応接不暇
男湯が普段よりも暑苦しい事になっていた。
なみなみと注がれた湯が湯煙を上げ、大の男が30人は優に入れる浴槽の一角。
屈強な体格をした騎士団の男達とアルゴが傷だらけの体を恥じる事無く、湯船の熱に身を任せるままに寛いでいた。
民間人の親子が湯船から上がり、少年がアルゴ達の目立つ風袋に興味深げに瞳を向ける。
騎士団長が少年の無垢な瞳へと、自分の肉体美を見せ付ける為に湯船の上からセクシーポーズを取った。
横にいたアルゴが団長の頭を軽く叩き、その隙に父親が少年を抱えて浴場から急ぎ足で退出させる。
騎士団長が年甲斐も無く、傷だらけの顔を悪ガキの様に歪めて不貞腐れた。
「なんでい、なんでい、ちょっとしたサービスじゃねえかよお」
「子供にトラウマを植え付ける気か!?」
「そんな積りじゃねえよ、こう……前途ある少年の瞳には、目指すべき男としての体を焼き付けて貰おうとだな……」
「団長、それは犯罪です」
気楽そうに湯船に漬かる団長の部下がアルゴの援護を横から入れる。他の団員達も頷きで肯定した。
――幾つになっても落ち着きが無いな、この男は。
アルゴが呆れた素振りで浴槽の壁際に肘を掛ける。
「団長、もういい歳なんだから落ち着いたらどうだ?」
「なんだよアルゴまでー……俺だって出来たらとっくに……ふむ、人は掃けたか」
騎士団長が声の調子をお茶らけた調子から、落ち着いたものへと急変させた。
アルゴが辺りを見渡すと他の客達が距離を取るように離れていた。
――狙ってやったのか。
騎士団長がさり気無く辺りを覗うように身を寄せ始める。
団員とアルゴも意図を察しって声を聴き易い様に近づいた。
「それで、何の悪巧みに俺を巻き込む積りなんだい?」
団長が話し始めるより先に、アルゴがまわり込むように口火を切った。
「悪巧みなんて酷でえなあ、ちゃんとしたお役所仕事だよ、相手が大人しく言う事を聴いてくれれば、が付くけどな」
騎士団長が剣呑さを含む笑みを作ると、他の部下達も似た様に口の端を上げる。
どうやら相当に手応えのある大物らしい。
「少なくともケチな山賊が相手じゃないのは解ったよ……もしかして、貴族相手かい?」
アルゴの返しに気を良くした団長が口笛を吹く。
「ご明察だぜ、アルゴ。んで……詳しく聴く気はあるか?」
団長が期待を込めた眼差しでアルゴに詰め寄る。
――詳しく聴いたら仕事を請け負う羽目になる。
ヒナタがいる以上、勝手な事は出来なかった。
アルゴは自分に迫る、傷だらけで暑苦しい男の顔を手で掴み押し止めた。
「遠慮しておくよ、どうせここの領主だろ?」
「なっ、アルゴお前! どこで――おぶ!?」
アルゴは憂鬱そうに湯船から立ち上がり、顔を掴まれたまま慌てふためく団長が泡を立てて顔を鎮めて行く。
恐竜の様な逞しい足を大またで一歩二歩と浴槽から上がると、沈んでいた団長が勢い良く湯船から飛び出し、口に溜まっていた湯船を水鉄砲にして吐き出す。
部下が悲鳴を上げた。
団長が被害を気にせずアルゴへと振り向くと、腰に布を巻いたアルゴが訳を説明する気になったのか、億劫そうに振り返る。
「実はここに来る前に戦泥棒と軽く揉めてね、その時に盗ったものをガメックスの領主に売ろうとしてたのさ」
「そいつらはどうした?」
「フェッケル平原の街頭沿いの樹に縛り付けて置いたよ、今頃逃げ出してるだろうけど」
「お前にしちゃあ、手緩いな?」
「連れが一緒だからね、あんまり血生臭いのを見せたくなかったんだ、捕まえる積りかい?」
「んにゃあ、後回しだな。汚職の証拠は別に押さえてるから大丈夫だ」
団長は何かを察したのか、不意に穏かな、からかい甲斐を含めて笑った。
「にしても、縁ってやつかね。お前さんにも遂に女が出来たか?」
「……可愛らしい子供だよ、元気なね。そう言う訳だから、悪いけど今は仕事を請け終えない」
「はいはいっと、解ったよ、仕方ねえなあ、今度俺にも紹介しろよな」
「埋め合わせは何時かするさ」
離れて行く黒い鱗に覆われたアルゴの背に、団長が機嫌好く別れを告げる。
「念の為、今夜は外を出るなよ」
「ああ、了解したよ」
軽く手を負って浴場の出入り口に行くと、すれ違い様に5人組みの男達が入ってくる。
何故か全員、頭に巻いたカーチフだけは外していない妙な拘りにアルゴは不思議そうに眼を向け、思わず立ち止まった。
