23 小さな太陽
一方、そのころ、メイデン友愛女学校では。
桔梗と蓮華は、デイジー先生から桜子と菜々子が今日はお休みだと聞き、「あの二人が珍しい……」とおどろいていた。
「桜子ちゃんと菜々子ちゃんが学校にいないと、何だかさびしなぁ~」
「デイジー先生のお話によると、桜子さんは風邪で、菜々子さんは桜子さんの看病をなさっているとか。桜子さんのお体が心配ですね……」
「あたしは、あのおっちょこちょいな菜々子ちゃんが桜子ちゃんの看病をしていることのほうが心配だよぉ~」
「た、たしかに……」
桔梗と蓮華は、中庭でお弁当をいっしょに食べながら、桜子(が元気かどうか)と菜々子(がちゃんと看病をしているか)を心配していた。
いつもなら四人でわいわいと食べているのに、にぎやかな桜子と菜々子がいないとさびしくて、お弁当もあまりおいしく感じない。
「菜々子ちゃん、この間の料理の実習で、赤色か、緑色か、黄色か、それとも紫色なのか、さっぱりわからない不気味な色のお味噌汁を作っていたよね。どうしてお味噌汁を作るだけであんなことになったのか、完全になぞだけれど。あの時みたいな料理を作って、病人の桜子ちゃんにもしも食べさせていたら……」
「ご、ごくり……」
菜々子の殺人的料理を食べさせられた桜子が口からあわをふいてたおれる光景を想像し、桔梗と蓮華は顔を青ざめさせた。
「……ねえ、蓮華さん。今日の放課後、桜子さんのお見舞いにいっしょに行きませんか? その……ええと……桜子さんの生存を確認するために」
「そ、そうだね。あたし、お昼ご飯を食べたら、学生寮からの外出許可を白鳥先生にもらうよ。……ところで、お見舞いって、どんな物を持っていったらいいと思う?」
「桜子さんは食いしんぼうですから、お菓子でも持って行きましょう」
「おっ、いいねえ。お菓子だったら、あたしがた~くさん持ってるよ♪ ビスケットでしょ~、それからミルクキャラメルにぃ~、ミルクチョコレートぉ~、チューインガムぅ~、フルーツドロップぅ~、マシュマロぉ~。それからそれからぁ~」
「……そんなにもたくさんお菓子を食べさせて、桜子さんを虫歯にさせるつもりなのですか……?」
桔梗はあきれて苦笑した。蓮華は、学生寮の部屋にたくさんのお菓子を隠し持っていて、夜にこっそり食べているのでる。
「持って行くお菓子の数はほどほどにしましょう。桜子さんは病人なのですから、さすがにガツガツと食べられませんよ」
「そうだね~」
というふうに話がまとまり、二人は放課後に花守家をたずねることになった
「ごめんくださーい!」
夕方、桔梗と蓮華が花守家をおとずれると、ドタバタというあわただしい足音が家の中から聞こえ、すぐに玄関がガラリと開いた。
「桔梗さん! 蓮華さん! 桜子お姉様のお見舞いに来てくれたのね!!」
「ああ! 助かりました! これで高級牛肉を台なしにしなくてすみます!!」
玄関から裸足で飛び出てきた菜々子とスミレが、それぞれ桔梗と蓮華の手をにぎり、おいおいと泣きだした。
「い、いったい、どうしたのですか、二人とも。高級牛肉って何のことです?」
菜々子に痛いほど手をにぎられている桔梗がとまどいながらそうたずねると、菜々子とスミレは声をそろえて言った。
「高級牛肉を……高級牛肉を使って、晩ご飯を作ってください!! お願いします!!」
頭を下げる菜々子とスミレ。
何が何だかわからないが、二人のいきおいにおされて、桔梗と蓮華は「は、はい……」とうなずくのだった。
それからしばらくして……。
医者に診察してもらって薬を飲んだ桜子は、柳一よりも早い回復をみせて、桔梗と蓮華が晩ご飯の準備をすませたころには、なんと、もう起き上がれるほどになっていた。
