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19.





 翌朝、いつものように他の課員よりも少しばかり早く出勤したあたしは、自分の机を見て呆然とした。


「……なにもない」


 なぜだか、あたしの机の上には作りかけだった書類や筆記用具、資料その他諸々の物が全て綺麗に無くなっていた。慌てて机の引き出しを開けると、中身は空っぽでやっぱり何もない。

 新手のいじめ? あれ、あたしってそんなに嫌われてたの? と一人でパニック状態に陥っていると、部屋に入ってきた人物達に声を掛けられた。


「おう、おはようアン。相変わらず早いな」


 振り返れば、副課長のオリヴァさんと課長が二人してあたしの後ろに居た。しかし、課長の表情がどうにもおかしい。


「あの……」

「本当にアンを手放すなんて、警備課にとってはとんだ痛手だよ。なぁ、課長」


 残念そうにあたしの肩を叩く副課長とは対照的に、課長はどんどん顔色が悪くなっていく。


「申し訳ないんですが、仰っている意味が分からないのですが」


 あたしの言葉に副課長がキョトンとする。厳つい外見とのギャップで凄く可愛く見えるあたしは、魔王の言うとおり、やはり美的感覚がおかしいのかもしれない。


「どういうことだ課長、アンに話しは通してあるんじゃなかったのか?」

「いやぁ、そのぉ……なんというかだね」


 珍しく顔を険しくする副課長に、課長の顔はもう白を通り越して土気色になり始めていた。今の課長なら蝋人形館に立っていても、全く違和感なく溶け込めるだろう。


「あー、じつはだね、アン。君は今日から……その……魔術管理局へと異動になったんだよ……ね?」


 なぜ疑問形なんだ。なぜあたしではなく副課長を見て言うんだ。

 いくつもの「なぜ」が頭のなかで量産されるが、口をついて出たのはこれだった。


「まお――ローム局長の差金ですね?」

「いやぁ、僕はそのぉ……上からの命令でね? 詳しいことまでは……ねぇ?」


 今度はあたしに尋ねてきた課長に、頬が引き攣る。副課長は疲れきったように額に手を当て唸っている。


「まさかお前、アンの承諾もなく了解したのか」


 言い忘れてたけど、課長と副課長は同期らしい。だがそんな情報、今はどうでもいい。


「僕を責めないでくれよ! 僕だって話しを聞いたのは昨日の深夜だったんだよ? せっかく末の娘と奥さんと一緒に添い寝ができていい夢を見てたのに、いきなり部下がやって来て叩き起こされた上にさ、登庁したら上からアンの異動が決まったからって、それだけ言われて直ぐに帰されたんだよ? 酷くないと思わないかい?」


 愛妻家で五人の娘を溺愛する課長の言い分がわからないでもないが、あたしの方が余程酷い目に合ってると断言できる。


「そういうわけでね、アン、申し訳ないけど、今日から君の勤める部署は警備課じゃなくて、魔術管理局になったから」


 課長が広すぎる額から汗をかきつつ告げると、隣に立つ副課長が気遣わしげにあたしを見てくる。


「アン、嫌ならオレが直接上に掛けあってやるぞ?」


 駄目な上司とそれを支える良い上司。複雑な気持ちになりながらも、あたしは諦めたようにから笑いをした。


「決まったことは仕方ありません。あの、荷物は全てもう魔術管理局の方へと移動させたのですか?」


 きっと猛烈な抗議をすると思っていたのだろう、課長は怯えながら首を縦に振った。


「そ、そうなんだよ。魔術管理局の人が全てあっちに持っていたって、ついさっき連絡が来たばかりでね」

「そうですか、わかりました。長らくお世話になりました」


 今更抵抗したって仕方がない。あたしはちらほらと出勤し始めた課員達に会釈をしながら、約二年お世話になった警備課を後にしたのだった。









 自分でも素っ気ないほどの退出だったと思っている。せめてアランにはお別れの挨拶くらいしたかったけど、残念ながら彼は今日休日である。

 鞄一つ持ったまま、あたしはまた白すぎる廊下を歩いていた。目指すは、魔術管理局のある中央棟地下である。


 警備課も中央棟にあるけど、魔術管理局は中央棟の一番奥に位置しており、おまけに場所が何故か地下。

 ここに勤務し始めた頃、不思議に思って警備課の人に聞いたら、彼らも理由はよく知らないらしく、ただ安全のためにそこにあるらしいと言っていた。要はセキュリティ云々の話なのだろうけど、興味がないから今まで気にしたこともなかった。


