真正面から戦ったら野犬にも勝てないから逃げ足ばかり上達している生産職ですが薬師なんてそんなものです。
モールトン伯爵領第二の都市ブリストンを拠点として活動している駆け出し冒険者ジェイムズは、市内に工房を構える公認第二級薬師でもある。採集や調薬納品では実績を積み重ねているものの討伐を苦手とするジェイムズは、デビューして一年が経過しても最低ランクに近い冒険者のままだった。
もとより薬師が本業であるジェイムズとしてはこのまま冒険者を引退しても問題ないのだが、彼の工房に転がり込んだ女性冒険者集団【月光猟団】や地脈を支配下に置く強力な樹精ドライアドなどの存在が、本人の意思とは関係なくトラブルを持ち込んでくる。
あまり知られていないけど、薬師の仕事は多岐に渡る。
たとえば冒険者が討伐する害獣やモンスターの臓物。スライムを使って腐肉や糞便を除去し無毒化した小腸や大腸などを、大鍋で加熱することで獣脂を抽出している。
丁寧に加工した獣脂は理屈の上では食用可能だけど、基本的に工業用として出荷される。代表的な用途は石鹸の原料で、これは木灰の再利用も兼ねている。薬師は油脂の毒性検査から石鹸などの加工品製造まで幅広く担当し、これらは独立工房を持たない新人薬師の貴重な収入源でもある。
害獣の中には内臓に毒を持ったものもいるし、家畜の病気、それに寄生虫の類は肉眼では見分けがつかないこともある。現場を一度でも見ている人は、その辺の分別が付く。法の整備が追いつかない現状、職人たちの知識と経験と良心に委ねられているという側面は否定できない。
かつて金勘定にしか興味のない油組合の幹部と新興貴族が手を組んで、質の悪い獣脂を食用として流通させようとした事件があった。分析を手伝ってくれた錬金術師が「これ新種の毒薬として申請できるかも」と戦慄したほどで、当時薬師ギルドが保有する解毒処方では対処できない代物になっていた。
彼らがどういう最期を迎えたのかは知らない。
薬師ギルドに残っている当時の資料には、断片的に情報が残されてはいる。
「兄弟子を怒らせるなんて愚かな奴らだ」
当時の関係者が残した数少ない証言だ。
モールトン伯爵領第二の都市であるブリストンの街にも犯罪組織の類は存在するが、現在彼らは獣脂に関しては極めてまっとうな商売をしている。それこそ食用としても問題ない水準の獣脂を製造し、油問屋の幹部をして「足を洗ってまっとうな親方になってみないか」と勧誘に動くほどの良質な仕事をしてくれる。よほど恐ろしいものを見てしまったようだ。
さて、そんな薬師の副業について考えているのは何故か。
「ジェイムズ君。諦めて現実を直視しましょう」
ブリストン周辺で活動している女性冒険者……チーム月光猟団を率いる弓職のアリーシアさんが、生温かい微笑みを浮かべて僕の肩に手を置いた。軍隊式弓術という珍しい兵法を修めている彼女は、モールトン伯爵領の私兵もとい領軍とも面識があり、冒険者ギルドとの仲介を幾度と無く行っている熟達冒険者だ。
熟達だけど熟女ではない。
少なくとも年齢を訊ねてはいけない。
許されるのは紅茶に入れる角砂糖の数だけだ。
種族によって寿命が異なる上に魔術や神秘に触れると老化という概念は随分と曖昧になる……とは師匠の言葉。角砂糖は兄弟子の薫陶。強大な力を身の内に取り込んだ者は全盛期の肉体を長時間保、それは魔族や妖精族といった存在が証明していることでもある。
工房に住み着いた霊木の樹精や師匠と比較しても遜色のない存在感を放つアリーシアさんは、他の月光猟団のメンバーと共に僕の護衛という形で僕と共にブリストン郊外に来ている。
冒険者憲章。
冒険者は国家という枠組みを越えて活動する自由を得ているが、天変地異や災害などに対しては持てる領分の限りにおいて立ち向かう義務を帯びる。
それは魔物の大群暴走であり、異世界勇者の出現であり、あるいは爆発的に拡散する疫病の類である。礼儀作法も知らない粗野な蛮人と思われがちな冒険者達が市民から受け入れられているのは、彼らが冒険者としての「義務」に少なからず誇りを抱いているからだ。
そんな冒険者達が、ブリストンの街を背に陣を展開している。
樹齢百年を越える木々が含まれる大きな森林の前。
普段なら駆け出しの冒険者達が野ウサギや野犬を狩る草原に、完全武装で集結している様々な階級の冒険者達。本来ブリストンの治安を担う領軍は都市外壁の近くに大部隊を展開しており、冒険者達への支援魔術を軸とした陣形が見受けられる。
そして僕たち冒険者の前には一頭の、巨大すぎる獣がいた。
◇◇◇
ブリストン市の城壁など跨いで乗り越えそうな巨大な獣。
