17.
ゆっくりと戸棚の扉が開かれる。あたしは歯を食いしばってヤツを睨みつけることしかできなかった。
「おやおや、こりゃあたまげた。こんな所に魔術具があるじゃねぇか。おっと! それも例の無名の魔女の作品ばかりだ。おっかしいなぁ? 無名の魔女の魔術具は、どれも高価で有名だ。寂れた大衆食堂で安酒と野菜ばっか食ってるような、薄給のはずの事務員が持つには、ちぃーとばかし不釣り合いだと思わねぇか?」
魔王が戸棚の中に隠してある、あたしが作った魔術具や製作途中の魔術具を取り出しては、テーブルの上に乱雑に置いていく。
「アンフィー・イアリーナ、魔術具の登録に虚偽の内容が合った場合、どういった事が起こるか知ってるか?」
「何のことかサッパリ分かんないわ。それよりいい加減、あたしに掛けた魔術を解きなさいよ」
「はぁ、だーかーらー。魔術じゃなくて魔法だって言ってんだろうが。それより、くだらねぇ誤魔化しが通用すると思ってんなら、テメェはとんでもねぇ甘ちゃんだ」
一昨日作ったばかりの、自動湯沸かし機能付きケトルを指先でスッと撫でながら、魔王が低く笑う。
「お前が認めなかったら、それはそれでオレは構いやしねぇ。その代わり、代理人のアンブラ・ピチェーレに”お話し”を聞くだけだからな」
「ピチェーレさんは関係ない! あの人に手を出したらただじゃおかないからな!」
怒りで衝動的に立ち上がろうとするけれど、ヤツの掛けた魔術に阻まれて、少ししか動けなかった。
「おいおい、このオレが掛けた魔法を腕力で破ろうとするヤツなんざぁ、初めて見たぞ。しかもちょっと解けかかってるし、マジビビるわー」
まったく怯えてもいないくせに、腕を擦って怯えるふりをする魔王に、怒りがさらに募っていく。あたしっていつからこんなに怒りっぽくなったの? あぁ、そうだ。この目の前の魔王が魔術管理局の局長になってからだったわ。
「まぁ落ち着けよアンフィー・イアリーナちゃんよぉ。お前がこの奇抜な魔術具の製作者だってのは分かってんだ。だがオレはそれを黙っててやるって言ってんだよ」
「それで? その代わりにあたしがアンタの言いなりになれって? こんなの取り引きでもなんでもない。アンタの一方的な要求じゃないの」
「お前は自分の立場を理解しろよ。魔術具の登録を偽装したヤツがどうなるか、バカでも知ってるはずだ」
魔術具の登録申請は、複雑な手続きと申請が必要だ。それは危険な魔術具を流通させない為であり、また使用した時に不測の事態が起こってしまった時、直ぐ様魔術具製作者を拘束できるようにする為でもある。
もしも、その登録申請に不正を働いていたとなれば、軽くて一生地下牢で過ごすか、最悪処刑されるかのどれかだ。
あたしがそんな危険な橋を渡れたのは、ピチェーレさんが色々と知恵をつけてくれたお陰だった。代わりに、彼には相応の対価を支払っているけれど。
「お前の作った魔術具は、どれも人に害をなす物じゃねぇ。だがよ、虚偽の登録申請をした時点で、お前は牢にブチ込まれても仕方ねぇことをしたんだよ」
そんなの知ってる。知ってたけど、あたしはやってしまったのだ。やらなければ、不安でしかたなかった。
「お前のせいで、アンブラ・ピチェーレもとっ捕まっても良いってのか?」
「……良いわけないでしょ」
「だったら話しは簡単だ。お前は俺の言った取り引きに応じれば、自分の身も大切な人の安全も守れる。おまけにこのオレが、お前に魔法の使い方を教えてやるって言ってんだぞ? お前はそれがどんなにスゲェことかってのが、まったく分かっちゃいねぇようだが」
コツコツとケトルを指先で叩きながら、魔王はあたしに無理難題を吹っかけてくる。
こんな下衆の言うことを聞くなんて、あたしは絶対にお断りだ――そう、心は訴えている。だけど頭のどこかで冷静な自分が言うのだ。この要求を飲めば、魔王から少なくともあたしの大切な人達は守れるのだと。おまけに自分の罪も隠し通せるのだと。