 ただ自分がその場所で働き出すとしたら話しは別。地下にあるから日は差さないし、地上階にあるような目に痛いほどの白で装飾など施されておらず、むき出しの石壁に未だにレトロな燭台で明かりを取っているのだ。

 おまけにジメジメとしていて妙に肌寒い。いつ何かが起きてもおかしくないような、ホラーチックな雰囲気に包まれているくせに、あの魔王へとの橋渡しで何度も通ったが、一度もオカルト的存在に遭遇したことなどなかった。


 せめて、ホラーな何かに遭遇できると言うのならば、あたしのこの憂鬱な気持ちも少しは晴れるだろうけど、それも見込みが無い。ただジメジメとして肌寒く、薄暗い地下で働くだけなんて、気が滅入るだけじゃないか。

 何度目か分からない溜息をついているうちに、辿り着きたくなかった魔術管理局の入り口へと着いてしまった。


 結構な長さの薄暗い螺旋階段を降りきると、所々に錆が浮かぶ灰色の金属扉に遭遇する。まるで監獄の扉のような重々しさと威圧感がある。

 扉に手をかけて押し開け、中を伺う。そして妙だな、と思った。


 いつもあたしが書類やら何やらを届けたり逆に頼まれたりして来る時は、魔術師たちが地下内をうろついているのに、今日は人の気配がない。

 不思議に思っていると、直ぐ近くにある部屋の扉が開いて、そこから人が飛び出してきた。


「あぁ! 貴女でしたか! ようこそ、ようこそ魔術管理局へ!」


 現れたのは、魔術師が身に付けるコートを着た男だった。あたしより少しだけ背が高いくらいで、中肉中背の幸薄そうな顔をした男だ。なんというか、印象に残らない顔だった。


「えっと、今日からこちらでお世話になる、アンフィー・イアリーナです」


 あたしが余所行きの笑みで挨拶をすると、相手の男は感極まったように口に拳を当てて震え始めた。


「なにを仰るのですか! むしろ私達がお世話になるのに!」

「え?」

「いやいや、とにかくよろしくお願いします、イアリーナさん。早速ですが、局長室へとご案内します」


 そう言うやいなや、通路の影から一斉に人が現れ始めた。そして先程の静けさは何だったのかと思うほど、どっと人があたしの周りに群がったかと思えば、皆口々に好き勝手に言い始めた。


「君が、今日から局長の……なんてことだ!」

「大丈夫なのか? こんな小さな子があの局長の側で耐えられるのか?」

「大丈夫よ、わたくし彼女があの局長に嫌味を言われていたのを何度も目にしたことがあるのだけど、彼女眉一つ動かさないのよ!」

「あぁっ! じゃあ、あの局長と渡り合ってる職員ってのは、彼女のことだったのか!」


 やいのやいのと大騒ぎする魔術師たちに呆気にとられる。何度もここに足を運んだことがあるけど、彼らはあたしが来た時は一度たりとも、あたしに関心を示したことがなかったと記憶している。


 しかし唐突にストン、とあたしの中で何かが腑に落ちる。彼らは警備課のあたしと違って、魔王の一番近くで働かなければいけなくて、何処の省よりも魔王の被害に遭っている被害者たちなのだと。

 そして彼らのこの異様な興奮と喜びようを見れば、もうあたしの今日からの仕事が、なんとなく理解できてきた。



「それではイアリーナさん、局長の所へご案内いたしますね」


 例の印象の薄い男の人が人混みをかき分けながら、あたしを案内しようとするのをやんわりと押し留めた。


「お気遣いありがとうございます。ですが場所でしたら分かりますので、一人で大丈夫です。どうぞ、皆さんもご自分の仕事に戻られて下さい」


 あたしが仕事用の笑顔で告げると、またその場が騒がしくなる。


「聞いたか!? あの局長の部屋へ一人で行くと言ってるぞこの子!」

「こんなに小さくて貧相な子なのに……やだ、あたしったら泣きそうだわ」

「イアリーナさんと言ったか? どうか、どうかここを辞めずに長くいてくれよ!」


 若干失礼な言葉も聞こえたが、あたしは曖昧な笑顔を浮かべつつ、会釈をしてからその輪の中から抜けだした。背後から「頑張って!」だの、「怒らせないように気をつけるんだぞ!」などの声援に見送られながら、地下のくせにだだっ広い石畳の廊下を歩き始めたのだった。


