16 柊子と柚兄様
「と、柊子さん!?」
桜子は、柊子が突然あらわれておどろいた。
柊子は、たまたま図書館で勉強をしていて、桜子たちが男子学生たちにからまれているのを見かけたのである。
「あなたたち。女が学問をするのは生意気だとおっしゃるのですか? 女に学問が不要などと思っているのは、江戸時代生まれのお年寄りぐらいだと思っていたけれど、老人みたいな古臭い考えを持つ若い殿方がいるとは嘆かわしいかぎりです。そんな化石みたいな頭の中身で、日本の未来を背負う人間になれるはずがありませんわ」
柊子は、桜子たちをかばうようにして男子中学生たちとにらみ合い、いつもぽわわんとしている彼女とは思えないほどきつい口調でそう言った。
「い、いや、僕たちは……」
眼鏡の学生は、考えが古臭いと柊子に言われて、動揺した。
実は、自分のおじいちゃん(江戸時代生まれ)が言っていたことをそっくりそのまま受け売りで言っていたのだ。
「福沢諭吉もこう言っているではありませんか。『一身独立して一国独立す』と。国民の一人ひとりががんばって勉強して賢くなり、立派な大人にならないと、素晴らしい国にはなれないのです。女であるわたしたちも、立派な大人になるために学問をする必要があるのです。男だから、女だから、と差別するような発言は聞き捨てなりませんわ」
「あ……あう……」
眼鏡の学生だけでなく、おむすび顔の学生も顔を真っ赤にしてうつむいた。
たしかに、学校の先生が同じようなことを言っていた。
でも、いまだに古い考えを持つまわりの大人たちの影響で、女に学問なんて不要だと考えてしまっていたのだ。
自分たちが、サムライの時代に生きていた人間のような、遅れた考えを持っていたことに気づき、だんだんと恥ずかしくなってきた……。
「何を言っているのかわからないが、さっさと本をよこせ!」
学校の先生が福沢諭吉の『学問のすゝめ』について授業で話していた時に居眠りをしていた眉毛の太い学生がそう怒鳴り、柊子を押しのけて蓮華から本をうばおうとした。
「君。僕の許嫁に気安くさわらないでくれるかな?」
眉毛の太い学生が柊子の肩にふれようとした直前、ある人物が学生の手首をつかんでそう言った。
「何だよ、あんたは!」
またもや邪魔が入っていらだった学生が、自分の手首をつかんでいる男をにらむ。
その若い男性は、柳一ほどではないけれど背が高く、色白で非常に整った顔立ちをしていた。
柊子が、ポッと顔を赤く染めて「柚兄様……」とつぶやく。
「君たちの負けだ。本はあきらめなさい。言い負かされた挙句、暴力に訴えようとするなど、同じ男として見逃せない。それに、そんなにさわいだら、図書館を利用している他の人たちが迷惑する」
柊子に柚兄様と呼ばれた青年は、静かだが有無を言わせない口調でそう告げた。
眉毛が太い学生は、神経も図太いらしく、ここまで言われてもまだ引き下がろうとしなかった。
しかし、眼鏡の学生とおむすび顔の学生が、友人の左右の腕をつかみ、
「もうやめておこう。これじゃあ、僕たちは完全に悪役だ」
「ここから出ようぜ」
と、ささやいた。そして、眉毛が太い学生を二人がかりで引っぱり、逃げるように書庫から去って行ったのであった。
「ほ~~~……。た、助かったぁ~」
ずっと桜子の背中に隠れていた菜々子が安心してため息をついた。
桜子は礼儀正しく頭を下げて、柊子と青年に「助けてくれて、ありがとうございます」と言った。
桔梗と蓮華、それから少し遅れて菜々子もあわててお礼を言う。
「いや、気にしなくていいよ。世の中の男子たちが、みんな、あいつらみたいな乱暴者だとは思われたくはないからね。……それに、僕の大切な許嫁を汚い手でふれようとしていたから、許せなかったし」
青年は大人びた微笑をたたえながら、さっきから顔が赤い柊子の頭をポンポンとなでた。
「柊子。後輩たちを守るために、よくがんばったね」
「え、えへへ……。柚兄様にほめられて、うれしいです」
柊子は、いつもより子供っぽく笑い、恥ずかしそうにモジモジした。
「このかたは、柊子さんの婚約者なのですか?」
興味津々《きょうみしんしん》の桜子が、ちょっと緊張しながら聞くと、柊子はコクリとうなずいた。
「ええ。わたしの許嫁で、三歳年上のいとこなの」
「千鳥柚希です。よろしく」
柚希が白い歯を見せながらさわやかに自己紹介すると、菜々子が、
「根暗なうちのお兄様とは月とすっぽんぽんほどちがう、素敵な好青年だわ!」
と、つぶやいた。
ちなみに、「月とすっぽんぽん」ではなく、正しくは「月とすっぽん(亀の一種)」である。すっぽんぽんでは、柳一が丸裸の変態になってしまう。
桜子は、
(いくら何でもそれは言いすぎやん……)
と、心の中で柳一をかばうのであった。
柊子と柚希の話によると、二人は日比谷図書館で待ち合わせてランデブーする予定だったそうだ。ランデブーというのは、今風に言うとデートである。
柊子は待ち合わせの時間まで図書館内で勉強をしていたのだけれど、読んでいた本を書庫にもどしに行ったら、たまたま男子中学生ともめている桜子たちを発見して、助けようとした。
そして、タイミングよく、柊子を迎えに来た柚希が図書館にあらわれたというわけである。
「それにしても、気が強いほうではない柊子が、よく男子三人を言い負かせたね。途中から見ていたけれど、感心したよ」
「い、いえ、柚兄様。実は、わたし、さっきから膝の震えが止まらなくて……」
桜子たちがよく見ると、なるほど、柊子の足はプルプルと小刻みに震えていた。後輩たちの危機を救うため、ありったけの勇気を出してくれたのだろう。
「柊子さんは、優しくて、強い。なんだか、ミズキ姉様みたいな人やなぁ……」
桜子は、柊子をじっと見つめながら、ボソリとそうつぶやく。
その小さな声は、菜々子だけに聞こえていた。
(桜子お姉様にはお兄さんしかいないはずだけれど、ミズキ姉様ってだれのことだろう?)
菜々子は、そんなふうに疑問に思ったけれど、桜子が何だかさびしそうな顔をしていたため、話しかけにくくて聞くことができなかった。
「これでは、しばらく自力で歩けそうにないな。支えてあげるから、手を出して?」
柚希は優しくそう言って柊子の手をにぎり、柊子は柚希と寄りそい合うように歩いて図書館の外へ出た。
桜子たちも、本を借りて、図書館から出る。
「みんな。お願いだから、わたしたちのランデブーのことは、冬木教頭にはナイショにしていてね? ランデブーなんてはしたないって、ガミガミ怒られちゃうから」
柊子は、桜子たちにそう言ってウィンクすると、柚希と手をつないでランデブーに出かけて行ったのであった。
(柊子さんと柚希さん、すごく仲がええなぁ~。ひと目で恋人同士やとわかるもん。それにくらべて、わたしと柳一さんは……)
桜子と柳一は、柊子・柚希と同じように、いとこ同士で三歳差の婚約者だ。
それなのに、自分たちは、ちっとも許嫁らしくない。正直言って、柊子のことがうらやましかった。
(どうしたら、あの二人みたいな関係になれるんやろ……?)
桜子は、そう思い悩むのであった。




