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一路平安

 スズキ・ヒナタは爬虫類と両生類が好きだ。

 あの一見ノッペリとした無表情そうな顔と眼つきに反する、妙に愛嬌のある仕草が堪らない。

 生命力が強かったり、見た目の多様さも素敵に思う。

 個人的には鱗があって大きければ更に「ツボ」だ。


 今、彼女の手の平に乗っているアカハライモリは渋る両親を何とか説き伏せて最近になって、ようやく飼う事が許された子だ。

 飼い主であるヒナタはアカちゃんと呼んでいる。

 お腹の下にある名前通りの赤模様がチャームポイントだ。


 そんな可愛くて大切なアカちゃんをヒナタは冷えて赤くなった自分の手に乗せる。


 人の手に乗せるのは、実はイモリにとっては熱すぎる事なので、乗せたいと思う度に手を冷やさなければならないが、それでもこの肌触りは魅力的だった。

 アカちゃんの方から乗って貰える様になるまで、毎朝手を冷やした甲斐が、ヒナタにはあった。


 最近は日課になった朝の挨拶を済ませて、学校へと向う事にする。

 手痛い失恋を経験したばかりだが、そんなものは時間とアカちゃんに癒して貰えば、ヒナタは簡単に生きていけるのだ。


「それじゃあ学校へ行って来るね、アカちゃん」


 元気の前払いとして精一杯の笑顔を手に乗ってくれている小さな天使に向ける。


「学校? ああ、寝ぼけてるんだなヒナタは」


 手に乗っているアカちゃんが、くぐもった知的な音で呆れた声を上げる。ありえない出来事に、ヒナタの体が思わず硬直した。


「仕方ないな」


 アカちゃんが手の平から飛び降りると、部屋の床に向いながら体をどんどん大きくして、人の体格へと近づいて行く。

 最終的には平均的な男性よりも一回り大きな姿になって人間と同じ様に立ち上がった。


 人の手に近くなった甲に鱗のついた手でヒナタの顔の頬を掴み、捏ね繰り始めた。

 妙に優しい手つきだった。


「ほら、おーきーるーんーだー」


 夢の様な事が起きて、現実感の無いままヒナタは瞳をギュッと閉じた。そして、大切な事に気付いた。


 ――あ、これ夢だ。


 ヒナタが夢から醒めると、毛皮で作られた寝袋の中に体を潜り込ませていた。頬は未だに誰かに引っ張られたままで、止めて貰う様にそちらへ視線を向ける。


「起きたね」

「はい、起ひまひた」


 巨大なコモドオオトカゲが、爬虫類目特有の眼で寝ていたヒナタを見詰めていた。


 正確にはコモドオオトカゲでは無く、大きな人体は毛の変わりに強固な黒い鱗に覆われていて、おまけに尻尾も鋭利な爪も生え揃っており、仕舞いには鍛え抜かれた肉体美が服の上からでも解るトカゲ人間――リザードマンだった。