「お前はオレのことが、クソほど気に入らねぇってのは知ってる。昨日の一件で、それに拍車が掛かってるってのもな」
胸を貫かれた魔人、そして布の上で静かに横たわる、元魔獣の遺体が思い出された。
「お前はどうしたって今以上に強くなる必要がある。昨日みたいな悲劇を繰り返したくなければな」
魔王の言葉に、カッと頭に血が上る。
「アンタが! アンタが魔人も魔獣も殺したんじゃない! それにあの子はっ、もう魔獣じゃなくなってた……なのにッ」
「お、おい……」
魔王が初めて狼狽えるような声を出すのが聞こえたけど、あたしは両目が熱くて痛くて堪らなかった。
「アンタがいなきゃ、こんなことになってなかったのに……こんなワケわかんない”チカラ”もいらない! これのせいで、アンタみたいなクソ野郎に、あたしの、あたしの……うぅっ」
ぼたぼたとテーブルに涙が落ちるのを止められない。動けないから顔も隠せない。なんてみっともない姿を見せてるんだあたしは。一番嫌いなヤツの目の前で。
でももう色々と限界だった。身体は頑丈だし”チカラ”も使える。だけど心まではどう頑張っても強くなれない。
強いフリはできたって、あたしはやっぱり前世のままの小心者で打算的で、そのくせ自分の抱えるものを切り捨てる事もできない中途半端な人間だ。
「よりにもよって、アンタから魔力を貰わなくちゃならなくて……最悪、本当に最悪!」
ずっと意識しないようにしてたけど、コイツを前にしてこれだけ脅されて、もう我慢なんてできない。
別に大切に守ってきたわけじゃない。でも捨てるほどの度胸もなかった。気付けばあたしは前世込みで数十年以上、清いままでいたのだ。なのに、なのに――
「初めてだったのに……どうしてアンタなんかとキスしなきゃいけなかったのよ……!」
「え」
悔しさと悲しさと恥ずかしさで、心も頭もグチャグチャなあたしは、目の前に人類の敵であろう魔王がいるにも関わらず、声を上げて泣き始めてしまった。いやだ、泣けばなんでも解決できると思ってる女みたいな真似、絶対しないって前世から決めてたのに。
「お、おい、お前が地味で行き遅れの寂しいヤツだってのは知ってたけど、男の一人や二人と付き合ったことくらいあんだろ?」
「あるわけないだろおぉお馬鹿ぁああああ!」
椅子に縛り付けられたまま、涙と鼻水で顔を濡らす女が、モテるとでも思ってんのかこの魔王は。
「いやいや、キスの一つくらいは――」
「あたしは動物や魔獣相手しかしたことないってんだ馬鹿ぁあああ!」
恥も外聞もなく泣きながら喚き散らすあたしにドン引きしたのか、それとも同情したのか分からないけど、魔王があたしに掛けていた魔術を急に解いた。
だけど動けるようになっても、あたしは立ち上がることもできずに、ただただ泣き伏した。
「あー、そのなんだ……元気出せよ」
魔王が無責任な励ましの言葉をかけてくる。それが余計にあたしを惨めにさせるのをこの男は分かっていない。
「誰のぉ……ズビビッ! せいだと思ってんだよぉおお!」
言い返すと魔王は沈黙する。もういいや。世界の危機なんてどうでもいい。
魔人が大挙してやってこようが知ったこっちゃない。魔術具の虚偽申請を魔王にバラされる前に、明日すぐに退職願を出そう。ピチェーレさんに迷惑が掛からないように、あたしの”チカラ”で登録申請書を盗んできて破棄しよう、そうしよう。
それでもって、故郷の森に帰っておじさんとおばさんを守るために、安全な場所を作ろう。クマゴロウから魔力も分けてもらえばいい。あの森なら魔力の補充には困らないし。
ずびずびと汚い顔を晒しながら、打算的なあたしはやっぱり打算的な方法しか思いつかなかった。駄女神のお願いなんて知るか。あたしはろくに事情も知らされないまま、この世界に放り出されたんだ。むしろよくこの歳まで生きてこられたもんだわ。
もういい。人類が滅びようが魔王がどうしようが、勝手にすればいい!
