①
時は2019年、春。
春うららかな川沿いの土手で、昼寝をしている男がいた。
男の名は大館紫門。高校を卒業し、なんとなく浪人という形を取ったものの、勉強なんてそっちのけで日課の昼寝にふけっていた。
上空を飛ぶ飛行機の轟音で目が覚めてしまい、再び寝直そうと寝返りを打った紫門だったが、土手の上にトレンチコートを着た怪しい男がいるのが目に入った。
男は紫門のことをじっと見ているようで、その視線に気づいてしまってからは、気になって寝るに寝られない。
紫門は、男に一言物申そうと思い立ち上がり、近づいていく。
「あのー、そんなに見つめられると寝られないっていうか・・・それとも何か用ですか?」
「いや〜、ようやく気づいてくれたかい、おじさんが君をずっと見ていたことに」
無精髭を生やしにっこりと笑うその男は、紫門に向かっていきなり気色悪い言葉を浴びせてくる。
「あれだけ見つめられてたら誰だって嫌でも気づきますよ、それでご用件は?早く昼寝の続きをしたいんで」
「全く・・・若者らしからぬ怠惰さだねぇ・・・いいだろう、私の名前はサタン。君を悪魔にするために現れた」
「は?」
(なんだこのおっさんは、頭がおかしいのか?春は不審者がよく出る季節っていうし、そういうことなのかもしれない。)
土手での昼寝は諦めて、怪しい男を無視して帰ろうとした紫門に、サタンは不満そうに声を掛ける。
「ちょっと何その顔、初対面の人に向けるにしては失礼極まりない顔だねぇ・・・」
「いきなり悪魔を自称するおっさんに絡まれたらそりゃこんな顔にもなるわ!」
「ふ〜ん、そういうこと言っちゃうんだ、こんなにも悪魔って感じのおじさん中々いないよ?まっ、あくまでも本物の悪魔だからだけどね、アッハッハッハッハ!!」
もう春だというのに、サタンの寒いギャグに真は震えそうになる。
「う〜ん、どうやったら君に信用してもらえるかねぇ・・・あっ、そうだ!とっておきのモノがあるのをおじさん忘れてたよ」
(なんだ!?股間でも出すのか!?)
そう思った紫門の不安は杞憂に終わった。
サタンはコートの懐から一本のラッパを取り出し、自慢するように紫門に見せびらかしてきた。
「これはね、終末を告げる7本のラッパのうちの最初の1本、これを吹くと地上の3分の1が崩壊するっていう代物さ」
「はぁ?・・・そんなあり得ないモノが現実にあっていいわけないでしょ」
「吹けばわかるよ。それとも、そんなあり得ないことがもし起きたら・・・と思うと、君には怖くて吹けないかな?」
サタンの煽るような誘い文句に、紫門は完全に乗せられてしまっていた。
「いいですよ、でもそのラッパを吹いたら俺家に帰りますからね」
「それでこそ私の見込んだ男だ。さぁ、思いっきり吹いてみたまえ」
そう言ってサタンは紫門にラッパを手渡す。
渡されたラッパは、吹き口からベルまでがまっすぐ細長く、非常にシンプルな出で立ちをしている。
その洗練された造形に、楽器のことなどよく分からない紫門にもこのラッパが年季の入った逸品であることがわかった。
「それじゃあ、いきますよ」
紫門は川辺を向き、ゆっくりと息を吸い込み、思いっきりそのラッパを吹いた。
パァァァァァァァアアアアアアン・・・・・!!
そのラッパからは金属が擦り合わされるような、はたまたサイレンのような、低く不気味な音が響いた。
・・・しかし、何も起こらない。
やはり嘘だったかと思う紫門は、ため息をつきサタンの方に体を向き直す。
「ブラボー・・・まさに終末を告げるラッパに相応しい音色をしている」
「ハイハイ、もう悪魔のフリはいいですって、これで満足でしょ?それじゃあ俺帰るんで」
一刻も早く帰りたかった紫門は、ラッパを素早く返し、感嘆の声を上げるサタンを尻目に帰路についた。
(何が悪魔だ、いい歳したおっさんが悪魔ごっこなんて、このご時世通報されてもおかしく無いぞ。俺だったから良かったものの・・・明日もあそこにいたら通報しよう。)
家に帰った紫門は自室のベッドで横になり、瞼を閉じて昼寝の体制に入る。
そのまま先ほどの男のことを少し考えていたが、気付かぬ内に意識は夢の中へと落ちていた。
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「紫門、紫門!起きなさい!」
母の呼ぶ声で目が覚める、もう少し眠っていようと思ったがどうやら何かあったらしい。
母の声色がそれを告げていた。
「なんだよ母さん、何かあったの?」
「何があったかじゃないわ!とりあえずニュース見なさい!」
母は今までに見たことがないくらい興奮し、錯乱しているようだった。
紫門は母に促されるままソファーに座りニュースを見る。
『えー、先ほどから何度も繰り返している通り、アフリカ大陸と南アメリカ大陸、二つの大陸の国々が未曾有の大災害により壊滅したという情報が入っております。現場には、炎と赤い雹が降り注いでいるとのことですが未だに詳細はわかっておりません。』
「はああああああ!!????」
紫門は、自分でも驚くような素っ頓狂な声を反射的に上げた。
夢かと思い頰を思い切りつねる・・・鋭い痛みが走る、これはまぎれもない現実だ。
「そんなバカな・・・いや、ありえない、たまたまだ・・・けど、それにしてはタイミングが・・・」
「ちょっと!何いきなりブツブツ独り言始めてんのよ!恐怖の大王がついに来たのよ!世界の終わりだわ、早く逃げる準備始めるわよ!」
「おっさん・・・そうだ・・・母さん!俺、ちょっと出かけてくる!」
「ちょっと紫門!?アンタこんな時に何を――」
紫門は母が止めるのも聞かずに家を飛び出した。
いつも歩いている土手への道が、なんだか長く感じられた。
サタンに誘うように吹かされたあのラッパがあの事態を引き起こしたのだとしたら、と思う自分と、そんなあり得ないことが起きるはずはないと思う自分、両方がいた。
一刻も早くそれを確かめたくて、紫門は土手に向かって走る。
土手に着いた紫門はサタンの姿を探した。
サタンは土手の中段のあたりで、黄昏るように空を見つめていた。
「おいおっさん!まさかあのラッパ本当に――」
勢いのままに問いただす紫門の言葉は、サタンによって遮られた。
「いや〜、ここまで流れ良くいくとは思っていなかったよ、もう少し警戒されると思っていたからね。君が乗せられやすい性格で助かったよ、大館紫門クン」
「なんで俺の名前を・・・どういうことだ!?あのラッパはなんなんだよ!?」
「まぁまぁ、落ち着きたまえ。君の疑問はもっともだが、こうするしかなかった、いや、こうせざるを得なかったんだよ」
「先に質問に答えろ!俺が・・・俺があのラッパを吹いたから、あんなことが起きてるのか・・・?」
「・・・君がラッパを吹いたことで世界の約3分の1は崩壊した。アフリカ大陸と南アメリカ大陸、2つ合わせて人口は約16億人。この16億の人間はもう跡形も残っていないだろうね」
残酷な事実が紫門の心に重くのしかかる。
紫門は、1日にして世界の3分の1を崩壊させた男になってしまった。