「だから長年連れ添って来た幼馴染こそが至高であり、究極の王道って何べん言ったら解るんだよ、お前らは!! 毎晩寝る前に二人っきりで話す青春の輝きを想像してみろよ!! 胸がトキメキに満ちるだろうがい!?」
「ハッ、一度離れて成長した姿で再開した時のトキメキを理解出来ないとはな……お前こそ、もうちょっと地に足を付けた発想をしたらどうだ?」
「俺は腐れ縁で今まではそんなに仲良くないけど、思春期になったら妙に距離が近づいてドギマギする方がいいなあ」
「流石っす、お頭! 時代はやっぱり些細なすれ違いからの悲恋系ですよね!! あの小説……最高だった……」
「急に泣くなよ、俺は義理兄妹系が好きだなあ……」
数日振りに聞いた頭が少し足りない会話にアルゴは背を向けて脱力した。
――何で堂々とここに来てるんだよ、こいつら。
先程団長との会話に上げた樹に縛りつけた戦泥棒達だ。
そしてこの世界に来たばかりのヒナタを拉致しようとした不届き者達でもある。
こちらには気付いていないと言うか、自分達の会話に夢中で視界に入っていないらしい。
アルゴからすれば、周囲に対する注意散漫っぷりに何故今まで盗賊を続けていられたのか、心底不思議で仕方が無い。
噂をすれば影どころか本人達が来てしまった、この事態。
――仕方が無い、一旦引き返すか。
ここは騎士団の連中に報告するのが事情を知っている人間の務めだろう。
アルゴが背を向けると、盗賊団の男達は話題の内容を何時の間にか幼馴染から、女性の髪の長さについて白熱していた。
飽きずに話を続けられる盗賊達に呆れながらもアルゴは手早く騎士団を呼んで連れて行く。
騎士団の強面達が神妙な面持ちで眉を潜めながらアルゴの先導にしたがうと、慣れた手筈で必要以上の音を立てずに周囲の民間人を引かせ盗賊団の背後に回っていく。
騎士団長がアルゴに向って準備が終ったと、ハンドサインを示した。
盗賊団は髪の長さから再び話を変えて、チラリズムと色気の相互作用から来る好意についてお互いの論を語りあっていた。
――こいつらこんなに間抜けなのに、よくヒナタを捕まえられたな。
悪運だけは強いのかもしれないが、それもここまでだ。
アルゴはワザと話しに夢中になっている盗賊団の前に立つと、解り易く咳払いをした。
「詰まりだな、普段は視えていないと言う無意識的自覚が突発的に起こるチラ視えのハプニングによって、明確な自覚へと変る瞬間にこそ、男は刹那の幸福感を得ると共に、相手への好意を錯覚するのではないかと――ん?」
「やあ、久しぶりだね。ここに入るって事は、雇い主がガメックスの人間って事でいいのかな?」
「なんだテメェ? お前見たいな、リザードマンに見覚えはああぁぁぁあアアッッ!?」
盗賊団の頭が露骨に柄の悪い目付きを更に露骨に青くさせ、悲鳴混じりに叫んだ。
部下の盗賊達もアルゴに気付いたのか、次々と顔面を蒼白にさせていく。
「お前ら器用な驚き方するな」
「な、なんでこんな所に居るんだよ!? リザードマンは皮膚の新陳代謝が凄い活発なんだから、毎日水洗いしてれば十分だろ!」
「大手を振って公共施設に入ってくるお前らの図太い神経の方が、俺は凄いと思うぞ」
盗賊団の頭が浴場の出入り口へ踵を返すと、既に部下達が騎士団に取り押さえられている。
「動くなオラァ!!」
「おあああぁぁぁ!? 離せ、気持悪い!!」
「こっちだって好きで組み付いてんじゃねえよ!!」
湿度高めの捕り物劇が展開されるなか、アルゴは大人しく捕縛されるよう盗賊団の頭へ呼び掛けを促そうと手を伸ばす。
「くそ、今更大人しく捕まられるかよ!」
「っ!? オイまて!」
諦めの悪い頭が窮地を脱しようと、塗れた床の上を構わずに大きく足を広げて走り出す。
取り押さえようと複数がかりで騎士団が迫る。
覆い被さるように突撃する相手に怯む様子も見せずに、盗賊団の頭は体格に似合わない軽快な身のこなしで掻い潜っていく。
腰を回し、身を捻り、止まらずに相手の股下を潜り抜けたかと思えば、騎士団を跳び箱代わりに超えて行く様はどれほど間抜けでも盗賊団の頭を勤めていた男としての能力を裏付けていた。
――あれだけ見事な身のこなしが出きるならそれで商売をすればいいものを!