 そうして地下迷宮のような魔術管理局の一番奥まった場所へとたどり着くと、そこは他の部屋の扉と違い、地下の入り口のような金属で出来た扉があった。扉にはここ一年で見慣れてしまった、「魔術管理局局長室」と書かれたプレートが掲げられていた。


「失礼します。アンフィー・イアリーナです」


 礼儀として一応ノックすると、中からここ数日で聞き慣れてしまったヤツの低い声が、扉を通して聞こえてきた。


「どうぞ」


 返答を聴き終えてから金属製の扉を開けて中へと入る。やたらと重いその扉を閉めてから振り返ると、全体的に落ち着いた雰囲気のインテリアでまとめられた室内が視界に入る。魔王のくせに、センスが良いのが微妙に腹立たしい。それとも前局長の物をそのまま使ってるのだろうか。

 現実逃避するように、どうでもいい事に思いを馳せていると、ネットリとした例の感覚があたしの身体を通り抜けていく。


「何をそんなところで呆けているのですか。ただでさえ間抜けな顔が、一層間抜けに見えますよイアリーナさん」


 きっと結界を部屋に掛けたのだろう。外から声が聞こえないようにするための、おそらく防音の類の結界だ。


「呆けるのも仕方ないと思いますけど。出勤したらいきなり上司から、今日から別の部署で働くことになったと告げられたものですから。なんの事前連絡も了承もなく」


 前世だったら確実に問題になるだろうことでも、悲しいかな、労基法なんて存在しないこの世界では、上の命令は絶対だ。


「それは大変でしたね。ですが良かったじゃないですか。薄給の警備課の事務員ではなく、花形の魔術管理局で勤められることになったのですから。跪いて私の爪先に口付けて感謝の意を示してもいいくらいですよ」


 濃茶の艶のある品のいい机に肘をついて手を組みながら、ヤツは薄ら笑いを浮かべながらあたしに言った。

 あたしはヤツの座る机の前まで近づき、なるべく上から見下ろしながら聞いた。


「アンタ、いったいなにが目的であたしの異動を命令したのよ」

「命令したのではなく、上に少しだけお願いしただけですよ。それからイアリーナさん、貴女の下品な本性が出てますよ?」

「アンタには言われたくないし、そのキモ――気持ち悪い口調やめなさいよ。どうせここの音が聞こえないように結界張ってんでしょ。ていうか、上って誰よ。まさか魔術省の大臣?」

「私は貴女と違って、公と私をきちんと分ける質でしてね。分別のない野蛮な貴女とは違うのですよ。あぁ、上と言えば勿論、大統領のことですよ」

「は?」


 まさかの発言に唖然とする。今コイツは何と言った?


「前にも言いませんでしたか? 私は同じことを何度も説明するのが大嫌いなんですよ。本当に貴女の知能程度が低すぎて、こちらまで馬鹿になってしまいそうですよ」

「ちょっと待て。アンタまさか、大統領に魔術使ってあたしの異動を命令させたわけ!?」

「魔術ではなく魔法だと何回言えば、貴女の矮小な脳みそは理解するのですかねぇ。なんなら私が記憶力が上昇する魔法を掛けて差し上げましょうか?」

「絶対にやめろ。いや、そうじゃなくて、アンタ何考えてんの? たかが事務員の異動命令に、大統領命令を出すって、馬鹿じゃないの?」

「馬鹿とは失礼な。そもそも私の言うことを聞くのが取り引きの内容でしょう? それに貴女を強くもしなければいけない。警備課にいられては効率が悪いじゃないですか」


 目眩がしそうだ。この馬鹿は、そんなことの為に、この国の最高位に居る人物に命令させたというのか。


「ねぇ、もっと他に方法はいくらでもあるでしょ? 大統領に命令させるなんてしたら、後々どうなるか考えなかったわけ? 悪目立ちするなんてレベルじゃないって分かんないの? アンタ自分から正体をバラすような危険を犯してるって自覚ある?」

「そこら辺は大丈夫ですよ。私の魔法で不都合なく皆さんの頭を弄らせて貰いましたので」


 なんでもない事のように言う魔王にゾッとする。


「そんな怖い顔しないでください。昨日言ったじゃないですか、私はどちらの味方にも付くつもりはないと。大統領や閣僚たちの意識をほんの少し作り変えただけです。彼らを使ってどうこうなどと、しようもない事などしていませんから」

