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蓴羹鱸膾

「うわー……ジャンパースカートなんて始めた着ました」

「あらあら、オバちゃんが見立てた通りだね、似合うじゃないかい。王都から仕入れた甲斐が有ったね」

「そ、そうですか?」

「私としては、こっちの服の方が本当は似合うと思うんだけどね。お嬢ちゃんは容も綺麗だし」

「そっちは勘弁してください……肩と襟元が冷えちゃいますよ」


 夕陽が闇夜に沈みかけ、蝋とランプの明かりに彩られた宿屋ではヒナタが店の女主人と一緒に服の見繕いで盛り上がっていた。


 腹を空かせたアルゴが退屈そうに、扉が閉まった在庫置き場に視線を向ける。

 アルゴの胃が空気を圧縮して音を鳴らす。


「買い物が……長い」


 先に食事にしておけば良かったなと、アルゴが遅い後悔をする。


「いや、そもそも一番先に湯浴みさせない方が良かったかな……そうすればこの飢えは無かった筈」

「あのーアルゴさん……?」


 待ち惚けをくらい続けたアルゴだったが、遂に忍耐が報われる時が来た。

 仕事をやり遂げて満足した顔で出てくる女主人に合わせて、着替えを終えたヒナタが出て来る。


 袖口をふんわりと広げゆったりとしたブラウスの上に、彩度の高い紺色で染められたジャンパースカートを重ねていた。

 眠たそうにしていたアルゴが眼を些か開いて、ほう、と感心を示す。


「似合い、ますか?」


 ヒナタが照れながらもスカートの裾を僅かに持ち上げ、アルゴに良く見て貰おうと軽快に一回転する。

 合わせて艶やかな黒の長髪が石鹸に含まれた果実の匂いと共に舞い、アルゴの鼻腔をくすぐった。


 女性らしさを多分に含みながらも少女らしい笑顔が、期待を込めた瞳でリザードマンを見詰める。

 思わず、アルゴは視線を逸らした。


「あー、その、結構似合ってると思う、少しだけ驚いた」

「や、やった!」


 ヒナタが跳ねる様に喜び、両腕を握り拳で高らかに掲げる。

 店の主人が二人のやりとりを観て生暖かい視線を送った。


「アルゴもようやくかしらねー」

「主人、悪い冗談は止めてくれ」

「悪い冗談だったんですか?」


 ヒナタの血色の良い笑顔が急激に冷え切っていく。


「あ、いや、褒めた事は嘘じゃない」

「本当ですかっ!?」


 咄嗟にアルゴがフォローを入れると今度は一気にヒナタの笑顔が耀いた。

 ――忙しい娘だ。


 アルゴが振り回されている事に自覚を持ち始めると、宿屋の二階から恰幅のいい男性が両手に膨れ切った皮革製のリュックを抱えて降りて来た。


 抱えているリュックの隙間からは旅に必要な地図やコンパスが覗けていた。


「アルゴ、お嬢さんの分の荷物は済ませて置いたぞ」

「ありがとう、旦那。代金は幾らだい?」

「ふむ、30ぺティだな」

「30ぺティ? 安過ぎるだろ、それ」

「なーに、良いって事よ。それにアルゴ、お前さん先月の時はワシらが仕入れからの帰り道で狼の群れに襲われた時に、助けてくれただろ。そん時の報酬も込みって事だ」

「ありゃ偶々だよ、仕事をした訳じゃないから、お金は受け取れない」

「じゃあ、一緒に狼狩りをした時の分け前だな」


 したり顔で笑う旦那にアルゴが折れて鼻息を吐く。


「後でやっぱ無しは駄目だからな?」

「だはは、こっちから何かしないとお前さん受け取ってくれんだろうがい。村全体で見ると、山賊退治三回分は残ってるぞ?」

「ワインの収穫時期になったら、その分を貰うよ」

「おうおう、持ってけ持ってけ! あっ! なんだったらそこのお嬢ちゃんに今の内に葡萄を足で踏んで貰うか?」

「ひえ!?」

「何言ってんだい、アンタ!」


 下世話な旦那の言葉にヒナタが面食らい、合わせて女主人が旦那のツルツルの頭部を叩く。

 とても気持の良い音が室内に響く。

