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3.





 残業したって手当なんかでない。剣と魔法の世界の現実なんて、そんなもんだ。あ、魔法じゃなくて魔術だけど。

 というわけで、あたしは残りの仕事を明日にすることにして、今日は帰ることにした。


 城を出て分厚い白い門を通り抜けると、夕陽に染まったレンガ造りの建造物が立ち並ぶ区画に出る。大学などの教育機関や治療院、政府の研究所などの施設がこの公共地区には集まっている。


 ここ首都ランメで、どうやって公共地区とそうでない建物を見分ければ良いのか? 簡単だ。屋根の色を見れば一発で判別できるようになっている。

 公共地区が集まる区画の屋根は灰色がかった水色の屋根、商業地区は暗めのサーモンピンク、居住区はモスグリーンの色をしている。だから初めて来ても、屋根を見て歩けば大体の場所は把握できるんじゃないかな。


 それにこの街は区画整理が理路整然となされている上に、区画ごとに水路が走っているから建物と建物の区切りが分かりやすい。


 沈んでいく太陽に急き立てられるように、街を歩く人々が少しだけ早足になっている。

 あたしは公共地区の区画を通りぬけ、色んな店が立ち並ぶ商業地区へと向かった。


 白い石畳の道路の脇には、街灯が間隔を置いて設置されている。その街灯へと灯りを点すのは、まだ年端もいかない少年だった。


 彼は大きめの籠を肩から下げており、蓋を開けると中から網の中に入った光る物体を取り出し、それを街灯の中へと入れ込んでいる。そうして数秒も経たない内に、ぼんやりと光っていただけの物体が、煌々と辺りを照らしだす光源へと変化する。少年はそれを見届けると、籠を抱えて別の街灯へと向かっていった。


 あたしは灯されたばかりの街灯の前で立ち止まり、灯りを見上げた。

 強い灯りに目を眇めつつよく見ると、中にあるのは人工的な火ではなく、ふわふわと飛び回る虫だと分かる。


 この世界の常識が、あたしの記憶にある元の世界の常識とは全く違うのだと感じるのは、こういう些細なことだった。この世界では、灯りを得るには魔術を使うか、こうして光を発する生き物を使うかのどちらかが多い。


 さっきの少年も、この虫――ヒカリ虫、別名クサ虫――を街灯に入れて灯りを点す仕事をしているのだ。ヒカリ虫を養殖している業者がいて、それを買い付けた別の業者が、こうして街灯にヒカリ虫を入れて夜間の照明を点していくのである。


 ちなみに街灯を点ける仕事は国からの補助金が出るので、毎年抽選でその任を負う業者が選ばれる。当選すれば、一年は安定して仕事ができるわけだ。抽選から外れた業者は、ヒカリ虫を商売人や各一般家庭に売り歩いている。


 森で住んでたときの我が家の照明は、おじさんが割った薪を暖炉で燃やすか、この街灯のようにヒカリ虫を使うかだった。

 だけどあたしが”チカラ”を使えるようになって、ある鉱石に魔力を少し注ぐだけで光るように細工をしてからは、もっぱらそれで明かりを取っていた。


 なんとなく黄昏時特有の空気に当てられたからか、それとも日中あの魔王と対決したせいか、故郷に居る養父母を思い出して、柄にもなく胸が締め付けられるような感覚がした。多分魔王のせいだ。あの男のせいで、あたしはいつかストレスで死ぬような気がする。


 とぼとぼと歩いて辿り着いたのは、「酔いどれ妖精」と書かれた看板が下がっている大衆食堂だ。以前あたしが給仕の仕事をしていたお店だ。

 立て付けの悪い扉を開けると、ムワッとした熱気と料理と酒の匂いが鼻腔を刺激する。


「いらっしゃーい! あら、アンじゃないの!」


 両手に酒の入ったジョッキを持ちながら扉の前に立つあたしに声を掛けたのは、この店の看板娘であるカメリアだった。黒髪に焦げ茶の瞳、そして健康的な小麦色の肌を持つ彼女は、背が高くておまけに信じられないくらいスタイルが良い。出るとことは出て引っ込むところは引っ込んでるという、男の理想を具現化したような蠱惑的な美女だ。


「今日は自分で夕食作る気力がなくってさ、ここで食べようと思ったんだ」

「そうなの? 大丈夫? なんだか疲れた顔してるわよ」


 心配そうにあたしに近づいてくるカメリアを手で制して、あたしは空いている席を探して座った。カメリアはジョッキを客のテーブルへと届け終えると、急いであたしのテーブルへとやって来た。