「人の頭を弄る時点で信用性ゼロなんですけど。そもそも人の記憶やら意識やらに魔術――魔法を使って、悪影響とか無いわけ? 記憶障害になるとか頭が変になるとか」

「私がそのような下手を打つとでも? 私は完璧で洗練された魔術師なのですよ」

「さっきと言ってることが違うし。アンタ魔術じゃなくて魔法を使うんでしょうが」


 あたしが指摘すると、魔王は猫のように目を細めた。


「表向きは私は”魔術師”なので、貴女もその辺りをお忘れなく。貴女が取り引きを反故にすれば、元も子もありませんからねぇ」


 ヤツの正体をばらさない。取り引き内容の一つだ。だったらバラされないように、大人しくしておけばいいのに、コイツはどうして無駄にアグレッシブに行動するのか。今まで何もしてこなかったくせに。


「今までは貴女も自分の正体を隠して、コソコソと小遣い稼ぎに精を出していただけだったので、私も動かなかっただけですよ。しかし貴女が思いの外、大胆な行動に出たせいで、私も動かざるを得なくなっただけです。本当に身勝手な人ですねぇ。あぁ、そう言えばクロタはどうしていますか? きちんと世話をしてあげていますか?」

「アンタ、まさかあたしの心の中を読んでるの?」


 無意識に胸に片手を当てて庇うような仕草をすると、ヤツはせせら笑うような顔をした。


「貴女はもっと考えを表に出さない努力をするべきですよ。わざわざそんな事をせずとも、だいたい表情に出ていますからね」


 おばさんにも昔言われたことがある。家を出るときに、一番心配されたのがこれだった。前世はそんなこと言われた事はほとんど無かったように思うのだけど、何故か今世ではあたしはよく表情に出てしまうようだった。

 きっと人とほとんど接触しないで、動物や魔獣や魔物たちと接する生活をしていたせいだと思っている。


「あたしの心の中を読むのは絶対にやめてよ。あとクロタはちゃんと責任をもって世話してるから、余計なお世話よ」

「契約の書にはその様なことを書きませんでしたからね、貴女の中を覗こうが何をしようが私の勝手です。危害を加えなければ良いのですからねぇ」


 ニヤニヤと唇を釣り上げるヤツは、まさに魔王だった。


「さて、話しは以上です。早速ですが仕事を始めましょう」


 魔王は机の上に積んである書類の山を崩す作業に取りかかりはじめた。


「あたしはここで何をしろってのよ。一応魔術が使えない事になってんのに、魔術管理局にいたら不自然じゃないの?」


 書類に目を通しながら、ヤツは顔も上げずに言った。


「何のために私が上の連中の頭を弄ったと思ってるのですか。貴女は今日から私の秘書として、私の身の回りの世話と仕事の補佐をすることになっていますから」

「はぁ? 何であたしがアンタの秘書なんてしなきゃなんないのよ。補佐なら副局長に頼みなさいよ」

「彼も彼以外の私の部下も、貴女のような暇人ではないのですよ。それに貴女は見かけによらず、事務仕事が得意で対人能力も意外と高いじゃありませんか。秘書の仕事はうってつけですよ」

「アンタが人を褒めるなんて……一体なにを企んでる」


 警戒して言うと、ヤツは書類からチラリと視線を上げてあたしを見返してきた。


「本当に根性がひねくれ曲がっているんですね、イアリーナさん。それよりさっさと仕事に取り掛かって下さい」

「取り掛かるも何も、あたしが仕事をする場所なんて無いじゃない」


 そこで初めてヤツは方眉を上げて顰め面をした。


「この私としたことが、そのことをすっかり忘れていました。そうですね、粗野で貧相な貴女は机より、床に這いつくばりながら仕事をする方がお似合いでしょう」

「できるわけあるか! いい? あたしが納得しない命令をしないって、昨日契約の書に書いたの忘れたわけ?」

「まったく我侭ですねぇ、イアリーナさんは」


 魔王が聞き分けのない子供を相手にするような態度で、パチンと指を鳴らすと、ヤツの座る机の斜め前に突然机と椅子が出現した。


「な、これどうやったの?」

「無駄口を叩かず、さっさと仕事を始めて下さい。そうですね、取り敢えずお茶でも淹れて下さい」


 再び書類に視線を落として魔王が言う。しかし直ぐに、「あぁ、それと」と口を開く。


「お茶を淹れるのに魔法は使わないように。きちんと湯を沸かして、自分の手でお茶を淹れてくださいね、イアリーナさん」


 それだけ言うと、魔王はすっかり仕事モードに切り替わったようで、あたしを見もしない。

 何でコイツの為に茶を淹れなきゃいけないのか。秘書の仕事とか言いながら、コイツは完全にあたしを雑用係にする気満々だ。というか、どこに茶を淹れる場所があるというのだ。


