市場
それから数刻程、時間が経過した時だった。
「ぎゃっ!?」
彩芽が身体の上に受けた衝撃に目を覚ますと、部屋はすっかりと片付けられていた。
ストラディゴスは、隣で気持ちよさそうにがイビキをかいていたが、彩芽の声で起きてしまう。
衝撃の正体は、その寝ぼけた腕が隣で眠っていた彩芽の上にふってきた物であった。
しようがないなと腕をどけ、ベッドから脱出する。
彩芽は、寝ぼけ眼のストラディゴスを見ながら大きく伸びをした。
ポキポキと全身が鳴ったのを最後に、可動域が増え、身体がすっかり解されリフレッシュしているのが分かった。
軽くストレッチをする彩芽。
「んんん……どうした、起きたのか?」
まだ眠そうなストラディゴスの「もっと寝てても良いのに」みたいな言葉が引っ掛かる。
「まあ……」
「どうした? 変な顔して」
「はは……目覚ましかってね」
「目覚まし?」
「何でもないです」
伝わる筈も無い独り言。
彩芽はベッドサイドに座ると、揃えられていたロングブーツを履き始めた。
寝起きとしては最悪だが、間違いなく目は覚めていた。
なぜ彩芽の機嫌が少し悪いのか分からないストラディゴスは、腹でも減っているのだろうとしか思わない。
「飯食いに行くか?」
「ごはん?」
「ああ、何か食いに行こうぜ」
彩芽の機嫌は元に戻っていた。
「ねぇ、ブラ知らない?」
ストラディゴスがベッドサイドに置いてあった黒いブラジャーを手渡す。
彩芽はストラディゴスには背中しか見えない様にワンピースを脱ぐと、目の前でブラジャーをつけ始める。
巨人の方をチラリと見ると、その首は彩芽のいない方へと向いていた。
彩芽は、目の前で着替え始めても、巨人が部屋の外に逃げ出さなくなったので、とりあえずは良しと思う事にした。
* * *
ブルローネに馬車を置かせてもらい、二人は市場に出かける事にした。
フィラフット市場の入り口には、様々な露店が立ち並び、燻製が飾る様に置いてある。
面白いのは売っている物のジャンルがネヴェルの市場では、それなりにバラツキがあったのに対して、フィラフット市場ではジャンルごとに集中している点だ。
燻製エリアが終わると生肉、その次は革、革製品、服、靴、小物と店がジャンルごとに集中しているのだ。
近場にある店同士で価格がある程度決められているのか、値段に大きな差が無く、前に見た店の方が安かったから戻ろうと言う事にもならない。
欲しい物がエリアにあれば迷わず買えるので、慣れれば実に便利な市場である。
元の世界の様に、事あるごとにネットで価格を比べたり調べなければ損をした気分になる事も無い。
ここに無ければ、この周辺では手に入らないからだ。
「ねえ、あれは?」
ストラディゴスの肩に座り、彩芽が買った燻製肉をかじりながら露店の一角を指さした。
そこには、大勢の客が詰め掛け、何を売っているのかが見えない店がある。
客の入りが多く、その滞在時間も長い。
彩芽は、演劇でもやっているのかと期待して目で追うが、まだ遠くて良く見えない。
だが、ストラディゴスは一度来ている為か、その店が何を売っているのか知っていた。
「うん? あれがさっき言った奴隷市だ。見るだけ見ていくか?」
「う、う~ん……」
彩芽は悩んだ。
ハッキリ言えば、純粋に興味があった。
これが、元の世界でなら、絶対に踏み入れないだろうし、元の世界の知り合いがいても見たいとは言えなかっただろう。
しかし、一見アングラな世界が、日用品の売っている市場に陸続きに存在している不思議な感覚は、それだけで敷居が低くなって感じる。
彩芽が悩んでいると、ストラディゴスがどんどんと奴隷市へと向かい始めた。
「気になるなら見ようぜ。見るだけならタダだしよ」
ストラディゴスの肩の上に座ったまま、高い目線から奴隷市の中心を見てみる。
そこには、裸の奴隷達が鎖で逃げられない様に奴隷同士で繋がれ、競りにかけられている光景があった。
他にも、檻に入れられた人もいれば、自分で値札を持たされ地面に足枷で留められている人もいた。
店舗ごとの違いではなく、どうやら奴隷の種類が違う様である。
様々な種族、様々な人種、老若男女問わず大勢が売られ、客達は慎重に品定めをし、他の店と同じ様に値段の交渉をしているのが見えた。
彩芽は、やっぱり見るんじゃなかったと少し後悔した。
人が人を当たり前に売り買いしているのを眺めていても、気分の良い物じゃない。
出来れば助けてあげたいが、恐らくこの世界でそんな事をすれば、元の世界で可哀そうだからとペットショップのペットを勝手に野に放つ様な事なのは、十分に予想できた。
だが、そう思っていても、これは性格なので仕方が無い。
どうしても、奴隷達の違いが気になってしまうのだ。
「ねえ、あの人とあの人は、奴隷なんだよね?」
「ああ」
「何で扱いが違うの?」
「そりゃ奴隷にも色々いるからな。ほら、あの鎖で一列に繋がれてる連中は別の大陸から連れてこられた奴だ」
「さらわれて来たって事?」
「そうだ。で、あの檻に入れられてるのは店の目玉の奴隷だ」
そう言われてみると、檻の中に入れられた奴隷達は見た目が良い者が多かった。
「で、あの値札を持ってる奴らは、訳あり。奴隷落ちさ。あの値札は奴隷の抱えてる借金の額だ。借金と奴隷の値段を合わせた額がアイツの値段って事だ。あのおっさんは二万フォルト、あの爺さんは五万フォルト」
「奴隷なのに借金なんてするの?」
彩芽は、主人の持ち物でこき使われるような身分の奴隷が、そんな高額な借金を抱える事に違和感を覚えた。
あそこに並んでいる者たち全員が高額な壺を、掃除している最中に割った訳ではあるまい。
ストラディゴスは、肩の上で彩芽が何を考え違いしているのかすぐに察し、丁寧に教えてくれる。
「いやいや、借金をしたから奴隷に身を落としてるんだよ。あいつらは」
「どういう事?」
「例えば、俺はエルムに一万フォルト借りてるだろ? もし、ちゃんとした期限付きの借用書があったら、俺は一万フォルト返せるまでエルムの奴隷にされる」
「本当に?」
「マジで。まあ、借用書なんて作っちゃいなかったが……だから、あの奴隷達の値札はどれも一万フォルト以上で高額だろ? 一度借金で奴隷落ちをしたら、借金を返すまでは持ち主の物って事になるんだ。期限付きの強制労働だな。よほど見た目が良いか、何か特技でも無い限り、あそこにいる奴は誰も買わない。自分で借金を返せる能力が無いって言ってるような物だからな。そもそも、あそこに並ばされる事自体が罰なんだよ。あそこにいるって事は、借金が残ったまま持ち主に売られたって事だからな」
「あの人達、誰も買ってくれないとどうなるの?」
彩芽の質問にストラディゴスは大きな建物を指さす。
「あそこが何?」
「闘技場だ。あそこで何回か勝てば、あのぐらいの借金ならすぐに返せる」
「負ければ?」
「負けても闘技場は損をしない。奴隷は殺されるかもしれないけどな」




