本編1-20「クスハ、気に入った家を見つける」
約束の刻限までまだ余裕があったので、適当に街を散策して時間を潰す。
街並みは相変わらず綺麗だったけど、それも大分見慣れてきてしまった感があったので、本当にただ歩き回るだけになってしまった。
お腹が空いてきたので適当なお店で手早く済ませ、頃合を見計らって再び公営不動産屋の扉を潜る。
中では既に、おじさんが準備を終えて待っていてくれた。
「お待たせしてしまったようで、すみません」
「いえ、こちらの準備も今終わったところです」
定型の挨拶も程々に、直ぐに出発する。
「では、行きましょうか」
「お願いします」
先ずは、居住区へと向かった。
案内された貸し住宅は、まぁ、どれも似たり寄ったりで、面白みが微塵も無かった。
集合であっても、戸建であっても、ちょっと広かったり、部屋が一つ多いだけで、金貨銀貨が1枚や2枚平気で上昇するのはどういう事なのよ。
一番安い販売住宅も見せてもらったが、こちらはもっと酷い。
実際に目にした感想は、煉瓦で造られた二階建てのプレハブだった。
これが、この世界での標準住宅なのか……。
一階がもう少し広く、二階も二部屋ある物件ともなると、金貨100枚追加というべらぼうさ。
異世界の華やかな生活の夢が、音を立てて崩れる。
まぁ、念の為? 商工区の物件も紹介して貰おうと、貴住区の外れに沿って移動している時、一つの邸宅の前でふと視線を感じた。
なんとなく気になってそちらに視線を向けてみると、長い鉄格子の塀に囲まれ、結構な広さの庭園の向こう、所々に痛みが見られる建物の二階の窓から、こちらを見下ろす人影と目が合った、気がした。
遠めだったのでハッキリとは判らなかったが、女の子だと確信できた。かなりの美形だとも……。
それは兎も角、かなり立派な家だ。どうせ住むなら、こんな豪邸が良いなぁ。
思わず立ち止まってしまった私に対し、
「急にどうしたんですか? クスハ。この建物をそんなに見つめて……」
ティアが横に並んで声を掛ける。
先を歩いていたおじさんが、その遣り取りに気が付いて慌てて振り返る。
「ど、どうされました? 先を急がれませんと、日が暮れてしまいますよ?」
「いえ……、なんだか不思議な雰囲気ですが、素敵な家だなと思いまして……。ちょっとお聞きしたいのですが、この家には誰か住んでいるのですか?」
「い、いえ。今は誰も住んで居りません。ですが、何故そんな事を……」
「いえね、見た目は小奇麗な廃墟なのに、なんか建物の方から視線を感じた気がしたもので……。そうですか、今は誰も住んで居ないのですか。その割には、随分と庭が手入れされているように見受けられるのですが?」
そうだのだ。
私が感じた違和感というのは、目の前の鉄柵も、遠くに見える門扉にも錆びが浮き、更には庭の向こうに見える建物は見るからに軽くだが傷んでいるのに、庭“だけ”が綺麗に整えられていたからだ。
私の指摘に、おじさんは苦渋の表情と共に、「困ったな……」と呟き、小さい笑いを漏らした。
「お二人はエマちゃんの大事なお友達ですから、敢えて御忠告致します。この家に関わってはなりません。どうか、お忘れ下さい」
とても真剣な眼差しだった。
しかし、逆効果です。
「そんな意味深な事を言われては、逆に気になってしまうじゃないですか。理由だけでも、お聞かせ願えませんか?」
軽い口調ながらも、引く気が無い旨を明確に伝える。
私の意志がちゃんと届いたのか、おじさんは大きな溜息を一つ吐き、
「分りました。そこまで仰るのでしたら、お教えしましょう。但し、聞いたら、この家には関わらないと約束して下さいますか?」
懇願するような瞳だったので、思わず頷いてしまった。
そして、語られる。
「この家は、呪われているのです」
「呪い、ですか?」
「はい。これから話す事は、開発管理部でも緘口令が布かれている内容となります。エマちゃんのお友達だからこそ、危険な目に会って欲しく無くてお話するのです。くれぐれも、軽率な行動と、口外はしないようお願い致します」
ゆっくりと、大きく頷く。
「この邸宅は、元々はとある貴族が所有していたのですが、今から約50年前、その家が断絶の憂き目に合ってしまいまして、財産処分の一環で売りに出されたのです。最初は、何人もの貴族が購入したそうです。ですが、入居から一月もしない内に、必ず一人か二人の人間が不自然な死を遂げる事が続きまして、その度に売りに出され、5年も過ぎた頃にはある程度噂が立っていたそうです」
――『悪霊が取り付いている』だとか、『死神が住まう家』だとかですね――
