ブルローネ
巨人は彩芽の猫缶での殴打も、空いた手での猫パンチも気にする事無く、まっすぐに進む。
そこは、作り物感ゼロ、本物の豪華な作りをした屋敷とでも呼ぶべき建造物に見えた。
出入口のある広いエントランス。
そこを見下ろす吹き抜けの二階通路には、半裸や全裸の女性が何人も立っていて、奥の部屋からは艶めかしい声が聞こえてくる。
「おろして~助けて誰か~」
そこにいる誰もが巨人の肩の上で助けを求めて騒ぐ彩芽を、何事かと見るが、特に助けてはくれない様だった。
アウェイなのは分かっているが、このままだと大変な事になる。
だが、こんな状況で彩芽は、周囲の女性や自分を担いでいる巨人が日本語以外の言葉を話しているのに、自分が言葉や文字を理解して、その上会話が成立していた事に気付き、自分が異世界の言葉を自然に話している事に対して変な感覚を覚えた。
脳の中に、やたら高性能な自動翻訳アプリを知らない間にインストールでもされたようだった。
通路の突き当りにあるホテルのロビーの様な開けた空間に出ると、巨人がおもむろに立ち止まった。
そこには、優雅にソファに腰をかけて、指の爪の手入れを使用人の少年にさせている一人の少女がいた。
少女は悪趣味な程に豪奢で装飾過多な、真っ赤なドレスに身を包んでいる。
だが、少女の当人はシミもシワも何もない、透明感のある真っ白な肌に華奢な身体を持ち、黄金律の中に全てが収まりそうな程に美しい顔立ちで、人形の様でさえある。
そのアンバランスさ、一見感じる儚さと同時に見て取れる堂々とした態度が、少女から異様な雰囲気を醸し出していた。
「アコニー、今日はこの姫と一晩大部屋を貸し切るぜ。最高の酒と果物、それと媚薬を溶いた香油と蜂蜜を頼む」
巨人にアコニーと呼ばれた赤いドレスの少女は、巨人の背中を猫缶でポカポカ叩いて息を切らせて抵抗する彩芽を見る。
それから、良くわからないと言った怪訝な顔をする。
使用人の少年に手入れが終わっている指で合図をして、爪の手入れを一旦止めさせてから、ソファから立ち上がると、ゆっくり優雅に口を開いた。
「ストラディゴス様、失礼ですが……その子は、どちら様で?」
アコニーの言葉に今度は、ストラディゴスと呼ばれた巨人が、良くわからないと言った顔をする。
ストラディゴスの肩の上では、ジタバタと「助けて~! って言うか私の話を聞け~!」と抵抗を続ける彩芽の姿がある。
「ブルローネの姫だろ?」
「……いいえ、当店の姫では……というか、あなた、少し静かになさい!」
アコニーに凄まれ、その迫力に思わず黙ってしまう。
彩芽は借りてきた猫の様に大人しくなる。
それを見てアコニーは、これで話が出来るとストラディゴスに向き直った。
「いや、だが確かにここから出てきたぞ。俺はてっきり……新しい姫じゃあ無いのか?」
「出てきた? 誰かこの子を見た子いる?」
アコニーが手を叩き、良く響き通る大きな声で招集をかける。
すぐに、胸元が大きく開いたドレスに身を包んだ女性や、半裸や全裸の女性がゾロゾロと階段を下りて来た。
その中には、上の階からエントランスを見下ろしていた顔ぶれもいる。
「おかみさん何~?」
「誰か、この子の事知ってるかね?」
アコニーに聞かれ、艶めかしい恰好の女性達は顔を見合わせる。
「ううん、誰その子?」
それから、アコニーが改めて聞いても、誰も彩芽の事を知っているどころか、建物の中でも外でも見た者さえいなかった。
彩芽は、それはそうだと思いながら黙って聞きつつ「では自分はどこからこんな場所に来たのだろう」と思った。
「あなた、名前は?」
ストラディゴスの肩の上で行儀よく事の成り行きを見ていたら、突然アコニーに声をかけられた。
彩芽は、よそ見していて先生にあてられてしまった生徒みたいな反応をしてしまう。
「あ、ああ、えっと、木城彩芽です……」
「ストラディゴス様、いったんキジョウアヤメさんを、その辺におろしていただけますか?」
「ん? ああ、わかった。ほら、暴れるなよ、ねえちゃん、取って食いやしないから」
さっきまで、ある意味では食う気満々だっただろうにと、彩芽は「エロオヤジめ」と精一杯の不信の眼差しを向ける。
当のストラディゴスは、彩芽の視線などまるで気にしていない様子だ。
大きな手で丁寧に床におろされると、ようやく解放された彩芽はアコニーに駆け寄った。
「助かったよぉ! ありがと!」
小さな手を握りしめる。
「それは、あなた次第です」
アコニーは彩芽を怪しむ視線を送るが、彩芽は目が合っても構わずにアコニーの細い体にハグをし、頬擦りをした。
それを見て、周囲を取り囲むお姉さま方は「なんて恐れ知らずな」と、驚きの表情になる。
彩芽は目の前の子供にしか見えない少女に対して、これでも真面目に感謝を表したのだが、アコニーは少し不満そうな顔をする。
それでも、彩芽の気持ちも少なからず伝わったのかハグを引きはがすと「やれやれ」といった顔をして、奥の部屋へと招き入れたのだった。