 リザードマンの傭兵アルゴ。それが気を失ったまま、訳も解らずこの世界に迷い込んでしまい、戦場荒らしの盗賊から拉致されそうになったヒナタを救った男の名前だ。


 アルゴは返事をしたヒナタに満足したのか、頬から手を離して炎が大分弱まった焚き火の傍まで戻っていく。

 ヒナタは寝ていた体を起して大きく伸ばすと、釣られて欠伸も出て来る。


 寝癖の付いた黒の長髪を解こうとして、ここが自分のベッドでは無く街道から外れた原っぱだとヒナタは思い出す。

 そして肩の凝りと高校の制服を着たままで寝ていた事に気付くと、自分が知らぬ場所に来てしまったんだと改めて痛感した。


「コーヒーを淹れておいた、飲むかい?」

「有難うございます、頂きますね」


 差し出してくれたキャンプ用のマグカップには湯気を立てた熱々のコーヒーが満たされている。

 一口も飲めば、眠気がたちどころに追い出されて香りのいい苦さが熱と共に口の中で広がった。


「はふぅ、美味しい……」

「はい、朝食。保存食だけど、俺は気に入ってる」


 アルゴが横から小ぶりな棒状の紙包みを手渡す。包みを外すとチーズの匂いが効いたショートブレッドが出て来た。


「と言うか、完全にカ○リーメ○ト……」

「これは最近になって王都から出回る様になった保存食でね、君の言うカロ○ー○イトが元になったのかも知れない」

「王都って私を連れて行く予定の場所ですよね? 他の墜ち人さんもそこに大勢居るんですか?」

「そうだよ、墜ち人を保護して、替わりに君達の世界の技術を教えて貰っているらしい」


 アルゴは口にカ○リーメイ○を咥えたまま喋り続けている。爬虫類好きのヒナタから見ると、その仕草が可愛らしく感じられた。


「お陰でこの国の王都は敵無しになっちゃってね。銃なんて変てこな物が出来たせいで、俺ら傭兵は飯の種が潰れちゃったよ。まあ、戦争が減るのは悪い事じゃないとは解ってるんだけどね」

「もしかして、その戦場の帰りに私を助けてくれたんですか? ――もう一本下さい」


 チーズ味一本では育ち盛りの女子高生としては物足りないので、ヒナタはアルゴにねだって見る。

 すると、もう一本手渡してくれた。一口齧ると今度はフルーツの風味が口に広がった。


「そんな所。墜ち人を保護して王都にまで連れて行けば謝礼が貰えるからね。決して善意では無いから、勘違いしない様に」

「でも、助けてくれましたよ? それに昨晩はずっと寝ないで起きていてくれました」


 ヒナタが物の言い方を不思議に思って、疑問と共にアルゴを見やった。視線が合うと、ばつが悪そうに逸らされる。


「もともと独り旅が長いから、それが自然なんだよ。それに、墜ち人は大体が俺達より体が貧弱だから、ちゃんと休める時に休んで貰わないと困る。王都に向うまでは元気でいてくれないとね。――傭兵はお金と信頼が一番大切なのさ」

