エピローグ1
エレンホス王家の指輪を捜索してヴェンガンの部屋を再び家捜しした時、エドワルドは一つの解毒薬を見つけた。
それは、マリアベールの傷が塞がるのを四百間も邪魔し続けて来たヒドラ毒の解毒薬であった。
エドワルドは、城の上でマリアベールと二人きりになった時、ヴェンガンが彼なりにマリアベールを救おうとしていた事実を伝え、解毒薬をマリアベールに渡し、その時、密かに告白していた。
二人の幸せそうな顔を見れば、結果がどうであるかは誰が見ても分かる。
その後、エドワルドの指示でモサネド達密輸業者のフリをしていたエレンホスの工作員達は解散し、一部がエレンホス本国への報告に帰っていったが、肝心の王家の指輪がフィデーリス城の宝物庫にも無かったので、今後も捜索は続くだろうと言う話であった。
全ての地下通路がソウル・イーターの重みで崩落して埋まり、全ての排水システムが破壊されたフィデーリス。
だが、その中心には、枯れずに沸き続ける源泉が力強く生き残っていた。
町を川の様に流れる温泉の量は潤沢で、方々に出来た温泉溜には、連日行われる町の復興の疲れを癒そうと、露天風呂を楽しむ人々の姿があった。
ボロボロのフィデーリス城以外に、この町に残ったのは、瓦礫と、人と、温泉ぐらいの物だ。
「あ”~~~~~…………」
温泉が身に染みる。
ソウル・イーターに取り込まれなかった最後まで現実世界で抵抗していた人々は、その身に受けた傷が残っていた。
ストラディゴスとエドワルドは、マリアベールの魔法で傷こそ塞いで貰ったが、完全回復には程遠い状態であった。
操られたマリアベールに受けた小さな切り傷が、とにかく多い。
エドワルドに関しては、ザーストンに受けた片口の致命傷と、切断された腕の接着線がピリピリと沁みた。
そんな二人には、湯治は丁度良い機会である。
ストラディゴスとエドワルドは、湯につかりながら湯煙の向こう側に助兵衛な視線を送った。
「う”ん”ん”ん”ん”ん”ん”ん”…………」
一方で、ソウル・イーターによって表面的な傷は完治していた彩芽は、温泉に浸かりながらも辛そうに唸り声をあげていた。
それもその筈、マリアベールに操られ、自分でもマリアベールの体感覚を頼りに戦い抜いたのだ。
しかし、その身体は、元々の彩芽の性能しかない。
そんな身体をマリアベールと同じ様に使えば、猛烈な筋肉痛が待っているのは、少し考えれば分かる事であった。
辛そうな彩芽の手足を、ルカラが献身的にマッサージしてくれるが、当分、まともに動けそうにない。
そんな彩芽を見ながらも、体色が元に戻りつつあるマリアベールは魔法では助ける事も出来ず、温泉で自分の傷を癒すのみであった。
* * *
ソウル・イーター解体から数日後。
崩壊したフィデーリスの人々は、王墓の神殿周囲に作られた仮初のフィデーリスに身を寄せ、フィデーリス再建の為に少しずつだが動き始めていた。
貴族、平民、奴隷と言った関係に戻った者も中にはいたが、それでも以前とは明らかに違う。
一度精神が一つとなる事で関係の最適化をなされた人々は、本当に必要とする人だけに関わりを持つ様になり、そこには対等な関係を軸に集まりを見せ、以前の様な暴力も理不尽もそこには無かった。
それは、明らかにルカラから受けた影響が残っていた。
だが、いずれ以前のフィデーリスと同じ道をたどれば、暴力と快楽に溺れる事は皆もわかっている。
今は、死者と再会し、良い夢を見た余韻に浸っているに過ぎない。
人々は、この先、本当の意味で変わり、自分達で新しい道を見つけなくてはならない。
四百年前とは、何もかもが違う。
今度は、ヴェンガンもミセーリアも、セクレトもいない。
フィデーリスを立て直したとしても、今まで通りとはいかないだろう。
マルギアスから自治権を買わなければ、数万のフィデーリス市民は下級市民へと身分を落とし、マルギアス内では苦汁を味わう事となる。
それでも、人々は希望にあふれていた。
四百年の間、悪い夢を見ていたのが覚めたのだ。
失われた四百年を取り戻す上で、進んではいけない道を皆が知っているのは、大きな強みとなる筈である。
ピレトス山脈、マリアベールの隠れ家。
彩芽は、マリアベールに異世界の事を話し、舌ピアスを見せていた。
「ふむ……南の魔法使いか……すまんが、この刻印は……我は知らぬな……だが、異界の事なら多少は知っておるぞ」
「本当!?」
そう言いつつも、マリアベールのベッドを借りて突っ伏している彩芽。
筋肉痛が酷過ぎて、ストラディゴスとルカラにマッサージをずっとして貰っている。
そんな光景を、エドワルドは皆の話を聞きながら椅子に座って黙って眺めている。
「ああ……異界人に会った事もあるからな……名は何と言ったか……確か、ホノ、ス……ホノリウスだったか……?」