 旦那の頭部には紅葉となった女主人の手形が浮き出てくる。


「いってーなあ、カアちゃん」

「若い子が来たからって、鼻の下伸ばすんじゃないよ! みっともない」

「なんだよー、妬いてんのかー? 可愛いなあ」

「お黙り!」


 夫婦喧嘩が唯一の客であるアルゴとヒナタを置いてヒートアップを始めて行く。

 あからさまな溜め息をアルゴが吐くと、厨房の方へ進んで行き、気付いたヒナタが追い掛ける。


「もしかしなくても、料理を作るんですか?」

「ああ、何時終るか解んないからね。偶にああなるのさ」

「私も一緒に手伝わせて下さい! あの場に一人でいるのは、ちょっと辛いですし」

「それもそうだね、一緒に作ろうか」

「はい、一緒に作りましょう」


 提案を承諾して貰ったヒナタが安心と共に笑う。

 アルゴに連れられて入った奥の厨房は宿屋を経営しているだけにそれなりの奥行きがあり、道具もヒナタが見た感じでは実家よりもありそうだった。


「あ、そう言えば胡椒は高価なんですか?」

「三年くらい前まではね、今は、ほら」


 アルゴが鋭い二本の爪で起用に胡椒の入った木製のペッパーミルを摘みあげる。


「温室栽培って言う魔法と墜ち人の技術で栽培が出来る様になったんだ。今ではこの国の貿易の目玉商品さ、これも墜ち人のお陰なんだろうね」

「私、何もしてませんけどね」

「偉大な先人に適当に感謝して置けばいいさ……ふむ、ジャガイモばっかりだなあ」

「わあ、大きくて丸い立派なチーズだぁ」


 体格差の激しい二人が厨房の食材を漁っていくと、アルゴがある物を見つけて匂いを嗅ぎ、眼をしかめて鼻をそらした。


「……痛みかけてる牛乳を見つけた」

「あ、火にかけて固まらなければまだ飲める筈ですよ!」

「夕飯が温めた痛みかけの牛乳って言うのは……」

「任せてください、チーズも胡椒もジャガイモが沢山在るんです! スープにしちゃいましょう!」


 行動のスイッチが入ったヒナタが袖口の大きなブラウスをめくって勝手知ったる我が家の様に調理器具の準備を進めて行く。

 手馴れた動作で動き回る迷子女子高生にリザードマンは様子を見ながらヒナタには難しそうな力仕事を始めてる事にした。


 高く積み上げられた木箱ごと、そこに詰まったジャガイモを持ち上げて一つ床に降ろし、大きな桶を抱えて外に向う。

 不思議そうに見詰めたヒナタに振り返った。


「桶に水を汲んでジャガイモの皮むきでもするよ」

「助かります、あ、でもでも、手を冷やしちゃって大丈夫ですか!?」

「いや、だから俺は変温動物じゃないからね?」

「つまりペタペタOK?」


 ヒナタがアルゴに向って両手をわきわきと動かす。


「ああ厨房の火はそこの水瓶に置いてある魔法石を、薪を詰め込んだ後に載せれば火が付くから。火傷したくなかったら、隣にある火ばさみで掴むんだよ」


 アルゴは自分の言う事を言ってさっさと厨房を立ち去った。

 その背中をヒナタが切なげな瞳で追う


「あう……無視されました……」


 自業自得な感想を呟きながら、言われた通りに薪をかまどに詰め込み、水瓶から火ばさみを使って魔法石と呼ばれた石を取り出す。


 魔法石が水中から外の空気に触れるとしゅー、しゅー、と音を立て真っ白だった姿から燃え上がる様に中心から紅く染まって行く。


「おお、何と言う便利な危険物……」


 火ばさみ越しで伝わる熱気に驚き入りながらも、ヒナタは手早くかまどに詰まれた薪の中心に燃え上がる魔法石を置いた。

 瞬く間に魔法石から薪へと熱が伝わりゆっくりと火の粉を巻き上げ燃え広がっていく。

 ヒナタはその様子をかまどの前でしゃがみ込んで見守っていく。


 ――そう言えば、去年の今頃はキャンプの予定をみんなでしてたっけな。


「……アルゴさん、早く戻って来ないかな」


