情意投合
肉汁が溢れる満腹感を、空腹だった体に満たしたヒナタとアルゴは、憩いの時を過ごした酒場を後にする。
「ヒナタちゃん、またな!」
「今度はおっちゃんにも、お昼ご飯をごちそうさせてなー」
「アルゴー、ちゃんと護れよなー!!」
「言われなくても、お前らより上手くやるさ」
「皆さん、楽しいお話、ありがとう御座いました」
食事を共にした傭兵たちと、ほがらかに別れを告げた。
午後に傾いていく陽に眠気を誘発されならがらも、肌に注がれる温もりはどこまでも心地良い。
ヒナタは天高く両手を組みながら、体を伸ばす。
「このままフカフカのベットに飛び込みたいですね……」
「確かに。でも、陽がまだ高いんだからさ、今日中にやる事はやっておこう。さ、これで眠気を覚まして」
ヒナタに釣られて頑強な肩を回していたアルゴが、背負っていた荷物から迷い無く手を入れると、非常に簡素な長方形の木箱を取り出した。
アルゴが木箱の上を掴んで2,3度軽く揺すると、箱の上蓋が外れる。中には、サイコロほどの大きさをした青白い正方形の固形物が敷き詰められていた。
ヒナタは固形物の姿をまじまじと見つめながら、その容姿が自分の世界では極々有り触れていた物だと気付く。
「ひょっとしてガムですか?」
「うん、ガメックスの市場で気になったから買ってみた。新作のブルーハワイ味だってさ。ブルーハワイの意味解らないんだけど、ヒナタは知ってる?」
「あー……あれは確かもともとカクテルの名前だったような」
小さい頃に、兄に連れられて行った夏祭りで真っ青になった自分の舌を思い出す。
「……このガムも、舌が青くなるのかな」
「試してみる?」
「一つだけっ……あう、色々と激しいです……」
ヒナタが期待を込めて一噛みすれば、くどい甘さと香草が激しく鼻腔を突き抜けた。
――甘味が強烈で香りが結構キツイけど、アルゴさんは平気なのかな?
「それじゃ、俺は残りを」
「わ、豪快……」
ヒナタが一つ受け取り口にする間に、アルゴはざっと流し込むように残りのガムを口に流し込むと、気持ち良さそうに鼻を鳴らした。
「大丈夫ですか、鼻?」
「うん、丁度いいよ。やっぱり俺らみたいな種族だと人間の一回分は足りなくてさ」
「そう考えると、大きい種族の人はエンゲル係数的に大変ですよね」
「食う奴は本当に食うからなあ……俺も昔はちょっと、やんちゃしたな」
「アルゴさんの、やんちゃ……」
2人がもぐもぐと口を動かして喋りながら、昼過ぎの通りを歩んでいく。
街並みは繁華街を抜けると、人の行き交いが波を引く様に少なくなる。通りの風景も、親しみの在る生活観が消えていき古風で厳かな模様へと変わって行った。
ヒナタが試しで上手に膨らませたガム風船を維持したまま、再び様変わりした風景を見渡した。
「もしかして、行政関係のところに入りました?」
「関係と言うか中心だね。階段を上がれば、壮観だよ」
アルゴの言葉にヒナタは期待を込めて先に行く。横広な石造りの階段を小気味良く駆け上がれば、異国の威風が堂々たる造りで出迎えた。
「わっ……すっごい」
合理的な意匠が刻まれた円模様の広場中央には巨大な噴水が在り、精巧な乙女の彫像たちが水瓶から様々な姿勢で、噴水の中へ水を注ぎ続けている。
彫像の乙女たちの表情はヒナタの瞳から観ても、喜怒哀楽を受けとる事が出来るほどに鮮やかだった。
「ほあー……石像の女性、全部同じ女性をモデルにしてるんですか」
「うん。ここは、この国で昔あった墜ち人主導の革命後に出来た場所でね。その運動に参加してた人って話しらしい」
「曖昧なんですね?」
「50年近く前の歴史だから、傭兵には縁遠くてね。これが絡まないと」
人差し指と親指で作った円を見せるアルゴに、ヒナタはそれもそうかと、素直に頷きで肯定をする。
「時は金なり、ですか」
「もっと単純だよ。美術品の知識身につけるより、止血作用のある野草の知識が命綱になるからね」
「あー……凄い説得力あります」
「自分に出来る事が、戦場だと命に直結するから」
アルゴは口の中で噛み続けたガムを巨大に膨らませて気楽そうにしている。
「む、私も負けません」
謎の対抗意識を燃やしたヒナタが、口の中でガムを丸く転がしながら舌先で包み、少しづつ自分の息でガム風船を作り上げて行くが、その大きさはアルゴのものにはどうやっても届きそうに無い。
それでも必死に膨らませようとするヒナタの往生際の悪さに、アルゴは僅かに目尻を下げた。
「意外と負けず嫌いだね」
「むー……私もアルゴさん並みに口が大きければ……」
「歯磨き大変になるよ?」
アルゴはガム風船を大口を空けて一呑みで片付ける。
「飲み込んだんですか!? えと、ちり紙なんかは……」
「ちり紙? 巷で流行ってるよね。値はちょっと張るけど、評判はいいらしいね」
「あう、カルチャーショック……。そうか、紙は高級品なんですね……私も頑張って呑もう」
ヒナタはぐっと、小さなガムの塊を喉に通そうと首筋から肩までに力を込めて一思いに喉に通した。
「んっあ……我が事ながら、行儀が悪い……」
はしたなさを拭えないまま、ヒナタは喉に下っていく感覚をやり過ごす。飲み込み易い様に上向きだった視線は、石像の背後にあった巨大な建築物を捉える。
今まで巡って来た王都のどの建物よりも高く、広く、鋭い三角形の頂点が頭部になってヒナタを遥か上の正面から見下ろしている。
城はヒナタが思い描いていたものよりも巨大だったが、あまりに無骨で生活感が欠いていたものだった。
期待とは違っていたベクトルの存在に、何時も通りに思った疑問をアルゴへとそのまま投げる。
「あれがお城ですか? 要塞みたいですけど……」
「歴史の歩みでどうしてもね、この場所が権力者にとってリラックス出来る場所になるのは、まだまだ時間が必要ってことなんじゃない」
「もう、意地悪な言い方」
「ハハハ、気のせい、気のせい。書状は在るから入城の手続きをしてお城見学に行こうか。君が墜ち人だと認められれば、城内の一部は簡単に入れるようになるから」
「やっぱり楽しそうにしてません? アルゴさん」
ヒナタの華奢な両肩をアルゴは後ろからしっかりと掴み、城に繋がる開かれた巨大な城門へ連れて行く。アルゴの尾は、左右に揺れていた。
見張りの兵士に書状を渡すと、2人は城内へ通された。
深緑の絨毯が端から端へひかれた通路に、閉鎖的で耽美なアンティークに思いを馳せるヒナタとは対照的にアルゴは城内の機能性について眼を配っていく。
――昔とくらべて、少しだけ厳重になったか?
