馬鹿な妹に御用心
それにしても幽霊に触る体験なんて、一体どれだけの人間が経験出来るだろうか。
腕の上の白い髪の少女を見る。
完全に皮膚と接している。それが見えているのにその感触がない。目と手の感覚の矛盾に脳が混乱する。なんだか騙し絵を見ているようである。
SFならホログラフィックだろうか。
五感のなかでも触覚の優先順位というか重要性を低く見ていたが、認識を改める必要があるかもしれない。
幽霊が見えている現在は五感どころか第六感まで覚醒しているのだが。
もしかして、この子に触れられないのは六感が覚醒しきってないからだろうか?
霊能力とやらが足りていなのかも。
見た目は髪が白い事以外は普通の少女なのだが、幽霊でも知らない男にお姫様抱っこをされたらセクハラだとか言ってくるのだろうか?
俺からしたら年下は恋愛の対象外、しかも妹と同じかそれ以下の少女にそんな感情は抱かない。言われたら不本意でしかない。
俺は年上好きなのだから。
まあ、この場合はこの少女がどう思うかが重要なのだろうが、そこは許して欲しい。
少し恥ずかしい思いをするか砂浜に放置かの二択なのだから。
砂浜から気を失っている少女を抱えて約十分、見られたら誤解を生むであろう姿を誰にも見られる事なく、なんとか家に着く事が出来た。
夜になると人通りがパッタリと消える田舎で本当によかった。
―よかったが
荒野を歩く草食獣が肉食獣を警戒するが如く、どれだけ周囲に注意を払っても、世の中、不可避の事態というモノがある。
「…………」
そーっと、音を立てないよう静かに玄関のドアを開け、家に入ろうとする―が。
「兄ちゃん、おっかえりー!」
微かな音を拾ったのか、はたまた別の何かを感じたか、本当に獣かのような察知能力で、それは、いつものように玄関に現れる。
「て、んん? え。うええ!? に、兄ちゃんが! ついに女の子を拾って来た!?」
「ついにとか言ってんじゃねえよ!」
人をロリコンみたいに言うな。
不可避の事態。三つ年下の妹―七瀬楽のお出迎えである。
「しかも外国人! きっと不法入国者だからって攫ってきたんだ! 足がつかないだろうって! しかも、あたしと同い年くらいの見た目……ハッ!」
「落ち着け馬鹿」
長年こいつの兄をしているから分かる。
今のはバカな事を思いついた反応だ。
「もう兄ちゃんってば~そういう事ならアタシに言ってくれればいいのによ~。お帰り兄ちゃん。お風呂にする? ご飯にする? それとも、あ、た、ふぎゃ!?」
「落ち着け馬鹿」
手が塞がっているから足で妹を蹴る。DVではなく躾だ。
「いったいなあ。何すんだよ!」
「落ち着けって言ってんだよ。大体、飯も風呂も全部俺がやってるだろうが」
家事は一切やってないだろ、お前。
「とりあえず話を聞け」
妄想が暴走している。
「この子はただの旅行客だよ」
「旅行客? こんな町に?」
気持ちは痛いほど分かるが―口にするな
「夏休みだから旅行してるんだって。現地の人に頼んで泊めて貰う予定の所に俺が通りかかったんだよ」
楽の出迎え不可避の事態だが不測の事態ではない。
帰るまでにそれなりの対応を考えてきた。
「……本当に?」
「本当だって……」
何で疑う。兄貴をなんだと思ってる?。
それとも秘めた野生の直感か何かで感じとっているとでも?