「購入希望の貴族はめっきり減ったそうなのですが、その代わりに噂を面白がる別の貴族や資産家が現われ始めまして、挙って人を送り込みました。自分達は一切入らず、奴隷や冒険者を雇って……。本当に人が死ぬのか確かめる為だけだったり、中には死神に対して懸賞金を懸けたりもしたそうです。結果は、建物に入った者は全て、七日以内に死亡したそうです。数日経っても連絡が無い別の冒険者が確認に訪れた所、滞在していた冒険者全員の遺体を発見したと記録にはありました」
――悲劇はこれで終わりません――
「最初はこの事実に恐れ戦きながらも、賭けの対象として愉しんでいたとの記録も有ります。そこに、一つの変化が訪れます。この家を所有していた資産家が、不慮の事故で重篤な怪我を負ったのですが、それが切欠で裏の事業に手を染めていた事が明るみに出まして、当然ながら主人は斬首、一家も破産を苦に心中、生き残った親族も借金の度合いで、多かれ少なかれ苦しんだと聞きます」
――多くは、奴隷に身を窶したそうです――
「更には、資産家から邸宅を引き取った大貴族までもが、同じ裏の事業の元締めだった事が発覚しまして、こちらも当然、断絶させられました。それ以降は、流石に手を出そうとする者も居らず、噂も相まって、放置されました」
――ここまでで、凡そ35年前の話ですね。――
そこで一旦区切った氏は、「失礼」と短く告げて持っていた水筒を一口呷る。
私達も渇きを感じていたが、そんな物は持っていなかったので、仕方なくひっそりと魔法で水を作って、喉を潤した。
「それからは、頻繁に一人の男性が目撃されるようになりました。その男性は、半年に一度邸宅を訪れては、庭を整えて帰って行きました。事件を知る人々からは気味悪がられましたが、自分達も関係者になりたくないとの思いから、近くの住民は遠目に眺めているだけでした。それが、10年程も続いた頃になると、当時の恐怖は薄れ、逆に興味を持つ者が現われてしまいました。事件を知らない子供達です」
――子供達の間で、幽霊屋敷が有名になるのは直ぐでした――
「子供の好奇心に、天井はありません。5年も経つと、大人達が知らない間に、遊び場になってしまっていました。門扉には閂だけで、施錠されていなかったのも原因の一つですね。流石に建物の扉には鍵がしてあったので、初めの頃は眺めるだけだったのですが、どこか侵入出来る場所を見つけてしまったのでしょう。邸内での遊びを考え付いてしまいました。肝試しです」
苦虫を噛み潰した表情には、本気の悲しみが見て取れる。
「あの時の光景は、今でも忘れる事がありません。当時の私は、この部署に配属されてまだ間が無かった頃ですから……。事が発覚したのは、翌日の朝になってからでした。寝ている筈のお子さんが居ない事に気付いた御両親が、警邏騎士団に捜索を依頼しました。捜査自体はその日の内に完了……したのですが……、手遅れでした……。当日、誘われながらも家の都合で参加しなかった少年に話を聞いて、騎士団だけでなく職員も総出で宅内に踏み込んだのですが、既に……みんな……」
「もう、結構です」
とても辛そうだったので、止めに入る。
「いえ、このまま最後まで話させて下さい」
沈痛な面持ちで頭を下げられては、これ以上止める術は無い。
「私達は、悪霊系の魔物の存在を疑いました。最初は騎士団が討伐に向かったのですが、残念ながら誰も帰って来ませんでした。次に私達は、冒険者協会に協力をお願いしました。偶々運良く、当時最も有名なスクアの冒険者パーティに依頼する事が出来たのですが、彼らでも駄目でした。亡くなりこそしなかったものの、酷く憔悴した様子で、『あれはスクア程度で勝てる相手じゃない、ペンネでもチームを組まないと無理かも知れない』と仰っていました」
再び、私の目が確りと見据えられる。
「ペンネに依頼するという事は、国家規模の犯罪や事件に相当する事を意味します。事態を重く見た領の執政部は、この土地と建物を領庁の管理下に置き、私達、市街区開発管理部が監視と隠蔽をする事になりました。悪い噂を徹底的に潰し、誰も興味を持たないように。その甲斐もあって、今では殆どの方は、領庁の職員宿舎の成り損ないだと思っている筈です。税金の無駄使いと揶揄されたりもしますが、これも全て、二度と、誰にも被害を出さない為なのです。どうか、御理解頂くと共に、お忘れ下さい!」
一番深い角度で頭を下げられてしまった。
うーん。パッと見だけど、それだけの強さを持った魔物が棲んでる気配は微塵も感じないんだけどな……。
それよりも、その悪霊とやらをさっさと駆除して、この家を売って貰う事は可能かしら?
