危険を避けるのは冒険者としては基本だと思うのですがギルドの若手からは卑怯者と罵られました。
僕の本業は薬師だ、これに関しては少しばかり自負がある。
現時点で二級薬師というのはブリストンの薬師ギルドでも早い方だ。一級昇格のためには形に残る業績が必要らしいが、冗談半分で居候の観察日記をブリストン支部に見せたら、それが業績として採用されてしまった。
たぶん帝都本部の人に見られたら怒られると思うが、写本を冒険者ギルドの皆に見せたら笑われつつも「冒険者にとっては凄く価値のある資料だ」という評価を頂戴している。
僕は冒険者でもある。
故郷のロイズ村、その跡取り息子だったアダムスに拉致同然にブリストンまで引っ張り出され、数合わせの冒険者登録だったとしても。採集と納品しかしていない三流冒険者だけどね。
幼馴染兼居候は規格外。
ゴブリンの呪術師が友達。
兄弟子については弁解の余地なし。
どれも僕自身の力ではない。思い上がってはいけない。
前方で拘束されている巨大子羊を見る。
縮尺がおかしいけれど、身体の構造自体は僕らの知る子羊と何も変わらない──だから不自然なのだ。月光猟団のバーバラさんでなくとも気付く。
巨獣種は自前の骨と筋肉だけで身体を支えることは不可能。
ではどうするか。
かつて兄弟子とゴブリン呪術師と師匠が収穫祭の馬鹿騒ぎで泥酔しながら僕に教えてくれた、一種の禁じ手を思い出す。普通の精霊では出来ないが、地脈を支配し微細な制御を可能とする樹精ならば可能かもしれない、巨獣種討伐の必殺技だ。
何度見ても縮尺のおかしい巨大子羊を軽く睨みつつ、僕は冒険者チームの前に立つ。
樹精のおかげで僕が此処にいることに気付いている冒険者達は、回復薬の注文伝票を僕のポケットに押し込む以外の邪魔はせず、素直に道をあけてくれた。
深呼吸を二度。
巨大子羊の上でこちらに手を振り続ける霊木の樹精との間に霊的な接続があるのを確認し、僕は小さく告げた。
「地脈限定遮断、目標、巨獣種子羊、頸椎三番」
『実行』
僕の言葉に、樹精が一本の蔦を巨大子羊の首に巻き付ける。傍から見れば頼りない紐のような蔦は子羊の首を一周すると短く一度だけ発光し。
直後、鈍い断裂音と共に子羊の首が折れた。
普通の子羊と同じ骨格と筋肉で出来た巨獣種。その身体を支えているのは莫大な魔力だと、師匠や兄弟子が教えてくれたことがある。巨獣種の生息地は地脈の交叉する場所で、その力を吸い上げ蓄え、巨体を維持しているのではないか。あくまで仮説という話だったけど、説得力があった。
だから首の一部──頸椎の継ぎ目を狙って魔力を遮断してもらった。
頭部だけで十五メートルを超えるそれが、魔力による補助を失う。巨大な子羊は自然の理に支配下に置かれ、頸椎が切断される。骨も筋肉も、巨大な子羊の自重を支える力を持たない。それから数秒の後、魔力が途絶えた他の関節部分も同じ運命を辿った。
周りにいた冒険者達が驚いている。
魔法らしい魔法を樹精は使っていない、それどころか実行したのは魔力の遮断だ。周辺一帯の地脈の力を支配する樹精だから簡単に出来たが、人間の術師が同じ事を再現しようとすると地脈を遮断する結界を巨大子羊の周辺に多重構築して魔力の流れを閉じこめた上で、大出力の解呪魔法を発動させる必要がある。
理屈は分かったが自分たちでは再現困難。
星付き冒険者なら、同じ手間で必殺の威力をもった攻撃魔法を唱えただろう。攻撃魔法でなくとも大量の水で窒息させる事は可能だ……それができる技量と水があればの話だけど。錬金術の知識があれば炭酸ガスを吸わせるという選択肢もあるが、発生したガスをコントロールする手段がなければ自滅も避けられないだろう。
その辺を理解した冒険者や領軍の魔法職達が、驚いたような呆れたような視線を樹精に向けている。彼女がやった『業』は巨獣種にこそ致命的に作用するが、通常の生命や精霊などにはなんら害のないものだ。今回披露した業は、樹精が決して危険な存在ではないというアピールにもつながる。
「……おっかないわねえ」
