7 入学式
さて、桜子と菜々子は新品の編み上げブーツをはいて、いよいよ女学校に初登校した。
「いーい? わたしとは一定の距離をあけて歩いてよね。学校でも他人のふりをして話しかけないでちょうだいよ」
菜々子は、学校への通学路である暗闇坂という坂道を歩きながら、数歩うしろからついて来る桜子にそう言った。
この暗闇坂は、生い茂る木々によって真っ暗で、オバケが出る坂として昔から有名だったけれど、二十一世紀の現代は木がほとんど切られてしまって暗いというイメージはない。
でも、大正時代の暗闇坂にはまだ木々も多少は残っていて、急な坂を上り下りする途中で一休みするための日陰ぐらいはあった。
「菜々子さんは、優しいですね」
急な下り坂で転んでしまわないように慎重に歩きながら、桜子はニコッと笑った。
「や、優しい!? なんでそうなるのよ! わたし、あなたに意地悪なことを言っているのよ!?」
嫌味を言われたのかと思い、カチンときた菜々子はふり返って桜子をにらんだ。でも、桜子はぜんぜん悪気のなさそうな顔でニコニコしている。
「だって、わたしに本気で意地悪しようと思うのなら、こうやっていっしょに登校してくれないはずだもの。本当に意地悪な人なら、わたしを置き去りにするわ。そうしたら、東京に来たばかりのわたしは道がわからず迷子になって、学校の入学式に間に合わないでしょ? 菜々子さんは優しいから、そういうひどいことはできないんだわ。ううん、そんな発想すらないのだと思う」
「そ、それは……」
たしかに、そんな発想はなかった。
でも、精いっぱい意地悪をしているつもりなのに、「優しい」だなんて言われると何だか悔しい。
「うぬぼれないでよ! あなたみたいな年下の子供を義理の姉だとは絶対に認めないんだから!」
「でも、お友達にはきっとなれると思うんです。友情に年齢なんて関係ないですから」
「関係おおありよっ!」
菜々子はそうさけぶと、ほっぺたをプクプクふくらませて早歩きで暗闇坂を下って行った。
「あっ! 急な坂でそんなにあわてて歩くと転んじゃいますよ!?」
「わたしはそんなにまぬけじゃ……いったぁ~!」
ズデーン! と派手に転んで腰を痛めた菜々子は、女学校までの道のりを桜子に肩をかしてもらって歩くことになるのだった……。
自分よりも大きな菜々子の体を支えながら歩き続けたチビの桜子は、女学校に到着した時にはへとへとになっていた。
家から学校まで十五分程度で意外と近かったからよかったけれど、もしも遠かったら桜子は途中で力つきていたことだろう。
「と……とても広くて立派な学校ですね……。はぁはぁ……」
「あ、当たり前よ。ぜぇぜぇ……。め、明治時代にカナダ人のえらい宣教師が建てた歴史ある名門校なんだもの……。こ、腰が痛い……」
桜子と菜々子が校門前で広々とした木造校舎をながめながらそう言い合っていると、
「あら、まあ。新学期早々、肩を組んで登校している人たちがいるわ。よほど仲がいいのね」
「もしかしたら、姉妹かも知れないわね。でも、ちょっと仲がよすぎよね。クスクス」
などと、二人の女学生が桜子と菜々子を見ながらひそひそ話をし、通り過ぎて行った。
菜々子は、かぁ~っと顔を赤らめた。
「も、もう一人で歩けるから離れてちょうだい!」
まだ腰が痛むけれど何とか自力で歩けるようになっていた菜々子は桜子からパッと離れ、入学式が行なわれる講堂へと肩を怒らせながら歩いて行った。校内にはちゃんと「入学式はこちら」という矢印つきの看板が設置されているので、うっかり屋の菜々子でも迷わない。
(素直じゃないなぁ~)
桜子はそうあきれながらも、菜々子の後をついて行った。
メイデン友愛女学校が入学式やその他の特別な式典を行なう講堂は、二百人ほどいる全校生徒と教員たちが全員入ってもまだその倍の人数は入れるぐらい大きかった。
年々、入学者が増えてきているから、最近、講堂を大きくしたらしい。十年後ぐらいには、生徒数を四百人ほどに増やそうというのがこの学校の目標だった。
「ミナサン、入学オメデトウ。アナタタチハ、同ジ学校デ学ブ仲間デス。同志デス。仲良ク、助ケ合ッテイキマショウ」
壇上のローズ・サマセット学校長が片言の日本語で、桜子たち新入生にそうあいさつをした。
サマセット先生は、おばあちゃんだった前学校長が引退して故郷のカナダに帰国したため、かわりにカナダのプリンスエドワード島というところから日本にやって来た新しい学校長だそうだ。
まだ三十七歳と若く、新入生たちをはげますその明るくて力強い声は、日本語の発音は怪しくても、新入生の少女たちの胸に熱くひびくのであった。
(わたしもいよいよ花の女学生なんやなぁ。わたしは新入生の中で一人だけ一歳年下やから、みんなと仲良くなれるか不安やけれど、がんばらな!)
桜子も、自分にそう言い聞かせて気合いを入れていた。
サマセット学校長のあいさつが終わった後、次は教頭の冬木菊次郎先生のあいさつだった。メイデン友愛女学校はカナダ人がつくった学校だけれど、日本人の先生もたくさん雇われているのである。
「いいですか、みなさん。日本の女性の理想像は大和撫子と言われています。みなさんも日本の女の子ならば、つつましく、おしとやかな学校生活を送ってください。
近頃、袴を短くして足を出すというオシャレが一部の女学生の間で流行っているようですが、女の子が人前で足をさらすなんてあまりにもはしたない! 新入生のみなさんは、先輩たちの悪い癖をマネしないようにしてください。あと、いくつかの校則について説明しますが……」
冬木教頭は、ちょびヒゲをいじりながら、くどくどと学校の校則について語り出した。
(な……長い……。この先生の話、すごく長い……)
桜子たち新入生全員はうんざりとしながら冬木教頭の話を聞き続けたけれど、話が始まってからそろそろ四十五分がたちそうだった。もう我慢の限界である。
この冬木教頭という人は、ものすごく口やかましくて女学生たちからの評判も悪く、上級生たちは「ガミガミおヒゲ」というあだ名をつけていた。
「……というわけで、まだまだ話し足りませんが、あまり長くなるとみなさんも登校初日から疲れるでしょうし、ここまでにしておきましょう」
みんな、もう十分に疲れていた。講堂内は窓が少ないせいで日があまり当たらず、肌寒い。そんなところに長くいたためか気分が悪くなった生徒もいて、
「め、めまいが……」
桜子の右隣の席に座っていた女学生が、式が終わってイスから立った直後、体をフラフラさせ、たおれそうになったのである。
「あ、危ない!」
桜子は、あわててその女学生を支えようとした。
でも、ちびっ子の桜子は、菜々子に肩をかすことぐらいは何とかできるけれど、年上の女の子の全体重を支えられるほどの力は残念ながらなかったのである。
「うひゃぁーーー!?」
桜子は、めまいを起こした女学生に押しつぶされるようにたおれ、ゴツンと頭を打って気絶してしまった。
ちなみに、桜子を下じきにした女学生の名誉のために言っておくと、彼女はそんなに重たくない。病弱なのでむしろ軽い。桜子が非力なだけである。