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阿附迎合

「あのー……アルゴさん?」

「…………」

「まだ怒ってますー?」

「…………」

「ううぅ、昨夜はすみませんでした……」

「まさかなあ、齧られるとはなあ、リザードマンとして始めての経験だなあ」

「あのー、寝惚けての行動だったので、深い意味は無いです、はい!」

「ヒナタ、爬虫類が好きって言うのは好物的な意味?」

「ちーがーい、まーす!」


 曙光の陽が上り始めた頃に、村を後にした二人はバラモンと呼ばれる牛と馬の中間に毛深さを増した生き物に跨り、ガメックスと呼ばれる港町を目指していた。


 そして先程から幾度か繰り返した内容の会話を再び行っていた。


 昨夜、熟睡していたヒナタがアルゴの尾を離さなかったのが原因だ。

 アルゴは寝静まったら自分の尾をヒナタから離す積もりだったのだが、気がつけばヒナタはアルゴの尾を抱き枕として扱い、ガッチリと見事に使いこなして離す事は無かった。


 悩んだ末にアルゴは結局床に毛皮を引いて寝る事にした。

 決して安心して寝ているヒナタを気遣った訳ではない。寝顔を見て折れただけだ。


 なお、未だ尾に残っている歯型は別件である。

 それはちょっと赤くなったヒナタの額に反映されていた。爪は危ないので筆記用具として扱っている、棒状の木炭でぺしりと一発かましておいた。

 ――これで懲りて欲しいな。


「あの……今日も寝る時に尾を貸してくれませんか?」


 ――……懲りて欲しいなあ。


 やるせない諦観がアルゴを包む頃には陽が頭上を照らす程に高く上っている。

 街道は時間を掛けて進む度に、踏み鳴らされた土の地面から、みすぼらしい石造りになり、気付けば一定の間隔でレンガを敷き詰められた真新しいものへと変わっていた。


 今となってはすれ違う人も多く、ヒナタはアルゴの背にしがみ付きながら、不思議な組み合わせを目撃する。

 自分よりも背が低く、筋肉達磨と言う言葉を体現した様な髭だらけの男達と、見目麗しい修道女らしき女性が一緒の荷馬車に揺られながら自分達と反対方向を目指していく。

 ――美女と野獣?


