本編1-1「至れり尽くせり」
ぼんやりとだが目を覚ました私は、のそのそと上半身だけを起き上がらせる。
窓から差し込む光が眩しい。
転移の影響からなのか、それとも寝起きだからなのか、未だに意識が定まらない頭を振りつつ、今現在の自分の置かれている状況を確認する。
簡素ではあるが、確りした造りの清潔感のあるベッドの上にいた。
真っ白なシーツと枕はサラサラで、とても気持ちがいい。
これが私のベッドであったならば、このまま二度寝に突入したくなるくらいだ。
しかし、ここは転移した先の異世界……。お馬鹿な誘惑を一瞬で切り捨て、身の回りの確認を急ぐ。
体には、一枚の布を巻き付け、片方の肩で結んだだけの簡単なものが着けられていた。
下着は……、上も下も無かった……。
軽く動転しかけるが、まだ慌てる時間じゃない。
どこにも異常がなさそうなので、全体の確認を再開させる。
ログハウスの一室といった感じだ。寝室だろうか。
自分が寝かされていたベッドの他には、大きな箪笥と小さな箪笥が一つずつあるだけの実に質素な空間となっており、小さい箪笥の上に活けられた小さくも美しい花がこの部屋の主の心を表しているようで、それを眺めていると、何故か自然と心が落ち着けられていくようだった。
呆けた頭で眺めていると、、突然ドアの方から控えめにノックする音が聞こえた。
吃驚して反応出来ずに居ると、
「あの……、よろしいでしょうか?」
遠慮しがちだが、透き通るような女性の声が聞こえ、次いで現れたその姿に思わず声を失い、魅入ってしまった。
そこに居たのは、一人の美しいエルフの少女だった。
歳は、見たところ私と同じ位、エルフの特徴である長い耳に、腰まで伸びた輝くような金色の髪、深いエメラルドを彷彿とさせる瞳は優しそうな色を湛え、肌は雪のように白くも血色の良さも内包し、極めつけに大きな双球がこれ見よがしに主張しているという、当に絵に描いた様な理想のエルフさんが立っていたのだ。
こんなものを見せられて、平静でいろというのが無理な話である。
言葉を発することも出来ず、ただただ黙って目を見開いてしまっている私を見て、彼女が心配そうにおずおずと声を掛けてきた。
「あの……、大丈夫ですか? どこか、お体のお具合でも悪かったりされるのでしょうか?」
ちょっと涙目になりつつ尋ねてくる彼女を見て、――困ってる顔も絵になるぐらい美しいな――などと不謹慎な感想が一瞬頭を過ぎったが、確かに、このまま黙っているのは大変失礼である。
私は微笑みながら返答する。
「あ、失礼しました。私は大丈夫です。心配をお掛けしてすみませんでした」
ベッドの上からではあるが、軽く頭を下げて謝意を伝える。
「それと、失礼次いでで申し訳ないのですが、こちらは一体……」
そう言って辺りを見回す私を見て、心底嬉しそうに安堵の表情を浮かべた彼女が、説明してきてくれた。
「ああ、良かった。何か失礼な事でもしてしまったのではないかと不安になってしまいました。お元気そうで何よりです。あ、申し送れました。私はティアリエス・シャノール・エルガレムと申します。こちらは私が住んでいる家でして、貴女様が聖霊の泉の畔で倒れていらしたのを見掛けて、勝手ながらここまでお連れした次第でございます」
実に丁寧な物腰で教えてくれた。
なるほど、泉の畔で倒れていたのか……。
因みに、その時の様子をもう少し詳しく聞いてみると、どうやら裸、敢えて言おう、 “全裸”で倒れていたとの事である。
私が最後に着ていた服を再現してくれても良かったのではないか? 心の中で苦情を洩らしていると、
「あの……、それで、貴女様は何故あそこで、その……、あの様な格好で倒れておられたのでしょうか?」
至極当然の疑問が投げ掛けられてきた。
私はそれに、尤もらしい理由――多少無理はあるが気にしない――を考えて話す。
「こちらこそ申し送れました。私の名はクスハ。桜川樟葉と申します。“クスハ”の方が名前です。それで、私は旅をしている者なのですが、どうやら途中で力尽きてしまったらしく……、お恥ずかしい話なのですが、気が付いたらここに居りまして、ここに来るまでの記憶が曖昧なのです。裸で居たのも、恐らくはモンスターかなにかに襲われたのではないかと思うのです。そんな所を助けて頂いて、心より感謝いたします」
多少どころか、かなり無理があると思われる説明に無理矢理謝辞を付け加えて押し通す事にし、ふと思いついた疑問をしてみる。