「なんてじょうぶな体なんだ……。オレはまる二日たおれていたのに……」
柳一は、みんなと食卓に座って牛鍋をおいしそうに食べている桜子を見て、喜びつつもあきれていた。「わたしの体はじょうぶやから」と言っていたのは、どうやら本当だったらしい。
「桜子さん、おいしいですか?」
「うん! 桔梗さんと蓮華さんが作ってくれた牛鍋、最高や! 元気がわいてきた!」
杏平が持って来た牛肉は、桔梗と蓮華が相談した結果、牛鍋料理にしてくれたのだ。
「病人だからガツガツ食べられないかもと思っていたのですが、そんな心配はいらなかったようですね。お元気で何よりです。わたしたちがお見舞いのおみやげに持って来たミルクチョコレートもあとで食べてくださいね」
「桜子ちゃんは、本当においしそうに食べるねぇ~。がんばって料理を作ったかいがあるよ~。まあ、あたしは具材を切ったりしただけだけれどね。あはは♪」
わざわざ学生寮からの外出許可を白鳥先生からもらって、見舞いに来てくれた蓮華が、ニッコリと笑いながら言った。
ちなみに、現代でも大人気のすき焼きと、明治・大正時代に東京で流行っていた牛鍋は似ているけれど、ちょっとちがう。
この時代に関西で食べられていて、あと数年もしたら東京でも広まることになるすき焼きは、鍋に砂糖をまいてお肉を焼き、しょう油やお酒などを加えて具材を煮る料理だ。
でも、牛鍋は、鍋にお酒、昆布、しょう油、砂糖などで作った、味の基本となるタレ(割下と呼ぶ)を入れ、そこへ肉や豆腐、ネギ、シラタキなどの具材を入れてグツグツと煮る料理である。
桜子は、東京の牛鍋を生まれて初めて食べたので、ものすごく感動していた。
「柳一さんもまだ半病人なんやし、栄養をつけやなあかんから、たくさん食べてください。お肉はすごくおいしいし、栄養たっぷりで風邪なんて吹っ飛んじゃいます! うちのお兄様は食いしんぼうやから、ボーっとしとると、全部食べられちゃいますよ?」
杏平が、花守家の家族や桔梗、蓮華にまじって、もりもりと牛肉を食べているのを見て、桜子が言った。うちとけることができたので、柳一にもすっかり三重弁で話している。
「いや、でも……。オレは食べても味がわからないから……むぐぐっ!?」
桜子は、有無を言わさず、牛肉を柳一の口に箸でつっこんだ。
「な、何をする……もぐもぐ……あれ? う、うまい……! なんでだ? 今までずっと料理の味なんてわからなかったのに……」
「柳一さん、覚えてへんの? 昨日の夜、わたしがお粥を食べさせてあげた時も、『おいしい』って言ってくれとったよ?」
「そ、そうだったかな? そういえば、熱で頭がボーっとしていたせいであまり覚えていないけれど、そんなことを言ったような気がする……」
「料理の味がわかるようになってよかったですね、柳一さん! これからは、わたしの料理を食べておいしかったら、ちゃんと『おいしい』と言ってくださいね!」
「……あ、ああ。でも、不思議だな。なんで急に料理の味がわかるようになったんだろう」
柳一は、照れくささをごまかすために、うれしそうに笑っている桜子から目をそらしながら、早口でそう言った。
そんなほほえましい二人を仙造はおだやかなまなざしで見守っていた。
(精神的ストレスが原因で味覚障害におちいる人がいると、知り合いの学者から聞いたことがある。柳一は、母親を失ったショックから心を閉ざしてしまい、心が病んで味覚障害になっていたのだろう。桜子さんは、そんな柳一の心を癒して、味覚障害を治してくれた……。息子を助けてくれてありがとう、桜子さん)
桜子という少女は、あふれるばかりの愛情を小さな胸に秘めた女の子だ。カスミもそんな女性だった。きっと、桜子は花守家の新しい太陽になってくれることだろう。




