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保養鬱散

 ――夢と現実は違う。

 もっと正確に言うならば、夢で抱いた想像力より、現実は堅く確かで地続きだと言う事だ。


 ヒナタは漠然とそんな事を浮かべながら、室内に満ちるカビ臭さと絶え間なく揺れる室内のリズムから逃避していた。


 生気を欠けた顔つきで最初の村より湿ったベットの上でランプの灯りを定かでない視線で見詰める。


 キィっと、錆付いたランプを軋ませてヒナタの瞳に巨大な黒い影が表れた。

 逆光で更に黒くなる巨大な影は、衣服が少々乱れても動こうとしないヒナタを爬虫類特有の眼付きで心配そうに覗っていた。


 ――アルゴさん、綺麗な眼してるなー。


 言葉にせずに気だるげにしているヒナタのデコへ、アルゴがそっと手を乗せる。ヒナタの顔がアルゴの手にすっぽりと収まった。


「熱は無いみたいだね。何か欲しいものはあるかい?」

「えーと……念の為に、エチケット袋……じゃなくて、桶ってありますか?」

「それよりいい物が在るよ。こうなるなら、船に乗る前に、飲ませて置けばよかったね」

「船って慣れてないとこんなにキッツぃんですね……」

「俺も最初はそんな感じだったよ」


 ヒナタは始めての船旅に酔っていた。


 王都に向う定期船に乗って、快晴の大海原を満喫しようとした直後、ヒナタは17年の人生経験で一度も船に乗っていなかった事を体が時限爆弾式で伝えて来たのだ。


 急変したヒナタの様子を察したアルゴは、袖の下を通して船員に頼み、個室を貸して貰っていた。


「アルゴさん……ありがとう、ございま」

「今は無理に喋らない方がいい、これを飲んで。苦いけど、いくらか楽になるよ」


 一晩掛かる船旅で、船酔いしながら大衆との雑魚寝はヒナタには軽くない負担がかかると言うアルゴの配慮に、ヒナタは感謝を伝えようとしたがそれを遮りながらアルゴは一本の小瓶を荷物から取り出した。