「ところで、助けて頂いてこの様なことを聞くのは大変失礼かと思うのですが、いくら同じ女性とはいえ、そんな怪しげな者をよく家まで連れてこようと思われましたね。普通は怪しむと思うのですが……」
苦笑交じりに問う私に対し、彼女は朗らかに笑って返す。
「ああ、なるほど。旅のお方ならご存知無いかも知れませんね。ご心配なさらないで下さい。と申しますのも、貴女様が倒れてらした湖は“聖霊の泉”と呼ばれてまして、その泉を中心にこの森周辺が聖霊の森と呼ばれ、この一帯が聖霊による聖浄結界で覆われているのです。ですので、邪悪な魔物は勿論、悪しき心を持った者全てがこの結界内に立ち入る事が出来ないのです。その点、貴女様はその結界の一番強い場所である泉の傍で倒れておられたので、安心してお連れすることができたのです」
ふむ、流石はファンタジーである。結界の存在にも驚きだが、そんな結界一つ取っても、割りとなんでもござれなようである。
「対悪結界とは凄いですね、納得いきました。それで、ここには他に誰か住んでいたりしないのですか? 村の外れとか?」
漸く慣れてきた目を窓の外に向けると、目の前のそこには一面の森が拡がっていた。人の気配もしなかったのだが、念の為聞いてみる。
彼女一人でも恥ずかしいのに、他にも誰かに裸を見られでもしていないか心配になったのも理由の一つだ。
それに対する彼女の答えは、
「いいえ、聖霊の森の中に村や集落はありません。住んでいるのは私だけです」
うん? 何か引っ掛かるモノを感じる回答であったが、どこがどうといった明確な問いが思いつかなかったので、一先ず会話を続ける事にする。
「そうなのですか。道理で周りが静かな訳ですね。しかし、幾らそんな凄い結界があるからと言っても、貴女のような美しい女性が森の中で一人で住むのは色々と不便なのでは無いですか? 近くに村とか街は無いのですか?」
会話の流れと勢いに乗じて、性急とは思いつつ、周辺地理だけでなく国家に関する情報も纏めて収集する事にする。
その結果判った事は、
聖霊の森はミルド樹海の西外れに位置し、森はどこの国のモノでも無いので、国家には所属していない。
最寄の国はフラウブラン皇国という国で、その中の皇国辺境領エングルと接していて、エングルの領都エングリンドまでは訪れたことがあるそうだ。ここまで、歩いて4日の距離。
皇都は訪れる必要が無かった事と、遠すぎる為に行ったことが無いとの事だった。
フラウブラン皇国――以下皇国という――の周辺には、北にパルゼア=オルヌ帝国――以下帝国という――と、南にダルキア王国――以下王国という――があるそうだが、こちらにも訪れた事が無いそうで、国名以上の情報は望めなかった。
それ以外では、一番近くの村でロエンという村があり、こちらもエングル領に所属し、歩いて1日。
森の入り口的な役割を担っているそうだが、森に用事がある人はまず居ないとの事で、寂れているそうだ。
次に近いのが、城塞都市ウルムスタン。
エングル領二番目の都市で、王国との国境を接した場所に建設されており、南の防衛の要とも云える都市だそうだ。歩きでここから大体2日。
ここは土地柄、物々しい雰囲気が強いらしく、彼女は余り好きではないとも言っていた。
因みに、地図は無いのか尋ねたところ、今まで必要としなかったとの事で、残念ながら持っていなかった。
そもそも、それらの国は全て地人族が主体の国であり、森人族である自分には特別な理由でも無い限り滅多に関わる事は無く、食料や身の回りの物は殆どが森で調達出来る為に、基本的に人の町に行く必要が無いとの事だった。
周辺の地理を大雑把にだが聞き終えて一息吐いた所で、ふと食欲を刺激する良い匂いが鼻孔を擽った。
それに反応するように、『ぐーーー』と盛大な音を立てて、お腹が空腹を主張してきた。
私が慌ててお腹を押さえると、彼女は一瞬キョトンとした後クスクスと上品に笑い、
「丁度出来上がった様ですし、若し宜しければ、お昼など御一緒に如何ですか?」
そんな有難い提案をしてくれた彼女に対し、「宜しいのですか?」と形式儀礼で問い返すと、
「ええ、勿論。二人分御座いますので、遠慮なさらないで下さい」
初めから、私の分も含めて用意していたという事だろう。折角なので、お言葉に甘えさせて頂きますか。
「立てますか?」そう言って手を差し出してくれた彼女の手を取り、「有難う御座います」と返して立ち上がる。
