作戦
すぅ……はぁ……
彩芽は禁煙宣言を破って、一服していた。
ルカラと地上に戻った後、落ち着いて来たら、急に手が震えてきたからだ。
部屋に戻ってからも、服のボタンを自分一人で外す事も出来ず、ルカラに脱ぐのを手伝って貰う有様だった。
怪我一つなかったが、ナイフを突きつけられ、レイプされそうになり、剣で襲われたのだ。
意識出来ない深層の部分で、経験がトラウマになっていた事に気付くと、もう吸わずにはいられなかった。
ストラディゴスも、彩芽の喫煙を止める事は無かった。
原因を作ってしまったルカラに対しては、複雑な心境でいる様子で、彩芽の世話を甲斐甲斐しくする姿を見守るだけ。
彩芽が見ても分かるレベルで、ストラディゴスはルカラの事を、完全には信用していない様子であった。
「はぁ~~~~……で、これから、どうするかだけど」
三本目を吸いながら、彩芽が窓枠に座って話を切り出した。
ブルローネに戻った三人は、部屋に戻ると身体だけ水場で綺麗にしてから、いつもの服に着替えた彩芽が落ち着くのを待ってから、約束通り、三人での話し合いを始めた。
書簡が手元に戻り、フィデーリスに滞在する理由は既に無い。
そうなれば、議題は一つしか無かった。
「思ったんだけど、ルカラを町の外に連れ出すだけなら、箱とかに入れて、こっそり運び出せないの?」
煙草を咥えた彩芽が言うと、ルカラはそれを否定する。
「それは難しいと思います。大きな積荷は中を調べられるので」
「オルデン公の書簡を見せても、チェックをすり抜けられないか?」とストラディゴスが聞く。
「出来るかもしれないです。でも、駄目だった時に、そんな形で見つかってしまったら……奴隷じゃなくても厳しく取り調べられるのでは……」
「やるにしても、一回試した方がいいみたいだね」
「アヤメ、試すって?」
「それなら馬車に荷物を載せて、ルカラを乗せないで出入りすればさ、チェックされるか分かるんじゃない?」
彩芽は煙草の火を消すと立ち上がり、ストラディゴスを呼んで部屋の外に出て行く。
ルカラは「待ってて」と彩芽に指示されるまま、不安そうに彩芽達を見送った。
彩芽とストラディゴスがフィデーリスまで乗ってきた馬車に、いくつか樽を載せると、彩芽とストラディゴスだけで門を出れるか試してみる。
ルカラが不安そうに窓の外を覗きながら部屋で待っていると、北門から出た馬車は西門の方から戻ってきた。
「どうでしたか!?」
ルカラが迎えると、ストラディゴスは部屋に入るなり首を横に振った。
どうやら、大きな荷物は門の出入りに関係無く、一つの馬車ごとにランダムに調べる様であった。
書簡を見せても、荷の確認に特別扱いは無く、城壁の外に伸びている長い馬車列の理由が分かる。
一か八かを試す前に、他にアイディアが無いかを話し合う事になる。
ルカラの当初の計画通り、身分証の偽造はどうか?
だが、それは考える以前に、まず一万フォルト(百万円)も手元にはなかった。
今、手元には、旅の資金が約五千フォルト(約五十万円)ある。
これは、ルカラに返してもらった分を足し、服や食事代等で使ったのと、エドワルドに書簡探しをさせる時にストラディゴスが前金として払って、残った残高である。
それと、ルカラが脱出に備えて貯めていた盗品入りの鞄。
様々な硬貨だけで三千フォルト(三十万円)近くあり、宝飾品等は、ストラディゴスの見立てでは裏市場に流せば、全部で六百フォルト(六万円)ぐらいにはなると言う話だった。
よほど価値がある物でもない限りは、ほとんどはただのアクセサリーであり、金属の重さで買い取られてしまう。
盗品に手を付けても八千六百フォルト(八十六万円)にしかならず足りないし、全部使ってしまっては旅を続けられない。
それ以前に、彩芽は盗品に手を付ける気は、今の所は無かった。
綺麗事に聞こえるが、すぐ楽な手段に流れていれば、いずれは全体のモラルが下がっていく。
法の曖昧なこの世界では、特にだ。
そうなれば、ルカラは非常時ならば泥棒をして良いと、今までと何も変わる事が出来ない。
手を付けなければルカラが死ぬような切羽詰まった事態でもない限りは、盗品の扱いは保留する事に満場一致で決まった。
他にアイディアが無いか、話し合いは続いていく。
ポポッチ達が使っていた変身の指輪があればと思ったが、魔法の道具は貴重かつ高額で、オルデンであっても気軽に貸せる物では無い。
変装するだけでは、大量の手配書のどれかと見比べられれば、逃亡奴隷として捕まってしまうだろう。
「門以外から出られないの?」
と彩芽が聞くと、ルカラが前例を語ってくれる。
「壁越えは難しいです」
ルカラは、壁の下にトンネルを掘ろうとして、城壁を一部崩落させてしまった奴隷の最期の話と、真夜中に壁をよじ登っている途中で射殺された奴隷の話をしてくれた。
ルカラのトンネルの話を聞いていて、そう言えばと思い出す。
「あの地下通路は?」
「あそこから続く道は、どこも天井が崩れていましたが……」
それを聞き、崩れた先の通路がある筈と、三人は気付いた。
「他に入り口は?」
「私は、あそこしか……」