ただし外見は生後一週間くらいの子羊にそっくりだ。
「目測ですが全高三十八メートル、全長百十五メートル。外見特徴から判断する限り、巨獣種の子羊であります」
屋外作業服を着た魔術師の女性が、折り畳み式の望遠鏡を小脇に挟み、分厚い図鑑を参照しながら目を輝かせている。賢人同盟出身であり実地調査のために冒険者の道を選んだ彼女は、チーム月光猟団の知恵袋であるバーバラさん。
賢人同盟出身というだけで中堅以上の貴族家が勧誘に来るのだけど、バーバラさんのように冒険者として身を立てる者は少なくないらしい。なんでも異種族どころかモンスターに分類される種族まで学生として登録されているそうで、バーバラさんの説明を信じるならば「違法に集めた実験動物に情が湧いて学籍を与えたか、禁忌とされる研究に手を出して収拾つかなくなったからとりあえず学生扱いして問題を先送りにしているかでしょうね」ということらしい。
ちなみに僕はバーバラさんの種族を知らない。
外見はヒューマンっぽいのだが、屋外作業服を内側より立体的に押し上げる乳房の迫力は種族的な秘密が隠されているかもしれない。
でかい。
その揺れ具合は決して目の前の巨大子羊に負けていないと思う。真剣な面もちの冒険者達だが、その視線がバーバラさんの振り子運動を無意識で追いかけてしまうのは致し方ない部分があるわけで。すいません笑顔でわき腹どつかないでくださいアリーシアさん。僕の肋骨が悲鳴を上げています。
さて、話を戻そう。
巨獣種とは、大陸北西部の大森林地帯に棲息する巨大生物の総称で、外見こそ僕らの知る動植物と同じなのだが、そっくりそのまま巨大化した姿で棲息している非常識な存在だ。普段は大陸北西部に引きこもっているのだけど、巨体故に行動範囲が半端なく広いためか、時々こうしてはぐれが大陸の各地で発見される。
「あの骨格と筋肉で、どうやって自重を支えて動き回れるのか。母校でも仮説は幾つかあったのですが、実際に解剖して確かめた事例が皆無でありまして」
バーバラさんの視線が、巨大子羊に向けられる。冒険者(男限定)の視線は相変わらずバーバラさんの一部分に固定されている。
そして巨大子羊の視線はあちこちに向けられている。自由に動かせるのは眼球だけだから、視覚情報を必死に集めようとしているのかもしれない。
そう。巨大子羊は身動きできない状況にある。
森から飛び出した無数の蔦は巨大子羊の関節や腱の絶妙な部分を縛り上げ、外傷も与えず毒の類で衰弱しているわけでもない。鳴き声すら上げられないのは蔦の一部が喉の奥まで押し込まれているからだろう。
分かりやすく言うと樹精の仕業である。
周辺一帯の地脈を再構築し、その力を得た霊木の樹精が巨大子羊の上で嬉しそうに手を振っている。故郷のロイズ村に巨獣種が現れたことはないが、大型の鎧猪や竜脚鳥の群を瞬時に拘束している霊木の樹精の姿を僕は幾度も目撃しているので「ああ、やっぱり」程度の驚きでしかない。
それはブリストンに根付いた他の冒険者達も同じらしく、巨獣を前にして油断こそしていないものの魔術の即時発動や武器を構えての突撃などを実行する様子はない。ただし百メートルを超える巨体をどのように倒すのか、その方法を誰もが考えている──考えて、諦める者が少なくない。
巨獣種の生物群は、ヒューマンのみならず大抵の霊長にとって災害そのものだ。
でかい。
重い。
餌を喰う量が半端ない。
目の前で拘束されている巨大子羊、隣接するフィッシャー子爵領の山ふたつを一晩で糞の山に変えたらしい。フィッシャー領軍も現地の冒険者達も抵抗したのだが、毛皮すら焦がすことも出来ずに逃げられたようだ。
横にいる弓職さんにちらと視線を向けると、彼女は呆れたように脱力しつつ首を振った。
「仮に毛皮を貫通できても、皮下脂肪で普通の矢は止まるでしょうね。巨獣種って自重支えるために強化魔法を常時使ってるって説もあるくらいだから、攻城投石機が直撃してもまともに傷を負わないでしょ多分」
「フィッシャー領軍は虎の子の攻城投石機を三台とも投入したそうでありますよ、きちんと魔術師による強化を施したにも関わらず砲丸は跳ね返されたそうであります」
やっぱり駄目だったのね。
駄目だったであります。
美人二人が笑う。
その巨獣種を拘束している、うちの樹精ドライアドってどういう扱いなんだろうね。
冒険者達の視線が巨大子羊から樹精へと移る。見た目としては若草色の頭髪以外には特筆すべき要素がない少女だ。帽子やフードで頭部を隠してしまえば彼女を視覚情報で樹精であると判断するのは困難で、近郊農家等が集った露天市で甘蕪や菊芋を値切っているのを見かけたこともある。冒険者の中には今日はじめて彼女が樹精だと気付いたモノもいるかもしれない。
