③
紫門が意識を取り戻してまず見えたのは暗闇だった。いや、むしろ暗闇しかなかった。
紫門の体は先も見えない暗闇の底に落ち続けていた。
うおおおおお、と口から反射的に出た声は、響くこともなく闇の底に飲まれていく。
いつまで落ちるのか、落ちていることに気づいた時から既に紫門の体感では1時間ほど経過していた。
このいつまでも続く落下に飽き飽きした紫門は、初めて止まることに意識を集中した。
すると、落下し続けていた体はスッと止まり、落ちていく姿勢のまま停止した。
「まさか、歩こうと思えば歩けるのか・・・?」
紫門は、今度は歩くことを意識し、何もない空間に一歩足を着いた。
床がある。何もないと思われた空間だったが、確かに歩くことが出来た。
紫門はそのまましばらく歩き続けたが、暗闇には何もなかった。
途中、落ちることを意識してしまい、また何度か落下したりもしたが、何かを見つけることは出来なかった。
もう、いっそ寝てしまおう。何もないのなら探し回るだけ時間の無駄だ。
そう考えた紫門は、床に横になることを意識し、暗闇に寝転んだ。
目を瞑っても瞑らなくても、映るものは暗闇だったので、それが不思議な感覚であると同時に心地よかった。
自分が何も知らずに吹いたラッパ、それが天災の引き金となり、世界の3分の1を滅ぼした。
そんなことを忘れられるくらい、暗闇は心地よく紫門の体に馴染んだ。
しかし、いくら寝ようと思っても眠ることはできなかった。
普段眠くなくても眠ることができる紫門にとっては異常な感覚だった。
「眠ることが得意なお前でも、ここで眠ることはできないだろうな。お前が来ることを待っていたぞ、大館紫門」
唐突に聞こえてきた声に、紫門の体はビクッとする。
周囲を見回すが声の主の姿は見えない、見えないが、その声の主の気配だけははっきりとわかった。
「あんた何者だ?なんで俺の名前を知ってる?それにここはどこなんだ?」
「いきなり質問の多い奴だ・・・いいだろう、一つづつしっかり答えてやる。俺の名はベルフェゴール、怠惰を司る悪魔だ。次に、お前の名前がわかるのは俺がここでずっとお前を見続けていたからだ。最後に、この空間は人の闇、罪を犯した魂が行き着く自分自身の中の空間だ」
投げかけた質問に対し、矢継ぎ早に答えられて紫門は困惑する。
「おいおいおいおい、いくらなんでもそんなに一気に答えられたら理解が追いつかないだろ!」
「全く・・・自分から質問しておいて文句を垂れるのか。そんな体たらくだから、いいようにサタンに利用されたのを理解しろ」
ベルフェゴールに痛いところを突かれるが、言い返す言葉が何も浮かばなかった。
「ぐっ・・・それより!さっきここのことを自分自身の空間って言ったよな?じゃあ、なんであんたが俺の中にいるんだよ?」
「先にこの空間についての説明から入らせてもらおうか、その方が俺にとっても都合がいい」
ベルフェゴールは一息おいて、話を再び始める。
「先ほどこの空間のことを人の闇、と言ったのは覚えているな?人が死んだ時、その魂は天に昇っていくのがセオリーだ。だが、大きな罪を犯したものはその罪にしがみつかれ、天に昇ることはできない。魂は自分の中の闇に堕ちていき、この空間に永遠に閉じ込められる」
「つまり・・・ここが地獄、ってことなのか?」
「まぁ、そういうことになるな。だが、ここに責め苦は存在しないが、終わりも存在しない。腹が空くこともなく、疲れることもなく、眠ることさえできない。それが永遠に続く」
「それってそんなに辛いことなのか?痛いことも辛いこともないんなら悪いことではないだろ」