感じるのは以前と比べて引き締まった兵士たちの顔つきだ。
武器の発達でかつては戦場の華で在った鎧や重量任せの近接武器が旧世代へと追い遣られていく中、城内の兵士たちは近代化の波を真っ先に受けたようだ。
以前は身につけていた筈の、室内近接戦闘を想定されていた装備は見る影も無く、目に付く防具は見えなくなり背に負った銃器が自分へ威嚇している様に感じた。
更に、水先案内を務めてくれる筈の兵士の腰には直ぐに取り出せるように、人間の手に収まりそうな見慣れない道具が収められている。
――あれも、新しい武器なのか?
いらぬ警戒だと自分に言い聞かせながらも、傭兵の経験として未知の武器に脳から背筋へと警報が蟻のように這って行く。
自分と案内の間で楽しそうに城を見学しているヒナタの背を、左の爪先で僅かに突いた。
「はい、アルゴさんどうしたんですか?」
「一つ尋ねたいんだけど、ヒナタはあの武器が何か知っているかい?」
声量を低く抑えたアルゴの様子に、ヒナタも合わせて先頭を歩む兵士の装備を注意深く観察する。
兄や父と比べて武器に関しての趣味は1μも無いヒナタだが、兵士の装備には穴あきチーズ程度の見覚えが在った。
「えっと……学校と言うか、歴史の勉強で観に行った博物館……あと、お兄ちゃんの趣味に付き合った時とかに、見た覚えが在ります」
「なら彼が腰に下げている物も解る?」
「あれは拳銃ですね。あの人が背負ってる小銃を、小型化して携帯し易い様に特化させた武器です。……私の時代の物より大分古い形をしているみたいですけど」
「小型化出来たのか、あんな物を……ある種の執念を感じるね」
苦味を隠さないアルゴの口に、ヒナタはアルゴが自分とは違う視点で今を観ている事に気付く。
それとなく、何時も通りにアルゴの手を握った。
「私も警戒した方がいいですか?」
「いや、単に職業病が働いただけよ、不安にさせてごめんね。俺が軍にいた時と色々変ったもんだからさ、ほらあそことか」
顔の口先を浅く振って方向を示す先は、通路の間にある石階段を下った先にある中庭が在る事をヒナタは視線を追って理解する。
「あれは……訓練ですか」
置かれている木人や踏み慣らされた殺風景な土の様子に、中庭と言うよりは兵士たちの修練場で在る事に気付く。
ガッドたちと同じ騎士団の鎧を身につけた者達が中央で、鎧の重量に負けじと木剣から繰り出される剣戟を激しくぶつけ合って修練場に砂塵を巻き上げている。
「――っふ」
「らあっ!」
「もっと激しく打ち込んでみせろ!」
「そこだあッ」
「やらせるかよ!!」
「俺だって!」
纏っている鎧の上で食い込み気味に頭部を猛烈に揺らす白鳥の衣装以外は至って真剣な光景だ。
「何てデラックスな白鳥の湖……いっそ雄々しいですね」
「本当になにやってるんだろうか、あれは? 新しい魔術の開発?」
極一部分が盛大に異常な光景に、アルゴとヒナタの歩みが止まる。
2人を目的地まで案内していた兵士が、様子に気付き自然に顔を綻ばせた。
「中々に愉快な絵面になってるでしょ。あれ、若い騎士団階級の子たち様の訓練なんですよ。最近は戦争で前線に出る機会がめっきり無くなってるから、ガッド団長を筆頭に一部の騎士団長たちが、あの手この手で若い衆の精神修行を探ってるようです」
「ガッド……俺、初めて自分より上の階級の人間に本気で同情してるかもしれない」
「奇遇ですね、自分もそうですよ」
「集中力は訓練されそう……なんですかね?」
共通の認識で水先案内人の兵士と少しだけ距離が近くなった2人は目的地へと歩みを再開する。
向う先は城内に在る墜ち人たちの生活区域、そこにはヒナタの同郷たちがいる筈だ。
陽はまだ高く、夕暮れは遠く思えた。