アルゴは盛大な呆れを胸にしまい込んだまま、負けじと追走を始めた。
「ふぃ~~……やっぱりお風呂上りはフルーツ牛乳だ」
一足先に風呂から上がったヒナタは、アルゴとの約束通り番頭の居る受付で待っており、猫に似た獣人の老婆から貰ったサービスを味わっていた。
洗濯中の衣服の変りに着ている簡素な白麻のコットには湿り気を帯び、濡羽色の長髪が反対色となり際立っている。
ヒナタは水滴の滴る瓶の中に満たされていた、果実の色が混ざる牛乳を一気に飲み干していく。火照った細い喉元がゆっくりと受け入れて行った。
熟れた果物の甘みが新鮮な牛乳の旨味と溶け合った味が、ヒナタの口一杯に広がる。
「ぷはっ」
飲み切れば顔は自然と緩みきった笑顔となり、ヒナタの頭の中が幸福感で満たされた。
ヒナタの様子を見守っていた番頭の老婆が満足そうに頷く。
「いい飲みっぷりだね、服もそろそろ乾く頃だから、もうちょっと待ってて頂戴ね」
「はい、飲み物ありがとうございます」
「別にいいさね、始めて来てくれた人にはサービスする決まりだからねえ」
「それって、ここに来る人の顔を全員覚えてるって事ですか?」
「ええ、そうじゃよ」
難しい事ではないと、老婆が眠たげな猫の笑みで応えるが、ヒナタはその事実に感心していた。
街の全てを見た訳ではないが、丘から見下ろした限りは、かなりの大きさをした港街だった。
銭湯を訪れている人々の数も今の周りの盛況振りから見て明らかだ。
――それだけ、ここで長く働いていたって事だよね。
「あの、この銭湯ってどれくらい昔に出来たんですか?」
「えーと……今からだいたい、71年くらい前かね、この国に最初に来た墜ち人が、自分の商売として作ったのさ……最初の頃は、本当に小さな銭湯だったねえ」
老婆の髭が懐かしむ為にゆらめく。
「71年前……そんな昔から居たんですね」
ヒナタには十分な時代の重さを感じさせる年数だ。
「当時は街でエライ騒ぎになっててねえ、私は子供だったから詳しい事は解らなかったけど、その墜ち人が持ってた技術はかなり刺激的だったんだろうねえ」
「成る程……それが墜ち人がこの国の歴史で最初に表に出た時だったんですね」
「そう言う事だろうねえ」
ちょっとした歴史の勉強にヒナタは感心を込めて番頭の天井近くの壁にかけられた文字を見つめる。日本語で書かれた四文字熟語だ。
創業守成――確か、仕事を新しく始めるのは簡単だけどそれを維持し続けるのは難しいって事だっけ。
ヒナタは自分の長髪の手入れに対する維持の苦労から、看板の言葉に強く共感して一人で勝手に頷いた。
「おりょりょ、何か騒ぎかぇ?」
「どうしたんですか?」
老婆が白くふわふわとした耳を立たせて男湯の方に向ける。
ヒナタの耳にも男湯の暖簾の向こうから騒ぎ立てる怒声と、物音が届いた。
「な、何事でしょうか? アルゴさん、大丈夫かなあ……」
ヒナタが不安げに落ち着かない様子で、ちらちらと何度も暖簾の前へと視線を向ける。
案じるアルゴの身と、自分がどうするべきかの判断がつかずに戸惑ってしまう。
暴れ回る物音がヒナタの思考とは無関係にどんどんと近づいて来る。
「お嬢ちゃん、離れときな!」
「はっ、はい!」
老婆の気付けさせる様な一喝にヒナタが慌てて身を一歩を下げる。
男湯の暖簾が大きく捲れ、頭にカーチフを巻きつけた全裸の男が血走った形相で飛び出して来た。
突然の事で固まるヒナタの瞳と、盗賊団の頭が視線を交差させる。
「あ」
「あっ」
つい三日程前に、拉致し拉致されかけた関係の二人がお互いを認識して固まる。
そして鑑の様に互いを指差した。
「あの時の人攫いさん!?」
「墜ち人の娘!?」
「って、裸じゃないですか! 公共の場で何て格好してるんですか!?」
「わ、わりい! 余裕が無くて」
