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落花流水 上

 ヒナタは一度瞳を閉じて、大きく息を吸い込んだ。

 酸素が肺を大きく膨らませて、胸が反るのを自覚してゆっくりと溜め込んだ息を吐き出す。

 祈りと共に、再び瞳を開けて冷静に今を見据えた。


「オラアアアァァァ! ここがテメエらの地獄の一丁目だああ!!」

「モラル無き拝金主義者には! 終わりをくれてやるぜー!」

「理性的な暴力は最高だぜえええ!!」

「えー、使用人の皆さんは落ち着いて着いて来て下さいね。指示に従ってくれれば身の安全は我々が保障しますので」


 目の前で繰り広げられる捕縛劇、もとい世紀末に変化は無い。

 逃げようの無い現実の光景に再び立ち眩みを覚える。


「うう……アルゴさん本当にどこですかぁ」


 ヒナタは体験のした事の無い状況に怯えながらも、目的の相手を探す為に視線を彷徨わせる。

 リザードマンのアルゴならば、視界に入れば解りそうなものだが、思いの外見当たらない。


「……聴ける人に尋ねなきゃ駄目かぁ……」


 億劫な気持ちを押さえつけながら、猛烈に仕事をこなして行く騎士の中で、目が血走っていない、比較的に話しかけ易そうな相手を探してみる。


 慎重に騎士達を覗いながら、一歩一歩と歩を進めているヒナタの小柄な肩に、背後から篭手が乗せられた。

 言い様の無い悪寒が、ヒナタ背中を走り抜ける。


「ひゃああぁァ!?」

「おおおうぅ!?」


 思わず上げる悲鳴に声をかけ様とした騎士が驚き、その驚きにヒナタが更に驚く。


 自分を驚かせた原因に、ヒナタは脱兎の動きで距離をとって高価そうな石像の影に潜り込み、顔を出して並びの好い歯を剥き出しに威嚇する。


「だ、誰ですか!! 急に触らないで下さい!」


 唸るヒナタの様子に、騎士は気の毒そうに両手を挙げて説得を試みる。


「落ち着いてくれ嬢ちゃん、助けに来たんだよ! ほら、銭湯でアルゴと絡んでただろ?」

「あ、ええと……確か騎士団の、隊長さん?」

「そう、そう、その隊長さん。名前はガッドって言うんだ」


 兜から見える十字の古傷が豪快に歪んで気迫のある笑みを作る。

 少々おっかないその笑みを見て、ヒナタはアルゴと親しくしていた様子を振り返り、多少の警戒を残したまま石像の影から身を出した。


「無事そうでなによりだ」

「あの、もしかして助けに来てくれたんでしょうか……?」

「一応な。まあ、アルゴの勢いに俺らも都合良く乗っかった形だが……おーい、アルゴを見なかったか!?」


 ガッドが、ならず者にコブラツイストを仕掛けている部下に声をかける。


「確か、ひっ捕らえた領主に密輸品の保管場所まで連れて行けって言っていましたよー。手が空いてるのを2人連れて一緒に行きました」


 タップを始めたならず者を無視して、アルゴの動向を教えた部下の言葉に、ガッドは決まりが悪そうに視線を動かす。


「あちゃー……こりゃ、嬢ちゃんには待ってて貰った方が……」


 含みを持たせた言葉を吐き出しながら、ガッドはヒナタの方へと視線を合わせる。

 潤みを含んだブラウンの瞳が、訴えて来た。


「うっ」

「じー……」


 ガットが渋々とした様子で、苦悩して溜め息を吐き出す。


「頼むから、俺の指示は守ってくれよ……あと、こっちが許可するまで一人で勝手に動かない事。君に何かあったら俺がアルゴに殺されかねん」

「ガッドさん、ありがとう御座います!」


 ヒナタに感謝される事に満更でもない照れを浮かべる上官に、周囲の部下が白い視線を浴びせた。




 ひんやりとした涼やかな空気に満ちた、石造りの廊下をアルゴは進んでいた。


 窓を設けられていない廊下は薄暗く、一定の間隔で並べられたランプの灯りに、アルゴに縛られ前を歩かされる男2人の不機嫌な顔が、影によって更に湿っぽい事になる。


「ほら、キリキリ歩け」


 アルゴが2人を縛り上げている縄を掴み上げて、先に進む様に促す。


「うぐくぅ……何故、ワシがこんな目に……」

「悪銭身に付かず、って言いますぜ、ボス」

「盗賊団を指揮っていたのはお前だろ!! と言うか、貴様の行動でこうなったんだろうがあっ!! 夜逃げする間も無かったわ!!」


 領主の元々赤い頬が怒りによって更に赤くなり、形相を変貌して盗賊団の頭に噛み付こうと襲い掛かるが、背の小さい堕落した体では虚しいだけだった。