マリアベールは、あまりにも昔の事なので記憶があいまいな様であった。
「ホノリウス?」
「うむ。確か……少なくとも何百年も前の事だ。面白い男だったぞ。刻印で魔法を扱いやすくしたのは、そやつと、その仲間だ」
マリアベールが言うには、ホノリウスなる聞いた事もない異世界人が、この世界に来て刻印と言う魔法の一般的な体系の一つを作ったと言う話であった。
後のアルス・ノトリアに繋がる原形を作ったと言うが、彩芽にはチンプンカンプンである。
ちなみに、ホノリウスは、紀元前三百年ごろに実在したとされる彩芽の世界の人物である。
つまり、何百年では無く、何千年も前の事であった。
マリアベールの年齢が二千三百歳を超えている可能性に、彩芽を始め、その場の全員がホノリウスを知らない事によって驚く事も出来ない。
「その人は、元の世界に帰れたの?」
彩芽は、緊張気味に聞いた。
マリアベールは、思い出す様に目を閉じて首をひねると、静かに目を開けた。
「うむ。帰っていたぞ」
「どうやって!?」
「そんなに興奮するな。身体に響くぞ。異界とこの世界は、見えない穴で繋がっておる。その穴は、言うなれば雲の様な物だ」
「雲?」
「雲が何か分かるか?」
「え? 水とかって事?」
「やはり、意外と博識だな……まあいい。雲は、温度や濃度で見えたり消えたりするでろう。それと同じで、異界と繋がる穴自体は、見えないだけで、どこにでもある。その条件が重なる事で、雲の様に濃くなり、時に渦を巻く。すると穴が大きくなり、異界と繋がると言うわけだ」
「それじゃあ、帰り方は?!」
「我は、仕組みしか知らぬ。ホノリウスがどうやって、通れる穴を見つけたのかもな。だが、そのピアス、アヤメの母の形見を作った魔法使いを辿っていけば、その途中か、さらに先で穴の見つけ方に詳しい者に会えるかもしれん……我も、お前達には随分と世話になった。異界への行き方とやら、こちらの方でも調べてやるが……なぜお前は異界に帰りたいのだ? 故郷に会いたい者でもおるのか?」
「友達が何人か。でも、今はこっちも悪くないかな」
「ふむ、残してきた家族は?」
「いないよ。恋人もいないし、本当に友達だけだよ」
「危険な旅をしてまで、それが帰りたい理由か?」
マリアベールは、もっともな疑問を聞いてきた。
彩芽は、ストラディゴスにも言っていなかった旅の理由をサラリと言った。
「帰りたい理由は……もう一度、見たい物があるからかな」
「見たい物?」
「写真って分からないよね……家の壁に飾ってある絵をね、もう一度見たいの」
彩芽の故郷に帰りたい理由を聞き、ストラディゴスは複雑な気持ちになった。
彩芽は、故郷の事があまり好きそうでは無かった。
そんな彩芽が、ずっと帰りたがっていたのは、それでも迷子になったから家に帰りたかいと言う、ある種当然の発想だとずっと思っていた。
だが、彩芽は家に帰りたい訳では無く、家にある絵を見たいと言う。
こんな旅をしてまで見たい絵とは、どんな絵なのか、話を聞いていたマリアベールとストラディゴスは気になった。
「どんな絵なんだ? 故郷の景色か?」
ストラディゴスが聞くと、彩芽は、しんみりと答える。
「お父さんとお母さんだよ」
彩芽は、帰る事では無く、亡くした家族の姿を求めていた。
「自分でも驚いちゃうんだけど、ずっと見てないとさ……そのうち忘れちゃいそうで……それが嫌だなって」
ストラディゴスは、彩芽の言葉を聞き、亡くした親と妹の事を思い出す。
おぼろげな記憶。
かすんだ色合い。
狭い台所。
母を見上げる妹と自分。
思い出そうとしても決まった場面しか思い出せず、それがどこまで鮮明なのかも曖昧で、家族の声は思い出す事も出来ない。
「ストラディゴス、そんな理由で旅するの、変かな……嫌に……なった?」
彩芽がマッサージの手が止まった巨人を見上げ、少しだけ不安そうに聞いた。
たかが絵一枚の為に、この世界で、こんな旅をするなんて馬鹿げている。
ストラディゴスは、一瞬、確かにそう思った。
だが、自分の、もう失った大切な家族の顔を、もう一度鮮明に思い出せるチャンスがあるなら。
考えた事も無かったが、ストラディゴスは、目頭が熱くなるのを感じた。
命をかける事ではない。
だが、間違い無く彩芽にとっては大事な旅であると、それだけは納得が出来た。
「嫌になるかよ。でもよ、その絵を見たら、どうするんだ? 異世界にそのまま帰っちまうのか?」
「その時にならないとわかんないよ。だって、もし行き来出来るならさ、絵、こっちに持って来れるじゃん」
「行き来出来ないなら?」
「それなんだよね……ストラディゴスも、私と一緒に来る?」
彩芽が「なんちゃって」と言おうとするより前に、ストラディゴスは答えていた。
「どこにでも行くぞ。俺は」
「私も、行きたいです」ルカラも彩芽の腕を揉みながら真面目に言うのであった。