 薪から燃え上がる火の粉が弾ける音だけが返事をしていた。




「うん、やっぱり料理は出来立てが一番だね」


 宿屋の食堂、外が夜に染まり切った時刻の中でアルゴは蒸かしたジャガイモを手掴みで豪快に齧り付く。

 しっかりと土地の栄養を蓄えたのが、噛むごとに広がるデンプンの甘味でよく解る。


 食卓に並べられた料理は蒸かしたジャガイモの他にジャガイモを押し潰し、チーズと牛乳と一緒に混ぜ込み香辛料と塩を振り掛けたスープとカチカチに固まった黒パンだ。


 旦那の方が黒パンをスープに漬け込みふやかすとそのままぺろりと平らげた。指についたスープを舐め取り、豪快な笑顔を見せる。


「最初は随分と料理に時間を掛けるなと不安に思ったもんだがこの味は手間暇かけた甲斐はあるねえ、王都の料理みたいだ」

「アンタが作った訳じゃないでしょ……うん、これは美味しいねえ。ヒナタちゃん、これの作り方を教えて貰っていいかい?」

「……え、ああ、勿論大丈夫ですよ。後で作り方を教えますね、タマネギを加えたり、トウモロコシでも同じ方法で作れる筈ですから」


 女主人が呆れながらもスープに舌鼓を打つ。

 アルゴも堅い黒パンとジャガイモのスープを交互に味わいながら堪能し、隣で妙に大人しく料理を食べているヒナタの様子を伺う。

 木製のスプーンを口に咥え込んだまま、何やら考え事をしている。


 ――妙に大人しいな。

 アルゴが井戸から戻って来た時から時折、ボーっとしている様な状態になる。


 ――疲労が溜まっているのかもな。

 それもどちらかと言うと肉体的と言うよりも精神的にだろう。

 この世界の基準で言えば成人して二年の女性だが、墜ち人の世界では二十歳が平均的な成人基準であるらしい。

 着ていた者が学生服と言う事も考えれば、向こうの世界では十分に子供なのだ。


 ――参ったね、どこまで気を回すべきかな。

 取り合えず今日は食事を済ませたら早めに寝かせよう。

 そう決めると、アルゴはスープを一気に飲み干した。


「あっ、アルゴさんスープまだありますよ、おかわりしますか?」

「お願いしてもいいかい?」

「はい!」


 空になった木皿を手渡すとヒナタは厨房の奥へ戻って行く。

 ボーっとしていても目聡いヒナタの背中をアルゴを含む三人が見詰める。


「あの子の事、どこまで面倒見るか決めたのか?」

「今考えてるよ」

「素っ気無い事を言っちゃって、もう胃袋掴まされてるくせに」


 女主人のからかい半分の指摘を受けて、熟年夫婦を眼で睨み付けるが生温い笑みを向こうは崩さない。

 アルゴの袖が二度三度、軽く引っ張られて気付いて向くと、おかわりのスープを満たした木皿をヒナタが微笑みながら差し出して来た。


「おかわり、どうぞ」

「――ありがとう」


 湯気の立つ木皿を受け取り、スプーンで器用に掬って口に含む。

 チーズと胡椒によって引き立てられた、どこか懐かしさを感じる温かい甘さがアルゴの舌に広がった。




 久しぶりに満足な食事を終えて、宿屋の一室に漸く腰を降ろす。

 ベッドが二つ在る部屋で本当に良いのかと、熟年夫婦が聞いて来たが、アルゴは眼で黙殺して無事に獲得する事に成功した。

 流石に宿屋にいるのに床では寝たくないのが本音である。


 ――木の板に染みが三点あると、顔に見えるなー。


 ぼんやりとそんな事を考えながら、アルゴは背後で聞こえてくる衣擦れをなるべく受け流していく。

 自分も一応若い男ではあるが、見っとも無い所を子供の前でする訳には行くまいと、アルゴは鋼の精神で気持を律する。


「あのー、もう大丈夫ですよ」


 ヒナタからの許可を貰って、様子を伺うようにゆっくりと振り返る。


 室内の奥のベット、干草を下に敷き詰め上には、なめし加工が施された毛皮が敷かれており、その上にはヒナタが上半身に白のシュミューズを着込んだだけの姿で女の子座りをしていた。