「確かに、お金と信用は大切ですね」

「両方とも無いと社会で生きていけないからね」


 二人で頷き合いながら、コーヒーを一気に飲み干した。


「じゃあ、そろそろ行こうか」


 二人は野宿の片づけを協力して済ませると、相変わらず馬なのか牛なのか良く解らない動物に、アルゴが先に跨る。

 アルゴの体はかなり大きいのだが、乗られた方は慣れているのか、顔色一つ変える気配は無い。


 ヒナタは昨日と同じ様に、アルゴに片腕で手伝って貰いながらスカートの裾に気をつけて何とか後ろに座り込む。


「今日中には村に辿り着きたいから、少し飛ばすよ」

「お、お手柔らかにお願いします」

「ん」

「お、おおぉ」


 アルゴがヒナタの体を固定するように尾をお腹の方に巻き付けて来た。

 巻き付けられた尾を触ると表面の鱗から来る堅さと、裏側のノッペリとした感覚が何とも言えない幸福感をヒナタに与えてくれる。


「はう……ビルマニシキヘビを肩に乗せたのを思い出します……」


 北海道の触れ合い動物園で大きな蛇を肩に掛けた時と同等の多幸感がヒナタを包み込んでいく。傍から見るとちょっと危ない感じになっていた。

 その事に気付いたアルゴが、撒きつけていた尾を緩めた。


「……尾で固定しない方がいいかい?」

「あ、すいません、このままでお願いします」

「じゃあ行くよ」

「わあっ!?」


 アルゴが足に一定のリズムで力を入れると馬だか牛だか解らない生き物が、跳ねる勢いで街道沿いへと走り出した。


 ヒナタの予想よりも大きな揺れが上下に伝わり、振り落とされまいとアルゴの背中に腕を回してしがみ付く。

 風の勢いでなびいて目や口に入って来そうになる自分の長髪が恨めしい。


 ヒナタは、女性は長い方がいい! と力説していた引き篭もりの兄の言葉を思い出し、不便だよと叫んで手入れの大変さを教えてやりたくなったが、今となってはもう叶わない。


 頭を振って自分に降りかかった気持をヒナタは払う。今考えてもどうにかなる事では無い。


 ――やっぱり、大きいなあ。

 改めてアルゴの体の大きさに驚くが、こうしてみるとちゃんとアルゴの体も温かく、耳を背にくっつければ静かな鼓動の音が聴こえて来る。


 手と体から伝わる感覚と温度に、アルゴが自分と同じ人間で、しかも男性である事に今更ながら実感してしまう。

 ――どうしよう、変に恥かしくなって来た。昨日は意識しないで平気だったのに。


 心に余裕が出来て来た証拠だろうか、ヒナタは一旦身を離そうとすると、アルゴの片腕に離そうとした身を押し止められてしまう。


「今は無理に離れたら危険だ!」

「は、はい!」


 そうだ、変に意識しては落馬に繋がってしまう。ここはくっ付いていなければ。

 ヒナタはやけくそ気味に更に体をアルゴに抱き付けた。


 動揺を隠し切れないでいるヒナタとは裏腹に、アルゴの鼓動のリズムはとても落ち着いている。

 少女は乗っている動物の手綱に集中しているリザードマンの横顔に大人の余裕を垣間見た。


「アルゴさんは幾つなんですか?」


 真剣な横顔を見詰めたまま、ヒナタは胸に湧いた気持を言葉にした。


「孤児だったから正確な誕生日は解らない、でも今年で数えて22歳になる筈だ」


 アルゴは顔は前を向けたまま、ヒナタの言葉を律儀に返す。

 ――私と五つ違うのか。


 五つも違うのか、五つしか違わないのか。どちらにせよ、ヒナタから見ればアルゴは自分より十分な程の経験を経た大人に思えた。

 ――右も左も解らない以上、アルゴさんに頼るしかない。

 ヒナタは縋る想いを腕に込めた。




「よし何とか今日中に辿り着けたね」

「あれが……村ですか」

「戦場に良く使われる平原に一番近いからね、(おの)ずと自衛する様になるのさ」


 陽が沈み始めた頃に辿り着いた村は、ヒナタの予想よりも大きな所だった。

 丸太を杭にして地面に突き立てた背の高い柵の向こう側には、自警団らしき人物と整った装備を身に付けた駐屯兵らしき人物の二人組みが高い物見やぐらの上から、アルゴに気付くと手を振って来た。


