第1話
本編でスペイン青師団の防寒装備の由来説明です。
スペインが、いわゆる「スペイン青師団」と呼称される義勇兵の派遣を決めた際、兵器等については、できる限り米国を始めとする連合国諸国が援助してくれることが、連合国諸国との交渉で決められたが、そうは言っても全てが援助されるわけでは無かった。
ある程度は、スペインが自分で負担せねばならなかったし、提供されるものによっては、スペイン側の方で丁重にお断りして、自分で調達せねばならないことがあった。
(それこそ在庫処分のバーゲンセールでは無いが、完全に旧式化しているオチキス軽戦車を仏は提供しようとしたし、伊も「赤い悪魔」と悪評の高いM35型手榴弾を提供する有様だった)
そういった場合、フランコ総統率いるスペイン政府はどうしたのか?
スペイン政府は、一石二鳥の妙案を考え付いた。
国民の間に広く寄付を募って資金や物資を調達し、調達された物資に寄付者の名前を入れる等することで、寄付者の名誉心を満足させることにしたのだ。
この当時、スペインは内戦の傷が完全には癒えておらず、そう税金を掛ける訳には行かない一方で、国民の間で内戦の勝利者であるフランコ総統に忖度、おもねる国民が相当数いたことからも、この政策はそれなりに上手くいった。
そうした中の一つに、スペイン青師団の冬用コートがあった。
当たり前のことだが、1941年後半当時、スペイン軍がソ連、ロシアの寒さを考えた冬用コートの準備等をしている訳が無かったのだ。
とは言え、他の連合国諸国も、元々、寒さ対策をせねばならない北欧諸国と、既にソ連と激戦を展開している日米を除き、零下何十度という寒さ対策を考えた軍用の冬用コート等、それこそ見本はあっても大量には準備されていない有様だった。
だから、スペインは青師団の冬用コートを自国で調達することにし、それに対する寄付を募ったのだ。
そして、調達の際に参考にされたのは、スペイン内戦の際に縁が出来た日本軍の冬用コートだった。
そう、「スペイン帽」は、日本軍経由で採用されたのだ。
これには、それなりの訳があった。
第一次世界大戦後、日本の国防方針は対ソ連を最大の主目的として整備された。
ある意味、満州事変の結果もそのために引き起こされた、と言ってよい程だ。
また、フィンランドやポーランド、トルコといった伝統的な反露、反ソ主義の国とも日本は連携した。
そして、極寒のシベリアでの冬季戦を想定した冬用装備も時機に応じて改変、整備されている。
ロシアや東欧諸国では、防寒のための耳当てつきの帽子が伝統的に被られており、それを参考にした軍帽をフィンランド陸軍は1936年に採用した。
その情報を得た日本軍も、早速、自国でも耳当て付きの軍帽を、冬季にシベリア等で戦う際に必要であると考えて採用した。
これは1939年の第二次世界大戦にギリギリ間に合い、日本軍の将兵の防寒に役立った。
それが更にスペイン軍にもたらされたのだ。
とは言え、オリジナルとは当然、異なるものになる。
スペインは世界的な羊毛品種として著名なメリノ種の原産国であり、20世紀になってもそれなりの羊毛産出国としての地位を保っていた。
自国の羊毛関連産業振興も兼ねて、寄付金を集めて、自国の羊毛をふんだんに使って冬用コートと軍帽をフランコ政権は調達することにしたのだ。
このために、この当時のスペイン青師団の現存する冬用コートには、小学校の名前が入っていたり、教会の名前が入っていたり、特定の個人名が入っていたりする。
そして、本来なら士官ともなると自前で冬用コートを調達するのが当然なのだが、スペイン青師団については、士官でさえ寄付で調達された冬用コートを愛用するものが出る程に良い物になった。
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