つかれましたと言われても
春といえば、卒業と入学。それは今まで自分がいた古巣から旅立って、新しい環境へと身を投じる節目の季節。高校の卒業式からもう二ヶ月近く経っているなんて信じられないけれど、私は新しい環境にそれなりに慣れ始めていた。
東京にあるそこそこ有名な私大のキャンパス。正門から校舎までの並木道には桜の花びらが舞っている。半分以上は散ってしまったが、未だに美しい桜並木を拝むことができる。ところで『桜散ル』っていう努力を重ねてきた人を絶望に叩き落とす、悪魔の電文があるみたいなのだけど、知っているかしら。
昼下がりの大学食堂の二階、そのオープンテラスの一角で、私は旧友にして腐れ縁の篠原伊織にそういった内容のくだらない質問を叩きつけた。
「もちろん知ってるよ。透子だっていくつも貰ってたじゃない」
全くもって心外なのだが事実であるため否定ができない。彼女の言うとおり、私が受かった大学はここだけであり、それ以外は全て落ちた。原因は色々あるのだけれど、その詳細は思い出したくもない。とはいえ、首の皮一枚で繋がって受かることができたこの大学は私の第一志望だったで何も問題ない。結果オーライというやつね。
「そうね。全く、そんなところで言葉遊びをするなんて、いい趣味してると思うわ」
「でもよく考えてみてよ。桜が散る為には一度、咲かなきゃいけないんだよ」
「……」
伊織は勝ち誇ったようなドヤ顔で私を見る。誰がうまいことを言えと言った。
ちょっとだけ悔しい。
「つまりかろうじて咲いた私の桜もいつかは散っていくのね」
「透子ってば可愛くないなー」
「このー」と言いながら、伊織は私の頭をガシガシ揺する。私のロングの黒髪が乱れていく。別に手櫛で戻せばいいのだけど、慣性に従って無抵抗でいると視界がぐらぐらと揺れて少し目が回った。私とのスキンシップに満足した伊織は何事も無かったかのようにパクパクと昼食の続きを始めた。
「透子ってなんか物の見方、変わってるよね」
「そうかしら。まぁ確かに視えないものが視えてしまったりすることはあるけど」
「ううん、霊視とかそっちの意味じゃなくて。なんていうのかなー。ひねくれた見方?」
全くもって失礼な人だわ。私は改めて目の前で口一杯にご飯を頬張る女を見た。篠原伊織。白いTシャツに薄黄色のパーカーを羽織っており、アンダーはジーンズときた。ラフで活動的な格好はショートヘアーでボーイッシュな彼女に似合っている。女の私から見ても掛け値なしで可愛いと言えるのだが、昔からかわいい服装にはあまり興味がないようだった。とはいえショートの茶髪が跳ねるとシャンプーの香りが微風に乗ってくる程度にはオシャレに気を使っているらしい。伊織とは小学校以来の付き合いで、小中高とずっと同じだった腐れ縁。私は文学部で伊織は経済学部と学部こそ違えと、気が付けば大学まで同じなのだからこの縁はもはや呪いに近い。
運動神経にも優れ、性格も明るく話の引き出しも多い。私から見れば、いや誰から見ても完璧な超人なのだが、そういった性質から彼女はいわゆる「男ウケ」するらしく新歓期は引く手数多だった。にもかかわらず彼女はそれらを全て断ったらしい。噂に聞けば「透子と同じサークルがいい」などと言い出し、しかもそれを吹聴して回った。おかげで私のところにも勧誘が殺到することになり、新歓期は大変だったのは記憶に新しい。私はサークルに入る気はさらさらなかったので、あの手この手で刺客達から逃げ回るハメになった。入学してからの二週間で変装と気配の察知はかなり上達したと思う。結局、私が伊織に泣きついたら彼女は勧誘されたサークルに全部入ってしまったのだから驚きよね。その後、ぴたりと私への勧誘が止んだことは喜ぶべきことなのだろうだけれども、なんというか本当に遺憾である。
