一蓮托生
広い城内の中庭えを越えて辿り着いた、墜ち人の生活区域の光景にヒナタは混乱した。
剥き出しになって見えるのは木造の柱と梁。壁の表面を塗装している漆喰の白さは、ヒナタに経験していない筈の懐かしさと既視感を与える。
年季を覗わせる黒ぼけた木製の廊下には、ヒナタと同じ黒髪の人間たちが数人ていど、白衣を上に羽織ったまま戸式の室内へ出入りしていた。
「私の世界にあった昔の学校だ。1から造ったんですよね?凄い……」
「あんまり頑丈な作りには観えないな。よく燃えちゃいそうだ」
「でも風通しがよくて、木の香りは落ち着きますよ」
「生活の快適さ重視なわけか」
廊下の木材に手を触れるアルゴが訝しむ横で、何人かの白衣がヒナタに気付いて注目の視線を注がせた。
ぶ厚い丸眼鏡をした年若い青年男性がヒナタに手を振り、学者らしい風貌からは想像がつかない機敏さで向かって来た。
「えらい親しげだけど……」
「誰でしょうね?」
「やあっ!! はじめまして!」
「わあっ!?」
丸眼鏡の男が愛想の好すぎる態度でヒナタの手を握って強引に握手する。
アルゴは間を割って片手を男の胸に押し当て、無言で威圧した。
丸眼鏡の男がアルゴの視線を笑顔のまま見つめて、ヒナタからゆっくりと手を離し、アルゴに向けて両腕を浅く上げる。
「すまない、馴れ馴れしかったね。君はもしかしなくても、私たちと同郷の子だね? 私の名前はオサム、城内にいる墜ち人の代表者だ」
丸眼鏡の男がオサムと名乗り、ヒナタに再び手を差し出す。名前を聴いたアルゴが訝しんでいた顔を驚きに変えた。
ヒナタはオサムの風体をまじまじと観察しながら握手に応じる。
「初めまして、スズキ・ヒナタって名前です」
オサムの背後にいる学者の集団には彼より歳をくった見た目の人間が何人もいる。ヒナタが1度だけ其方に視線を合わせるが、サムズアップされた親指と笑顔で返された。
「えと、いきなりで失礼なのですが、その若さでここの代表者って凄いですね」
「いやいや、私はここにいる誰よりも年長者さ。この世界の仕組みを研究がてらに自分の体で色々試してね、見た目はその時に変わらなくなってしまったよ、なかなか愉快だろ」
「えっ」
朗らかに笑うオサムの笑顔にヒナタが表情を強張らせた。
オサムは涼しい顔をしたまま自身の頬を引っ張る。
「この世界は面白いよ、我々の世界では抽象的なものである『魂』に当たるものが観ることが出来る上に、特種な手段を行うとある程度は操作できる。そして肉体への影響も強く出るんだ。今後の研究を発展させてより精密に魂を操作出来るようになれば――」
オサムが自分の話にのめり込み始める前にアルゴとヒナタの案内をしていた兵士が咳払いを強めに1度吐く。
「――おっと、悪い癖が出てしまったようだね。この話しは、君達が部外者のままでは出来ないんだ」
「こっちとしても、良く解らない理論は抜きにしてヒナタの手続きを済ませたい。元々、彼女を保護して貰うためにここまで来たんだ」
「勿論いいとも。一応聴くけど、彼女が墜ち人である事を証明できるものはあるかい?」
「彼女を見つけた時に持っていた私物はちゃんとある。ところで、手続きは……なんだかよく解らないガラス瓶や道具が置いてるあの部屋でやるのか? 薬品の臭いが濃くて俺には辛い、戦場以外では嗅ぎたくないな」
「安心したまえ、私は調子はこんなのだが、これでも城内ではそれなりの位置にいる人間さ。専用の執務室があるから、そこへ行こう」
オサムが部下たちの方へ幾つか指示を出すと部下たちは仕事に戻り、オサムがヒナタとアルゴを自分の執務室へと案内する。
変わり映えの無いの通路と階段を飽きるほど堪能し、ヒナタが瞳を回し始めた頃にオサムの執務室へと辿り着いた。
「ううぅ、アルゴさんは道を覚えてますか……同じ模様と壁の通路が多すぎて……」
「心配しないで、俺が覚えてるよ」
「初見の人間が覚えやすかったら、城としては戦時下で困るからね」
「経験談なのか?」
「ふふ、遠くなってしまった昔のね……リザードマンの君もみたところ荒事を沢山経験して来たようだね」
「あんた程に鮮烈ではないだろうさ」