 ――湿布の臭い。


 鼻についた薬草の臭いに警戒しつつも、ヒナタはアルゴの手から飲み薬を受け取る。


 とろみの在る琥珀色の液体が小瓶の中に満たされていおり、見た目だけなら蜂蜜の様だった。

 が、やはり臭いは湿布である。


「うくぅ、南無三」

「おお、一気にいくのか」


 ヒナタが強く眼を瞑りながら、一息に小瓶の中を煽る。

 感心するアルゴの横で、ヒナタの喉が鳴った。


「ふぅ」


 ヒナタは口から鼻へと、何とも言えない湿布の臭いが通り過ぎるのを耐えると、合わせて船酔いでの吐き気が幾分か治まる即効性も感じた。


 全快とまではいかないが、これなら食事も取れそうである。


「お味はどうだい?」

「んー……不味いので、もう一杯」

「本気かい?」

「冗談です、ちょっと言ってみたくなりました。お父さんが毎朝よく言ってたので」


 少し元気を取り戻したのか、ヒナタの表情に幾分かの柔らかさが戻る。

 アルゴはその様子に安堵を得たのか、ヒナタが横たわるベットに隙間を塞ぐ形で座り込むと、ヒナタの体が冷えないように毛布をかけてやる。


「今日はそのまま横になっていた方がいい、明日の日の高い内には王都に着けるから。何か欲しいものはあるかい?」

「えーと、それじゃあ……アルゴさんが欲しいです」

「――は?」




「はふう……落ち着きます」

「君がそう言う子だって事、忘れてたよ……」


 海の波に合わせて揺れるベットの上で、横になったアルゴは自分の胸板で寛ぐヒナタに呆れていた。

 ちょうど寝転がるのに最適な場所を見つけた猫の様に、ヒナタは背まで伸びた長髪と一緒にしな垂れる。


「こうやってみると、改めてアルゴさんの大きさが解りますね」

「体が大きすぎるのも考えものだけどね。役に立つ時も在ったけど、損した時もあるから」

「私は現在進行形で得してます!」

「解ったから、アゴでぐりぐりするのは止めてくれ」


 自分の体がすっぽりと収まるアルゴの上で無邪気にはしゃぐヒナタに対して、アルゴは持て余すように視線を彷徨わせた。


 ――細いのに柔らかいなあ。


 体重の伴った温度と共に、柑橘類と柔肌が混じった匂いがアルゴの鼻腔へ届いていく。

 悪くは無いが、どこかくすぐったい感覚。


 アルゴはこの感覚が、今までの生き方とは無縁だった事を直ぐに理解出来た。


 半ば無意識に、心地良さそうにしているヒナタの背後へと両手を伸ばし――押し止めた。


 ――何しようとしたんだ、俺は。


「アルゴさん?」

「ん、どうしたんだい?」


 僅かに考え込むアルゴの眼を感じ取ったヒナタが、背後に気付かず上目で様子を尋ねてくる。


 アルゴは押し止めた手をヒナタの頭に添えて、流れる絹糸の黒髪を意味も無く優しく撫で付けた。


「ふふ、くすぐったいですよ」

「……温かくて柔らかいな、ヒナタは」

「アルゴさんも温かいですよ」


 じゃれつくヒナタの掌がアルゴの胸板をぱたぱたとリズミカルに触れる。


「自分じゃ、自分の体温は感じれないよ」

「だからこうして私が温まるんです」


 得意気な顔をして楽しんでるヒナタは改めて思う。

 ――今此処で、傍に居てくれるのがアルゴさんで好かった。


 そう考えるヒナタの胸中では、アルゴへの興味は尽きなかった。


「アルゴさんの事、色々聴いてもいいですか?」

「生憎聴いてて楽しい話にはならないよ、そう珍しくも無い。戦禍孤児にある、お決まりのパターンさ」


 自然と口をついたヒナタの言葉に揺らぐ素振りも無くアルゴは返す。

 それでも聴き入る姿勢を崩そうとしないヒナタの様子を確認すると、視線を過去に向けて口火を切った。


「この国では、孤児を国の援助を貰ってる教会で育てるのが慣わしでね。俺もその1人だったのさ。まあ、物は無かったけど飢えはしなかったよ」

「あの、3兄弟の方たちも仰ってましたけど、この世界では戦争ってよくあるんですか?」

「みんなこの国の土地を欲しがってるからね、豊かな海に広大で肥沃な土地からなる草原と森、数が多いわけじゃないけど希少な鉱石がとれる鉱脈も在る」

「おっ、一等地と言うやつですね!」

「だからしょっちゅう狙われてたのさ。そこまで詳しいわけじゃないけど、俺が生まれる大分前とか、本当に危ない時期も在ったみたいだし。丁度その時期に最初の墜ち人が現れたんだっけな」


 普段使わない知識の引き出しをなんとか搾り出そうとアルゴは自身の黒燐に覆われた眉間を親指でグリグリと捏ねる。


「最初に君達の世界から来た人物は何を思ったのか、国民を扇動して革命起こしてね、当時の王族達とサシで話し合って今の政治基盤まで纏めたってんだから、驚くよね」

「なんか、物語みたいなお話ですね」

「だよね。そんな事が歴史にあるもんだから、墜ち人は俺達からしたら特別な相手になるのさ。一部の人たちからは神様の使いだとか言われてるし」

「ほえーー……何とも実感の湧き様がないお話ですね。私の家、別にそう言う事とは縁なかったですし」


 ヒナタがスケールが大きくなった話しに頭を傾げる。


「お正月には神社に行って、クリスマスには家族皆でケンタッキーとケーキ食べてましたよ? あと、もういい歳なのにお父さんがサンタのプレゼントを毎夜毎夜仕掛けてきました」