彼女に連れられて寝室を後にし、隣の部屋へ移動した。
隣の部屋は居間になっていて、食卓もあることからダイニングの役目も担っているようだった。
中央付近に四角い木製のテーブルと椅子4脚が備えてあり、その上にはフランスパンみたいな黒くて丸いパンが2個置かれていた。
私をその一つに促して座らせると、
「少々お待ちくださいね」
そう言って、台所の方へ向かって行った。
彼女は少し大きめの鍋を持ってくると、それをテーブルの上に乗せ、今度は食器を取りに棚へ向かう。
二枚の木製の深皿とスプーンを持ってくると、その一つにスープを装い私の前に置いてくれたので、それに感謝を述べて受け取ると、彼女も同じようにした後、正面に座った。
湯気を立てた美味しそうなスープがお互いの前に並ぶ。
「森の恵みに感謝致します」
顔の近くで手を組んで食前の言葉を述べる彼女を見習って、私も後に続く。
「どうぞ、召し上がれ。お口に合えば宜しいのですが……」
「いえ、そんな事はありません。とても美味しそうです。頂きます」
改めて両手を合わせてから、頂戴することにした。
スープはキノコを中心に色取り取りの野菜が入っており、薄めの味付けながらそれらで確りと出汁が出ていたので、とても美味しかった。
パンは全粒粉を使っていてとても香ばしかったが、そのままではちょっと硬いので、スープに付けて食べるのが普通みたいだった。
ある程度食事も進み、お腹も空腹から解放されたところで、頭のネジが数本抜けてしまったのだろう、先程から気になっていた事をポロッと聞いてしまった。
「ところで付かぬ事をお聞きしますが、ご家族とは別々に暮らしておられるのですか?」
一人暮らしにしては大きめの家、椅子も4脚ある事から、当然の疑問であると言えた。しかし、同時に頭の隅では、嫌な予感もしていた。
私のそんな不躾な質問を聞いた彼女は、一瞬寂しそうな顔をした後、
「私の両親は、既にこの世に居りません」
そう、薄く笑って答えた。
え……? そんな、予想していた中で最悪の答えに言葉が見つからず固まっていると、
「私の両親ですが、十年前に大変強力な魔物が泉の魔力を狙って結界内に侵入しようとした際に、命と引き換えに倒滅されたのです。私の家は代々泉を守護している家系でして、それ以来、未熟な身では御座いますが、私がそのお役目を引き継ぎこの地を見守らせて頂いております」
寂しさが瞳の奥に燻りつつも、誇らし気に教えてくれた。
本当は辛いだろうに、気丈に振舞う彼女に尊敬と哀悼の念を抱く。同時に、自分の軽率な無思慮さに、忸怩たる思いで胸が締め付けられる。
「それは……、差出がましい事をお聞きしてしまい、大変失礼しました。申し訳ありません」
そう言って頭を下げようとしたのを彼女は笑って制止すると、
「いえいえ、お気に為さらないで下さい。当然の疑問だと思います。ですが、私も両親も覚悟した上でこの森で暮らしておりますので……。あ、スープ、まだまだ有りますので、冷めないうちにどうぞ召し上がってください」
重くなってしまった空気を気遣う彼女の姿に、私も違う話題を振る事で応じる。
「そうだ……! 私が倒れていたという泉ですが、案内しては頂けないでしょうか?」
すると、パァッと曇っていた顔が笑顔を取り戻し、
「ええ、勿論。御飯を食べ終えましたら、ご案内いたしましょう」
満面の笑みで快く引き受けてくれた。
食事が終わると早速向かうことになったが、そのままでは流石に不味いという事になり、着替える事になった。
言われて見ると、未だに大きな布を一枚纏っただけの状態だった。
彼女曰く、これは寝る時の最も簡単な格好だと言う。
寝巻きのさらに簡略版。それは確かに外出には不向きだ。
そこで、彼女に服を貸してもらう。
こちらの世界にもブラやショーツの様な肌着があるらしく、それらを渡してくれたが、ショーツは問題なく穿けたが、ブラは諦めた。
何故なら、彼女は私よりも大きかったから。私も大きい方だと自負していたが、それを上回るとは、エルフ恐るべしである。
肌着の形状? ブラトップと普通のフルバックだよ!
その上から、実物は知らないが、麻で出来たモンペの様なズボンを穿き、こちらも麻で出来た長袖のT シャツの様な服を着、上半身に短い外套――ショールとも言う――を羽織れば、散策時の外出着の完成だ。
正直言って、可愛くない……。全く持って可愛くない!
