまう。
少女が答えた国は遥か北方にある国だった。ゲルギリアス教の聖地であるだけでなく、妖精王が臣民に下賜したとされる土地でもあり、妖精と人間の争いが絶えない国だ。入国することすら難しいとされている。
「お前よう、あすこに生まれた人間は三通りだ。戦禍を逃れて移民になるか、捕らえられて奴隷になるか、死ぬかだ。お前のおとうさんとおかあさんはそこにはいねえ。死んでんじやねえの」
少女は泣いた。
「わかつた、行つてやる、行つてやるしおとうさんとおかあさんに会わせてやるから泣くんじやねえ、幸せになれよう」
男は服の袖で少女の涙を拭う。
男は急に面倒臭くなった。この少女を殺そうと思うが姉の言葉が頭に響く。
この少女を殺したら姉の言葉の証左になってしまうのでは? 少女を幸せにしなければ姉の言葉通りになってしまう。
男はうんうんと考え、覚悟を決めた。
↓
「いやあ、やつちまつたやつちまつた」
男は下卑た笑い声をあげる。
少女の故郷へ潜入する際、紛争に巻き込まれた。男は少女を庇ったために片腕を失ってしまった。
「お前が無傷でよかつたなあ。怪我するとよう、痛くつて痛くつて幸せになれねえからなあ」
ふたりは強奪した馬車に乗っている。少女は泣いていた。
「怪我もしてねえお前がどうして泣くんだよう。何? 俺が怪我したから泣いてるのかあ? なんでお前が俺の怪我で泣くんだよう。泣いてたら幸せになれねえだろ、泣き止めよう」
男は少女の涙を拭おうとしたが、いつもの腕がないことに気がついた。
「もう腕がないからお前の涙を拭つてやれねえなあ」
少女はますます泣いた。
*
「いやあ、やつちまつたやつちまつた」
男は下卑た笑い声をあげる。
いつものように男は盗みに入ったが片腕がないためヘマを踏んでしまった。男は片耳と片目を失った。
「でもようでもよう、お前の分の飯は手に入つた。腹が減つちやあ幸せになれねえからなあ。片腕の勝手も分かつた。多分次はあ大丈夫だ」
男は異国で作った新しい秘密基地の床で横になる。男の腹が鳴る。
少女は泣いていた。次の日に少女は老人の家へ強盗に押し入り食料を盗んできた。少女が盗みを働いたことに男は烈火の如く怒り散らした。
「お前よう、人に捕まつたらどうするんだ。盗みをすると問答無用で両腕を落とされるんだぞ。お前は知らないが、片腕を失つただけでも痛くて堪らないんだ。お前が幸せになれなくなつたらどうしてくれるんだ」
少女は泣いた。
「俺の役に立ちたかつた? だつたらさつさと幸せになりやがれ」
少女は泣き続けた。
↓
「いやあ、やつちまつたやつちまつた」
男は天気職人が吊るした洋燈に照らされていた。男が殺した者の親族が男の胸と脇腹を刺した。
少女は男の傷口を押さえながら止めどなく泣いていた。
「でもよう、襲つてきたやつは返り討ちにしてやつた。すげえだろう?」
男は苦しげに下卑た笑い声をあげる。
少女は泣きながらも懸命に止血を試みる。
「悪かつたなあ、お前のおとうさんとおかあさんに会わせてやれなかつた。お前を幸せにしてやれなかつたなあ。悔しいなあ。何? 俺がいないと幸せになれない? なんだよう、おちおち死ねねえじやねえかよう」
男の目に光が宿る。
↓
九死に一生を得た男は、少女を連れて国を離れた。人里離れた山奥に粗末な小屋を建て、ふたりで慎ましく生活を始めた。
数年後、彼の国でこさえた傷口から病気をもらい、男は命を終えようとしていた。
「うん、やつぱり無理はいけねえなあ。結局ねえちやんの言う通りになつちまつたなあ。俺はどうしようもねえ悪タレだなあ」
ベッドに横たわる男には起き上がる力すら残っていない。布団からのぞく男の腕は枝よりも細くなっていた。
少女は泣きながら男に言った。
あなたがとなりにいてくれたおかげで、私は幸せでした。
その言葉に、男の記憶すべてが暖かい思い出へと変わった。胸が心底熱くなり、二度と流れないと思っていた涙が男の目に溢れた。
これが「幸せ」だと男は遅れて気づく。
「俺はお前を幸せにするのに一生を使つたのに、お前はたつた一言で俺を幸せにしやがつた。
お前のことを俺はずつと泣き虫毛虫だと思つていたが、お前はすごいやつだ。お前は人を幸せにする才能がある。
人のことを幸せにできるんだから、お前はきつと、自分のことも幸せにできる。お前は今でも幸せだろうがよう、もつともつと幸せになれよう」
男は下卑た笑い声をあげながら死んだ。
少女は三日三晩泣き続け、四日目、涙が止んだ時、少女は「女」に成った。五日目に女は深い深い穴を掘り、六日目に男をその穴に埋葬した。
七日目、女は片腕のないパーカーを抱いて墓の上で眠りについた。
おわり
推し作家様の鉛筆画を元に爆誕した小説です。(許諾済み)
よろしければ推し作家様の絵もご覧ください。
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