「そこまでだ!」
頭の背後からアルゴが怒気を含んだ声で現われる。
ヒナタはアルゴの姿に気付くと顔を綻ばせ、格好に気付いて徐々に頬が高揚に染まって行く。
先程とは違い、黄色い悲鳴を上げた。
「な、なななんでアルゴさんも裸なんですか!?」
「ああ、いや、浴場でこいつが逃げ出したもんだから、大急ぎで追い掛けてね」
「でも、でもそんな格好は刺激が強すぎますよ! う、うわわ、凄い綺麗な鱗に引き締まった大胸筋と6パック……」
両手で顔を覆いながら指の隙間からアルゴの方へと向けたり向けなかったりと、視線の方向が忙しい。
盗賊団の頭が解せない表情でヒナタを見詰めるが、番頭の老婆が自分の体の中心部を凝視しているのに気付いて戸惑う。
「なんの積もりだ、婆さん……」
「――ふっ」
「なっ」
鼻で笑われて盗賊団の頭が衝撃で身を震わせた。
頬から一筋の涙が線となって流れる。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
居た堪れない哀れな背中にヒナタが声をかけた時だった。
「うわっ」
「貴様!? ヒナタから手を離せ!」
「ふ、ふふふふ……こうなりゃもう自棄じゃーい!!」
盗賊団の頭が泣き笑いの顔でヒナタを人質として捕縛すると、頭に巻きつけたカーチフから小さな魔法石が填められた指輪を取り出す。
見るからに見事な意匠が掘り込まれた、高価そうな物だ。
「黒色の魔法石!? おい馬鹿止めろ! それの持ち主はとっくに割れてるんだぞ!!」
「へ、へへへ、ここまで来れば雇い主も道連れさ! 行くぜ――」
「え、ええ!? 体が透けて――」
「ヒナタ!?」
「アルゴさ――」
盗賊団の頭が聴き慣れない言葉を呟くと、足元から黒色に輝き幾何学模様に彩られた円が現われて、回転しながら急上昇し始める。
三人の人間が中に入れる程の円が盗賊団の男をヒナタごと、飲み込んでいくと、足元から上へと姿をその場から消して行く。
アルゴが消えて行くヒナタ目掛けて手を伸ばすと、円が先に飲み込み空振った。
円は二人を飲み込み終えると、小さな花火の様に四散してしまう。
アルゴは自分の目の前から消えて言ったヒナタの居た場所に、力無く座り込んだ。
「――くそ、転送呪文が掘り込まれてる指輪を持ってるとは……」
アルゴが空ぶった手を強く握り締める。
男湯の方から追い付いてヒナタが連れて行かれたのを目撃した騎士団が、悔しさを滲ませて悪態をついた。
アルゴは落ち着いた仕草で立ち上がると番頭の老婆へと詰め寄る。
「婆さん、すまないがもう少し荷物を幾つか預かっててくれないか? 着替えたら直ぐ行かなきゃいけない用事が出来た」
「勿論だよ、事情は解らないけど、速く行っておやり」
「おい待てよ、どこ行く積りだ?」
騎士団長が念の為にアルゴに尋ねる。
「転送術は大きな移動は出来ない。それにあれだけ高価な道具なら持ち主の居場所は決まってるだろ……」
眼に熱を静に滾らせたアルゴが、普段と変らずに素っ気無く応えると、騎士団長がアルゴのしようとしている事に顔色を変えた。
「――例の領主の屋敷に押し入る積もりか!?」
「騎士団も元からその積りだったんだろ? まあ、お役所仕事で手続きが必要って言うなら俺一人で行くが……」
「ハッ、舐めんなよアルゴ。お役所仕事ってのは、部署によっちゃかなりの激務なんだぜ? 事前準備は済ませてるんだよ、とっくにな」
騎士団長は獰猛な笑みを作ると、部下の男達も続いて好戦的な笑みを浮かべて行く。
――ちょっと、激しい仕事になるな。
アルゴが自分の士気を確認する様に手の骨を鳴らしす。
番頭の老婆が困り顔で番頭の台を強く叩き、突然の音で男達が一斉に注目した。
「取り合えずあんたら、公共の迷惑だから速く着替えな!」