文化的な発達が数百年単位で停滞するほど安定した社会でそうそう世界の危機なんて起こるわけがないし多少の危機への備えがあるだろうから僕は逃げたいんですけど冒険者って損ですよね。
僕の田舎はモンスター種ではないゴブリン達の集落が丘一つ隔てた場所にある。
限りなく妖精種に近しい彼らは愛くるしい小人姿の職人で、革細工、特に靴の加工ではドワーフたちにも負けない技術を持っている。そんな彼らは優秀な森の狩人でもあるけど、畜産にも一家言ある。
ゴブリン達は森に棲む狂暴な鎧猪を家畜化させ繁殖に成功した唯一の種族だと、薬師ギルドの資料にも書いてある。僕の田舎でもゴブリン集落から御裾分けされた鎧猪の精肉や内臓を加工して保存食を作り、それらは結構な珍味としてこの街にも持ち込まれている。
「ゴブリンの呪術師から預かったんですが、土の中に生える塊のようなキノコが森で見つかることがあるそうです。地上には姿を見せないけど、そのキノコは独特の匂いを出すから野犬やゴブリン達は直ぐわかるらしいそうで」
ギルドの会議室。
少し前に故郷に戻った際、馴染みのゴブリン達が僕に渡してくれた土産を開封した。呪符を剥がし油紙の包みを開いた途端に充満する独特の香りは、カビ臭いようでいて動物的なものだ。冒険者ギルドの酒場で熟成して腐りかけたチーズを美味しそうに食べているエルフを見たことがあるが、それをなんとなく思い出すような匂いだ。
「故郷の師匠が言うには、ボア系の獣や一部の獣人の、その、発情期のメスの体臭に近しいそうで。ゴブリン達は鎧猪の繁殖に、このキノコから抽出した精油を利用していると聞きました」
「──副ギルド長、会議終了後にこの部屋を封鎖して立ち入り禁止に。あと獣人系のスタッフはしばらく外回りに配置転換を」
「了解です」
外見は三十路手前のハーフエルフの女性が、しかめっ面で包みを戻すと背後の副ギルド長に指示を出した。事前に連絡を受けていたが想定外の香りの強さに戸惑っているようにも見える。僕自身これほど強い臭いとは思わなかった。ゴブリンの呪符はここまで強力なのかとも驚いている。
一方で薬師ギルドから来た上級職員は包み紙の中に入っていた握り拳ほどの黒い塊を見て、ゴクリと喉を鳴らした。発情ではなく興奮だろう、目を輝かせながら少しでも情報を得ようと僕を見る。
「北アポロジア大陸で似たようなキノコを見たことがあります。食用として利用されていますが猪も好むため、採集家はいつも猪との勝負であると。かの国では同じ重さの銀よりも高い値がつけられていました」
「──こちらの貴族には少なからず獣人の血が流れています。これが迂闊な者の手に渡れば大南帝国は大混乱でしょうね」
ハーフエルフの女性が深く息を吐く。おそらくギルド長であろう彼女は恨めしそうに僕を睨み、テーブルを指でトントンと叩いた。
「それで、勤勉かつ将来有望な薬師君はこんな爆弾を冒険者ギルドに持ち込んでどうする意図が?」
「ゴブリンの呪術師と師匠によると、このキノコが今年は異常発生したそうです。可能な限り回収し、臭気が漏れないよう封印をしたのですが。量が多すぎて扱いに困ったので街で活用できないかと押し付けられました」
「そんなの焼けば、ああ、匂いが発生したら大惨事よね」
「はい。周辺の山という山から猪が突っ込んでくるだろうと」
僕の答えにギルド長は頭を抱える。
僕の田舎を含めたこの領内では、十数年おきに鎧猪を含めたボア系の獣や魔物の大群暴走が目撃されている。いずれも領内の林地や里山で発生しており、周辺の畑が食い荒らされて冒険者ギルドと領主の私兵団が慌てて討伐に動くがいつも後手に回っているそうだ。
ひょっとしたら、これが原因かもしれませんねと副ギルド長は興味深げに黒い塊を手に取る。苔を圧縮したような固い弾力は食用とも思えないが、小麦を粉にして練って加工するという北アポロジアの食文化なら独特の用途があるのかもしれないと納得した。
「安全な保存方法を確立すれば、北アポロジアの食文化を真似てこちらに名物料理が誕生するかもしれませんな」
「ヒューマン族で構成された北アポロジアと違って、大南じゃあ祖先を三代もたどればどっかに獣人が入ってるのが大半よ。名物料理を作るたびにベビーブームが到来したらどうするの!」
真面目なのか不真面目なのか分からない副ギルド長とギルド長の会話を適度に聞き流しつつ、僕は薬師ギルドの上級職員と話を進める。ボア系の大群暴走とかぞっとしないけど、未然に防ぐにはこのキノコの安全な管理方法を探らないといけない。
