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5.





 窓ガラスを何かがコツコツと叩く音で目が覚める。


 ぼんやりとしたまま目を開けると、まだ部屋の中は薄暗かった。時計が無いから何時か分からないけど、カーテンの向こうからいまだ陽の光が漏れてこないということは、まだ目覚める時間じゃないはず。

 昨日のことで思いの外疲れていたのか、あたしは珍しく二度寝の体勢に入ろうとした。


 ――コツコツ。


 再び窓ガラスを叩く音がする。あぁ、またか、と面倒な気持ちになる。この音を初めて聞いた時、「ついにあたしにも、心霊現象的な何かが!?」と胸を踊らせたものだけど、正体を知ってからはただただ面倒なだけだ。


 ――コツコツ。


 音を無視して目を瞑る。たまには自分たちでどうにかするべきでしょ、と無視し続ける。


 ――コツコツ。コツコツコツ、カンッ、カンッ!


「うるさい!」


 上掛けを払いのけて勢いをつけて起き上がると、窓辺へとあたしは近づいた。その間も絶え間なくカツンカツンと窓ガラスを叩く音がする。あまり強く叩かれて窓ガラス等割れてしまったら大変だ。この世界のガラスって吃驚するほど高いんだから。


 カーテンを開けると、窓ガラスの向こうから幾つかの影が見える。錆びた蝶番をガタガタ言わせながら窓を開けると、音の発生源は一斉に鳴き出した。


「クェーフッ、クェーフッ」


 嬉しそうに身体を左右に揺れさせてあたしを見上げてくるのは、数匹の鳥。鳩とインコを足して割ったような見た目の、奇妙な鳥。なにより鳴き声が可愛くない。

 ちなみにこの奇妙な鳥の名前はカエルというらしい。鳥なのにカエルって、と初めて聞いた時笑ってしまった。


「あんた達ねぇ、ちょっとは自分で餌を捕る努力をしなさいよ。毎朝毎朝、あたしの所にせびりにくるって、野生動物としてどうなの?」


 あたしがジットリとした目で文句を言うと、鳥達は「クェーフッ」と言って無邪気なフリをする。

 カエルたちのみならず、動物は大体あたしの言葉を理解しているし、あたしも彼らの伝えたい事が何となく理解できてしまう。


 だからなのか、故郷の森で養父母以外の人間とほぼ接する機会がなかったのに、寂しいと感じなかったのは、常にあたしの周りには何らかの生き物がいてくれたからだろうと思っている。

 これは恐らくあの駄女神の言っていた、「孤独にならないように祝福を授ける」というのが実現された結果だと思われる。


 確かにね、孤独は感じずに生きてこられたよ。でもね、あたしは声を大にして、あの駄女神に言いたい。


 ――そう言う意味じゃないんだよ! と。


 あたしが言ったのは、孤独死しない環境であって、動物に囲まれる環境ではない。そもそも動物があたしの死に際を看取ってくれるというのだろうか。あたしが病気になった時、面倒を看てくれるとでも言うのだろうか。


「クェーフッ」

「はいはい、分かったから静かにしててよ。ご近所さんに見つかったら大変でしょ」


 遠い目になりつつもカエル達の鳴き声に促され、あたしは部屋に引き返して食料庫の上に置いてあるパンを割いて窓辺に戻った。


「いい? 食べるのは良いけど、絶対にここで糞をしないでよ。わかる?」

「クェーフッ!」


 早く寄越せと一層激しく左右に身体を揺らすカエル達に嘆息しつつ、あたしは手の中にあるパンを小さく千切ってカエル達に分け与えていく。


 いつからこの子たちが来訪するようになったのかと言えば、ここに越してから数日経ったくらいだろうか。あの時も早朝から、窓ガラスをコツコツ叩かれて起こされたのだ。

 動物たちの情報網とは恐ろしく、最初のうちは一、二羽程度だったのが、気付けば今は十羽くらいに増えている。しかも毎朝訪れる顔ぶれが違うことに気付いたのは、半年前くらいだったと思う。