元は売買されていた物件みたいだし。
物は試し、交渉してみましょう。
「おじさんの気持ち、仰りたい事は痛い程良く分かりました。その上でご相談させて頂きたいのですが、この家がまだ購入可能であれば、売って頂けませんか?」
「え!? 今、何と……。私が今お話した事を、聞いておられなかったのですか!?」
案の定、非難されてしまった。
「勿論、ちゃんと聞かせて頂きましたよ。その上で、です。私達がこの家の悪霊を退治しますので、安全が確認されたら、売って頂きたいのです。因みに、お幾らですか?」
「いやいやいや、ご自分が何を言っておられるか、ちゃんと理解されていますか? この家に棲む悪霊を退治するなんて、無理です、不可能なんです! それに失礼ながら、お嬢さんに買える様な、郊外の家とは訳が違うのですよ!?」
「幾らですか?」
「で、ですから……」
「幾らなのですか?」
「ッ……、本来であれば、皇国金貨で二千枚の価値があります。ですが、今は悪霊の影響で、皇国金貨なら二百枚、公金貨で二千枚まで下落しています。ですが! これは市場価値に照らし合わせた数字であって、実際にこの価格で売っている訳ではありません!」
「でも、悪霊さえいなくなれば、その、理屈だけなら、皇国金貨二百枚で売ることも出来るんですよね?」
「……はい。理屈だけなら……」
「なら問題ありません。皇国金貨二百枚程度であれば、払えます」
私の即答に、おじさんは絶句していた。
それを敢えて無視し、再度問う。
「もう一度お尋ねします。悪霊を消滅させた場合、皇国金貨二百枚で売って頂く事は可能ですか?」
「き、君達は、一体……」
「嫌だなぁ。私達は“唯の”冒険者ですよ」
「ええ、ただ、一般的な冒険者さんより“ちょっと”強いだけですわ。それで、如何でしょう? 売って頂けますでしょうか?」
私達の言葉に理解が追い付いていないのか、暫く焦点の合わない目をしていたおじさんだったが、不意に静かに笑い出した。
「ふっ、ふふ……。アハハハハハ! まさか! こんな形で巡り遇えるとは! これも聖霊様のお導きでしょうか……。アドルさんとエマちゃんを助けて下さった方は、私達の救世主でもいらっしゃった!」
興奮しているのか、前半は息が乱れていたが、数度の呼吸を挿んで落ち着いた声に戻った。
「良いでしょう。この邸宅に巣食う魔物を討滅して頂いた際には、私の権限に於いて売却させて頂きます。ですので、どうか、息子の仇を討って下さい。お願いします」
再び最大角にて頭を下げられてしまったが、そこに籠められた想いは、全くの真逆の物だった。
「さて、話も纏まった事だし、このまま突入しても問題無いとは思うけれど、念の為に探りを入れてみましょうか」
「でしたら、私が」
ティアは素早く魔力を練り、偵察用の魔力体を作ると、それに幾つかの魔法を掛けて建物に飛ばす。
魔力球は地面すれすれを飛行し、玄関へと到着する。
その瞬間……。
――は? 殺気?――
急に向けられた敵意剥き出しの殺意に、思わずそちらを睨み付ける。
発生源は、邸宅の方からだった。
「ティア、今何があったの?」
殺気は一瞬で掻き消えていたが、念の為、目を逸らさずに問い掛ける。
「抵抗解呪されました……。察知されない様、隠匿魔法を重ね掛けした探査魔法を送ったのですが、建物に到着した瞬間、強固な拒絶の魔力で掻き消されてしまいました」
でも、おかしいですね……。抵抗してきた魔力と、殺気の発生源とは別な気が……。
辛うじて私だけが聞こえる程度の大きさで、口の中でブツブツと呟く彼女。
たかが偵察魔法とは言え、それを打ち消せるだけの存在が潜んでいた事に驚いた。
ここは私が直接、視界を通して確認した方が無難だろう。
擬似的に第三の目を作り、遠方をまるでそこに居るかの様に周囲を見渡す事が出来る魔法、《心眼》で庭の様子を伺った。
庭の中程まで意識を移動させた時点で、異質な光景を目撃する。
綺麗に切り揃えられた木々の向こうに聳える邸宅全体が、真っ黒く塗り潰されていた。
これは酷い。まるで悪意の塊じゃないの……。いや、怨念かな?
それにしても、これだけの量の魔力を内包して置いて、微塵も漏れていなければ、外から一切関知する事も出来ないだなんて、不思議で仕様が無い。
目の当たりにした醜悪な光景に、不快な気持ちが込み上げてくる。
そこで、隣に人が立っているのに気が付いた。
その人は、私と同じ位の年恰好で、大きな三つ編みで結ばれた深い青色の髪を左肩から前に垂らし、黒を基調とした正統派メイド服(ロングスカート)を見事に着こなした美少女だった。
私を正面に見据えていた彼女は、正立の姿勢のまま言葉を発する。
「我々の事は、放って置いて頂けますか? ここは、貴女様には関係の無い場所で御座います。不幸になられる前に、どうぞ、お引取り下さいませ」
彼女の言葉が終わると同時に、私の視界は外へと弾き出されていた。
ふぅん……。随分面白い事してくれるじゃないの。
ならば、実際に乗込んでやろうと足を一歩踏み出した時、おじさんとは別の男性が声を掛けてきた。
「こんな所で話し込んでる輩が居るから追い払ってやろうと思って来て見れば、なんじゃ、所長さんじゃないか」