「今夜に逃げようとしても手遅れだったぞ、騎士団の連中は既に読んでたみたいだ」

「貴様も貴様だ、リザードマン! ワシがアレハム三世と知っての、この狼藉か!?」


 領主は八つ当たりとして、自身を縛るアルゴに食って掛かる。

 どうやら自分が罪人としての自覚は毛頭も無い様だ。


「生憎、人を攫う犯罪者に払うような礼儀は無いね」

「人攫い!?」


 アルゴの冷ややかに言い切った言葉に、領主であるアレハム三世は顔を一気に青くさせる。


 露骨に変化させた顔色を意地でも誤魔化そうと、アレハム三世は口笛を吹こうとするが、聴こえるのは息を吐き出す音だけだ。


「な、ななななんの、なんの事かな?」

「アンタ、嘘が下手なのによく今まで政界に居られたな」

「巷の新曲みてえですぜ、ボス」

「やかましいわい!」

「遊んでないで、早く攫った者の所へ連れて行け」

「だから、掻っ攫ったんじゃない! 誰の物でもないから、貰っただけだ!!」

「何を言ってるんだ? 彼女を物扱いするな」

「――は? 彼女?」

「ん?」

「え?」


 アルゴがヒナタの居る所までの案内を改めて頼むと、盗賊団の頭とアレハム三世が不思議そうに顔をしかめる。2人の変化に、アルゴも釣られて異変を感じ取った。


 どうにも、会話が食い違っているようだ。


「お前がワシらに案内しろと頼んだのは、盗賊共が掻っ攫って来た盗品の事じゃないのか?」

「いや、俺が言ったのは攫った『者』の所に案内しろ、だぞ?」

「攫った『物』じゃなくて? ――あ、何だよ、あの墜ち人の娘か」


 盗賊団の頭が一足先に合点のいった顔で頷く。

 頭は無精髭を蓄えた得意気な顔で、察しの悪いアレハム三世に説明を始めた。


「ほら、俺が連れて来た墜ち人の娘が居たでしょ? ボス、こいつはあの娘の連れでさぁ」

「ああ、ワシの馬鹿息子達に任せた綺麗な髪の娘だな。放り込んだ部屋はさっきまでいた反対側だぞ」

「えー、あの三兄弟にくれてやったんですかい? 勿体無い」


 身の程知らずな盗賊団の頭が公然と領主の跡取り達を小馬鹿にした態度を取るが、アレハム三世は親として息子達の弱さを、さも当然の事として溜め息を吐く。


「今頃、息子達の方が手痛い目に遭ってるだろうけどな。子供に社会の風を教えるのも、親の役目と思っただけよ。――今後の家の事を考えると、あいつ等は嫌でも覚えなきゃならん」

「そもそも、人の連れを勝手に家庭の教育に使うな!」


 アルゴはもっともな意見をいの一番に叫ぶ裏で、らしくないミスをした自分に驚いていた。


 ――まさか、こんな間抜けな間違いを犯すとは。

 アルゴはこのまま戻ってしまおうかと、自分の背後に控えている同行者の騎士2人を視る。


 アルゴに着いて来た2人は、先程から黙ったままで足取りがどうにもぎこちなく、頼りになるとは言い難い。

 幼さの残る堅い顔は恐らく新兵か。


 ――押し付ける訳にも行かないか。

 アルゴは心の中でヒナタに頭を下げる事にした。


 幸い、ヒナタが居たであろう反対側は、仕事熱心なガットが仕切っていた場所だ。アルゴは長年の腐れ縁相手を信用しておく事にする。


「ほら、お前らも何時までも縛られたくないだろ? さっさと盗品の所まで連れて行け」


 仕事を早く片付けようと意識を切り替えたアルゴの素振りに、アレハム三世と盗賊団の頭は縛れたままの体を器用にくねらせ始める。


「あらあら、ボス聴きましたか? このリザードマン、意外と初心で真面目ですよ」

「ああ、聴いたぞ役立たず。仕事をこなす甲斐性は男の義務だが、遊びが無いのは如何(いかん)よなあ、色んな相手と交流しないと世界が広がらんぞ」

「ボスは遊び過ぎで、泥沼世界に両足浸って遂にはお縄になりましたけどね」

「上手い事言いおって」


 容疑者2名が自分達の状況に構わず愉快そうに笑い声を上げる。

 アルゴは良くも悪くも反省しない2人組みに、呆れを通り越した清々しさを感じてしまう。


 薄暗い廊下に豪快で太い笑い声が反響していくと、他のものより些か厳重につくられた扉と出くわした。

 扉には拳サイズの錠前が取り付けられており、解錠する為には仕掛けのダイヤルで特定の記号を揃えなければいけない最新式の物だ。


 アルゴは縄で縛った2人を先に行くよう促し、背後に控える新兵達に、軍籍時代に使用していた手で行う合図を伝えると、彼らが堅い表情のままそれに応じて、後方で直ぐ動ける様に構える。