 ボロアパートと言えども動物の飼育は禁止されているし、このままカエル達が増えて来て鳩屋敷状態になったらどうしようかと、近頃本気で悩んでいる。

 だけど、そんなあたしの内心を見透かすように、カエル達はあたしの所に来るときは、大体十羽前後でやって来るのが常で、それも毎回違う顔ぶれとくる。


「ねぇ、あんた達、今はどこに住んでるの?」


 あたしが尋ねると、一番大きなカエルが一声鳴く。鳥なのに目が覚めるような水色の瞳をしている。

 あたしはカエルをジッと見つめて、何を伝えようとしているのかを読み取ろうとする。


「え、城? いや違うな……あー、城の上? 塔? また移動したのね」


 城、もとい中央管区ルーチェには幾つもの塔がある。城として機能していた時の名残だろうが、彼らはそこのどれかを根城にしているらしいことは分かった。


「だったらさ、そこで餌を探すか貰いなさいよ。もしくは壁の外に言って、森で餌を捕るとかさ。森ならいっぱい餌あるでしょ」


 あたしが言うと、カエル達はまた聞こえないふりをする。こいつら、本当にしたたかだわ。


 一通り餌を食べ終えたら、もう用はないとばかりに、カエル達は一斉にあたしの窓辺から飛び立っていく。言いつけ通り、彼らはここで粗相をせずに去っていった。

 空がうっすらと白み始めている。あたしは窓を閉めて、自分の朝食の用意を始めた。









 朝食の用意をする傍ら、顔を洗って身支度を整える。官庁では基本、職員にはその部署専用の制服が与えられている。あたしの勤める警備課は濃紺を基調とした、シンプルな制服だ。ジャケットにフレアスカート。装飾も最小限で見かけも地味。


 キッチンの壁に掛けてある小さな鏡を覗きこむ。

 茶色の髪に焦げ茶色の瞳。各々のパーツもこじんまりとしていて、総合的に地味な顔立ち。それがあたしだ。


 この世界で出会う人は、大抵みんな濃い顔をしているのに、どうしてあたしは前世並に地味なのだろうか。人に不快感を与えない容姿なだけ感謝するべきなのか、それともあの駄女神の嫌がらせだと考えるべきなのか、判断に迷う顔付きだ。

 自分の容姿のことを考えても、今更どうにもならないので、あたしは髪を整えた後、黙々と朝食を摂りはじめた。


 そして食事を終える頃には、鐘の音が外から聞こえてきた。そろそろ家を出ないといけない。

 食べ終えた食器を流しに放り込み、あたしは手をかざして「いつものように」しようとしてやめた。そろそろ”チカラ”がきれかかってたのを思い出したのだ。

 仕方なく食器は帰ってから洗うことにして、あたしは鞄を掴んで玄関ポーチに置いてある鍵を手にして部屋を出た。


 扉を閉める時も力を込めて勢い良く閉めないと、きちんと閉まってくれない厄介な扉だ。こんなボロアパートに泥棒が入るとは思えないけど、そこは用心するに越したことはない。鍵をかけてノブを回して確認し終えたら、朝にもかかわらず薄暗い廊下を通り抜けて階下へと降りていく。


 玄関ホールは夜と変わらず陰鬱な雰囲気に満ちている。チラリとホールに掛かる絵の中の女性を見ると、変わらず彼女は無表情のままそこにいた。あたしは小声で彼女に向かって「行ってきます」と言って、玄関から出て行った。


 職場に向かう人々の顔も、どことなく憂鬱に見えるのは、灰色の曇天だからだろう。朝晩はいまだに少し冷え込むから、あたしは両腕で自分を抱くようにして歩き始めた。


 街灯が立ち並ぶ通りに差し掛かると、昨日とは別の少年が街灯からアカリ虫を取り出している。そして先端に杓のようなものが付いた棒を街灯の中に入れて、杓の中身を街灯の中へと流し込んでいる。あれはアカリ虫の餌となる蜜で、あの餌が無くなるのがちょうど明け方になるよう量が調整されている。餌がある限りアカリ虫は煌々と光を発し続けるからだ。