「腐敗させても匂い成分は分解されないでしょう。加熱でも拡散するだけですから、大量の猪を呼び寄せ獣人を発情させてしまいます。土に埋めた程度では匂いを防ぐことはできず、ですか」
「ゴブリンの呪術師から聞いた情報は、その通りです。水に漬けこめば短時間で腐ってしまうので、植物油に漬け込んで密封したものを集落では鎧猪の繁殖に使用していると」
僕が預かったモノは、ゴブリンの呪術師が魔法で乾燥させた後に簡易封印したものだ。妖精に近しいだけあって独特の魔法体系らしく、故郷の師匠に言わせると「この呪符で油紙がちょっとしたガラス瓶並の強度と密封性を得ている」らしい。
「固化しにくい植物油で、ガラス瓶に保存。蜜蝋で密封し揮発を防ぐべく薬師ギルドの低温環境で管理、でしょうかね」
「随分とコストがかかる管理方法ですね、それ」
僕の質問に上級職員さんは笑顔を向ける。
仮にも薬師ギルドのトップクラスの人だから、危険物の取扱には慣れているのだろう。僕などはずっと胃がキリキリと痛いのに、この人は泰然自若としている。
「温度変化によって傷みやすい素材の為にギルドでは大型の保冷庫を備えているし、ガラス瓶は確かに加工賃が高いのでギルドとしては痛いですけど優秀な薬に化けそうなキノコですからね。この程度の分量なら、先行投資として──んん、この程度の、分量?」
言って気付いたようだ。
横で「私が愛しているのはモリガーンだけだと何度も言っているではありませんか」「ま、ままま待ちなさいチャールズ。日が高いの。人目もあるの。貴方、どうしてそんな……ふわぁああっ、凄いっ」とかやらかし始めているが、僕も上級職員さんもそんな痴態は見なかったことにした。
発情したエルフ族は怒れるドラゴンよりも恐ろしい。
それは魔女の島に伝わる教訓だけでなく、数年前に終結した戦争の英雄たちの物語からも理解できる事だ。かの夢魔サキュバス族でさえ、恋に狂うエルフの娘には理性と貞節を唱えるのだという。
それはともかく。
上級職員さんは、油紙の包みを再度確認した。乾燥させたものとはいえ元々の分量はそれなりにあるとは推測できる。だが、油に漬け込み封じ込めるなら一定の力量を持つ薬師と呪術師がいればそれほど困難ではないだろう。
つまり。
「限定二級薬師ジェイムズ、ここにあるのは全てではない?」
「背負い籠一つ分、持たされました」
その言葉に、スカートを下ろしかけていたギルド長が悲鳴を上げる。
「な、なんですって!」
「品物自体は薬師ギルドの、寮の自室に預けています。冒険者ギルドに持ち込んだのは、今日これが初めてですよ」
ここまでの危険物とは思わなかったし。
いや、こっちに押し付けてくる時点で厄介物の可能性を考慮すべきだったか。でも少数しか寮の外に持ち出していないから僕としては安全策をとったはず。多分。
「薬師ギルドの寮なら、工房にも隣接しているので直ぐに加工して封印できますね」
上級職員さんが必死にフォローしてくれる。
けど。
「薬師ギルドより緊急連絡! 冒険者ライセンスを凍結された新人が薬師ギルド寮に押し込み強盗を仕掛けて逃走しました!」
会議室に飛び込んできたギルド職員さんは固有名詞を口にしなかったけど、具体的な犯人像を即座に特定できてしまった僕らはその場に崩れ落ちるしかなかった。
▽▽▽
押し込み強盗を捕まえられなかった街の警備兵。
ライセンス凍結された問題児を管理できなかった冒険者ギルド。
職員寮の防犯体制の不備が露わになってしまった薬師ギルド。
そもそも厄介かつ微妙に高価そうなブツを莫迦共の見える範囲で取り出してしまった僕と、冒険者ギルドのチャールズ副ギルド長。
中途半端な状態でお預け喰らってしまい、微妙に着崩れた肢体を見せつけて周りの新人冒険者達の股間に深刻なダイレクトアタックをかまし初動捜査を遅らせてしまった痴女。泣きながら近くの水場でパンツを洗う新人冒険者たちを艶めかしくも肉食動物の目で見つめる適齢期の女性冒険者たちについてはコメントを控えたい。僕もまだ死にたくはないのだ。
「誰が悪かったとか、そんな不毛な押し付け合いをしている時間はないわ!」
帝都から査察官が派遣されたら真っ先に有罪扱いされそうな痴女が、首から上だけは歌劇の主役みたいな凛々しい表情で周囲に訴えた。
すいません、鎖骨付近のキスマークすっごい数あるんですよね。