ヒナタがあずかり知らぬ所でオサムとアルゴが共通認識を結ぶ。
置いてけぼりになりそうな空気の中でヒナタは手を控え目に上げて尋ねた。アルゴはヒナタの質問に瞳を丸くして、ヒナタを置いていた事を理解する。
「もの凄い有名人だよ、君が最初に訪れた村の人達もほとんど知ってる」
「そうなんですか!? あっ、もしかして……」
「ヒナタ君の予想は多分当たりかな。結構恥かしいんだけどね、こういうの」
オサムが自分の執務室にヒナタとアルゴを招き入れると芝居がかった仕草で耽美な絨毯の上を歩き、磨かれた執務机の前に窓ガラスから差し込む午後の陽を背に立つ。
「改めて始めまして。私の名前はヒラタ・オサム、一応この国の英雄として扱われている墜ち人だよ」
オサムが告げた正体にヒナタは反応に困りながら取りあえずの拍手をする。ぱちぱちと鳴らす手の平に細い顎をのせて首を傾げた。
「……えーと、その、銭湯を作ってくれて有難う御座います!」
「ははは、自分たちの世界ならいざ知らず、知らない世界の英雄とか実感も何もないよねー。とりあえず、積もる話もあるだろうから椅子とお茶の準備をしようか」
「椅子はあのソファをこっちに運べばいいんだな」
「おっ任せてもいいかい? 私は紅茶の用意でも」
オサムが本棚とは反対方向にある棚から実験器具のガラスビーカーや三脚、網、アルコールランプを取り出して執務机の上で準備を進める。
「まさかビーカーで飲むんですか!?」
「大丈夫、これは飲むようだよ。研究の進捗具合を皆でまとめる時はここで徹夜作業したりするから、用意してるんだ」
「それだったらコップを用意すればよかったのでは……」
ヒナタのもっともな疑問をオサムは流して紅茶の葉が詰まった小袋を取り出す。ヒナタは袋に刻まれた焼き印を観て、高価なものである期待に胸を膨らませた。
オサムが容易していたマッチ箱からマッチを1つ摘まむと箱の側面を素早くすって火種を生み出した。アルコールランプに火をつけ、マッチを振って火種を消し、三脚の上に網を載せてアルコールランプを真下に置く。
「ヒナタ君はマッチを観た事はあるかい?」
水差しを手にしてビーカーにたっぷりの水を注ぐ横で、オサムはヒナタへ尋ねる。
「私も学校の授業で使った事はありますよ……学校の授業だけですけど」
「いいね、つまりはマッチより楽で安全なものが市販で普及してる訳だ」
「ヒナタの世界は今使ったマッチよりももっと楽に火が使えるのか?」
アルゴが俄かには信じられない言葉を耳にした様子でヒナタをみた。
「は、はい。というか、火の代わりに電気で代用とかしてます」
「デンキ?」
「なんて言えばいいのかな……嵐の時に出たりする雷を私たちの世界だと人工的に使っていまして……」
「…………想像力が追い付かない」
聞きなれない単語に首を傾げるアルゴに、ヒナタがどうしたものかと手で伝え切れないイメージをどうにかしようと動かすが虚空を描き続けるだけになり、諦めてアルゴの腕の鱗をぺたぺたと撫で始める。
「いや、説明を諦めないでくれよ」
「だって難しいんですもん」
様子を愉快そうにオサムは眺める。
「うん、他の墜ち人の皆にも聞いてるけど、私の世代とは大分様変わりしてるようだね」
「……オサムさんは、帰りたいと思いますか?」
ヒナタが確かめようとする問いに、オサムは曖昧な笑みを浮かべる。
「さて、どうだろうね? こっちに来る前に親しい人は死んでしまってたし、こっちで出来た友人や大切な人も先立ってしまったから……出来ることなら一緒に連れて帰りたかったよ」
沸騰した湯を金属製の茶漉しを通してビーカーに均等に注いでいく。意識が覚めるような香りが琥珀色の茶から湯気と共に登っていた。
オサムの言葉に、ヒナタは何となくアルゴの方へ顔を向けるとアルゴと視線が合う。有鱗目の瞳を細くすると、アルゴは誤魔化すために咳払いを吐く。
「アルゴさん、今私のこと見てました?」
「いや、君の方が先に俺を見てたからつい」
ヒナタが真剣に頷くと、満足げな笑みを作る。
「解りました。そういう事にしておきましょう」
「待ってくれ、なんだその言い方は!?」
