ぶっかける
見張り塔の頂上。
少しその場で休んでいると、先にストラディゴスの呼吸が落ち着いてきた。
「ふぅ………………なあ……」
ストラディゴスが、何かを言いかけた時だった。
お互い疲れ切り、お互いの汗が混ざり合う肩車の状態のまま。
城の見張り塔の屋根の上、周囲に視界を遮るものは無く、空が白け始め、遠くには朝日の光が見えてくる。
「はふぅ…………なに?」
「笑わないで、最後まで聞いて欲しい」
「いいよ」
彩芽の呼吸もようやく落ち着く。
「笑うなよ?」
「うん」
「俺じゃ……いや違う。俺と……俺も……俺は……」
「ストラディゴスどうしたの?」
ストラディゴスが少し考え、仕切りなおす。
「アヤメ、俺はお前と会って、こんな事初めてなんだ。こんなに楽しかったのは……」
「……そうなの?」
日の出の光に包まれ、彩芽の目には初めて目にするこの世界のパノラマが飛び込んでくる。
海と大陸、夜と朝、月と太陽、遠くに見える別の街、光に彩られていく今日の世界。
目の前の雄大な景観に、彩芽の目から自然と涙がこぼれる。
「わかったんだ、お前のおかげで」
ストラディゴスの目にも涙が浮かんでいた。
その涙は、景観に感動した涙ではない。
「ずっと満たされていなかった。美味い酒を飲んでも、良い女を抱いてもだ。ずっと自分でも何か正体の分からない孤独を感じていたんだ」
「うん」
「お前が、俺を『嫌いじゃない』って言ってくれるまで」
その時、ひときわ大きな風が吹いた。
ストラディゴスは風をもろに受け、身体を大きく揺らす。
目から飛び込む色彩と情報の津波、目の動きと関係無く動く視界の変化。
これが悲劇を産み落とす。
「ごめん! 聞こえなかった!」
「俺には! お前が必要なんだ! だから俺はもっと……お前と………………一緒に!」
「ちょ……まって、ほん、ほんと、ごめん。ほんと気持ち悪ぃ……」
ストラディゴスの告白。
その全部を言い切る前に発せられた彩芽の予想外の言葉。
ストラディゴスは耳を疑いながら、いきなり奈落の底に突き落とされたような衝撃を受けた。
だが、その絶望を想わぬ物が、間違いだと教えてくれる。
彩芽がストラディゴスの頭をタップする。
ストラディゴスは頭の上に水滴が落ちるのを感じた。
雨は降っていない。
額を伝ってくる雨ではない液体からは、アルコールの匂い。
何事かと、首をまわして彩芽を落とさないように恐る恐る振り向く。
そこには頬を風船の様に膨らませ、脂汗をかき、唇が決壊寸前の彩芽が真っ青になって、緊急事態をアピールしていた。
こちらも感動とは別の涙目で、必死のジェスチャー。
出来るだけ早く、とにかく下におろして、と。
そんな事、出来る訳が無い。
「うわああああああああああああ! 待っ!」
きらきらきらきら~
たらふく食べて飲んだ後に、巨人に肩車をされ猛スピードで揺られ、狭く長い螺旋階段によって追加で回転運動まで加えて、彩芽の身体はシェイクされていたのだ。
とどめに、激しい乗り物酔いである。
常人の胃袋に耐えられる筈もなく、むしろ、ここまでリバースしなかった事を褒めても良いぐらいだった。
見張り塔の屋根の上に、モザイクが必要な白い川が出来た。
膨れていた腹も含めて大分スッキリし、限界を超えて疲れ切った彩芽は、崩れ落ちる様にストラディゴスの頭を抱えてスヤスヤと寝息を立て始める。
最後の最後まで、ただの酔っぱらいでしかない。
ストラディゴスはと言うと、肩から盛大に彩芽の体液(主に唾液、胃液、汗、涙少々)と酒と魚の混合物をぶっかけられ、悲惨な事この上ない状態であった。
だが、全ての責を負うべき迷惑な酔っぱらいに対して、怒る素振りはおろか、憤りの顔さえ見せなかった。
それどころか、気持ちの悪い程の希望に満ちた、誰も見た事が無い満ちに満たされた顔をしていたと言う。
ストラディゴスは、彩芽を抱えて塔を降りると、彩芽の身体を拭くのと、服の洗濯、それと自分の部屋のベッドで寝かしつけるのを城のメイドに丁寧に頼んで、一人水浴びに向かった。
見張り塔の当直兵士達によって、この噂は城中に広がったと言う。