「仮にも霊木に宿る樹精ですからね」
「あの娘じゃないわよ」
一部始終を見届けたアリーシアさんが僕の肩を叩いて首を振った。
◇◇◇
帝国法その他諸々の慣習に基づき、樹精が倒した巨大子羊は僕の所有物になった。
なんの嫌がらせだろうか。
土埃舞う中で幾度か咳込んだ後、僕は事後処理の優先順位を考えてから樹精に訊ねた。
「フィッシャー子爵領の禿げ山、ある程度戻せるかな」
『大丈夫だヨ。もう根ヲ伸ばして森を再生シタから』
全長百メートルを超える巨大子羊を逆さ吊りにした樹精の言葉に、応援に駆けつけた子爵領の軍勢が歓声を上げる。大陸妖精族程ではないけど樹精は豊穣の象徴として崇拝する農民は意外に多く、彼女たちが住まう森の周辺は草原も畑も不作知らずと言われている。
冒険者達の視線は、逆さ吊りにされた巨大子羊に釘付けだ。
巨獣種は身体こそ桁違いに大きいが、その身体構造は僕らの知る動植物と変わらないと考えられている。とはいえそれは食性や生態観察から推測されたもので、実際に解剖分解して調べたものではない。
「透視の魔術で見る限り、通常サイズの羊と構造に違いは見当たらないであります」
本来は遺跡や魔宮探索で使用される上級探査魔法を触媒なしに唱え、視界で捉えたであろう情報を手元のサボテン紙に焼き付けるバーバラさん。全身骨格、筋肉、血管、内臓、神経。それぞれの項目に分かれて焼き付けられた精緻な画像は十数枚に及び、隣にいたアリーシアさんが満足そうに束ねている。
賢人同盟出身者の作成した巨獣種の解剖図だから、冒険者ギルド以外にも欲しがる組織は沢山あるだろう。普通の冒険者なら簡単な報告書を添えて終わりだけど、薬師工房の器材を用いればバーバラさん程の魔術職なら書籍として装丁することくらい朝飯前だ。
「では、普通の子羊と同じように対処できると」
「少なくとも毒物関知の術式には反応ありません」
吊された巨大子羊を見てゴクリと喉を慣らしたモールトン伯爵領軍の騎士様の呟きに、僕が薬師としての見解を示す。
アレは食用動物だ。
全長百メートルありますけど、食用だ。
その肉は食えるし、毛皮は利用できるし、内蔵や脂肪も丁寧に処理すれば食用にも工業材料にも化ける。
羊という獣は捨てる部分がない。子羊の骨は柔らかいから、煮込めば上質な膠質も抽出できるだろう。
手間さえ惜しまなければ、最上の素材だ。
手間さえ惜しまなければ。
……
……
どう考えたって、一人で処理できる訳がないよね。早いところ内臓をかき出して冷やさないと、残留する体熱で肉が変質してしまうだろう。
「領軍団長様、自分は冒険者ギルドと薬師ギルドに所属し大南帝国モールトン伯爵領ブリストン市に拠点を構える薬師です。今回自分は冒険者として薬師として、そしてブリストン市民として巨大種子羊の襲撃に対応したと考えます」
周囲に聞こえるように、僕は声を上げた。
自分の所属を明らかにすることで、獲物の独占権を放棄する代わりに解体の人手を確保する。解体に必要な人足に支払う現金の持ち合わせなんて僕にはないし、薬師の領分でもない。
月光猟団に所属する女神官シンシアさんが「えー、勿体ない」なんて無意味に色気を振りまきつつ僕の背後で抗議の声を上げているが、僕の耳に届く雑音はその程度。巨大子羊が倒されたことで、冒険者集団側に配置されていた他の月光猟団メンバーも合流している。
本職に任せるのが一番。
いちおう僕もブリストンの冒険者ギルドに籍を置く身ではあるし。
そういうヘタレな僕の声明を期待していたであろう冒険者達はもちろん、伯爵領軍と子爵領軍のお偉いさん達も満足そうに頷く。
「ブリストン市は冒険者ギルドに巨大種子羊の解体ならびに素材処分を委託する」
「同じくフィッシャー子爵領も冒険者ギルドに委託します」
「冒険者ギルドは組織理念ならびに帝国法に基づき素材処分を受託し、公平に分配することを誓います」
空気の読める上司ってありがたい。
領軍の人たちも処理に失敗した血なまぐさい生肉の塊を抱えて帰郷したい訳じゃない。