「ご注文は?」

「んー……サラダにピクルス、あと鶏肉のグリル。あ、ミルク酒もお願いね」

「はいはい、でもアンってば本当に野菜が好きよね。ここに来たら必ず注文するじゃない」

「ははっ、そうかな。あ、女将さんが呼んでるよカメリア」


 曖昧に笑ってごまかしつつ、あたしは厨房の向こうから大声を張り上げる女将さんの方を指差した。カメリアは慌ててあたしのテーブルから去っていった。

 別にね、あたしだって青虫のごとく生野菜を食べるのが好きってワケじゃないんだけど、どうしても摂取せざるを得ない理由があるんだよね。


 テーブルに頬杖をついてぼんやりと店の中を見回した。仕事帰りの人が多いのか、男性客が九割くらいといったところか。


 ちらりと店の壁に掲げられている額縁に視線をやると、庶民的なこの食堂には不釣り合いなほど、豪奢な額縁が飾られている。

 額縁の中央にあるのは、光の加減で様々な色に見える虫の羽のような物が入っている。しかし虫の羽にしては、異様に大きい。


 以前あたしがここで働いていた頃、女将さんに額縁の中にある物の正体を尋ねたことがある。すると彼女は自慢気な顔をしてこう言った。


「あれはね、アタシの祖父さんがこの店を立ち上げた時、妖精から貰ったものなんだよ」


 正直どう反応すれば良いのか分からなくて、言葉に詰まっているあたしに向かって、女将さんは恰幅のいい体を揺らしながら笑った。


「みんなアンタみたいな反応するのさ。信じてないんだろ?」


 逡巡の後、あたしは素直に頷いた。女将さんはまたも何がおかしいのか大笑いすると、額縁を見上げながら語り始めた。


 その昔、女将さんのお祖父さんが念願の首都ランメで食堂を開くことになったが、夢と希望を抱いて始めた店は、予想していた以上に人が入らなかった。

 熱意を持って仕事をしていたお祖父さんも、だんだん自分の仕事に自信がなくなってきた。料理人としての腕は確かだと自負していたが、それはこの大都会では通用するようなものでは無かったのではないか。


 意気消沈するお祖父さんだったが、ある日の夜、閑古鳥のなくお店の扉が開いて、一人の客が現れた。


 その客は小柄であちこちが汚れたボロボロの服をまとっており、どう見てもお金なんて持っていなさそうな風貌をした、みすぼらしい中年の男だったという。

 しかしこの店に一歩足を踏み入れたものは、誰であろうが自分の客だという信念を持っていたお祖父さんは、快くその薄汚れた客を招き入れたという。


 そしてお祖父さんが出した料理を口にした途端、薄汚れた客は飛び上がらんばかりに喜んで言った。「こんなに美味しい食事を人の世で食べられるとは!」

 不思議な事を言う客だと思いつつも、久々に自分の料理で喜ぶ客を目にしたお祖父さんは俄然やる気になり、次々と腕を奮ってもてなしたという。


 その薄汚れた客は、小柄な体のどこに詰め込んでいるのだろうかと思うほど、よく食べよく飲んだ。

 そして気付けば、その日用意していた食材と酒がほとんど空になるまで、お祖父さんは料理と酒を提供し続けていたという。


 食後の一杯を楽しんでいた客を見て、なぜだかお祖父さんはとても満足したという。誰も寄り付いてくれなかったこの店に来てくれたうえに、こうして自分の作った料理を褒めてくれたのだから。


 一息ついた頃、赤ら顔の客はボロボロの上着の中から何やらゴソゴソと取り出すと、お祖父さんに手渡した。見れば虫の羽のような形でキラキラと光っており、おまけにとても大きなものだった。

 これは何かと尋ねるお祖父さんに、客は言った。「それはわたしの羽だ。それをこの店に飾ってみなさい。きっといいことが起こるよ」


 いいこととはなんだろうと手にした羽から顔を上げたお祖父さんは、びっくり仰天、薄汚れたあの客の姿が、影も形も無くなっていたのだ。

 残されたのは、全て空になった沢山の皿とカップだけ。まるで魔物にでも拐かされたのかと思うほど、一瞬にして消えてしまった奇妙な客。

 でもお祖父さんは消えてしまった客に憤慨するでもなく、言われたとおりにその不思議な色合いの大きな羽を店に飾ったのだった。


 するとどうだろう、飾ったその日の夜、ぽつりぽつりとお客が店に入り始めた。しかし繁盛とは程遠い数だ、やはり昨日のことは魔物の仕業か何かだろうと、少しだけがっかりしたものの、お祖父さんはいつも通り存分に腕をふるって料理を作り続けた。


 異変はさらにその次の日に起こった。昨晩の客からこの店の話しを聞いた人たちが昼間に訪れ、さらにその客達の話しを聞いた人が夜に訪れ、さらにその次の日の――と、気付けば首都ランメでも評判の繁盛店となっていたという。