 そして朝になると餌がなくなるから、アカリ虫が光らなくなる。それを業者が回収して餌を足しておく。あとは夕暮れ時にアカリ虫をまた入れるだけだ。よく考えられてるシステムだと、ここに来た当初は感心した。


 商業地区は既に開店の準備で賑やかだけど、官庁の近くにある公共地区はまだ人がまばらだった。

 ふと視線を上げると、あたしの職場でもある中央管区ルーチェが曇天の下でも、堂々とそびえ立っているのが見えた。

 威風堂々とした白亜の城。文字通り、真っ白な城だ。だから城としての機能を失った今でも、人々は未だにこの城を月光城と呼んでいる。


 分厚い門をくぐり抜け、両脇に水路が流れる石畳を歩けば、官庁の入り口である扉があるのだけど、なにせそこにたどり着くまでが長い。

 城だった頃の名残なのか、正面入口までの間に巨大な前庭があり、そのせいで入り口までが遠いこと遠いこと。この城作った奴は馬鹿なんじゃないの? なんでもっと門から近くに城の入り口作らないのさ! なんて毎日ブツブツ独り言を言いながら、あたしは入り口まで歩いている。

 他の職員もちらほら見かけるけど、皆あたしと違って優雅に石畳を歩いている。ここに勤めるってことは、この国の人にとってはステータスらしく、そりゃ表面上は不満を表わせないよね。あたしは表すけど。


 ようやく入り口までたどり着くと、今度はそこで守衛の横に据えられている細長い長方形の石に、金属で出来た薄いプレートをかざさなきゃいけない。

 このプレートはここで働く者に全員支給されている物で、プレートの中に所有者の血と魔力が染み込ませてある。それをこの長方形の石にかざすと、自動的に所有者が何時にここを通ったかが、記録されるようになっている。


 鞄の中からプレートを取り出して石にかざすと、石の表面が鈍く青色に光る。守衛はそれを確認すると、目線でどうぞと促してくる。

 そしてあたしにとって朝の最難関、黒っぽい鉄のような材質をしたアーチ。この下を通り抜けると、違法な魔術具を所持していたり、危険な魔術を発動しようとしていたら、即弾かれるようになってる。


 いつまでもアーチの前で突っ立てるあたしを守衛が不審げな顔で見てくるから、慌てて足を踏み出した。その瞬間、全身をネットリとした言い様のない感覚が襲う。

 粘り気のある薄い膜を通り抜けるような、とにかく表現しがたい気持ち悪さというか、不快感が全身に纏わりつくのだ。

 アーチを通り抜けるのは一瞬だけど、その一瞬が本当に不快すぎて憂鬱になる。これが毎朝なんだから、このアーチを開発した人は相当性格が悪い気がする。この粘り気のある感覚が、作り主の性格を表しているに違いない。


 他の職員はやっぱりあたしと違って澄まし顔でアーチを通り抜けてるあたり、ここの人たちは相当プライドが高いんだろうな、と毎度のことながら思ってしまう。

 あたしも他の職員のように顔を顰めないように、必死に無表情を装ってアーチをくぐり抜けた。そして玄関ホールからようやくルーチェの内部へと入ることが出来た。


 ルーチェは外観に劣らず、城の中も白い。磨き上げられた床も壁も天井も、すべて白を基調としてるあたり、徹底している。

 色んな省の職員が行き交う廊下の中で、あたしが向かう先は治安維持局のある区画だ。仕事の内容が内容だけに、すぐに緊急事態に対応できるようにと、城の入り口に一番近い区画が治安維持局に割り当てられている。


 目に痛い白ばかりの廊下を通りぬけ、治安維持局の警備課の扉を開くと、質素だが落ち着いたネイビーの壁紙にマホガニーの床板が貼られた室内が視界に入り、ようやくホッとする。

