物語の最後にヒロインと主人公がにゃんにゃん(古代精霊語)するスパイ映画と、核爆発を背景に中年夫婦が熱い口づけを交わすスパイ映画と、どちらかを選べと神が言った。チェーンソーはどこだ。
結論から言えば、ここブリストンの街は無事だった。
ボア系の大群暴走は確かに発生したのだが、暴走というよりは集団見合いというか、乱交パーティーというか、そういう類の暴走だった。来年以降にボア系の動物や魔物が大発生するのは確定したが、繁殖行動を一通り終えた豚さん達は満足そうに番で元いた場所に帰っていった。
「ってことは、街中で発情した獣人の方が大きな被害?」
「先週から各種教会で結婚式が続いてるよ。無理矢理な案件は奇跡的に未然に防げたというのが、ギルドと領主様の公式発表」
落ち着きを取り戻した街の、青空食堂。
薬師ギルドで現物の取引を終えた僕は、一度だけ冒険を共にした斥候職の子と彼女が所属するチームと一緒に遅い昼食をとっていた。保存性を高めるため酵母を使わず固く焼いたパンを野菜スープで柔らかく炊いたパン粥は肉体労働者には物足りないけど、薬品の匂いで舌と鼻が麻痺しかけた僕には有難い伝統料理だ。斥候職の子はチーズとクリームで煮込んだショートパスタにたっぷりの黒いキノコのスライスを乗せた物を美味しそうに食べている。
「なるほど美味」
「それ食うと三日くらいはボア系の動物とか寄ってくるからね」
「大丈夫。昨日の依頼達成で黄等級になったから、装備更新も兼ねて七日ほど休む予定」
もくもくと口を動かし、満足そうに飲み込んでから彼女は僕の指摘に答えた。
なるほど黄等級に昇格したのであれば、ひとまず安心というか。一年足らずでそこまで頑張れたのは、彼女自身の才能と努力もあるだろうけど新しい仲間達にも恵まれているのだろう。
「ジェイムズも限定じゃない二級薬師になれたと聞いたよ」
「あー……鎮静薬とか、鎮痛剤とか、大量に納品したから。あと、黒キノコの供給ルートの確立とか、故郷の師匠とか巻き込んでいる内に」
「むふー」
領都の薬師ギルド支部か帝都の総本部で試験と審査を受ければ、実は一級薬師も夢ではない。
兼業とはいえ冒険者として実地を知ることが調薬する上で役に立っており、素材の取り扱いや薬の味などで他にはない工夫をしていると評価されるようになった。故郷の修業が一気に形になったと思うけど、それは逆に故郷の師匠が凄腕の薬師だということを痛感する。
一級どころの腕じゃないだろう。
妖精種ゴブリン達とも平然と会話できているし、エルフの古語で書かれたレシピも普通に読めている。
元冒険者とは聞いていたけど、どれだけの技能を持っているのか。いや本当に恐ろしいというか、どれだけ頑張れば師匠の足元に届くのやら。
「ねえねえ、ジェイムズ君。それで例のアダムス達はどうなったの?」
「薬師ギルド寮に押し入った強盗については最後まで名前は公開されませんでしたね」
パーティーを取りまとめている弓職の女性が、揚げた芋に炙ったチーズを落としながら話を振ってきた。アダムス達から斥候職の子を逃す際にたまたまギルドに来ていたおかげで彼女を託せた訳で、僕はこの人に頭が上がらない。
アダムス達の名前は公にされなかった。今回の事件で故郷の村長が見舞金と称して二千ノーブルもの現金をブリストンの代官に届けたことは誰もが知ってることだったが。通っていた学校は除籍となり家督は次男坊に移され、故郷に彼の居場所はなくなったと聞かされた。
窃盗に器物損壊はもちろん、街から逃げ出そうとした時に暴れて傷害罪も加算された。
ボア系の大群暴走で大きな被害が発生していたら、その責も押し付けられるところだった。
「王国法なら犯罪奴隷落ちですけど、帝国では奴隷制度は過去のものですからね。労役として国境の魔宮攻略と開墾に従事しているかと」
犯罪奴隷と違い、衣食住はそれなりに保証されているし怪我や病気の際には治療を受けられる。
魔宮攻略を命じられた際に「よっしゃ! どん底からの大逆転、冒険者として成り上がってみせる!」と興奮していたので、退路を断たれたアダムスはひょっとしたら本当に冒険者として大成するかもしれないと、僕はひそかに考えている。取り巻きの冒険者たちも妙にやる気を見せていた。
「ならば例の毒婦は」
「鎧猪の巨大亜種が北の方に突進していったという噂話が届いてます」
「……」
「舐められたり甘噛みされる程度で済むみたいですよ、ゴブリン集落の畜産家さんから聞いた話では」
「鎧亜種の、大きさは?」
「はぐれたトロウルのオスが、その鎧猪に吹っ飛ばされたって」
トロウルは妖精種ではあるが、価値観の相違でヒューマンとの交流が極めて困難な存在だ。恐ろしく頑丈かつ巨大な身体はティターン族の亜種と思われていた時期もあり、ブリストンの標準的な民家の屋根よりも身の丈は高い。
それが吹き飛ばされたのである。
「強く生きてほしいわねマリリン」
「生きてるかどうか冒険者ギルドで賭けやってますよマリリン」
賭けが成立する程度には腕の立つ冒険者なんだそうです、彼女。
たぶん生き残ってるとは思う。過去に彼女と関わった北アポロジア出身の冒険者が口を揃えて「あの程度で命を落とすなら、月のドロシーは苦労しないだろう」と、最上位階の冒険者の名前を出しながら答えたほどだ。
そんなマリリンに間接的に関与してこの程度で済んだのだから、僕はまあまあ幸運なのかもしれない。などと考えながら水を口にした僕は、気付かぬ内に仕込まれた睡眠薬の苦さを自覚し、どこかの冒険者ギルドのギルド長室で見かけたような人によく似た表情でこちらを凝視している斥候職の子を見つめ返しながら「追い剥ぎ程度で勘弁してくれるとありがたいなあ」などと間抜けな事を考えながら意識を失った。
身ぐるみ剝がされる事はなかった。
祖母が獣人だったと斥候職の子が教えてくれたのは、翌日の朝だった。冒険者ギルドに顔を出したら副ギルド長のチャールズさんに「いい精力剤のレシピがあるんですよ」と耳打ちされたので、そのうち採集しにいかないと命が危うい事になるだろう。