二人の会話を聞いていたストラディゴスは、自分は入る事が出来なかった地下通路の事を詳しく聞く。
「なあ、その地下ってのは、さっきの廃墟から入ったって所だよな?」
「うん、多分古い水路だと思うんだけど」
ストラディゴスは考える。
「水路としては、もう死んでるのか?」
「いえ、汚いですけど、水はまだ流れてます」
ルカラの言葉を聞き、ストラディゴスは「汚い水か……」と呟いた。
* * *
彩芽はストラディゴスと共に、フィデーリスの外を流れる大きな川に来ていた。
都市内に水路があれば、それはつまり水の入口と出口があると言う事になる。
山から引いたり、湧き水を利用したり、フィデーリスの様に温泉を利用する場合、水の流入口があると、そこからは基本的に低い所へと流れる様に水路が設計される。
水路の上水の流入経路は自然から引っ張るので、水の袋小路となっている場合も多いが、下水の出口に関しては必ず近くの川へ合流させる人工の道を作らなければならない。
水路の流れを見て出口に向かえば、そこには川があり、外に繋がっている筈である。
あとは、そこが人が通れる大きさで、通路が繋がっているかだけの話だ。
川に面する城壁には、ちょろちょろと汚水を川に排水している水路が見えた。
そこには、特に出入り口をふさぐような格子も何も無い。
もし、水路が地下通路と同じ物なら、城壁内に水路と繋がる出入口がある筈である。
つまり、地下水路の出口側からさかのぼっていけば、あるのなら城壁内の出入口を探す事は簡単な事であり、あとは見つけた出入口からルカラが脱出さえすれば良いのだ。
「やったね!」
脱出計画に光明が見え、彩芽は早くも楽観的になる。
そんな彩芽とは対照的に、ストラディゴスは悩んでいる様子だ。
「どうかした?」
「なあアヤメ、本当にルカラを町から出すのか?」
「え、どうして?」
「あいつは俺達を利用するだけして、壁を超えたらよ、姿を消すかもしれないとは思わないのか?」
ストラディゴスはルカラの前では、気を使って本心を言えずにいたのであった。
彩芽の判断が本当に彩芽の為になるのか、ルカラを助けるべきなのか、まだ疑問に思っていたのだ。
二人きりになったこのタイミングで、ハッキリさせなければ、迷いなくルカラに手を貸す事は出来ない。
「思わないよ。それに、もしルカラがさ、自分の意思でいなくなっても、それでいいじゃん」
彩芽の言葉の意味を、ストラディゴスは理解できなかった。
「なんでだ? 良くないだろ」
「ルカラが私達を利用してるんじゃなくて一緒にいたいだけなら、その方がもちろん嬉しいよ。けど……もし利用しているだけなら、いなくなってもさ、ルカラがそう言う子だったって、それだけの話だよね。なら、騙された私が悪いってだけ。そこで話は終わり。ストラディゴスは、何が心配なの?」
「俺は、お前が傷つくのが心配なんだ」
「なら、ルカラを信じてあげて。最初から信じないで『やっぱり』なんて言わないで。ルカラは、ストラディゴスをあの時、呼びに行ってくれたんだから、あの時のルカラを信じて。それでもルカラが悪い事をしたら、その時は、一緒に叱ってあげよう。でもさ、もし叱るなら、まずは助けてあげなくちゃ」
逃亡奴隷で泥棒である事は事実だが、彩芽の言う通り、ルカラは彩芽を助ける為にストラディゴスを呼びに戻った事も動かぬ事実であった。
利用する為か、自責の念か、それとも彩芽を救いたい一心だったのか、動機は関係無い。
ルカラは、アクシデントの中で、確かに彩芽を助けたのだ。
ルカラの中に、そう言う部分があると信じない理由は、どこにも無い。
ルカラを奴隷扱いしない事には、彩芽の説得で納得した。
だが、詐欺師で泥棒だと言う扱いは、無意識にしてしまっていた。
もし泥棒扱いをするなら、同時に彩芽の恩人扱いもしなければ公平ではない事にストラディゴスは、自然と思い至る。
彩芽の言っていた、嫌いな社会の構図。
相手の見て欲しくない悪い部分で相手を見る、そんなどこにでもある社会の在り方を、今の自分はしてしまっている。
彩芽は、単純にこう言っている。
悪い部分だけを見て、判断するべきでは無いと。
彩芽の様に考えるなら、ただルカラをルカラとして扱うか、全ての肩書を公平に扱う事でルカラを見なければならない。
初めて会った日、酒場を出た夜を思い出す。
油断をすると、肩書で相手を見てしまう自分に向き合いながら、あの夜、自分は彩芽に相応しい男になると誓ったはずだと思いなおし、ようやくルカラとの接し方がストラディゴスの中で腑に落ちた。
ルカラを彩芽の様に扱う様に言われ、服を与え、食事を共にし、身体を洗ったが、そう言う事ではなかった。
彩芽の様に、無理に大事にする必要などない。
ただ、ルカラの全てを一度受け入れればよかったのだ。
「……アヤメ」
「……なに?」
「いや、なんでもない。お前を助けたあいつを、信じるだけだな」
ストラディゴスの態度からは、さっきまであった迷いが消えていた。
「ありがと」
今、ようやくルカラを、本当の意味で仲間として受け入れられたストラディゴスに彩芽は、寄り掛かって、後頭部を優しくコツンとぶつけるのであった。