 だけど部屋の奥に視線が行った途端、安堵していた気持ちが一気に霧散した。あたしの視線は部屋の奥、課長の席の辺りにできている人だかりに向けられている。


「なにかあったんですか?」


 ちょうど近くを通りかかった課員に尋ねると、険しい表情で頷いた。


「昨晩、外壁の見回りをしてた奴らが魔獣に襲われたらしい」

「え? 外壁の近くでですか?」

「俺も詳しくは知らんが、実際二名が負傷してる」


 急いで課長の席へと近づくと、皆いつもより低めの声で話し合っている声が聞こえてきた。


「壁の外とは言え、まさか首都にこんなにも近い場所で魔獣が現れるなど、ここ何十年も無かったことだぞ」

「あぁ。だが起こったことは事実だ。大事なのはこれからどうするかだろう」


 輪の中心にいる課長と副課長が深刻な顔で話し合っている。あたしはいつもとは違う雰囲気に気後れしそうになるのを我慢して、二人に声を掛けた。


「あの、課員が魔獣に襲われて負傷したと聞いたのですが、どういうことですか?」


 あたしが言った途端、課長を含め周りにいた課員たちが一斉にあたしの方を振り返った。


「あぁ、そうか。アンには報せが言ってなかったんだな。じつは昨日の夜、壁の外の警備をしてたら、カルネ牧場の方角から魔獣がやって来て襲ってきたらしい」


 副課長があたしの方を見て言った。


「カルネ牧場の……ということは、飼育していた家畜も?」


 あたしの問いに副課長が重々しく頷く。


 前世で暮らしていた世界とは違い、首都と言えども壁の外に出れば自然豊かな山々や大地が広がる世界だ。

 そして、首都の北にある山々から豊富に流れる水を生かして、家畜を飼育している酪農地や、麦や野菜などを育てる耕地などが首都の南側に広がっている。


 問題は、自然が豊かであるということは、獣や魔獣、そして魔物が表れやすいということだった。


「あの、結界は機能していなかったんですか?」


 純粋な疑問だった。首都を守る外壁には、目には見えないけど魔獣や魔物、そして危険な魔術の侵入を防ぐ結界が施されている。

 勿論、首都の人々の重要な食料供給源である酪農地や耕地の周りにも、結界が施されているはずだった。


「魔術管理局の言い分としては、きちんと結界は張られていたらしいが、どうやらそれを抜けて侵入してきたようだ。でなければ、壁の近くまでやって来て、人を襲うわけがない」


 苦い顔付きで副課長が吐き捨てるように言った。あたしの周りにいた課員たちも似たような表情を浮かべていた。


「襲われたという課員は無事なんですか?」


 あたしが尋ねると、黙ってあたしと副課長の遣り取りを見守っていた課長が首肯しつつ言う。


「幸いにも魔獣は一体だけだったようでね。なんとか撃退したらしい」

「え! 倒してないんですか?」


 驚くあたしに課長は情けなく眉尻を下げた。


「簡単に言うけどね、その場には魔術師もいなかったんだ、死なずに退けることが出来ただけでも上々だと思うよ私は」


 そこであたしは我に返る。そうだった、普通の人(・・・・)は魔獣を倒すのも大変なことだという事実を。

 皆が深刻な表情を浮かべる中、あたしはふと彼の姿が見えないことに気付いた。


「あの、アランはどこに?」


 小声で隣りにいる課員に尋ねると、彼は一瞬方眉を上げたあと、ニヤリと意味ありげな笑みを浮かべた。


「大丈夫だよ、アイツなら今怪我した課員に付き添ってるだけだ」

「そ、そうですか」


 ニヤニヤと探るような笑みで見てくる課員に、あたしは居心地が悪くなって視線を課長の方へと無理やり向けた。

 すると副課長と話していた課長が、あたしの方を見て両眉を上げる。

 なんだか凄く嫌な予感がして、あたしは輪の中から抜けだそうと後退りし始めたのだけど、既に遅かったようだった。


「アン、今からすぐに魔術管理局の方へ行ってきてくれないか?」


 あぁ、やっぱり。これ見よがしに大きな溜息を吐くあたしに、課長がいつもの情けない表情で頼み込んでくる。


「僕は今から上で対策会議があるし、オリヴァは課員たちの警備体制の見直しを早急にしなきゃいけない。手が空いてるのは、アン、君だけなんだよ」


 だから分かるだろう? と言外に滲ませる課長に、あたしは仕方なく頷き返したのだった。









「貴女に言われずとも、既に事態は把握済みです。わざわざそんな事を言うためにやって来たのですか?」


 今日も今日とて、美麗な顔を皮肉げに歪ませながら毒を吐く魔王。それでもあたしは食い下がった。


「それは分かっています。ですが結界は魔術管理局の方々が施したはずですよね? それが破られて――いえ、どうやったのかは分かりませんが、とにかく結界を抜けて侵入してきたんです、一刻も早く何らかの対策を講じるべきではありませんか?」