「この空間の本当の辛さがわからないのも無理はない。・・・何もないから辛いんだ。人にとって一番辛いことは痛みでも苦しみでもない、無だ。何もできない空間で永遠の時間を過ごすということに、人の精神で耐えることはできない」
まだ19年しか生きていない紫門に、ここで永遠の時間を過ごすことの辛さを完全に理解することは難しいことだった。
だが、100年、1000年、それ以上の時をここで過ごすということを想像し、本能的に恐怖を覚える。
「では、本題の俺がここにいる理由について話そうか。お前が疑問に思った通り、本来ここはお前自身の空間であるから、お前の魂しか存在することはできない。サタンに、ラッパにまつわる話をされただろう?あの時、俺もそこで戦っていたが、お前が聞いた通り悪魔は天使に敗北した。だが、こうなることまで想定して俺たちは計画を立てていた。その魂が完全に消滅する前に人の魂に入り込み、その人間の死をもって復活する為に」
「なっ・・・!?あのおっさんが言っていた俺を悪魔にするっていうのはそういうことだったのかよ・・・!」
「あぁ、悪魔ならこの空間の中でも、入り込んだ人間の行動にある程度なら干渉することができる。それを利用し、大罪を犯させてなんらかの方法で死ぬことで、元の人間の魂と入れ替わって悪魔は復活することが出来る」
「お前、俺の行動にも干渉してたのか!?」
「俺は何もしていない。だからこそ、あいつはわざわざお前にラッパを吹かせたんだ。俺が何もしなかったから、ああせざるを得なかった。」
「一体なんなんだ!?お前は俺に何をさせたいんだよ!」
「お前には、俺の代わりに復活してもらう」
ベルフェゴールの言葉に、紫門は唖然とする。
さっきまで聞いた話では、悪魔が人の魂と入れ替わって復活するということだった。
だが、この悪魔は自分ではなく真を復活させようというのだ。
「俺はもう、サタンの計画に乗るのも、天使との戦いもうんざりだ。だから、お前に俺の代わりに戦ってもらうことを決めた。俺の代わりに戦え、大館紫門」
「俺にはもう、ここに囚われ続けるか、復活して天使と戦うかの2択しか残ってないっていうのかよ・・・!」
「どちらを選ぶ?この闇がどんなところか理解したお前なら、どちらを選べばいいかなんて分かりきってることだとは思うがな」
ベルフェゴールの言葉通り、紫門にとって何を選択すべきかは明白だった。
「あぁ・・・お前の狙い通り、戦ってやるよ!後悔したまま闇の中で一生過ごすくらいなら、人類を救ってから死んでやる!それが俺が引き起こした天災で死んだ16億人への贖罪だ!」
「ハッ、威勢がいいな。それでこそ俺が選んだ魂だ。では、お前が天使と戦えるように俺の悪魔の力を貸してやる」
「悪魔の力・・・?」
「悪魔はそれぞれ、特殊な力を持っている。俺の場合は創造の力。これをどう使うかはお前次第だ」
ベルフェゴールが言葉を発した直後、紫門は体に何かが入り込む感覚を感じた。
どうやら悪魔の力が譲渡された、ということらしい。
「俺の代わりにお前が復活したと知って、驚嘆するあいつの顔をここから眺めるのが楽しみだ!クハハハハハハ!!!」
ベルフェゴールの笑い声は闇の中に響くことなく消えた。
笑い声が消えたと同時に、近くにあった気配も消えた。
「消えた・・・のか?でもこっから一体どうやって戻れば・・・」
考えるのもつかの間、紫門の足元にこの空間には似つかわしくない光の穴が現れた。
「まさに飛び込んでくださいって言わんばかりの穴だな・・・そういうことでいいんだよな?ベルフェゴール」
そこにいないはずのベルフェゴールに肯定を求める。
実際に聞こえたわけではないが、早く飛び込めという彼の声が心の中から聞こえたような気がした。
紫門は意を決して、その穴に飛び込んだ。
体が持っていかれるような感覚と共に意識が失われていく――