「相変わらず何のことかは解らないけど、家族仲がいいのは伝わったよ」


 話を終えたアルゴはヒナタが上に乗ったまま昼寝に入ろうと両腕で枕を組む。

 ヒナタは寝ようとするアルゴみて、自分が最初に尋ねた事を思い出した。


「アルゴさんのお話は?」

「ん、誤魔化せなかったか」

「危うく流される所でした」

「でもなあ、本当におもしろい話しは無いよ? 教会で15歳まで育って、軍に徴兵されて任期満了と同時に腕に覚えが在ったから、傭兵家業を始めただけさ」

「実はそこで一点お尋ねしたい事があるんです」

「なんだい?」


 ヒナタが身を起し、アルゴの腹上で馬乗りのままに緩んだ表情を締めた。


「その……なんで戦場にいる事を続けられたんですか?」

「うーん、何個か在るよ。任期の間に一緒に過ごした仲間達を置いていけないのもあったし、危険な分お金が稼げるって言うのも勿論あった。逆に言うと、それ以外の仕事が出来なかったって事だけど」

「軍隊で働くと、一般的なお仕事って難しく感じるものなんですか?」

「戦う事に体が慣れると、どうしてもね」

「アルゴさん勇気あるなあ……私じゃ、そんな度胸無いです」


 アルゴはヒナタの言葉に眼を丸くすると、力抜いて緩めた。

 頭部で組んでいた腕を解き、片手でヒナタの垂れる長髪に触れる。


「勇気とは違うかな、必要に迫られたから嫌でも適応しなきゃいけなかっただけの話しだよ。程度の差こそあれ皆経験している事だと俺は思うよ」


 自身の掌で柔らかく滑るヒナタの長髪に気を休める脳裏には、先に逝ってしまった戦友の姿が浮かぶ。


 ――俺の番は、何時かな。


 ヒナタがアルゴの腹上で起こしていた身を再び寄り添わせ、思いっ切り良く両手で抱きついて来る。

 ヒナタの腕ではアルゴの横腹までが精一杯だ。突然の事に、アルゴの脳裏に浮かんだ言葉が掻き消えた。


「アルゴさんはやっぱり素敵な人です。お母さんが言ってました、本当に強い人は自分を特別にしない人だって」

「買かぶりだよ、それは。諦めてるだけかもしれないし」

「ふふ、本当に諦めてる人が見ず知らずの子供にここまで親切にしてくれますか?」


 ヒナタが閉じた口で微笑を作ると、頬杖つきながらアルゴの胸板を指の腹でつつく。


「……ヒナタのいた場所は、どんな所だったんだい? 君を観てると、結構幸せそうな場所だとは思うだけど」

「うーん、どうなんでしょう。物は本当に豊かですけど、ここにいる人達ほどの元気は無いかもです」


 ヒナタは今は遠くなった自分の身の回りの世界を思い返す。

 命の危機や直接的な脅威といったものからは割りと無縁では在ったが、幸せが満ち溢れている場所であったかと言われると、素直には頷けない。


 自分の居場所であった学校でも色んな軋轢や人間関係の歪みは在ったし、特にグループで行動する事をもっとうとする女性陣はそこに繊細な力学が働いていた様にも思える。


 ――ああ、一年生の頃は割りと立ち回りに苦労してたかもなー。


 そこに加えてこの世界で来る直前に起きた程ほどに手痛い失恋に精神の古傷が痛む。


 ――先輩とアキちゃんがまさか両想いだったとはなあ。


「知らなくてショックだったけど、う~ん……あの2人なら妙に納得してしまう私がいる……と言うか、2人が私の事で気に病んだりしたら嫌だな……先輩受験生で、私達も来年はそうだし」


 複雑そうに瞳をつむりながら顔色をコロコロと変色させるヒナタにアルゴは何時ぞやの様に珍妙な生物を観察する様に窺う。観ていて飽きない。


「ヒナタも苦労はしてるのか」

「あ、今のなんか聞き捨てになりませんよ!? 私だってアレコレ抱えてるんですからね」

「なら、今日はさっさと寝た方がいいよ。自分の体を気遣うのが、今のヒナタ自身の為に一番出来る事だ」


 アルゴの大きな手がヒナタの頭部をあやし付ける様に浅く叩く。


「アルゴさん……私の事を子供扱いしてますよね」

「ヒナタは俺の事を男扱いしてるかい?」

「……乙女の機密事項です」

「それは残念」


 湿り気で揺れる船の中、ヒナタとアルゴは気だるくも互いの体温を感じ取っていた。



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