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海誓山盟

 ――わお。


 夜の(さざなみ)と闇に沈んだ船の個室。

 喉の渇きにせかされて起きたヒナタの前に、今まで一度も観た事も無い人影がいた。


 余りのことに人影を見つめたまま、自分の横で寝ているアルゴの尾を強く握り締めてしまう。


 アルゴの尾を緊張を込めて強めに握るヒナタの前には、夜の闇から独りだけ、浮き彫りになる様に半透明に淡く輝く女性がいた。


「どちら様でしょうか……?」


 多少は異常事態に慣れて来たのか、ヒナタは動揺と恐怖を抑えて相手の反応を覗う。


 淡く輝く女性がヒナタの顔へと手を伸ばそうとする直前、ヒナタの体がベットの奥へと一気に引き寄せられた。

 ヒナタの瞳に、暗闇でも僅かに光沢を放つ鱗が現れる。


 入れ替わるようにアルゴが2人の間に立ち塞がり、顔の覗けない女性を睨み付けていた。


「それ以上ヒナタに近づくな」


 低く唸る警告の言葉を相手は理解出来たのか、透けた腕がゆっくりと離れていく。


 質量を感じさせない女性の人影が、困った様に背まで伸びた長髪を揺らす。


 ヒナタは彼女のその仕草に、悪意を感じられなかった。


「あの……アルゴさん……あの透けてる女性、困ってません?」

「ヒナタ、うかつに動いちゃ駄目だ。あれは陽の当たる世界の存在じゃない」

「そ、そうなんですか? やっぱり、幽霊と言うやつなんでしょうか」


 アルゴの厚い背に護られながらヒナタは納得できずに、おぼろげに明るい異形の女性を観察する。


 今は腕を組んでなにやら考え込むような仕草をしている。


 ――本当に危険なのかな?


 アルゴ以外に緊張感が無い場の空気は、異形の女性がポンっと手を叩き、妙案を思いついた様な仕草で再び動き出す。


 アルゴは警戒するべき相手の無防備な仕草に、既視感を得た。


 アルゴが注意深く異形の女性に警戒を保ったままにしていると、相手は突然アルゴとヒナタに向って頭を下げた。


「なんの積りなんだ?」


 意図を汲めない相手の行動にヒナタとアルゴが固まる。

 するりと、異形の女性は音も無く2人の体を通り抜けた。


「おっ」

「あ」


 異形の存在が物理的な法則を一切合財(いっさいがっさい)無視して通り抜けていく感覚に2人は血の気が低くなるのを感じた。


 ――キヲツケテ。


 弱々しく囁く女性の言葉がヒナタに届き、自分の体を通り抜けた相手を確かめる為に振り向くが、そこには波のリズムで揺れる木目の壁が在るだけだ。


「今の……あ、アルゴさん大丈夫ですか!?」

「何ともないけど、心臓には良くないな……ヒナタの方は大丈夫かい?」

「私も大丈夫ですけど……声が聴こえました。気をつけてって、言ってたと思います」

「そうか……俺には何も聴こえなかったけど」


 アルゴはそう言って個室の扉を開けて狭い一本道の通路を確認するが、錆付いた金具にぶら下がるランプの灯りに照らされた通路は静寂に包まれている。


「一体なんだったんだ?」

「あの、さっきの人はやっぱりお化けなんでしょうか」

「お化けみたいな存在ではあるね、本来なら戦場跡とか貧民墓地の夜だとかに出て来て怨み辛みを吐いてるだけなんだけど……動き回れるやつは初めてみたよ」

「……成仏出来ないんでしょうか?」

「教会も頑張ってはいるさ。俺が育った場所でも神父とシスターが、ぶ厚い聖書で素振りして鍛えてたよ」

「物理効くんですか!?」

「ちょっと違うかな、負の感情の固まりそのものの連中だから、成仏させてやる時にはそれに引っ張られないように心身を鍛えないと駄目なんだってさ」

「ほあー、お仕事の現場を一度みてみたい気もします……なんだか、目が覚めちゃいましたね」

「それなら、夜風でも一緒に浴びに行くかい? 今日は天気がよかったし、星空を見るには絶好だと思う。さっきの件を、船員に話しておきたいし」

「あっ、行きます行きます! 靴下とか、着替え直すので待ってて下さいね」


 先程までの事態が丸で無かったかのようにヒナタは無防備な背をアルゴに向けて、港市で購入した着替えを探し始める。


 アルゴは頬を指掻きながら薄着になっていくヒナタを視界から外し、眼を瞑ると着ぬずれの音とヒナタの鼻歌がより鋭く聴こえた。


 ――色気と言うよりは罪悪感があるな、これは。


 アルゴは五つ年下の少女からの信頼を受け取りつつも背がむず痒くなる感覚を持て余すしかなかった。




 ――夜が、明るい。

 アルゴに連れられて飛び出した甲板の上空は、境界線の無い夜空の星々が我先にと輝きあっている。


 限界の無い満天の輝く夜景は、揺れる小波の水面に映し出され、より一層の神秘性を帯びていた。


「うわ……凄い」


 ヒナタは今まで観た事のない夜景に吸い込まれていく様に魅入っていく。無造作に散り張りながら、大きさの差異を気にせず輝き続ける星を全て見渡そうと、顔を上空に向けたまま、甲板の上を歩いた。