動物の解体から素材加工そして流通に乗せて現金化することにおいて、冒険者ギルドは大陸で最も信頼されている組織の一つだ。狩人組合もまた狩猟動物の扱いには長けているのだけど、今回のように二つの貴族領にまたがっての素材分配となると冒険者ギルドの組織力がものを言う。
具体的な素材配分については偉い人達が決めることで、僕のような下っ端の冒険者は現場で解体を手伝う方がいい。
それでなくとも動物の解体は時間との勝負。
血抜きに肉の冷却など、魔法職の手を借りなければ折角の素材が台無しになってしまう。巨大子羊の討伐が街にも伝わったのだろう、羊皮紙組合や食肉組合の人達を乗せた荷馬車が冒険者ギルド上層部に突撃しているのが見えた。
「アリーシアさん、バーバラさん、解体の指揮をお願いします。ジェイムズ君は霊木の樹精に大まかな指示を出してください」
委細承知とばかりにブリストンの冒険者ギルド長であるモーリガンが僕たちに声をかける。
なるほど冒険者の等級としては月光猟団の皆が現在もっとも高く、そして下手な人造巨兵よりも器用かつ強力に巨大子羊の身体を運搬できる樹精を形の上でも使役できるのは僕だけだ。
「ええ、任せてください。これでも四つ足の獣はうんざりするくらい解体した経験があるから」
「冒険者になる前の職場は、冗談抜きで自給自足体制でありましたからなー」
新人冒険者達の訓練にもなるしとアリーシアさんは嬉しそうだ。
今でこそチーム月光猟団はブリストンに拠点を構えているが、それまではモールトン伯爵領全域で精力的に活動し、僕の冒険者仲間であるカリスみたいに駆け出しの女性冒険者を支援してきた。
だからブリストンで冒険者を続けている女性の大半は月光猟団と交友関係にあり、男性冒険者も表立って彼女達の不興を買う真似はしない。巨獣種の解体経験なんて、それ自体が冒険者としての箔付けにもなるのだ。
僕?
等級の低い、しかも登録して一年そこそこの新人冒険者。こういう場では一番の下っ端でもあるので有無をいわさず即行動だ。
最近やってきたであろう見覚えのない冒険者が僕を見て「寄生虫野郎」とか悪態を吐いていたけど、寄生虫の概念をきちんと理解しているようで相当な知恵者のようだ。なおその冒険者が斥候職に跳び膝蹴りを喰らっていたけど、そこそこ親しげだったので彼女の男性不信が治ったら二人は交際するかもしれない──と生温かい視線を送っていたら、なぜか斥候職に「アイツはギルドでいつもジェイムズの悪口を言ってる奴で何度注意しても態度を改めないから肉体言語で説得しているだけ」と弁解された。それってたぶん彼は斥候職に気があるんだろうねと迂闊にも答えたら、僕まで跳び膝蹴りを喰らってしまった。解せぬ。
◇◇◇
羊肉というのは齢の若いものほど臭みが無く、香辛料や香草の豊富な地域を除けば子羊のそれが最上とされる。
もちろん多少の臭みなど最初から気にしない民族や、香辛料を使った料理の発展している国などでは、成長した羊肉を上手に調理して大々的に消費している。残念ながら大南帝国で入手しやすい薬用植物は調理への転用が難しいものが多く、良くも悪くも素材の持ち味を尊重する料理が大半を占める。
揚げ芋や茹で芋に炙り溶かしたチーズを絡めて食べるのは不死王戦役で王国より伝わった調理法だが、赤胡椒や辛子バターで味に変化を付けるやり方が流行したのは比較的最近と聞いている。チーズもバターも牛や水牛を原料としたものは高級品で、庶民の口に入るのは羊や山羊の乳を加工したものが多い──牛に比べて酸味や独特の風味が強烈なそれらは、香辛料と組み合わせるまでは万人向けとは言い難い食材として市場でも敬遠されていたらしい。
一方、獣人が少なからず住まう大南帝国では、その獣相に対応した獣肉を食すことは禁忌ではないが忌避される傾向にある。
主だったもので、犬と猫の仲間。
地方によって猿と鼠。
牛の獣人は少数派だが古くより豊穣神と関わりを持つ。
もっとも獣人というのは戦闘に特化した部族を除くと肉よりも魚介や乳製品を好み、豆類に情熱を注ぐ者が多い。