「我々の結界は完璧です。ですが、念の為に結界は事件が起こってから直ぐに張り直しています。貴女の心配は無用ですよ」


 当たり前のことを言うなとばかりに流麗な眉をしかめる魔王に、あたしも苛立ちが募る。


「では、いなくなった魔獣はどうなったんですか? もし結界の外に出ていないのなら、まだ結界の中にいるはずです。局長が仰ったとおり、結界を張り直したのなら、中から出ようにも出られなくなっているはずです」


 恐らく魔獣は、未だに首都の周りを彷徨いているはずだ。


「それも既に追跡調査をしているところです。そもそもあなた方が逃さなければ、手間もかからなかったんですけどね」


 その言葉に思わずカッとする。


「それはこっちの台詞です。あなた達がきちんと結界を張っていたのなら、そもそも侵入なんてされていなかった筈でしょう? 本当に結界は完璧だったんですか?」


 あたしの反論に、魔王の紫色の瞳がスッと眇められた。


「魔術もろくに扱えない警備課の貴女に、結界の何がわかると言うんですかねぇ?」


 いつも以上に嫌味ったらしい笑みを浮かべる魔王は、嘲るようにあたしを見つめ返してくる。


「仰るとおり、わたしは魔術のことなどさっぱり分かりません。ですが――いえ、だからこそ、魔術を扱えない人間が魔獣と対峙した時のことを考えると、このまま何もせずにいるなんてことが考えられないんです」


 なるべく冷静に相手に訴えるべきだと、あたしは思い直した。


「ですから、警備課の見回りに、魔獣・魔物対策課の課員を一人ずつ、警備課の見廻班に付けては貰えませんか? 少なくともバラバラに魔獣を追うよりも、一緒に行動したほうが、遭遇した時に確実に対応できるはずです」


 警備課の課員たちは魔術を魔術師ほどには扱えない。けれども魔術師も、魔術を行使する間はどうしても無防備になる。それを互いにカバーし合えば、魔獣と遭遇しても今度こそ逃がすこと無く倒すことが出来るはずだ。


 あたしの提案に、魔王は顔から笑みを消した。

 あたしは黙って魔王の返事を待つ。ヤツはペンより重いものなんて持ったこともなさそうな、あたしよりも細長くて滑らかな白い手を顎に置くと、あたしを無表情に見上げてくる。


「貴女は警備課課長の代理でここに来ているはずですが?」

「……そうです」

「先程の提案は、警備課課長が仰ったのですか?」


 どこまでも無機質に透き通ったヤツの紫の瞳が、あたしを射抜くように見つめてくる。


「……いいえ。ですが、あなた方に協力を仰げと――」

「話しになりませんね。貴女はご自分の立場を理解しておられるのですかね? 警備課の、たかだか事務員ごときが、魔術管理局の局長である私にあれこれと指図するなど、明らかに職務を逸脱した行為ですよ」


 冷え冷えとした表情で、魔王は言い切った。


「指図なんてそんな……わたしはただ、提案を……」


 食い下がるあたしに対し、無情にも魔王は切り捨てた。


「これ以上、貴女と話しをしても時間の無駄です。魔術管理局は警備課からの直接の要請には応じられません。私たちを動かしたいのなら、もっと上からの命令を持って来なさい。まぁ、貴女方では到底無理な話しですが」


 そんなこと、言われなくても知ってる。魔術師はこの世界で最も尊敬される存在だ。そしてその中でも選りすぐりの魔術師が集うこの魔術省の魔術管理局は、他のどの省よりも発言権も強く立場も特殊な位置にある。