 ――ガッドのやつ、ちゃんと育ててはいるんだな。


「そんなに警戒せんでも、下手の事はせんわい」


 アレハム三世が進んで扉の前に立つと、錠前から背を向けながらも、後ろに縛られた両手で最新式の錠前を迷う素振りも見せずに回して行く。


「ボス、本当にいいんですかい?」

「下手な抵抗をして、ワシの宝が乱暴に扱われたらどうする? 宝は大切に扱われてこそ、価値在る物として意味があるのだ」

「全部没収されるけどな」

「失われるよりは、100倍マシだよ」


 達観を含んだアレハム三世の言葉と共に、錠前の仕掛けが解けて、床に落ちた。

 意匠を施された金属の錠前が石床に打ちつけられる音を他所に、盗賊団の頭が大仰な動きで扉を体押しで開けていく。


 アルゴの眼に突如として一筋の光りがささる。

 開放された部屋の奥から、金属によって反射したランプの光りが届いていた。


 ランプの光を受けて輝いていた物がアルゴの眼に止まると、腑に落ちた顔して、どこか物憂げに見詰めた。


「これが……戦場泥棒のお前達が盗んで来た物か」

「ああ、そうだぜ、どうだ!? 敵国の士官用ともなれば、中々に煌びやかだろ」


 感情を殺して盗品を見詰めるアルゴに対して、盗賊団の頭は自分達の成果に胸を張っている。

 丁寧に磨かれた成果の盗品――鎧は何も言わずにそこに在り続ける。


 落とし切れなかった装飾品の刺繍やマントについた何かのシミが、鎧自身の経歴を辛うじて覗わせる。


「最近まで戦争していた北のギネに南のオリパ、西のナウス…………凄いな、俺の歩いた戦場そのままだ」


 感心を示す言葉とは裏腹にアルゴの表情は陰り、鎧が活躍していたであろう過去に自身の経験を重ねる。


 雄叫びを上げて仲間と奔った戦場――。

 敵味方の打ち上げた大砲と術士の業火球が空に轟き、地響きを起こす。


 捲れた大地と一緒に巻き上げられた敵兵が、自軍の大砲で千切れてばら撒かれ、傍に居た仲間が子供の様な悲鳴を上げて吹き飛んだ膝先を抱える。すると、生暖かく鉄臭い赤い雨の肉が土飛沫と一緒に自分達の頭上に降り注いだ。


 叫ぶ暇も無く、無我夢中で振るった手斧の感覚。

 自分より明らかに歳を食った兵士の首筋を裂き、半狂乱で泣きながら襲ってくる若い兵士には手斧を投げつけてやった。

 耳に届いた名前の相手は誰の事だったのか。


 独りになって砦に戻り、洗おうとした自分の体からは黒い鱗の上から止めどなく酸化した赤い水が流れ続けた。

 その汚れを落とし切る事に、感慨を持たなくなったのは何時頃だったか。


 ――思い出して何になる――少なくても、今の仕事には、ヒナタには関係無い事だ。


「おい、どうした? 顔色が悪いぞ」

「別にどうって事はないさ……おい、盗品はこれで全部じゃないだろ? 隠さなきゃ捕まる様な物がある筈だ」

「……やっぱり、案内しなきゃ駄目か?」

「教える積りがないなら方法を変える」

「こ、こっちだ」


 鋭くなったアルゴの眼が冗談ではない事を察したアレハム三世が、体形に似合わぬ機敏さで先を行く。


 若い騎士に通路の見張りを頼ませると、アルゴは物言わぬ圧をかけたまま、先を行く小柄な丸い背中を追った。


 元は地下牢だったのか、横切って行く独房の中は冗談めいた金銀の財宝が山と詰まれ、金箔に塗れた竪琴や犬笛、手回しバイオリンと言った、楽器としての性能に疑問を持つような品まである。

 ――ちゃんと税金払ってるのか?


 胸に浮かんだ素朴なアルゴの疑問が、鼻についた臭いで掻き消えた。


 土混じりの温かく生々しい臭気、そこに僅かに混じる嗅ぎ慣れた血錆の臭い。


 積んできた経験が脊髄反射でアルゴの呼吸のリズムを戦場でのものへと置き換える。

 背中が這い上がる剣呑をそのままに、アルゴは呆然とアレハム三世が先についていていた牢屋の先にあるものを観た。


 馬より一回り大きな、四肢の体に赤茶けた短い体毛に覆われた皮膚。首に生え揃ったご自慢の(たてがみ)は力の誇示を通り越して獰猛さを示している。


 捕食者特有の丸目が、人間臭さを思わせる顔で牢屋越しでアルゴ達を値踏みしていた。


 牢屋に囚われている筈の獣にしては、態度が余りに不遜で余裕がある。


 ――あの折れた尾は間違いない……マンティコアだ。


 アルゴは本来なら、カストーチの谷に生息している凶悪な魔物種に内心で舌を巻きながらも、マンティコアの特徴である尾を観察した。


 大砂漠の巨大サソリより鋭く、洗礼された尾の先にある一刺しの針は、その危険性故に折りとられていた。


「どうやって連れて来たんだ、こんなもの……」


 マンティコアの口寂しさを紛らわせていた食後の骨を砕く音が、軽快に鳴った。


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