「別に、ひねくれてないわよ」
腐れ縁と言いつつも、伊織は私にとって数少ない親友の一人であることに変わりはない。私は物心ついた時からいわゆる幽霊やお化けといった妖怪の類が視えていた。実家が神社であるのが理由なのかはわからない。お父さんは霊感ゼロで全く視えないみたいなので、神社とかはあんまり関係ないと思う。幼少のときはそれが原因で虐められたりしたことがあったから、基本的に人には隠している。ただ伊織は、私の霊感能力について知っていて、かつそれを信じてくれている数少ない友人の一人だ。
「透子ー、拗ねないでよー」
「別に拗ねてないわよ」
伊織が再び私の頭をくしゃくしゃと撫でようとしたのを、すばやく箸で牽制する。彼女は少し残念そうに手を引っ込める。私は小さく息を吐き出して鯖の味噌煮に箸を伸ばす。先ほどからテーブルの上で木霊が飛び跳ねていて鬱陶しかったので、ついでに箸で摘んで投げ捨てた。
授業の開始時間が近づいてきたのか、食堂にいた学生たちは食器を流しの方へ下げ始めている。
「ほら、さっさと食べちゃいましょ。あんたも今日はもう授業ないんでしょ」
「うん、ないよ。でも、あたしもう食べ終わったよ」
いつの間にか伊織のプレートの皿は全て空になっていた。相変わらず伊織は食べるのが早い。もしかしたら私の食べる速度が遅いのかもしれない。かの有名な物理学者は時間とは相対的なものに過ぎないとかなんとか言ったらしいけど、文系の私には与り知れないところだ。そんなことを考えている内に、伊織はそのままお盆を持って流しへ下げに行ってしまった。
「あの、すみません。神薙さんですか?」
背後から突然、男の声がした。私は少し驚きながらもゆっくりと振り返る。そこには私と同年代くらいの男が立っていた。ジーパンに有名ブランドのマークが刺繍された灰色のポロシャツ。さりげなく高価な腕時計をつけている。切り揃えられた黒髪は清潔感があり、タレ目が特徴的だが顔のパーツは悪くなく整った顔立ちだ。華奢な体つきで一瞬女の子と見違えてしまったけれど、本質的にはイケメンな優男なんだと思う。けれども、その顔色は悪く表情はどこまでも暗く沈んでいる。第一印象は控えめに言って相当悪い。一言で表すなら青瓢箪といったところね。
「はい、神薙ですが」
「あの、僕を助けてくれませんか?」
そして、男は突然その場で綺麗なお辞儀をした。その角度や速度は神社育ちの私から見ても美しいと思う。やっぱり育ちはいいみたいね。ただ、私のいるオープンテラスの一角はあまり人目につかない場所とはいえ、あまりこういった光景を目撃されたくはない。なんというか、悪いことをしている気分になってしまう。
「頭を上げてください。あの、助けてくれ、というのはどういうことですか?」
「はい……すみません突然押しかけてしまって。僕の知り合いから神薙さんなら力になってくれると言われたもので」
質問の答えになっていない要領を得ない答えに少しだけイラっときてしまったけれど、この男は相当追い込まれているようだった。よく見てみれば目の動きとかも落ち着きがない。原因はわからないけれど尋常ではない。もしかしてクスリでもやってるの?