 これもすべて、あの夜現れた不思議な客のお陰だとお祖父さんは思ったらしい。きっと彼は妖精で、その奇跡の力で自分の店に客を呼び込んでくれたのだと。

 そしてお祖父さんはお店の名前を改めたのだ、「酔いどれ妖精」という名に。


 最後まで話し終えた女将さんは、あたしにドヤ顔で額縁を指差した。あたしはジッと額縁の中にある、光る大きな薄羽を見た。


 この世界に妖精という存在はいないと、あたしは思ってる。だって一度も見たことがないからだ。

 魔獣や魔物は故郷の森で何度も遭遇したけれど、妖精の類は一切目にしたことがない。そもそも妖精だって、魔物の一種みたいなものなんじゃないの? ファンタジーな知識に疎いあたしは、眉唾な話しだと思った。


 それに店が繁盛したのもお祖父さんの実力であって、その妖精モドキのお陰じゃないと思うし、それまで客が入らなかったのも、きちんと宣伝しなかったせいだろう。だけどそれがたまたま口伝てに評判になったお陰で、客が入り始めたのだと推測した。


 それに後々女将さんたちが見ていない時に、こっそり額縁の中の羽を調べてみたけれど、魔力の痕跡も見当たらなかった。ただ少し、何らかのまじないのようなものが掛けられているのだけは何とか判別できた程度だ。

 しかし前世で、社会人として鍛え上げられていたあたしは、スキル「空気を読む」を発動し、女将さんの話しを肯定して持ち上げておいた。


 無賃飲食をされても治安維持局に訴えるでもなく、信じて店を続けたお祖父さんの孫である女将さんも、やっぱり良い人だったからだ。その証拠に、ど田舎からやって来たあたしを、こうして雇ってくれたからね。


 そんな回想に浸っているあたしの前に、たっぷりと野菜が盛られたサラダとピクルス、そして鶏肉のグリルと何故か黒パンとラム肉入りスープが置かれた。


「直ぐにミルク酒持ってくるから、ちょっと待っててね」

「いやいや、あたしこれは頼んでないけど」

「女将さんからサービスよ。アンってば、サラダとお酒ばっかりでしょ? ただでさえ細くて小さいのに、しっかり食べないと倒れちゃうわよ」


 ウィンクしながら去っていくカメリアの背中を見送り、厨房に居るだろう女将さんに向かって心の中で感謝を述べたあたしは、さっそくサラダに手を付け始めた。

 前世も今世も含めてさほど野菜が好きじゃないあたしにとって、サラダを食べるなんて苦行以外のなにものでもないんだけど、こうしないと維持できないものがあるんだよね。故郷の森だったら、こんなことしなくても、ペットのクマゴロウから分けて貰えれば充分だったのに。


 サラダを黙々と食べるあたしの前に、再びカメリアが現れてミルク酒を置いていってくれた。あたしは礼を言って一口それを飲む。濃厚な見かけに反して、さっぱりとした酸味の後にコクを感じる不思議なお酒だ。牛の乳から作られているらしく、アルコール度数もさほど高くないから次の日に響かなくていい。本当は、蒸留酒を飲みたいところだけど、まだ明日は仕事があるからセーブしなきゃね。


 黒パンを千切ってミルク酒に浸して食べると、これまた美味しいのだ。ピクルスを齧ってから鶏肉のグリルを食べて舌鼓を打ちつつ、あたしはのんびりと夕食を楽しんでいた。

 そんなささやかな幸せの時間を過ごすあたしのもとに、魔の手が忍び寄っているのも気付かず、あたしは食事とお酒に夢中になってしまっていた。


 異変に気づいたのは、あれほど騒がしかった店の中が、なぜか異様に静まり返っているのに気付いたとき。


 周りの客を見ると、なぜかあたしの後ろを困惑の顔付きで凝視している。両手に空になった皿とジョッキを持つカメリアも、同じように目を丸くしたまま固まっている。

 なんだこれ、あたしの後ろになにか居るってことだよね? ホラー大好きなあたしとしては、心躍るシチュエーションだけど、どうにもそうじゃない嫌な予感しかしない。振り返りたくない。


 ホラー映画で登場人物が冷や汗を掻きながら、ぎこちなく振り向く気持ちが今わかった。あたしが同じようなことを現在進行形でやっているからだ。


 まず見えたのは、白いコート。そしてそこに施される金の複雑な模様の刺繍。あれー、どっかで見たことあるぞー?

 それにあのキツい香水の匂いが漂ってきて、思わず鼻を抑えたくなる。


 もうこれ以上見たくなくて、あたしは振り返るのをやめて、前を向いた。あたしはホラー映画のヒロインにはなれないわ。


「随分と失礼な態度なのですね、イアリーナさん」


 背後から冷え冷えとした声音であたしに嫌味を言う声は、今日の昼に聞いたばかりの声だった。

 イラッとしたから思わず勢い良く振り返ると、現実味のない美貌の男が立っていた。


 ――魔王である。





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