そういう面倒くさい戒律と食文化に縛られている獣人にとっても、子羊肉というのは安心して食べられる数少ない獣肉として重用されている。
解体に意気込む冒険者達の熱意は相当なものだった。
普段ならば害獣やモンスターを討伐するのに用いられる数々の攻撃魔術が肉を冷やし、血抜きを効率よく行う。正確に言うと、家畜の解体や保管のために生まれた数々の魔術を基礎として、初級の攻撃魔術が誕生したらしい。魔力消費が少ないため、近接戦闘職の人間でも隠し武器の一環として初級魔術を習得する者が多いのだ。
全長百メートルの巨体を切り裂く刃は魔法の光に包まれ、浄化の力で皮革や肉を最良の状態に保つ。急速に冷やされた肉は一切の異臭を放つことなく解体され、冒険者ギルドが複数のギルドと共同開発した素材運搬用の保冷コンテナへと次々と運び込まれる。
「巨獣種の解体なんて帝都本部のスタッフすら経験したことありませんからね、これに参加したという実績だけで余所に行っても箔がつくでしょう」
ギルドとしても冒険者の評価項目に追加されるでしょうと、副ギルド長は満足そうだ。基本的には家畜の解体技術が適用されるけど、巨獣種ともなれば血管ですら立派な素材となる可能性を秘めている。大胆に解体を進める一方で神経組織や血管などを丁寧に剥がしており、武具職人や魔法道具の技師達が解体を進めながら意見交換を行っていた。
「骨付き背肉は皇帝陛下へ。格式ある両腿の部位は子爵家と伯爵家が。冒険者ギルドは両肩と両前脚を。皮革・内臓・そして雑肉の売却益を、実作業に当たった冒険者達と薬師殿の取り分とする案ですかな」
ギルド長の提案に難色を示したのは意外にもフィッシャー子爵領軍の騎士様とモールトン伯爵領軍の騎士様だ。
皇帝陛下への献上分は有り難く、さりとて両家の頂戴する肉は過分ではないかという懸念だった。だがギルド長の「誰を経由しても行き着く先が同じなら、鮮度の良い内に本命へと渡った方が良いでしょ」という身も蓋もない発言で、騎士様達は納得してくれたようだ。
僕としても異存はない。
おおよその解体を終えたブリストン郊外の地は、血液のシミや抜け落ちた毛すら存在しない。押しつぶされた草木さえ元通りになっていて、その中心では霊木の樹精が自慢げに胸を張っている。
冒険者達を総動員した結果、百メートルを超える巨獣種子羊は四半刻と経たずに各種素材となって運び出された。
犠牲者どころか怪我人もなく事態を収拾できたので、領軍も冒険者ギルドも笑顔だ。それぞれの勢力をまとめている人物は現場主義らしく、霊木の樹精を接収しろなどと無茶なことを言い出すこともない。
ちなみに。
解体の指揮を終えた月光猟団のアリーシアさん達に若い冒険者や騎士達が群がっていた。月光猟団のメンバーはみんな美人だし、特にアリーシアさんは元は高位貴族らしく、育ちの良さそうな若い騎士が顔を真っ赤にしながら声をかけている。
拠点における彼女達の生態は公にしない方が良いのだろう。僕も可能なら早死にはしたくない。
【登場人物紹介】
・シンシア
チーム月光猟団の神官。豊穣神殿出身だが神聖娼婦としての活動ができず出奔。むっちむち。耳年増。むしろ着衣の方がいかがわしいと言わしめた。酒が入るとジェイムズの爛れた女性関係を激しく糾弾するが、そもそもジェイムズは誰かと交際しているわけではない。
・カリス
チーム月光猟団の斥候職。冒険者デビューとしてはジェイムズと同期。祖母が獣人であり、発情キノコを食べてジェイムズを押し倒した経歴の持ち主。恋人とは決して認めないがジェイムズが工房を手に入れた時に真っ先に転がり込んだ。裸族。
・フィッシャー子爵
大南帝国貴族。位は低いが由緒ある家系。突如出現した巨獣種子羊の被害を受けたが住民の避難を優先した。ブリストンとは山一つ隔てた隣領。月光猟団のアリーシアとは旧知の仲。
・モールトン伯爵
大南帝国貴族。ブリストンは伯爵領第二の都市。大理石の産出で栄えた領地であり、陸路と水運の整備に力を入れていた。ジェイムズの存在を知っているが背後にいる師匠や兄弟子の存在もばっちり把握しているので迂闊に取り込もうとしない。割と名君。