16.
「ちょっと待て。なんでアンタがここにいる」
酔いどれ妖精に立ち寄った後、アパートに戻ったあたしは、自分の部屋の前に立つ人物を見て絶句した。
「待ちくたびれましたよイアリーナさん。一体どこで寄り道を食っていたんですか? いい年をした女性が一人で夜にふらふらと出歩くなんて、はしたないと思わないんですか?」
魔王がいた。なぜかは知らないけど、あたしの部屋の前に魔王が立っていたのだ。
「阿呆のように呆けていないで、早くこの小汚い扉を開けて中へと入れてくれませんか?」
「入れるわけないでしょ! なにしてんのよアンタ! 帰れ!」
まさか今になってあたしに危害を加えにきたのかと、思わずファイティングポーズを取りながら距離を取ると、魔王は呆れたような馬鹿にしたような――いや、完全に馬鹿にしたような顔で首を振った。
「やれやれ、貴女は常識もないのですね。こんな時間に一人でうろつくだけでなく、周りのことも考えずに大声を出すなんて。一体どのような育ち方をすれば、貴女のような粗野で下品な人間ができあがるんでしょうかねぇ」
あぁ! コイツの口を今すぐ縫い合わせたい! その上で頑丈な石棺に詰め込んで、何重にも鎖を巻いて二度と出てこれないよにしてやりたいぃ!
「存在自体が非常識なアンタにだけは言われたくない。どいて、邪魔」
相手をするのも馬鹿らしい。あたしは魔王を押しのけて、鍵を開けて玄関の中に入ろうとした――のだが。
「ちょっと! 離しなさいよ! 閉められないじゃない!」
「ですから、中に入れてくださいと言ったでしょう? 本当に貴女の頭は、虫並の記憶力なんですねぇ」
扉の間に足を突っ込んで阻んでくる魔王に対抗するように、あたしは扉を遠慮なく力の限り閉めようと奮闘する。
ヤツの足がどうなろうと知ったこっちゃない。あたしの渾身の拳を受けても傷一つ付かなかったどころか、逆にあたしの方が手を痛めたのだ、ドアに挟まったくらいでどうこうなるとは思えない。
「今すぐ足を引っ込めなさい。でないと大声を上げるわよ」
そう言うと、ヤツは聞き分けのない子供を見るような目であたしを見てきた後、スッと無駄に長い足をドアの間から退けた。
あたしはそれを確認すると、直ぐ様扉を閉め、鍵をかける。ヤツが何かを言っても無視を決め込もうと、あたしは鞄を床に放り投げて、お茶を飲もうとケトルに水を汲もうとした時だった。
「実に貧相な貴女にお似合いの、貧乏くさい部屋ですねぇ」
思わずケトルが手の中から滑り落ちる。慌てて後ろを振り返ると、何故か魔王があたしの部屋の中に立っていた。
「ど、どどどど、どうやって入ってきた!」
魔王は愕然とするあたしを見向きもせず、物色するように勝手に部屋の中を動き回っている。
「ちょっと! 答えなさいよ!」
ヤツの動きを止めるために、”チカラ”を使った。ヤツの足元の床板から、木の枝のような物が生えてくると、その足に絡みついて動きを止めようとする。
魔王は自分の足元を見ると、フッと小馬鹿にしたように笑った。
「……本当にテメェは芸がねぇな。あんな奇抜な発想の魔術具を作ってるヤツと同一人物とは思えねぇほど、戦う時は想像力がねぇ」
ドキリと鼓動が早くなる。まるで何もかも見透かすように、魔王の紫の瞳が楽しそうに細められた。
「あぁ、だがアレは面白かったぞ。魔力を餌に幻覚を見せて相打ちさせようとしたヤツ」
ちょっと待て。あの時、アンタは倒れたままだったんじゃないの? どうやってあたしの行動を見てたんだ。
「戦闘時はもっとバリエーションを増やせ。今時、兵士ですらあんなにも、体一つで戦おうなんざぁしねぇぞ? お前は古代の蛮族よりも野蛮だな」
そう言うと、魔王は自分の足に絡みつく木の枝を難なく振りほどく。そして我が物顔でキッチンテーブルの椅子に座った。
「おい、なにボケっとしてんだ。オレは客だぞ? 茶の一杯くらい出すのが礼儀ってなもんだろうが」
「勝手に人の部屋に不法侵入するような輩は、客なんて言わないの。そんなことも分かんないの?」
魔王と一定の距離を保ちながら言い返すと、ヤツは何がおかしいのかニヤニヤといやらしく笑う。その顔は、美しい容貌とは相容れないほど醜く、だけどその顔のほうがコイツらしいとなぜか感じてしまった。
「言うじゃねぇかアンフィー・イアリーナ。つーかさっきから警戒しすぎだろ。もっと気を楽にしろよ、疲れんぞ?」