 ヒナタが割りと失礼気味な単語を頭に浮かべる表情をアルゴは気付き、背後にしがみ付いているヒナタへ軽く視線を向けた。


「小人と精霊信仰のシスターだね、偶に住処の高山から降りて自分達の細工品で商売しに来るのさ。偶に怪しい掘り出し物を買ってるらしいよ。シスターは通訳で」

「小人にシスターさん……何とも本格的な……」

「なんでだろ、心なしかリザードマンとしてのプライドが傷つく……」

「ああいえ、私の場合は子供の頃に映画でよくアルゴさん見たいな存在を見てたので。ざわざわ森とか、青い狸さんの映画とか」

「イマイチ解らないけど、御伽噺って事かい? ヒナタのいた世界の人間は随分と想像力豊かだね」

「そんな事無いですよ、きっとアルゴさん達と同じです」


 ヒナタがアルゴの方へ軽やかに笑窪を作る。

 裏表が無い、天真爛漫な笑みにアルゴは見ていて悪いものではないと改めて思うと同時に、少し無用心過ぎる気がしてならない。

 ――何故か目を離すのが心配になるな。


「ヒナタ、君は人に騙されそうになった経験とか無いかい?」

「あはは……よく言われますねー……」


 ヒナタが笑って誤魔化すと溜め息と共に肩を落とす。

 どうやら自他共に認める特徴らしい。


 自覚しても直せない悪癖と見るべきか、自覚があるだけマシとするべきか、困りながらも能天気に微笑んでいるヒナタには後者が似合うだろうとアルゴは思う。

 ――欠点も美点も、状況や環境の見様で好きな様に変えられる。


 狭い場所ではアルゴの巨躯は大きさで邪険にされ、戦場ではこの巨躯が頼りにされた。結局はそれだけの事でしかないのだ。


「なら、自分が美しいと思う様に見た方が幸せだな」


 アルゴは自分が下した結論を己に言い聞かせる為に、ささめいた。


「アルゴさん、何か言いました?」

「別に何でもないさ、それより港町に入ったら俺から離れない様にしてくれ、人が多くて大きな場所だからね」

「解りました! 離れないように尻尾を掴んでますね!」

「うん、まあリザードマンの子供なんかは迷子にならない様に良くやるんだけどね、ヒナタの場合はしても違和感無いかも知れない」

「あれ? 私、小さい子と同じ扱いですか?」

「え、今更?」

「へっ?」

「んっ?」


 お互いが額に鈍い汗をかきながら硬直する。


 見かねたバラモンが沈黙を破る為に嘶くと、上り坂になった街道の途中で止まる。ヒナタが振り返り気付くと、それなりに高い丘を登っていた。


「……何時見ても、この場所の景色は見応えがあるね」

「凄い……」


 青草が生い茂げ風に草葉が舞い、流れて行く先には丘から一望できる港町が広がっていた。

 玉石混交とした巨大な彩の街の様相は白亜の港へと続き、大海原の群青が地面を覆い返す様に広がっていた。

 快晴の元に人々の営みが見渡せ、出港した物資と人を乗せた定期船が輝く海へと帆を張り上げ旅立って行く。


 ヒナタの長髪が風によってなびくと、海鳥の鳴き声が渡る様に響いた。


「ここが港街のガメックス、ご覧の通り貿易と漁業で快活な場所さ」


 アルゴのガイドを聴きながらヒナタの瞳は佳景に釘付けにされたままだった。




 ガメックスに着くと、アルゴとヒナタはバラモンから降りて人波の流れに乗りながら象牙色の建築物と石垣によって染まった広場に辿り着く。

 広場の地面にはヒナタが観た事の無い、円の上に幾何学模様を重ねた彫刻が掘り込まれており、ヒナタが珍しさに駆け足で彫刻の中央まで進む。


 バラモンを牽いたアルゴは呆れながらもヒナタの足取りを見守った。


「アルゴさん、何ですかコレ? 魔法陣みたいで不思議です!」


 子犬の様にはしゃぐヒナタが彫刻の全体像を確かめる為にクルクルと回る。

 照り付ける日差しの強さもものともしない笑顔が心底楽しそうにアルゴを見やる。


「俺もそっちの知識には明るくないから詳しくは解らないけど、ガメックスの領主が街のお守りとして彫らせたらしいんだ――あ、そろそろ離れた方がいいかも知れない」

「何でしょうか? よく観ると彫刻の掘り込みに穴がわひゃあっ!?」

「あー……遅かったね」


 ヒナタが彫刻の掘り込みに等間隔で並ぶ穴に気付いて覗き込む為に身を屈めると、ヒナタの顔を狙い撃つように水が穴から一斉に噴出した。

 合わせて街中の鐘が正午に入った事を告げる音を打ち鳴らす。


 ヒナタは顔面への直撃を避ける事には成功したが、円の中心にいたので、四方八方から湧き出る水を浴びる羽目になってしまう。


 情けない悲鳴を上げながらヒナタは、アルゴの元へ駆け戻る。

 容の好い二重の瞼がしきりに瞳をぱちくりと動かし白黒とさせていた。


「噴水! 噴水ですよ! アルゴさん!?」

「うん、知ってたよ。時間的にそろそろかなとは思ったけど、当たったね」

「うあー……ずぶ濡れですよ」


 ヒナタが塗れた格好で手足をぶらつかせ水滴を払う。

 アルゴはバラモンから顔を覆える布を取り出すとヒナタの頭に被せた。


「少し我慢してくれ、もう少し行けばヒナタが喜ぶ場所がある」

「喜ぶ場所……?」

「大衆浴場だよ、お風呂に入りたかったんだろ?」


 アルゴに案内された先には、平均的な建築物より二周り程大きな練色のドームが三つ重なった施設だった。

 古代ローマの赴きがある造形美だが、そんな事は知らないヒナタは施設の上部にある穴から溢れる湯気と、男女種別年齢を問わない人々が絶え間無く出入りする繁盛っぷりに瞳を輝かす。