『旦那様、これはフカコーリョクなのです』
僕の視線に何かを感じたのか、らしからぬ慌てっぷりで樹精は言い訳を並べ始める。
曰く、森の木々より救援要請を受けた。
樹精は森の守護者であり、理不尽な破壊には断固として抵抗する。
しかしニンゲン社会に最大限譲歩して、拘束するに留めた。
結果的にブリストン周辺一帯も傘下となったけど、悪用するつもりはないから安心してほしい。
だけど頑張ったので、僕の使用済みパンツを三枚ほど失敬したことは時効成立したということで勘弁してほしい。
……
……
大陸妖精族の中には代々彼女を崇拝している部族も少なくない。
大陸妖精族の作る民芸品には霊木の樹精を題材とした木彫や壁掛織物があり、彼らの中で樹精というのは北の極地で民を守る太陽の女神と同格以上の扱いとも聞いている。ブリストンの冒険者ギルドに大陸妖精族がいないのは不幸中の幸いだ。
ともかく。
僕としては彼女の支配領域がどこまで拡大しているのか問いただしたい気分だったが、領地を荒らし領軍を蹴散らした怨敵を拘束せしめた樹精にフィッシャー子爵領軍の生き残りが涙を流して感謝の言葉を伝えている。隊長を務める騎士様は、倒すまでは領地に戻らぬと覚悟を決めていたようだ。
それに霊木の樹精が協力してくれれば、禿げ山となった子爵領の森も比較的早く蘇るだろう。居候がこちらをチラチラと見ているため、当然ながら子爵領の皆さんも僕に視線を向ける。
面倒だ。
ああ面倒ごとだ。
冒険者たちまで僕に視線を向け始めた。
「ジェイムズ君。こういう場合、獲物を捕まえた者に所有権がある。それに異を唱えることは貴族にもできないの」
「討伐ではなく、捕縛しただけですけど」
少しでも現実から逃れようとする僕の退路を笑顔で断つアリーシアさん。貴族社会にも精通しているらしく、彼女の言葉にフィッシャー子爵領軍とモールトン伯爵領軍の騎士様達がぶんぶん頷いている。ここで獲物の所有権を取り上げるなど主君の顔に泥を塗る行為であると、譲らない。
聞くところによれば、十余年前の不死王戦役を生き抜いた精鋭と。だから無意味な突撃で命を散らすことを否定し、冒険者達とも連携して陣を構築できた。聞けばブリストンの冒険者達の中にも当時従軍したベテラン勢が少なからずいて、新人教育に力を注いでいるそうだ。
「ここ十数年の大南帝国は亡者対策に予算と人員を注いでいたから、巨獣種を撃退できるような戦力は帝都くらいにしかないわ。それに巨獣種を撃退した記録は過去にもあるけど、ほぼ無傷で生け捕りなんて前代未聞だったと思う……報告書、国にも提出が求められるでしょうね」
「母校でも聞いたことは無いであります。講師達がこれを知ったら悔しがるでありますな」
暢気なコメントを出すアリーシアさんとバーバラさん。
護衛はするけど仕留めるのはやりませんよと目が語っている。心なしか騎士様達や冒険者達も「お手並み拝見」って表情でこちらを見ている……凄いのは樹精であって僕ではないのだけど。
「ジェイムズ君って、不可能なことは『できません』って最初に明言する人だよね」
「家主殿の師であるミュウラ様は、かつて賢人同盟が導師として招聘を試みたほどの錬金術師であります。その弟子を名乗ることを許された者が尋常な薬師であるなどと片腹痛いでありますよ?」
「……余所では言いふらさないでくださいね」
買いかぶりです。
まったくもう。過大評価して現実見て落胆されても僕には責任とれないんですがね。
【登場人物紹介】
・ジェイムズ
主人公。二級薬師。第二等級冒険者。ブリストン市内に工房を構える若き秀才。恋人はいない。友人である斥候職の少女カリスをはじめ女性のみで構成された冒険者チーム月光猟団の拠点に彼の工房の居住区が選ばれた。裸族大発生のため調薬室で寝泊りしている。
・アリーシア=G=ホルシュタイン
チーム月光猟団のリーダー。弓職。見た目は二十歳そこそこだが凄腕の冒険者である。各方面に顔が利き、女性冒険者の保護や育成に力を入れている。最近の趣味はジェイムズに無自覚セクハラをすること。
・バーバラ
チーム月光猟団の魔法職。賢人同盟出身で、学者としての側面もある。語尾が特徴的。本人としては女子を捨ててるつもりだが巨乳すぎてオープンセクハラ体質。工房で真っ先に裸族になった。
・霊木の樹精
今回の発端。地脈を再構築したので巨獣種子羊がやってきた。力を取り戻したので現在の姿はジェイムズと同い年くらい。