大事な事なので2回言いました。
彼女も同じ格好をしているのだが、超絶美少女が台無しである。
しかし、今はこれで我慢しよう。湖へ向かう方が先決だ。
この世界の服事情が悪いのか、それとも彼女に服への拘りが無いのかは知らないが、これは由々しき事態である。機会があれば、何とかしたいモノだ。
家を出ると、森の中を切り開かれた道を並んで歩く。
道幅は二人並んで歩くのに十分な広さを持ち、道自体は土で出来ていたが、確りと固められており、小石が偶に落ちているだけで大きな石が歩みを邪魔することも無く、とても歩きやすかった。
15分程歩いた所で、急に周りの視界が開け、広い袋小路に出た。
凡そだが、横幅100メートル、奥行き70メートル程の大広間だ。
色取り取りの花々が咲き乱れ、流れる風が心地いい。それなのに、神社のような静謐な空気も感じられる不思議な空間だった。
泉はその一角、一番奥にあった。大きさは、横30メートル、縦20メートル程らしく、どこまでも透き通るような清水を湛えていた。
二人で畔まで近づくと、彼女が「ここですよ」と指し示してくれた。
そこは、丁度人一人分の大きさの長方形の岩が水面の直ぐ下に斜めに横たわっており、これまた丁度良く頭一つ分水面から突き出していた。
そこに、頭だけ泉から出た状態で、仰向けで倒れていたと言う。
怪しい……。もの凄く怪しい……。
私だったら、間違いなくスルーするだろう。それが例え巨乳美少女だったとしても、怪しさの方が先に立ち、結局は関わらずに立ち去るか、連れ帰るにしても下心は抱くだろう。
しかし、彼女のこれまでの振る舞いを考えるに、恐らくは単純な親切心で私を助けてくれたのだろう。自分の浅ましさに恥じ入るばかりである。
試しに泉の水を両手で掬って見ると、温水でも無いのにほんのりと温かさを感じた。
彼女曰く、聖霊の泉は聖霊の魔力が溶け込んでいるとの事だったので、その影響かも知れない。
他には特に目ぼしいモノも無く、これ以上ここに留まる理由もなさそうだったので、彼女の家に戻る事にする。
彼女の家に帰り着き、お昼の時と同じ場所に座ると、彼女がお茶を出しながら切り出してきた。
「ところで、クスハさんはこのあと、どこか行く宛など御座いますか?」
そんなの、勿論有る訳が無い。正直に「いいえ」と返すと、
「でしたら、暫くの間ここで一緒に暮らしませんか?」
予想外の、大変有難い申し出が彼女からあった。
「え? いいんですか?」ちょっと身を乗り出しながら聞き返す私に向かって、クスクスと笑うと、
「ええ、勿論です。それでは、何時までもこのような堅苦しい会話も疲れますので、若し宜しければお互い気軽にお話しませんか? 私はティアリエスで結構です」
「願っても無い事です。大変有難いことです。では、私のことはクスハとお呼び下さい。呼び捨てで構いません。貴女のことは……、そうですね、ティアリエスですとちょっと長めで呼びにくいので、『ティア』と呼ばせて頂いても宜しいですか?」
ちょっと厚かましいお願いだったかな……、等と不安になり掛けたが、それよりも早く彼女からとても嬉しそうな声が聞こえてきた。
「まぁ、とても可愛らしい呼び名ですわ! 是非そうお呼び下さいませ。では私は貴女様のことを『クスハ』とお呼びしますね。それではクスハ、これからどうぞよろしくお願い致します」
そういうと彼女は丁寧にお辞儀してきてくれた。
なので、こちらもお辞儀にて返す。
「こちらこそ、色々とお世話になります。宜しくね、ティア」
私から握手を求めると、ティアは確りと握り返してくれたのだった。
その日の夕飯は、とても楽しいものとなった。
私は、こちらの世界で最初に出来た友人が理想の美少女エルフで浮かれていたのだが、それは彼女も同じ様だった。
私が最初の友人だと言い、又、自分と同じ位の歳の、それも女の子の友人が出来るなんて思ってなかったと言っていた彼女は、彼女の性格からして控えめではあったが、内心、私よりはしゃいでいるように見えた。
その後もおしゃべりは夜遅くまで続いたが、流石にお互い眠くなってきた事もあり、私はご両親が使っていたという部屋を借りて眠ることにした。
それぞれが部屋に入る間際、私は彼女にこれからの予定を告げる事にする。
「ティア、明日からなんだけど……、暫く聖霊の泉に通っても良いからしら?」
彼女は一瞬不思議そうな顔をするも、
「ええ、構いませんよ。但し、お夕飯までには帰ってきて下さいね」
なんて、まるでお母さんみたいな事を言ってきた。
私はそれに了解の意で返すと、重くなってきた瞼に促されるように、ベッドへと潜り込んだのだった…………。