「何がそんなに怪しいんだよ?」
「いや、だってその子、気絶してるし」
「ん」
確かにそれは怪しい。寝てると言わず気絶と言っているあたり、相当怪しんでいる。
「ほら、詰まってんじゃん」
「いやいや、いや! 長旅で疲れただけ! 宿が見つかって安心して眠っただけだ!」
「なんで焦ってんだよ」
「焦ってない、焦ってない。クールだぜ! 寒いぜ! 冬だぜ!」
「夏だろ」
夏だ。
「本当に疲れて眠っただけだって。兄ちゃんを信用出来ないのか?」
「んーまぁ、そうか」
信用しているのか、していないのか分からん奴だ。その手のひら返しは逆に怖い。
「そっ。だから、こんな俺の腕の上じゃなくて、早くベットに寝かしてやらないと」
履いていた靴を脱いで二階にある自分の部屋に向かうために真っ直ぐ階段に向うと
「え、兄ちゃん、その子どこで寝かせるつもりなんだ?」
「あん? どこって俺の部屋だけど」
こんな謎の幽霊少女を俺の目の届かない所に置くわけにいかない。
「い、いや……それは駄目だろ兄ちゃん」
「は? なんで?」
「襲うだろ?」
「襲わねえよ! なんでそんな信用ないかなぁ!」
さっき信用してくれたんじゃないの?
「同じ部屋に男女が二人ってだけでもアレなのに……兄ちゃんと女の子が同じ,部屋なんて……そんな危険な事を止めないほど、あたしは人間が腐っちゃいない!」
「はいはい」
思春期入りたてのアホは放っておくに限る。
「あーちょっと無視すんな!」
「お前、何を勘違いしてんのか知らねえけど……言っとくが俺は年下に興味はない」
「ダウト!」
そんな気合入れて言われても本当だ。
見破れなかったペナルティでもっかい蹴るぞ。
「それだと! あたしも恋愛対象に入ってないじゃん!?」
「最初から妹が恋愛対象に入る訳ねえだろ!」
お前が俺の妹に生まれた時点で恋愛対象外だ。
「だって、毎日アタシにご飯作ってくれるし、洗濯も掃除もしてくれるし、勉強だって教えてくれるだろ?」
「それは普通に兄として妹の面倒見てるだけだ……」
幼い頃から両親共に海外出張中。家にいるのは年に数回。
そのため、家事全般は全て兄である俺に託されていた。
「五歳の時に結婚してって言ったらOKしてくれたじゃん!」
「ありそうな話だけど俺達がそんな会話した事ねえだろ……」
「あれ? そうだっけ?」
記憶が捏造されている。
「もういいか?」
本気で無視して階段を登ろうとするが。
「あーちょっと待てよ、兄ちゃん!」
楽はまだ何かあるらしい。
「いや本当に何もしないって……」
「あ、いや、その事はもういい」
切り替えの早い妹だった。生き方が刹那過ぎる。
「じゃあ何だよ?」
「あーいや、まだ聞いてなかったと思って」
「何を?」
「名前」
「名前?」
「流石に泊まるって話になったのに、自己紹介一つない事はないだろ?」
「名前?」
「いやだから名前だって。なんで聞き返すんだよ?」
知っているわけがない。というか俺がこの子について知っている事なんて一つもない。
「え? 知らねえのか? 兄ちゃん、やっぱり拾って……」
「いや、違う。違うからね?」
だから女の子を拾うってなんだよ。いや、ある意味拾ってきたと言えない事もないのだけど―ただこのままでは確かに怪しい。旅行客なんて言わずに倒れた女の子がいたから保護したと正直に言った方がよかったかもしれない。
「えっと」
焦る内心。拠り所として抱える少女を見る。そこに綺麗な白い髪が映る。
「かみしろ」
「ん?」
「この子は―」
頭に浮かんだ、それを口にする。
「神代。神代真白だ」
髪が白いから神代、全体的に白いから真白と何とも安直な名前―ん?
「白い髪なのに日本人の名前なんだな? なんか今付けた名前みたいだし」
「…………」
「兄ちゃん?」
「あ、いや、ハーフなんだって。それに名は体を表すって言うし……」
楽に鋭い所を言われているが、それに気をまわす余裕はなかった。
急に現れた違和感……いや、正しくは違和感が消えたのだろうか。
触れているのに触れられない。そんな不思議少女に俺は―初めて触れられた。
少女の暖かさを、軽さを、柔らかさを、細さを、はっきりと腕の中に感じた。
見たとおりの。触れたとおりの。少女の感覚。
視覚と触覚が噛み合った。
「大丈夫か兄ちゃん?」
「ん、んん。大丈夫、大丈夫。お前も早く寝ろよ」
「あーい」
楽の返事を背に再び二階に向かう。
階段を登る足にはしっかり二人分の重さを踏みしめていていた。