「おお、君達そういう関係なのかい? 亜人に対する王都の偏見は発展と共に無くなったけど……まさか違う世界に来たばかりの少女がそうとはね……未来は本当に進んでるな」
感慨深そうにするオサムにアルゴは手を突き出して待ったをかける。
「ご老体、多分ヒナタが特殊なだけだ」
「個性の無い人なんて何処にもいないさ。我々が表面で解るかどうかだけで、君もヒナタくんの事を知っているからこそ、言える言葉だろ?」
「む……確かにヒナタは外面だけだと可愛いだけだな」
「褒めてます?」
「おっと、話が脱線仕切ってしまう前に先にこれを頼まないとね」
オサムが執務机から書類を取り出し、アルゴの方へ手渡す。
アルゴは鋭い爪先で書類を破かないように摘まむと文字を眼で追い掛け始めた。
「墜ち人の扱いについては意外としっかりしてるんだな、もっと客品みたいな扱いになるかと思っていたが」
「余り露骨に優遇すると騒ぐ人たちもいるから格好だけでも生産的な事してないとね」
「誓約書が4枚あるのは?」
「個人で持っててもらう分と、私たちが補完するようだね。君のを入れて4枚」
自分の分が含まれていることにアルゴは眼をしかめる。
「なんで俺の分も必要なんだ? ……彼女を届けに来たんだぞ」
「君は経験豊富な傭兵だろ? 文字も読めるし、ヒナタ君の信用をみると無作法なゴロツキとは程遠そうだ。今は有能そうな人物を放っておくのは惜しくてね」
「軍には3年間いたんだ。規律と命令に縛られ続ける身に戻りたくはないな」
「無理強いはしないさ。ヒナタ君は、ここで衣食住と給金を渡す代わりに彼女もなにかしら労働して貰う事になる。ただ、学者という訳ではないから――」
「一応そこそこのお料理と掃除は出来ます!」
ヒナタが手を上げて割って入るとオサムは頷き、アルゴの方へ向き直る。
「それは都合がいいね――でもね、ヒナタ君は墜ち人で年頃の女の子だから良くも悪くも目立ってしまうんだよ。どうしてもね」
「…………なるほど」
「え? え? 私の話しなんですよね」
オサムとアルゴの懸念にいまいちピンとこないヒナタは顔を傾げるばかりだ。
「ヒナタ君、君には間違い無く納得できない話しだと思うんだけどね……王都、と言うかこの世界だと女性の社会的な立場が実はまだ、うん。上流階級だと特にね、時代錯誤な男性社会の面子で溢れてる」
「あ、あー……なるほど……その、私が墜ち人の女性だからっていうのが問題なんでしょうか?」
「率直に言ってしまえばね……ましてやここ、国の中心だし。君を利用したがる人はそこそこにはいる筈だ」
「つまり、それだけ墜ち人はシンボルになり易いって事ですよね……困ったな」
王都に来る前に立ち寄ったガメックスで起きた災難をヒナタは思い出す。
あの時はアルゴや騎士団の活躍で事なきを得たが、あのまま捕まってた状態は想像したくもない。
顔を青くさせるヒナタの横でアルゴは腕を組んで唸り、オサムが緩い笑みで頬杖をつきアルゴを観察する。
「せっかくここまでしてくれたんだから、君も最後まで付き合わないかい?」
「ぬっぐ……別に、命の危険に晒される訳では……」
「政治の世界での倫理と法を信用するかい?」
「うぐぐぐ」
アルゴはヒナタの様子を伺おうとするが、それを思いとどまる。
どうするかは自分の意思で決めなければならない。
悩むように自分の手を顔で覆い、腹積もりが決まりかかっている自分に困惑する。
今までに覚えのない感情と感覚に振り回されている事を自覚しながらも気持ちの中で言葉に落とす。
――熱病みたいなものと聞いていたが……熱いと言うよりは温かい。
「腹を決めたよ。教えてくれ、どうすれば生臭い事からヒナタを護ってやれる?」
「アルゴさんっ……」
泣きそうな顔になるヒナタの頭を照れ臭そうにアルゴは触れる。
オサムが心からの笑みをつくりアルゴの決断を拍手した。
「素晴らしい、男前だね! ――それじゃあ、皆で口裏合わせをしようか」
「全く、いい顔をするな」
意味深な笑みを作るオサムに呆れたアルゴの言葉を、オサム本人は芝居がかった態度で受止める。
「なに、私もここに住んでて長いからね悪巧みの1つや2つはお手の物さ」
ヒナタとアルゴの見た、英雄が作る笑みの皺は深かった。