「おいおい、そんな事してると――」

「本当にキレ――あ゛」

「っと、転ぶぞってね」


 放置されていた網に足を引っ掛けたヒナタが体勢を崩すのに合わせて、アルゴが先を見越したように片腕でヒナタの背を受止めた。


 思わずの事で固まるヒナタの視界が、星空から眼前のアルゴへと切り替わる。

 背中越しで伝わるびくともしない腕の逞しさにも驚くが、僅かに下がった目尻の動きと口端の上がりに尚驚いた。


「アルゴさんが笑うの……初めてみました」

「そうだっけ? 自覚無いな」

「わんもあ、アルゴさん! わんもあスマイル!!」

「どうしたのさ急に」


 夜空が移る瞳を更に輝かせたヒナタは、自身の状況をお構い無しにアルゴに再び笑ってもらうように迫る。


「今とてもレアなアルゴさんを見たからです!」

「え、なに恐いこの子」

「ほらこうニッコリと、もう一度」

「俺の顔を観るより今は星を見ようよ」


 アルゴが示す指のままに2人は自然と寄り添いながら夜空を眺めた。


「星が綺麗過ぎて、少し恐いかもです」


 自分の肩を支えるアルゴの手にヒナタは左手を添えて、星に吸い込まれ過ぎないようにと確かな感覚を求め、ごつごつとした鱗の下から伝わる手の体温に安堵を覚える。


「――アルゴさん、知ってますか? 星ってあんなに隣り合ってる様に見えて、お互いの距離は本当はとても遠いんです。私たちの一生では辿り着けないくらいに」

「……そうなのか、あんなに近くにいる様に見えるのに」


 ――って、急に何言ってるんだ私。

 自然と口についた自分の言葉にヒナタは戸惑うがアルゴは星を見つめたまま静に驚きを洩らす。


「寂しくなる話かもね。他所から見た姿と実態が違うって事は」

「はい、ロマンスも台無しです……あの、アルゴさん」

「どうした?」

「自分で言っておいてなんですが、寂しい気分になったのでもう少しこう、ですね」

「ああ、構わないよ」


 アルゴの許可を貰うとヒナタは嬉しそうに顔を輝かせて、アルゴへと更に身を寄せるとアルゴの腕を自分の手で案内するように自身の腹部へと回した。


「ほぁ~、温かいですね」

「俺は湯たんぽか」

「いえいえ、こうすればアルゴさんも温かいですよね?」

「ついでに好い匂いもするかな」


 アルゴが悪戯らしくヒナタの首筋に顔を近づける。

 ヒナタの顔が一気に熱くなり、そのまま固まってしまう。

 硬直したヒナタの反応を観たアルゴが満足げに顔を離した。


「温まったかい?」

「も、弄びましたね!?」

「お返しさ」

「ううぅ、またあしらわれた……あっ」


 アルゴに抱き留められたまま、ヒナタの視界が世界の変化を捉える。


 薄らんでいく夜空の輝きが薄くなっていたのだ。


 果てが見えなかった筈の真夜中に、紅い境界線が現れ黄昏に近い白みを帯び得て登り始めた。


「日の出だね、ほらあそこ」


 明けていく夜の海から船上からでは切れ目が見えない大陸が出現し、煌びやかな白楼に彩られた港街が徐々に近づいて来る。


 その後ろから覗ける赤茶けた建築物の山と煙突から登り立って行く無数の煙が、其処に住む人々の規模を想起させた。


「あれが王都……」

「ようやくだね」


 ――あそこに、帰れるための手立てはあるのかな。


 ヒナタは言葉にしても仕方が無い不安を飲み込むと、ヒナタの顔色を覗ったアルゴがその手をヒナタの頭の上に乗せて二度三度と軽く撫でた。


「大丈夫だよ、最後まで付き合うさ。仮にここで帰る為の手段が見つからなくても、見つけるまで世界を巡って一緒に探すだけさ」

「アルゴさん……」

「取り敢えず王都に着いたら、俺が頼んだ書状の件を確認しようドバトがちゃんと着いていれば、すんなりと行く筈だ」

「はい!」

「同じ墜ち人たちに会えたら、ヒナタもきっと本当に安心出来るさ。一度、部屋に戻ろうか」


 船から降りる支度を整えようと、先に個室へと向かうアルゴの背にヒナタは柔らかい笑みを向けて誰に聞かせるでも無く呟く。


「……本当に安心できる人は、もう隣にいますけどね」


 速度を上げて港へと向う船が、荒波を立てて言葉を飲み込んだ。


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