勤務0日目 アヤシイ副業
月末金曜日の午後21時32分。
飲み屋街にあるコンビニのATM前にて、山咲桃華は唖然としていた。
(残金が……2387円。今月給料日まであと14日も残っているのに、どうしよう?!)
華金ということで同期に誘われ飲みに来たは良いのだが、自分以外の同期が酔い潰れ支払いを立て替えることになったのだ。支払いは事なきを得たが、手持ちのお金は限りなくゼロに近く、ATMで降ろそうにも残金が2387円しかない。
(っく、これだからオタクは……!)
物欲が強い方のオタクであるが故に、推しに貢ぎまくって大学4年間500円玉貯金していた分はとうとう底を尽き、給料の半分はクレジットカードの返済に充てている為に毎月ギリギリの生活を送っている。
社会人2年目になっても、中小企業の事務では新卒時の給料とそう対して変わらないのが現実だった。
この状況を打破するには、オタ活を控えるか収入を何らかの方法で増やすしかない。
(ていうか今すぐお金がないとやばくない!?)
本日の飲み会の立替分が返ってきたとしても、残り14日過ごせるかといったら……恐らく無理である。
(え、だって来週は推しのソロCD発売だよ?!それにあのアニメの円盤第1巻も発売されるし、ライブの先行特典ついてるしぃ!あああなんでこうも重なるのー!)
好きな作品のグッズ発売時期が重なることに嬉しくも、懐的には死活問題だ。
華金夜の終電間近の満員電車にもみくちゃにされながらも、桃華はスマホで副業を探し始めた。
『高収入』『副業』『女性』この3拍子で検索してヒットするものは、言わずもがな『そういうバイト』が多数である。
『そういうバイト』をやっている女性への偏見がないかと聞かれたら――自信を持ってイエスと言えるわけではないが――そういう稼ぎ方もアリだろうと思っている桃華でもいざ自分がやるかとなったら話は違う。
(短時間でサクっとそういうこと無しにすぐお金がもらえればいいのに……ん?)
求人情報サイトを眺めていると、ある募集が目に入った。
-----【未経験者大歓迎!】-----
英国風ブリティッシュパブ・イロアスです。
初心者大歓迎!男女問わず活躍できます!
熟練のプロたちが優しく丁寧にサポート☆
接客業ではないので派手髪・ネイルもOK!
コスチュームの貸与有り!
週1日3h~OKなので、Wワーク(副業)でサクッと稼げます!
なのに大満足の高単価!
是非一緒に、非日常を味わいませんか?
※当社は法人保険に加入していますので万が一の怪我も安心です。
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如何にもなうたい文句ではあるが、所在地が桃華の家からさほど遠くないこと、男女共に活躍できると書かれていること、掲載されている店内写真を見るに普通のブリティッシュパブに見える。
幸い、次停車する駅がここの店の最寄り駅だ。
桃華はいかがわしいお店なのかそうでないのかを見極めるべく、次の停車駅で降りることに決めた。
「まもなく~湖袋~湖袋~。右側のドアが開きます。」
地図によると、どうやら東口を出て徒歩5分ほどにあるらしい。お店の住所をコピーし、地図アプリで検索する。
しかし案内通りに来たはずだが、着いたのは10階建てのマンションだった。エントランスにはインターホンの脇にイロアスのと思しき立て看板がちょこんと置かれている。
(隠れなんちゃら、的なやつなのかな?)