周りのギルド受付嬢が冒険者たちにひたすら謝っている。微妙に上気しているのは、ギルド長の服とか髪に染みついたキノコの匂いが影響しているかもしれない。
「被害報告を!」
「強盗犯については街の門を強引に突破しようとして衛兵隊と衝突。一名を除いて捕縛されましたが、その際に盗んだ荷物の一部が破損……現在、街を囲むすべての門を閉鎖しつつ魔術師を総動員して換気を行いつつ、獣人を医療施設に隔離して解毒薬を服用してもらっています」
「捕まえられなかった一人は!」
「ええと主犯曰く、回復師のマリリンちゃんです」
あいつかー。
ギルドの受付前に集められた冒険者達の中から、呆れたような声が上がる。
「そいつについて知ってる事があるなら教えて頂戴」
ギルド長の催促を受けて、あちこちから情報が出てくる。
曰く。
「北アポロジアで色々やらかした元軍人の冒険者」
「まさか大南帝国に来てるとは思わなかった」
「ヒューマン族のはずだけど、三十年くらいあの姿」
「道楽で冒険者やってそうな小金持ちを見つけるのが得意で、おだてて一緒に乱痴気騒ぎ」
「貴公子が大好物だけど地方領主の息子程度なら一晩で堕せると豪語しているのを聞いたことがある」
「暇つぶしにカップルの成立したパーティーに潜り込んで修羅場って壊滅させること数えきれず」
「北の工作機関の凄腕エージェントと疑問視されたことがあるが、ギルド内の悪名が高すぎて役に立たないだろうというのがアポロジア出身冒険者の共通見解」
「たぶん北でヤバい誰かに粉かけようとして逆鱗に触れた」
とまあ、胡散臭い話が出るわ出るわ。
ちなみに数多くの技能を有しており、回復師というのも嘘では無いようだ。が、手癖が悪い事も有名であり、飽きた男のパーティーから抜け出す際は有り金どころか金目の物を根こそぎ盗み出すという。
「盆暗に見切りをつけたから、捨てるのと同時にジェイムズの荷物を盗んだと?」
「北アポロジア出身であれば、アレが値打ちモノだと理解できるでしょうね」
情報を一通りまとめたギルド長の言葉に、幾分やつれた副ギルド長が同意する。
周りの冒険者が「真昼間に連続五回……」「早いのか、凄いのか」「あの様子だと六回目も直ぐに始めそうだな」と慄然としていたが、彼女たちの耳には届いていないようだ。
「二級薬師ジェイムズ、開封された荷物で予想される外部への影響を教えなさい!」
「ゴブリンの呪術師を信じるなら、生重量で1キログラム相当のキノコが徒歩で半日離れたオークを呼び寄せたことがあるそうです」
僕の言葉を聞き、ギルド職員の一人が壁に貼られた近隣地図に大きな円を描く。
妖精種のゴブリンは身体こそ小さいが健脚で、歩行能力はヒューマンと変わらない。ばらまかれたキノコの量は不明でしかも乾燥しているが、何らかの指標にはなるだろう。
オークと聞いて女性冒険者の何人かが、げっ、と嫌そうな顔をする。当然だと言いたいが、生唾を飲み込んだ女性も少なからずいた。出来れば見たくはなかった。
「その時に呼び寄せられたオークの種類は?」
「妖精種ですが豚系統オークです。匂いそのものは鬼系統オークも感じるそうですが、発情したという話は聞いていません」
でも彼らはキノコをよく食べるから、別の意味で引き寄せられるかもしれませんねと冗談交じりで言ったところ「あるあるある」「グリムの旦那とか喜んで買いに来るよ」「そういや妙に美食家で菜食主義のオルクス傭兵がいたっけ」なんて反応がちらほらと。どうやら北アポロジア出身の冒険者たちには思い当たる節があるようだ。
「副ギルド長、周辺での豚系統オークの分布状況。妖精種でもモンスター種でも構わない」
「モールトン領内では定期的に駆除が行われているので、領都アレクシスはもちろん、ここブリストンでもオークの被害は報告されていません」
副ギルド長の言葉に、冒険者たちは安堵する。
少なくともオークによる大群暴走という惨事だけは回避できそうだ。ボア系の魔物も決して油断できない相手なのだけど、青等級以上の冒険者が揃えば都市の防衛は難しくない。
意見と情報をまとめたギルド長はしばしの沈黙の後、宣言した。
「冒険者諸君。先ほど配布した資料に従い、都市防衛部隊と都市内の治安回復部隊に分かれて行動してほしい。回復系の職にある者は状態異常回復を頼む。薬師ギルドからの応援のため運搬職にも動いてもらう!」
「ギルド長は?」
「最後の詰めを行う! 副ギルド長、私の部屋へ!」
あ、六回目ですね。
居合わせた冒険者と職員は喉まで出かかった言葉を飲み込んで、すぐさま行動を開始した。