ところで、私を紹介した知人とやらは一体誰なのかしら。別に私は学校の事件屋とかそういった物騒なことはしていない。そもそもこちとら新入生だ。明らかに紹介すべき相手を間違えていると思う。
「あの、誰から紹介を受けたのかわかりませんが、突然助けてくれと言われましても」
『自己紹介ぐらいしろ、お前は誰だ』という想いを言霊に込めて男に届けてみたけれどあまり効果はなかったようだ。
「僕、つかれているみたいなんです」
「はぁ、そうですか。ゴールデンウィークに箱根温泉とかに行ったらいいんじゃないですか?」
ついでに大学病院のMRIで脳の検査と精神科にも行ったほうがいいと思います、という言葉をなんとか押し殺した。お前が疲れているかどうかについて私は興味ない。本当に誰よ、こいつに私を紹介した奴は! 頭のネジが飛んでいるとしか思えないわ。
冷静に考えてみれば、初対面の私に相談するということは心霊現象の問題であると推測できる。おそらく彼はこの大学の学生なのだから、私と彼を繋ぐ「知人」とはこの大学の関係者である可能性が高い。私の数少ない知り合いの中で、私の霊能力を知りつつこの大学に関係している人物――。
高速に張り巡らされた思考から一つの考えたくない仮説にたどり着いたとき、伊織が流しから戻ってきているのが見えた。
「あれー、透子さんやー、そちらの御方はどちら様ですかぁー」
ニヤニヤしながら、伊織は私の顔を覗き込んできた。別にゴシップネタにもなりはしないのに、こうやって一々大げさに解釈して、物事をややこしくするのは彼女の悪い癖だ。私は知らないという意図を込めて、小さく肩を竦めた。
「げっ、礼一じゃん。ど、どうしたの? 透子に告白?」
伊織のタチの悪い冗談に、男の顔はボッと瞬間湯沸かし器の如く一瞬で赤くなった。そう露骨に反応されるとこちらまで恥ずかしくなってくる。なぜ伊織はこの男を知っているのだろうか。いや、もはや疑問に思うまででもないのかもしれない。私は表情筋がげんなりと歪みそうになるのを堪えながら伊織の方を向いた。
「知り合い?」
「あー……うん、あたしと言語のクラスが同じなの」
「遅ればせながら、理工学部一年の山崎礼一と申します」
「……山崎君。一応確認したいことがあるのだけれど、いいかしら?」
「はい」
さりげなく席を離れようとした伊織の腕をガシリと掴む。逃がしはしないわよ。
「私を紹介した『知人』ってのはここにいる篠原伊織で合ってるかしら?」
「はい、篠原さんに相談する機会があって、そしてら神薙さんのことを紹介してくれました」
私はキッと伊織を睨みつけた。伊織は笑いながら明後日の方向に視線を逸らしている。
「ち、違うの透子。まさか本当に来るとは思わなかったんだって」
「そういう問題じゃないわよ! 私の秘密を吹聴して回ったことについて……まぁいいわ。あんたの処遇はあとで決めましょう。それよりもまずは目の前の問題」
私は小さくも長い溜息を吐き切ると、思考を切り替えて山崎と相対した。
「詳しく聞かせてくれるかしら?」
「僕、憑かれているみたいなんです」
「それは、『憑依されている』という意味よね?」
「はい。入学してからです。たまに意識が飛んでしまって、記憶がポッカリ空いている時間があるんです」
礼一の顔色は話している間にもどんどん悪くなっていく。恐怖、焦燥、後悔。様々な負の感情がその表情から伺える。私は彼の瞳の奥をまじまじと見つめる。
「動かないで」
恥ずかしさから礼一が目を逸らそうとしたのを牽制する。こっちだってそれなりに恥ずかしいんだから、少しは我慢して欲しい。礼一の瞳の奥、霊視能力で彼の魂に取り憑いているモノが視えた。若い男性の霊。この世への深い執着心や後悔、そして何か強い想いだった。ただ怨嗟や悪意の類は感じられなかった。
「そうね。確かに取り憑かれているわ」
「な、なんとかなりませんかっ!」
「透子、どうするの?」
礼一は完全に怯えきった表情で私に懇願する。伊織が恐る恐る、心配そうに私に聞いてくるけど、私には嗜虐趣味というものはないのでこの依頼を受けてもいいと思っているから安心して欲しい。ただ、彼に取り憑いている霊は片手間でどうにかなるレベルを明らかに超えている。これほどの実害を出している強力な霊に対して、さすがに無償でやってあげるほど私はボランティア精神に富んでいるわけではない。
「なんとかしてあげる。ただし条件が三つあるわ」
そう言って私は指を一本ずつ挙げていく。
「一つ、私の霊感について知ったことは墓まで持っていくこと。二つ、この件について隠し事は一切なし。私も秘密は絶対に守るから。三つ、解決するまで私に昼食を奢ること」
どう、簡単でしょ? と返答を促すと彼は数秒思考したのち、首を縦に振った。
「その条件でお願いします。なんとかしてください!」
「交渉成立。それじゃあ事情聴取といきましょうか」