「ティーセットならあちらの扉の向こうにあります」


 書類を見ながらヤツが言うと、部屋の奥にある扉の一つがひとりでに開いた。あたしは言い返すのも疲れてきたので、渋々開かれた扉の向こうへと足を運んだ。


 中は小部屋になっていて、食器棚と簡易の調理場があった。なんで仕事場にこんな場所があるのか。前世で言う給湯室みたいなものなのか。

 苛々しながら食器棚からカップを取り出し、調理場の戸棚を開けてケトルと茶葉を探した。


 あたし、一体なにしてんだろう。ケトルに水を汲みながら思った。

 よりにもよって、魔王の側で働くはめになるなんて、誰が想像するというのか。しかも秘書ときた。


 茶葉の入った缶を開けると、ふわりと上品な香りが鼻腔をくすぐる。魔術管理局が特別扱いされてるのは知ってるけど、なんでこんな高級茶葉を使ってるの。警備課なんて給湯室すら無いのに。

 思わず歯ぎしりしそうになる。竈はあたしのボロアパートと違って、最新式の焜炉だった。スイッチ式で、押すと中の発火石が自動で火を吹く仕組みのやつだ。マジで優遇されすぎだろ魔王のくせに。


 カリカリしながら紅茶を淹れ、ヤツの元へと戻って机に置くと、ヤツは感謝の言葉の一つもなく無言でカップに口を付けた。


「お茶の一つもまともに淹れられないとは、これから先が思いやられますねぇ、イアリーナさん」


 今すぐ手に持っているトレイで、魔王の美しく輝くプラチナの頭を叩き割ってやりたい衝動に駆られる。

 あたしはグッと理性で怒りを抑えこみ、自分の席に付いた。

 魔王はまだグチグチと嫌味を例のごとく吐き散らしているけど、無視することに決めた。これからコイツの側で働かないといけないのだ、一々怒ってたらあたしの身が保たない。


 なにも無い机に拳を突き、深呼吸しながらあたしは心の中で、盛大に毒を吐きまくっていた。

 世界の危機なんかより、あたしの危機の方が余程差し迫っているじゃないか。やっぱりあの駄女神、ろくな女神じゃない。


 あたしの前途は多難だ。今後のことを考えるだけで発狂しそうになる。

 取り敢えず荷物を取りに行こう。あたしの荷物は魔術管理局の人が持って行ったって言ってたから、誰かに聞いて引き取りに行こう。そうしよう。


「どこに行かれるのですか?」


 立ち上がって扉へと向かうあたしに魔王が声をかけてきた。


「荷物を取りに行くだけです」

「そうですか。ではついでに各省に提出する書類も届けに行ってくださいね」


 そう言ってヤツが指先を上げると、書類の塊があたしに向かって飛んでくる。慌てて受け止めると、ずっしりと重みが腕に伝わってくる。


「寄り道をせずに戻ってきてくださいね。貴女の仕事はまだまだあるのですから」


 にこりと美しく微笑む魔王は、女性職員が見れば卒倒しそうな魅力にあふれている。外見だけなら。


「それでは、失礼します。ローム局長」


 慇懃無礼に腰を折ってお辞儀をしてから、あたしは局長室の扉を蹴り開けた。後ろで魔王が「なんて品の無い」等と言ってるが、知ったことか。あたしの両手は塞がってるし、下手に”チカラ”――魔法を使えないから仕方ない。


 足音も荒く部屋を出て、恐る恐るこちらを伺う魔術師たちの視線も振り切り、あたしは辛気臭い地下から地上を目指した。


 ――絶対、こんな職場辞めてやる! 元の警備課に何としてでも戻ってやるんだから!

 決意も新たに、あたしは薄暗い階段を上るのだった。





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