 そして何より、ヒナタにとって親近感を湧かずには入られないものが施設の玄関にあった。

 大勢の人々がその垂れている布を捲り、施設の中に入っていく。

 ろうけつ染めで描かれた一筆描きの円の上にくねらせた三本の線、クラゲを逆さにした様な温水記号はヒナタには見間違い様が無い。銭湯の暖簾(のれん)だ。


 アルゴはヒナタがどれくらい喜ぶだろうかと、期待を持ちながら横顔を覗う。口を開けて大粒の涙と鼻水を垂れ流していた。


「どうした!?」

「だっでえ……もうお風呂とか、一生入れないものがど……」


 水に塗れた顔が更にぐずぐずになる。

 予想外のヒナタの反応に面食らいながらも、アルゴはヒナタの頭に被せた布を掴んで彼女の顔に押し当てる。


「あぷ」

「ふう……もっと早めに言ってやれば良かったな」

「……ずみまぜん」

「謝る事じゃないさ」


 アルゴはヒナタの肩に手を乗せると促しながら一緒に浴場へと向っていく。

 ――ヒナタは無理して明るく振舞うのが得意だな。

 内心で溜め息を吐きながら、そんな事をぼんやりと思う。

 忍耐強いのは美点だが、溜め込みすぎるのは如何なものか。


 気がつけば周囲の人々が自分とヒナタに視線を注いでいるのに気付いた。

 泣いている人間の女の子とそれを連れて大衆浴場に向うリザードマンの男。

 ――どう考えても事案だね、これは。


 突き刺さる視線に精神を削られながらアルゴは暖簾を捲った。




 暖簾を捲ったすぐ先には番台があり、敷かれた座布団の上には年老いた三毛猫が化けた様な獣人の老婆が身動き一つせずに正座している。

 番台の左右にはそれぞれ赤と青の暖簾があり、青が男性、赤に女性が出入りしていた。


 取り合えず泣き止んだヒナタを連れながらアルゴは真剣な表情で老猫に詰め寄る。

 近づく二人組みに気付いた猫の老人が眠りから覚めるように顔を上げて閉じきった瞼を開け、猫目を細くする。


「おりょ、変った組み合わせだねえ、家族風呂は空いてるよ?」

「違うよ婆さん、普通に入りに着ただけだ」

「ありょ、そうかえ。御代は二人分で16ぺティさね」

「あ、序に手荷物を預けて服を洗濯して置いて欲しい。王都から来た乾燥機があるんだろ?」

「お前さん結構詳しいね? 確かに来たよ、燃料系の魔法石三個で15回転出来る優れ物さね。荷物預かりと入浴料、合わせて24ペティさね」

「はいよ」

「はい確かに。荷物はここで預かるよ、番号札を括り付けた巻き紐を渡すからちゃんと手首に巻いといてくれよ。服は更衣室にいる私の子供達がやってくれるからね」


 手馴れた手つきと通り易い声で老婆が受付を終えると手拭と木の桶を二つ番台の奥から取り出す。


「さ、ごゆっくり」

「ヒナタ、風呂が終ったらここで待ち合わせだいいかい?」

「は、はい」

「まあ、多分男の俺の方が早く終ると思うから、そんなに心配しないでいいさ。慣れない事の連続で疲れただろう、ここで疲れを癒すといい」


 ヒナタはアルゴに向って背筋の張った姿勢でお辞儀を一つ。そのまま赤い暖簾の中に入り込んでいく。


「見慣れない髪のお嬢さんだね、リザードマンのお兄ちゃん、ひょっとして駆け落ちかい?」


 老婆が済まし顔で器用に握り拳で小指を一つ立てる。

 これで何度目だと、呆れながらもアルゴは番台に肩をかけて老婆に尋ねる。


「そう見えるかい?」

「んにゃ、そうじゃないから聴いたのさ。どうやら訳在りっぽいねえ」

「まあね」

「アンタ真面目そうだから一つ老婆心で助言させて貰うよ、今度機会があったら、あの子の調子に合わせて上げな。まずはそこからさね」

「忠告痛み入るね、この手の事には疎くて助かるよ」

「夜店の市場に連れてってやりな、月明かりの好い日にはあの子の喜ぶ物があるかも知れないよ」

「前向きに検討しよう」


 老婆はアルゴの返事に満足げに相槌を返すと、出入り口の暖簾の先に猫目を向けた。

 遠慮無しに自信満々にある複数の足音が響くと、人間の男の集団が満面の笑みを傷だらけの顔に浮かべて愉快げに入ってくる。


 みな、アルゴより体格は小さいが体の中心に軸を据えた歩き方と余分な贅肉とは縁遠い大胸筋が衣服の上からでも解り、首についた筋肉から普段から重たい物を身につけ動き回っている事が見て取れた。