「おーい! アルゴだなあ、今回は帰りが遅かったじゃないかあ、死んじまったかと思ったぞ!」


 自警団の男性が親しみを込めてアルゴの名を呼ぶと、呼ばれた本人が手馴れた様子で手を振り返す。


「王都製の銃器に撃たれでもしない限り簡単には死なないさ! 少し拾い物をしてね、それで遅れてしまった」


 アルゴの拾い物として心当たりのあるヒナタが形の整った眉を寄せる。思わず膨れっ面でソッポを向いた。


「アルゴ、もしかして拾いものってのは後ろにいる綺麗なお嬢さんかあ!? その格好、もしかしなくても墜ち人か!」

「当たりだホルメル、書状の用意をしておいてくれ! 俺が責任を持って王都に連れて行く」

「あいよ、お前さんも忙しいね! 今日はここに泊まるんだろ、明日の朝には用意しておくから、取り合えず中に入れよ! おーい、アルゴがお客さん連れて帰って来たぞお」


 ホルメルと呼ばれた駐屯兵が後ろを向いて叫ぶと閉じていた柵の唯一の出入り口がゆっくりと開いて行く。

 アルゴは開く入り口のペースに合わせて進んで行った。

 綺麗、と呼ばれて先程の膨れっ面から気持二つ分の機嫌が良くなったヒナタはアルゴが一段落を付けて落ち着いているのが気になった。


「村の人とは仲が好いんですか?」

「よく利用してるんだ。何回か村の相談に乗った事がある程度だけどね」

「それにしては随分と歓迎されている様な」

「若い娘が来てくれて嬉しいんだろうさ」

「いえいえ、ただの拾い物ですよ?」


 育ちの良さが滲み出る笑みでヒナタはアルゴに微笑んだ。


「さっきの言い方は悪かったって」

「後でペタペタさせて下さい。落ち着くので」

「俺は落ち着かないなあ」


 村の中へ入ると先程の二人組みと軽く挨拶を交わして、奇妙な生き物から降りるとアルゴの背を追い掛けながら村の奥へと進んでいく。

 中へ進む度に広がっていく村の内部は農家の数が多く、丁度夕飯に入る時なのか村人が木造の家に次々と戻って行き食事の匂いが家から洩れて来る。

 アルゴに気付いた村人達が、すれ違う度に軽い挨拶と会釈を交わしていく。何も知らないヒナタから見ても解る信頼関係だった。


 そして村の人々の暮らし振りは決して華やかではないが、貧しいわけではないようだ。

 元気に桑を振り回す老人の活き活きとした仕草がそれをヒナタに感じさせた。


「けっこう豊かなんですね」

「言ったろ、王都は敵無しになったて。こう言う事さ」

「アルゴさんも頑張ったんじゃないんですか? 皆さん、アルゴさんの事を信用してるようですし」


 高い声を上げて家路に着いて行く無辜の子供達を見ながらヒナタはアルゴの功績をささやかに称える。


「俺はそんなに大それた事はしてないよ、言ったろ何度か相談に乗っただけだって。村人の方が義理堅いのさ」

「ならその信頼に応えられるだけの事をアルゴさんはしたんですね」

「どうしたんだ、急に」

「私も信用したいんです、アルゴさんの事」

「何を言い出すかと思えば……」


 アルゴが呆れた鼻息を吐くと、大きな灰色の手の平でヒナタの頭をぐしぐしと撫で付けた。


「あ、アルゴさん!?」

「心配するな、そんな事考えなくてもちゃんと王都まで連れてってやる。あそこに行けば、少なくとも墜ち人は毎日安心して眠れるだろうさ。言ったろ、傭兵は金と信頼が信条なんだ」


 子供を安心させる様な、無骨だが温かみのある手つきでアルゴはヒナタに言い聞かせる。

 それがアルゴなりの人生の物差しなのだろう。


 ヒナタは自分の目頭に熱が堪るのを散らす為に頭を振って、アルゴの手から逃れようとするが、そんな素人の抵抗は傭兵には通じなかった。


「は、離して下さいー。私、もうそんなに子供じゃないですー!」

「ふーむ……売られそうになってだけはあるね、ずっと触っていたくなる髪質だ」

「セクシャルハラスメント、セクシャルハラスメントですよ! アルゴさん!!」

「言葉の意味は解らないけど、君も俺の体を触って喜んでたからお相子だろう。よいしょっと」

「ひゃあ!?」


 アルゴが突然、太い大きな腕でヒナタを軽々と肩に抱えて、村の中で一番大きな二階建ての建物に向っていく。

 肩に抱えられたヒナタの向きからは見る事が出来ないが、どうやら宿屋である様だ。


「さ、早いとこ宿屋に入って温かい飯にしよう。ああ、君の着替えや荷造りもしておかないとね。その服装は悪目立ちするし」

「今もっと酷い事になってます、スカート、スカートの中があっ!!」

「大丈夫、大丈夫、誰も見てないよ」


 前へと突き出されたスカートの裾をめくられない様にヒナタが必死で隠し、早く降ろす様にと両足をジタバタと振り回すがアルゴは全く意に返さずに、ヒナタを抱え込んだまま宿屋へと足を進めて行く。


「と言うか、と言うか! こう言う世界って女性は無闇に足を出しちゃ行けないんじゃないんでしょうか!?」

「いや、別にそんな事は無いけど。恥かしい子とは思われるんじゃないか? そもそも君の服装は既に足を出しているだろうに」

「なら早く降ろしてくださいよー……。アルゴさん酷いです、責任取ってください! 爬虫類! ムキムキ! ペタペタ! カッコイイ!」

「褒めてないかい、それ?」


 罵詈雑言のレパトリーがずれたヒナタの悲鳴を楽しむ様に目元を緩めながら、アルゴは宿屋の入り口から洩れる明かりの中に入っていった。


 うなじの後ろまで来た羞恥心に悶えながら、ヒナタは一つの懸念事項へ思い至る。

 ――お風呂、入れるかなあ。


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