 とても酷く無防備な格好から覗き出て来る胸元と太ももの張りのある若い柔肌の眩しさに、アルゴは思わず口を僅かに開けて困った眼のやりばを壁のシミへと向ける。

 やはり顔に見える。


「うう、見苦しくてごめんなさい……」


 ヒナタも困り果てた様に毛皮に包まり頭を残してベットの上で丸くなってしまう。


「いやまあ……王都の方まで行けばちゃんとした寝間着は買えるから、それまで辛抱して欲しい。……寒くは無いかい?」

「はい、毛皮がとっても暖かいです」

「男が上半身裸で寝れる位だからね」

「うー……王都の墜ち人さん達は一刻も早く、パジャマを村まで流通させるべきだと思います」

「それより先に、俺らが王都に辿り着けるさ」


 さざ波だった心を落ち着かせたアルゴが、なるべく奥のベットからは視界を外しながら、木目の床に腰を降ろして自分の荷物を一旦取り出し始める。

 頭だけで覗き込んでいるヒナタが興味深そうに視線で動きを追う。


「明日の用意ですか?」

「寝る前の日課でね、一旦荷物を確認してその後にもう一回仕舞い込んでるのさ。長旅する時には、寝る前にこれをしないと如何しても落ち着かない。自分の手元に何が残って何が無いのか、確認しないとね」


 そう言いながらアルゴは碧い液体に満たされた小瓶を取り出す。


「それは何ですか?」

「ポーションさ、怪我をしても本人の生命力が十分に残ってれば、これで大抵の怪我は治る。ヒナタや他の墜ち人達にはこう言った魔法薬は効かないらしいけどね」

「えー……少し残念ですね、それは」

「魂の作りが違うんだって、王都の墜ち人学者はそう言ってたね」

「墜ち人の学者さん……あの、アルゴさん」


 ヒナタが丸まっていた毛布から這い出て畏まった様子で身を正す。

 真剣な面持ちになったヒナタにアルゴは落ち着いた素振りで振り返り相対した。


「あの私、王都に行けば…………」


 衝動的に出て来た言葉はヒナタの顔が下がると共に途中で遮られ、押し黙ってしまう。

 続きを言い淀んだまま下を向き続けるヒナタを、アルゴは気遣いながら見守り、背を向けて道具の整理へ戻る。


 すると、アルゴの長い尾がヒナタの座るベットへと乗り上がった。

 突然差し出された黒鱗の尻尾に、ヒナタは抱え込みながらも首を傾げる。


「……アルゴさん?」

「明日には港町のガメックスを目指して、そこから船に乗って一気に王都まで向う予定なんだ。だから、早めに休んだ方がいい。――そうした方が眠り易いんだろう?」

「あっ――ありがとうございます」


 ヒナタが抱え込んでいた尾を強く握り締め、硬い表情を解いて目尻を下げた。

 ゆるんだ頬の笑窪が背を向けているリザードマンの大きな背に注がれる。


「それじゃあ、お休みなさい」

「ああ、お休み。いい夢を」


 ヒナタが近くの蝋燭を一つ吹き消すと夜の帳が部屋の半分を飲み込み満たす。

 寝静まり始めたヒナタの両腕はアルゴの尾を強く抱き締めた。


 心なしか先端に湿り気を帯びた気がするが、尾の感覚は先に成る程に鈍くなるのでアルゴからは良く解らない。


 尾から伝わるヒナタの温もりと共にアルゴは考えを巡らせる。

 ――王都に行けば、か。


「……帰れると、言い切れれば好かったんだけどね」


 続くであろう言葉を聴こえない様にアルゴがそっと否定の言葉で呟く。

 正直な所を言えば、アルゴにも解らないのだ。

 もっと正確に言えば今まで興味が無い事だったので知る気も無かったのだが。


 ――俺ももっと、技術や学問に精通するべきだったかな。

 自分の尾を通して伝わって来るヒナタの鼓動にやるせない想いが募る。


 ヒナタには天涯孤独である自分と違って、帰りたくなるほどの家があるのだろう。

 一緒に生活を共にする人々がいて、時にはその繋がりに腹を立てたり、疎ましく想いながらも、こうした際には想いを馳せずにはいられない場所と人々がいるのだ。

 普通に生きていれば、それがきっと当然なのだ。


 豊かで平和になったこの国を通して、アルゴは尚更そう思わずにはいられない。


 ――傭兵の信条は、金と信用だ。


「保護した責任は、最後まで持たないとな」


 決めた覚悟と共に手入れを終えた投げナイフを掲げる。

 蝋の火に照らされて、眩しく煌いた。

 透き通った刃の先にあどけないヒナタの寝顔が映り――。


「すぅ……くぅ……ふぅ……はむ」

「――っ!?」


 何故か尾を突然しゃぶられ、甘噛みを始められた。


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