誘拐
瞬間、襲撃者に放たれた鋭い一閃。
敵味方誰にも悟られる事なく闇に乗じて城壁に上がってきたエルムによる、容赦の無い強烈な槍の一突きが襲撃者のかぶっていたフードを貫いた。
しかし、手ごたえは無く、彩芽は自分の顔の横に突き出された槍の切っ先に腰を抜かして座り込んでしまう。
襲撃者は、咄嗟にフードを空中に置いたまま足を広げ、上体を現界まで下げ、身体を地面すれすれまでかがめて、エルムの後ろからの奇襲を避けていた。
ストラディゴスは、この隙に彩芽とオルデンと襲撃者との間に割って入り、狭い城壁の上で襲撃者はストラディゴスとエルムに完全に挟まれる。
オルデンが腰を抜かした彩芽に寄り添い、守るように短剣を構え、形勢が一気に逆転した。
「もう来たにゃ!? っていうか殺す気だったにゃ!? こっちは誰も傷つける気は無いのにゃ! 暴力反対にゃ!」
月を隠していた流れ雲が晴れていき、襲撃者の姿が月明りのもとに晒されていく。
その襲撃者は、美しい獣人であった。
黒い獣耳に黒く長いしなやかな尻尾、金色の大きな目を持っている。
猫の特徴を持った黒髪の美少女である。
フードとマントの下には、何も着ておらず、全裸だが、恥ずかしがる素振りは一切無い。
その腰には、不自然な程にゴツゴツとしたデザインのベルトを締めているのが、誰の目にも気になった。
「どこから入り込んだ!」
エルムが叫ぶと、オルデンがハッと気づく。
「猫に化けていたんだ! 変身するぞ、気をつけろ!」
ストラディゴスは、襲撃者の姿を見て、思わず叫ぶ。
「アスミィ! なんでお前が!?」
「ちょっとしたお使いにゃ。あと、あの時の続きだにゃ!」
アスミィと呼ばれた襲撃者とストラディゴスの会話を聞いて、槍が破いたアスミィのフードを壁下に投げ捨ててエルムが叫ぶ。
「その猫女は何だ! 知り合いなのか!」
エルムは殺気全開のままで、槍を構えたままアスミィに警戒する。
だが、ストラディゴスの返答を待っている為、攻撃できない。
すぐにエルムが呼んでいた兵士達が、弓を構えてアスミィを取り囲み、包囲が完成する。
「やばいにゃっ!? やばいにゃっ!? 計画失敗だにゃ!?」
アスミィが焦った声を出すと、オルデンが質問をぶつけた。
「これは誰の差し金だ! まさかカトラス王国か!?」
「助けてくださいなのにゃ、全部話すのにゃ、お願いだから殺さないでなのにゃ、ほんの出来心だったのにゃ」
アスミィは観念したと態度で示すが、エルムは警戒を解かない。
むしろ疑いの目を強めていく。
「ストラディゴス、知っているなら早く答えろ! 命令だ! この女は、一体何なんだ!」
エルムにキレ気味に再び聞かれ、ストラディゴスは答えづらそうに白状した。
「元カノだ!」
えっ!?
と、思わぬ言葉に場が凍り付く。
続くアスミィの言葉に、場は更に凍り付く事になる。
「嘘つきにゃ! ディーは私が浮気相手だって言ったにゃ! ふざけるにゃ!」
なぜ、ストラディゴスの元カノもとい、元浮気相手が?
そう皆が混乱していると、アスミィがオルデンと彩芽をチラリと見る。
次に、エルムを確認し、ストラディゴスを最後に見ると、命乞いをしていたとは思えない不遜な態度で笑い出した。
「にゃっはっはっはっはっは! さっすがハルハルにゃ! プランBも完璧だにゃ!」
「何が可笑しい、黙れ!」
エルムが言い終えるより早く、アスミィが城壁の上の凸凹の横を上を、立体的に爪でとらえて蹴り駆け、ストラディゴスの横から通り抜けると、オルデンに向かって行く。
誰もその動きについて行けないまま、アスミィは直前でターゲットを切り替え、武器を持たず戦えそうも無い彩芽に飛びつくと、再び羽交い絞めにして人質にしてしまったのだった。
彩芽も含めた全員が、オルデンが狙われたとフェイントに引っ掛かり、判断が一瞬遅れてしまう。
弓兵達は、味方が邪魔で射るに射れない。
「ディー! お前の元カノも来てるにゃ! カモンにゃ~~~!!!」
そうアスミィは言うと、腰のベルトからピンを抜き、ワイヤーを力いっぱい引っ張った。
すると腰のベルトの背部が弾け、中から風船が一気に膨れ上がり、アスミィと、アスミィが捕まえている彩芽の身体を一瞬にして空の上へとさらってしまった。
「バイバイなのにゃ~~~~~~~~~~~~~~~~!」
と、空に遠のいていくアスミィの声。
彩芽は、想定外の事態に叫び声の一つも上げられない。
驚きすぎると、人は叫ぶことさえ出来なくなるらしい。
「アヤメエエエェェーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
ストラディゴスの絶叫が聞こえたのを最後に、彩芽の耳には風音以外聞こえなくなった。