立て看板に書かれている通り、部屋の番号105を押し呼び出す。
『は~い、イロアスです~。』
少しやる気のなさそうな男性の声が応答する。
「あ、あの、バイトの応募を見て……。」
『あ~バイトのね。約束の時間過ぎてたから来ないかと思ったよ~。』
「へ?」
イロアスは先程初めて存在を知ったくらいだ。約束も何もしていない。
『今開けるから、入っちゃって~。105ね~。』
インターホンが切れたと同時に、目の前の自動ドアが開く。
桃華はエントランスを抜け、目的の105号室を目指す。
エレベーターホールを通り過ぎ、右へと曲がり、しばらく歩く。
「あった。」
105号室のドア横には、エントランスにあった看板と似たものが置いてあった。
桃華は、看板に『そのままお入りください。』と書かかれている通りにドアを開けた。
「お~、今インターホンした子だよね~。」
内装は至って普通のマンションの一室だった。玄関には先程の声の主と思われる目つきの悪い男性が立っていた。シャツに黒ベストといったいわゆるボーイの恰好が長身細身の身体によく似合っている。
「えっと、特に面接の予定はしてなくて……。」
「あれっ、違う子?じゃ~、今日の面接予定だった子はドタキャンか~。」
「サイトでバイトの応募見て、ちょっと興味でどんなところか寄ってみたんですけど。」
「いいよいいよ~、あがって。これ、スリッパね~。」
促されるままスリッパへと履き替え奥へと進む。
「この扉の向こうが実際にうちの店ね。」
そう言って、男性は扉を開けた。
「――へ?」
まさにブリティッシュパブを思わせる落ち着いた照明、至るところにある木製の丸いバーテーブル。テーブルを囲んでお酒を楽しむ男女。
しかし、目の前に広がった光景は普通のそれとはまるで違った。『非日常』という言葉では表せないほど異質なものだった。
「あの、これは?」
店にひしめく客の男女を指差し、桃華は問う。
「こ、コスプレですよね?そういう変わったパブってことですか?」
ここにいる客の誰もが、おかしな恰好をしていたのだ。現代どこの国に行っても着ていないであろう重たそうな西洋甲冑を着ている金髪の男性、童話に出てきそうな黒いローブを身にまとった女性、ドラゴンと思しき小さい生き物を肩に乗せた少女などなど…その場にいる誰もがアニメの世界から出てきたのかと見間違う恰好をしていた。
「彼らは冒険者だよ~。」
「冒険者、とは?」
「キミ、アニメとか見ない~?」
「見ますけど。」
「ゴブリンとかドラゴンとか倒したりする、冒険者。」
「それは分かりますけど。」
普段から様々なアニメを見ている桃華だ。冒険者と言われたらどんなものか想像はつく。
「じゃ、あっちの部屋で詳しく説明するから。来て。」
そう言ってパブの奥にある部屋を指さす。
「あら、ケンタロー、その子は?」
ローブ姿の女性が親しげに話かけてきた。ボーイの名はケンタロウというらしい。
「新しい冒険者希望~。ま、なるかは分からないけどね。」
「私はレイナ。職業はウィザードよ。ビギナー冒険者のサポートをしているの。よろしくね。」
レイナと名乗った女性が差し出す手を、桃華はおずおずと握り返す。
「どうも。」
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応接室に通されて、桃華は先程から密かに抱き始めた疑念を言葉にした。
「もしかして、バイトの募集って……冒険者のことだったりしますか?」
「お、飲み込みいいねぇ。」
桃華は受け入れがたい疑念があっさり肯定され、頭を抱えた。
「というか、あの人たちは本物なんですか?冒険者のコスプレとかじゃなく?キャラも作ってるとか、そういうのじゃないんですか?」
「本物だよ。異世界の、本物の冒険者たち。」
目つきは悪く言葉遣いも馴れ馴れしい男性ではあるが、雰囲気から桃華のことをからかっている、ということはなさそうだ。
「ま、最初はみんな信じられないよね~。俺も最初はちょ~ビックリしたもん。」
そうしてケンタロウは冒険者の説明をし始めた。
「冒険者のバイトをしてもらうわけだけど。最初はさっきのウィザードのレイナみたいなプロの人たちと一緒に行く。んで、報酬は組んだパーティで山分けね~。公正になるよ~報酬割るパーティ人数をギルド組合から支払われる。ウチで雇っている子はそのままウチに支払われて、換金してキミたちに支払うって仕組みね。」
「だいたい1人いくらくらいになるんです……か?」
「向こうとこっちじゃ物の価値が全然違うからね~。まぁ、それでも1回1万くらいかな~。」
「1万!?」
ケンタロウは右の親指をぐっと立てた。
「しかも日払い可能!」
「日払いも可能?!」
今すぐお金が欲しい身としてはかなりの好条件である。しかし――
「い、命の危険はどうなんですか?」
「一応保険加入してるよ~、ウチ。」
「いやいやいや!最っっっ悪の場合、死んじゃうことだって……。」
「あるね~。」
「ですよね!?」
1回の冒険で1万円以上稼げてしかも日払い可能だとしても、命の危険性があるのならばここは大人しく帰るべきだと桃華は思った。
そう、この応接室に誰も入って来なければ。
「ケンタロウ、今いいか?」
軽くドアをノックして、顔を覗かせたのは1人の青年だった。端正な顔立ちに、透き通ったスカイブルーの瞳。その青年の姿に、桃華は驚愕した。
(……ロキ?!)
ロキというのは、桃華がこの世で最も金を貢いでいる、もとい推しているナイツ・サーガという作品のキャラクターである。
「どうした、カルロ。」
「取り込み中ならいいんだ。ごめんね、お嬢さん。」
申し訳なさそうに、カルロは応接室の扉を静かに閉めた。
「ケンタロウさん。」
「途中だったな~。で、怖いならここで引き返すって手もあるけど。」
「いえ、私!冒険者、やります!」
山咲桃華24歳。社会人2年目にして副業に手を出すことになったのだった。
ゆるゆるっと連載していきます。