 でも、彼らだってあたし達と同じ、国と民に使える身分のはずだ。なのに、現実はこうだ。


 特権階級――あたしの前世の世界にもいたけど、この世界はもっとあからさまで、もっと横暴だ。


「分かりました。お時間を取らせてしまい、申し訳ありませんでした」


 拳を握りしめ歯を食いしばりながら、あたしはヤツに頭を下げ、そのまま魔術管理局の部屋を出て行った。

 警備課に戻って課長に報告しようとしたけど、課長はまだ上との会議が終わっていないようで、副課長しかいなかった。

 副課長はあたしの顔を見てすべてを察したようで、申し訳無さそうにあたしの肩を優しく叩いた。


「すみませんでした。わたしでは力不足でした」


 謝るあたしに副課長は苦笑する。


「いや、アンには悪いことをしてしまった。また後で俺が直接申し出に行くよ」


 そう言う副課長に、あたしは余計に申し訳無さを感じてしまう。もっとあたしがしっかりしていたら――もっとあたしがヤツよりも立場が上だったら。

 そんな馬鹿なことを考えている間にも、副課長はまた誰かに呼ばれて警備課の部屋を出て行った。彼も忙しい立場だ、恐らく魔術管理局に顔を出す暇もなかなかないだろうと思うと、また悔しくなる。

 力なく自分の席につくと、誰かがそっと話しかけてきた。


「アン、またあの局長に何か言われたんですか?」


 見回りから帰ってきたばかりなのだろう、帯剣したままのアランが心配そうな顔であたしを伺ってきた。


「いつものことだよ。それより何か変わったことはあった?」


 無理やり笑顔を見せると、アランは痛ましげなものを見るような表情を浮かべる。本当に優しい人だと思う。


「魔獣のことはまだ街の人には知られていませんが、市場に出入りする行商人がランメに来るまでに魔獣の被害に遭ったらしくて、そのことが少し噂になっています」

「え、行商人まで魔獣に襲われたの?」


 驚いて聞き返すあたしに、アランが苦い顔で頷いた。


「ここに来るまでに、あのフォーレスの森を抜けなきゃいけないですよね? どうやらそこで魔獣に遭遇したそうです」


 フォーレスの森は首都の南に広がる森のことだ。もともとこの国は山や森を切り開いて作ったようで、いまだ自然が昔のままで残っている場所が多々ある。


「怪我人はどれくらい? それとも誰か……」


 最悪の事態を想像するあたしに、アランは慌てて首を振った。


「大丈夫です、魔獣に襲撃される前に商人たちは逃げ出したので、被害に遭ったのは積んでいた荷物だけです」

「そう……それは良かった……いえ、良くないか」


 商人にとっては商品は命と同じくらい大切な物だ。それを失くすというのは、彼らの生活に直接影響が出るということでもある。


「ねえ、魔獣に襲われた課員に、どんな魔獣だったか聞いてない?」

「夜だったのではっきりとは分からなかったらしいですけど、大型の狼のような魔獣だったらしいです」


 よくある見かけの魔獣だ。あたしも故郷の森でよく遭遇していた。けれどもここランメでは、結界のお陰で皆が安心して暮らせている。だから魔獣の姿なんてランメから出なければ、そうそうお目にかかれるものではない。

 まぁ、その肝心の結界が、今となっては全く信用できない状態なんだけどね。


「街の人が不安にならないように、見回りする時も気をつけてあげてね」


 下っ端事務員のあたしが偉そうに言うのもなんだけどと思いつつ、だけどアランはそんな事を気にした様子もなく、素直に頷き返してくれた。


「アンさんも一人で行動するときは気をつけてくださいね。まだ壁の中には入ってきていないとは思いますけど、魔獣以外にも危険はありますから……」


 不安げな顔をするアランをあたしは笑い飛ばした。


「大丈夫だって。あたしはこう見えて、結構強いんだから」


 わざと明るく言ったのに、アランは複雑そうな顔であたしを見てくる。本当に優しくて、いい人だアランは。こんなあたしに対しても思いやりを持って接してくれるんだから。

 チクチクと胸を刺す痛みを無視しながら、あたしは件の魔獣以外にも山程ある書類仕事へと戻るため、アランから無理やり背を反らして机に向かった。






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