「おや、今日は早いねえ」

「俺達、今日は遅番だからさ、先に英気を養っておこうと思ってね」


 集団の中で先頭に立つ代表格の男性が、十字に大きく切られた顔の上から人当たりのいい笑みを作る。

 代表の男は、老婆の隣で厄介そうなものから視線を逸らそうとしているアルゴに気付くと驚きと共に上機嫌になった。


「アルゴじゃないか!? 何だよ、帰って来てたのか」


 代表の言葉に他の男達もアルゴに気付き、驚いたり意外そうな顔を浮かべて行く


「見つかった……」

「帰って来てたなら直ぐにこっちに顔出してくれって何時も言ってんじゃんかよー」


 十字の傷を喜びに歪めて男が気安い態度でアルゴの肩に組み付く。

 アルゴは暑苦しいコミュニケーションにうんざりしつつもそれに応じる。


「ガッド、汗臭いぞ離れてくれ」

「そりゃお前さん、騎士団の訓練今終ったばっかりだもんよ」

「何でお前は毎回ベタベタしてくるんだよ……」

「修羅場を潜り抜けた戦友なんだぜー? お前さんが愛想ないのさ、なあ! お前ら?」


 ヘラヘラと笑うガッドを他所に、部下の団員達が我先にと老婆に入浴料を払い続々と暖簾を潜って行く。

 最後の団員が先に進みながら一度、ガッドの方に振り返った。


「アルゴさんに久しぶりに会えたからってはしゃいで無いで、早く風呂入っちゃいましょうよー、今日は大仕事が控えてるんですよー?」

「あ、コラバカお前、機密情報をペラペラ言っちゃいかん!」

「機密情報?」


 アルゴの言葉にガッドが身を強張らせて固まった笑顔を向けて来た。顔の傷跡が無言で圧を掛けて来る。

 ――ああ、やぶ蛇を突いてしまったな。

 過去何度か経験した苦い想いが、再びアルゴを覆った。




 湯気と共にあられもない姿で人々が体を洗い、湯に身を委ねて幸福を噛み締めている浴場。

 ヒナタは貰った手拭で長髪を纏めると、広い浴場の深い所で首から下を全て漬け込むように大浴場を満喫していた。


 自分の体温異常の少し熱めのお湯がヒナタの肌を包み、体の芯から溜まり込んでいた疲労を、肉体精神を問わずに溶かして行く。


「やっぱりお風呂は最高だなー……本当に入れて良かった。アルゴさん、様々だ」


 独り言を呟くと湯で高揚した肌で水鉄砲を作り、壁の壁画に向って飛ばす。

 タイルの壁画に描かれた青い山の白い頂上に命中。

 ――この壁画描いた人、私と同じ墜ち人なんだろうな。

 偉大な先人の足跡を入浴の喜びと共に噛み締める。


 それとなく周囲の女性陣を見やると種族事に体毛や鱗、尾の有無はあるが誰も彼も女性として大きく外れた体形をしている者は一人もいなかった。


 ――アルゴさんって、脱いだらどんな体してるんだろ。


 脳裏に過ぎった言葉から、ヒナタは何故か褌一丁の逞しい体つきで身を横にするアルゴを想像してしまう。

 バラモンの上で抱きついた大きな背と筋肉の盛り上がった感触がヒナタの脳内で鮮明に再現された。


「…………」


 降って湧いた罪悪感にヒナタは首から口元まで、湯の中に沈めて泡を作った。

 自分を恥じ入る様に瞳を閉じて再び開けると、先程の富士の絵画が再び目に付く。

 ――この人は帰れたのかな?


 ヒナタの記憶にある実物と比べると、絵画の富士は些か青が濃かった。


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