プロローグ 娘2人の想い出
サムライー日本海兵隊史の外伝になります。
私、アラナの幼い頃の想い出の一つが、夏が近づく中、母が冬用コートを100着も購入して寄付したことだった。
「100着も冬用のコートを購入、寄付して下さるとは。ありがとうございます」
「いえいえ。反共十字軍の方々に必要と言われては、スペイン人として協力しない訳にはいきません」
ファランヘ党の幹部と母カサンドラが、そう自宅でやり取りをしたのを小耳に挟んだ、当時5歳の私は驚いた。
100着もの冬用コート、何でそんなものを母は購入して、寄付したのか。
ファランヘ党の幹部が去った後、幼かった私は母に尋ねた。
「何で100着も冬用コートを購入、寄付したの」
当時、母はバレンシアで娼館「饗宴」を経営しており、それなりに羽振りは良かったが、100着もの冬用コートが必要とは何事なのだろうか。
私は不思議でならなかった。
「遠くの東の大地で、スペインの多くの若者が反共十字軍の一員として戦っているの。それを応援するためよ。もっとも、今すぐに送り届けられる訳ではないわ。今から冬用コートが作られて、送られるの」
母は丁寧に私に説明してくれた。
「どんな冬用コートなの」
「見本の写真があるわ」
私の問いに、母が見せてくれたのは、いかにも暖かそうなロングコートに、独特の耳当てのついた軍帽が付属している冬用コートだった。
冬でもそれなりに暖かいバレンシアでは、真冬でもまず見かけないような冬用コートだ。
「こんな物が必要なところなの」
私は驚いてしまった。
「ええ、しかもスペインのウールをふんだんに使った暖かいものよ。きっと兵士の皆さんに役立つわ」
母は微笑み、どこか遠くを見やった。
少し大きくなって知ったことだが。
この頃のスペインでは、スペイン青師団の将兵のために、ということで様々な募金、寄付等の活動が行われており、それこそ学校や教会、様々な組織まで協力していたらしい。
だから、母も協力していたのだ。
私、サラの幼い頃の想い出の一つが、耳当てのついたウールの帽子だ。
幼い頃、いや大人になるまで、とても寒がりだった私は、耳当てのついたウールの帽子が大好きで、それこそ頭が大きくなったり、傷んだりするたびに、母カテリーナにせがんで買ってもらった。
父アランも、同じような帽子をコートと共にロシアの大地から帰還した際に持って帰っていた。
だが、何故か父は、それをある意味、秘蔵していて、めったに出さないのに、大事に保管していた。
この耳当てのついた帽子のことを、周囲の人は「スペイン帽」と時々、呼ぶことがあった。
私は、そう呼ばれるので、これはスペインでよく被られる帽子なのだ、と幼い頃、一時、誤解していたくらいだった。
でも、本当は違った。
それを教えてくれたのは、兄ピエールだった。
本当は母カテリーナに尋ねたかったのだが、(私自身、心の何処かで察していたのか)なんとなく聞きづらくて、兄に聞いたのだ。
「ああ、先の世界大戦の際に、スペイン軍がソ連、ロシアの冬に被っていて、それが、ここ仏でも広まったんだ。だから、そういうの」
「そうなの。スペインは寒い国なのかと思っていた」
「逆だよ。暖かい国だから、ロシアの寒さ対策を厳重にしないと、ということで導入されたんだ。伊でも同じような由来から、耳当てのついた帽子のことを「スペイン帽」と呼ぶ人がいるらしいよ」
「へえ」
兄とのやり取りで、私は驚いた。
大きくなり、母カテリーナがこの帽子のことについては、複雑な想いをしていたことを、私は知ることになるのだが、それはその頃の私には分からないことだった。
父が、このような帽子が「スペイン帽」と呼ばれることに一役買っていたこと、そして、曰く付きの代物らしいのも分からなかった。
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