自暴自棄になりつつ、保身に走った考えを頭のなかでこねくり回していると、魔王がわざとらしい咳払いをしてあたしの視線を自分に向けさせた。
「コホン。えー、とっても惨めで可哀想なアンフィー・イアリーナさんに、オレからのスペシャルなプレゼントを進呈してやる」
「いらないぃぃッ」
「まぁまぁ! そう言うなって、な? ほら、お前いまマジで顔面が凄まじいことになってんぞ? 女としてやべぇことになってんぞ? だから泣き止めよ、な? な?」
「もう別にいいもんッ! どうせあたしみたいな貧相で地味で不細工な女なんて、一生誰も好きになんてなってくれないって分かってるしぃ! どうでもいいぃいいい」
「諦めんなよ、お前みたいな貧相で地味で不細工なくせに、とんでもねぇ暴力的な性格でも、好いてくれるヤツの一人や二人、現れるって、多分。あ、それよりプレゼントな!」
魔王はやはり魔王というか、人を慰める術というのをまるで持ち合わせていなかった。だけどもう疲れきってて怒る気力も湧かない。
あたしはテーブルに突っ伏して、そのまま気の済むまで泣く体勢に入った。
「はぁ、女ってのは面倒くせぇ生き物だってのは聞いてたが、お前はその何百倍も面倒くせぇな」
パチン、と魔王が指を鳴らす音がした。だけどあたしは突っ伏したまま、なおも泣き続けた。泣きすぎて頭が痛くなってきたけど、それでも泣いた。
するとあたしの足元で、なぜか別の鳴き声が聞こえてくる。
「くぅん」
自分の泣き声じゃない鳴き声に違和感を覚え、あたしはグズグズ鼻水を啜りながらテーブルの下を覗き込んだ。
「うぅ……昨日の子の幻覚が見える……」
泣きすぎて頭がおかしくなったんだ。昨日あたしが魔力を吸い取った魔獣が、何故かテーブルの下に窮屈そうに座り込んでいる。狼の倍は大きいから、身体の半分以上がはみ出てる。ちょっと可愛い。
「いや、幻覚じゃねぇからな?」
幻覚じゃなかったらなんなのさ。オカルト好きのあたしとしては、幽霊だとしたら嬉しいけど、今の気分では素直に喜べない。
そもそも前世も今世も、あたしは一度として幽霊の類を見たことがない。ファンタジーな世界のくせに、幽霊の一つも現れないとか、あの駄女神マジで頭に来るわ!
「可哀想に。『成仏』できなくて、こんな所に現れたのね、クロタ」
あたしの呼びかけに、幽霊のクロタがくぅんとまた鳴く。可哀想なクロタ。あたしが魔王を止められなかったせいで、命を落とすはめになったクロタ。
「『ジョフッ』かなんだか知らねぇが、コイツは死んでねぇからな。よく見ろ。つーかクロタってなんだ」
「黒い毛色だからクロタに決まってんじゃない。あぁ可哀想なクロタ……」
机の下に潜り込んでクロタの頭に触れると、幽霊のくせに温かくてゴワゴワとした毛の感触がした。クロタってば、額の辺りや首周りから骨みたいなのが生えてるから、すっごくさわり心地が悪いじゃないか。でも可愛い。
「クロタ……温かい。まるで生きてるみたい」
「生きてるから。それ本当に生きてっからな」
魔王がなにか言ってるけど、目の前のクロタに意識の全てを持って行かれてるせいで聞こえない。
「バフッ」
「おわっ!?」
クロタが突然あたしに飛びかかってきた。その勢いであたしは思いっきりテーブルの天板に頭をぶつけ、そのまま床へと押し倒された。
「いった! ちょ、クロタ痛いし重い! 重……え、重い?」
ハッハッ、と生臭い息を吐き出しながら、あたしの顔をベロベロ舐め回すクロタに思考が一瞬停止する。
「……生きてる」
「だから、さっきからそう言ってんだろうが」
「本当にクロタ生きてんだけど! なんで!? えぇ!? だって、昨日は……あれ!?」
クロタの唾液まみれの顔に驚愕の表情を浮かべるあたしを、いつの間にか立ち上がっていた魔王が見下ろしていた。
「一時的に仮死状態にしてただけだ。テメェは魔力を感知できるんじゃなかったのかよ」
愕然とする。だって、死んだって思い込んでたから――あれ? でもそう言えば探知網を広げた時、追跡班の魔力の数をあたしはきちんと数えていたっけ?
いまだにあたしの顔を舐め回すクロタを宥めつつ、あたしは床から起き上がった。
「どうして、こんなことしたの?」
床に座ったまま魔王を見上げて問いかけると、魔王は鼻で笑い返してきた。
「あの場を誤魔化すには、遺体が必要だったからな。それをコイツに引き受けてもらっただけだ」
「でもアンタならこんな面倒なことする前に、本当に殺して遺体を作り上げそうなんだけど」
「オレを何だと思ってんだテメェは? 殺しなんて労力の無駄だ。それにコイツはもう魔獣じゃないしな。処理する必要もねぇ」
こいつの基準が全くわからない。この子は良くて、あの魔人と魔獣が駄目だったのはどうしてなのか。
慈悲をかけたのか、たんなる気まぐれか、それとも何か思惑があってのことなのか。コイツに問い質したところで、どうせまともな答えなんて帰ってこないだろうけど。
「これで少しはオレの話しを聞く気になったか? アンフィー・イアリーナ」
魔王が席に戻りながら言った。あたしはクロタの頭(と言っても尖った骨のせいで耳の辺りになるけど)を撫でた後、床から立ち上がって同じように椅子に座り直した。
「きちんとした理由を言いなさい。それで納得すれば、アンタに協力するのを考えてあげる」
調子を取り戻し始めたあたしの向かいに座る魔王は、いつもの皮肉げな笑みをゆっくりと浮かべた。