「ハッ! アンタを前に気を抜くなんて出来るわけないじゃない。それより、何が目的でここに来たのか言いなさいよ」
「テメェがオレに茶を出せば答えてやる」
「誰がアンタに茶を出すか。早く言え」
苛々しながら言い返すと、ヤツはつまらなさそうにテーブルに肘をついて顎を置いた。
「せっかく世界で誰よりも思いやりがあって美しすぎるオレが、アンフィー・イアリーナのために取り引きを申し出てやろうと思ってたのに、その態度はどうなの?」
「アンタが優しいなら、殺人鬼ですら聖人になれるでしょうね」
鼻で笑ってやると、ヤツはますます笑みを深めた。
「アンフィー・イアリーナ。茶を出せ」
「いや」
「”アンフィー・イアリーナ、オレに茶を出すんだ”」
「いやだって言って――」
拒否の言葉を発した瞬間、全身があの粘着く感覚に覆われていく。そして何が起こったのか理解できないまま、気付けばあたしは先程落としてしまったケトルを床から拾い上げ、そこに水を満たして竈の上に置いていた。
「な、に……?」
声を出そうにも、上手く舌が動かない。なのに体は勝手に食器棚へと向かい、そこからティーカップとソーサーを取り出してテーブルへと置いた。
自分の意志を無視して動く身体に、徐々に恐怖が湧いてくる。戸棚から茶葉の入った缶を取り出しながらも、あたしは必死に視線だけを魔王へと向けた。
だけど魔王は楽しそうに笑っているだけで、なにも言わない。いったいどんな魔術を使ったんだこの野郎。
結局あたしはヤツに茶を差し出す羽目になり、ヤツは出されたティーカップを前に満足気な顔をしながら、あたしに向かってまた命令するのだ。「座れ」と。
あたしは歯向かうことも出来ず、そのままヤツの向かいの席へと座らされた。
「ふむ。田舎者のくせに、茶葉はいい物を使ってんじゃねぇか――ん、だが淹れ方がなってねぇ」
あたしの淹れた紅茶を飲みながら、文句を垂れる魔王に殺意が湧く。あたしは無理やり座らされた椅子の上で屈辱に震えた。
「なんだよ、何か喋れよアンフィー・イアリーナ。あ、そっか、喋れないんだったな。すまねぇな」
まったくすまないと思ってない口調で、ヤツが謝罪した直後、あたしの舌は感覚を取り戻した。だけど身体はまだ動かない。
「これはなんなの? いったい何の魔術を使ったの」
あたしが睨みつけながら問うと、ヤツは優雅にティーカップをソーサーへと戻した。
「そもそも、お前は一つ勘違いをしている。オレが使うのは魔術じゃねぇ。魔法だ」
「はぁ? 一緒でしょうが」
精一杯馬鹿にしながら言い返すと、まるで出来の悪い子を見るような哀れみに満ちた目であたしを見返してきた。
「テメェは自分が使う力のことも知らねぇで生きてきたのかよ。どうりで無茶苦茶な魔法ばっかだと思ったぜ」
溜息を付きながら魔王が頭を振る。なんであたしが馬鹿な子みたいな空気になってんのよこれ。
「そんな状態で、これからやってくる魔人たちと対峙できんのか、アンフィー・イアリーナ。不安しかねーわ、こりゃあ」
ゾワゾワと背中が粟立った。これからやってくる? 魔人が?
「お前はオレと取り引きをせざるを得ない状況だって理解しろ。遠くない未来に、昨日戦った魔人よりも、もっと質の悪い奴らが、人の大陸に侵攻してくるだろうからな」
ゆったりとした口調で魔王は、確かにそう告げた。
「どういうこと……?」
語尾が微かに震えるのに気付いて焦るけど、ヤツはそれをからかうこと無く、薄ら寒い笑みを浮かべたままあたしを見つめている。
「昨日のは単なる様子見みてぇなモンだな。アイツらは魔人の中でも下の下だ」
あれで下の下? じゃあ上の方に位置する魔人はどうなるというのだ。いや、そもそも――
「アンタはその魔人たちの王様なんでしょ。だったらアンタを潰せば全部解決じゃない」
大将を潰せば下に就く者達がバラバラになるのは、世界が変わっても同じだろう。
それを指摘すると、魔王はわざとらしく溜息をつく。
「お前は地味で貧弱な外見のくせに、とんでもなく短絡的で暴力的な思考回路をしてんなぁ」
「アンタには言われたくないわよ! あんな暴力の象徴みたいな魔人の王のクセに」
殴りかかりたいのに、身体は椅子に縫い付けられたように動けず、苛立ちばかりが募っていく。
「お前には分からねぇだろうが、魔人つっても千差万別だ。昨日みたいに人を憎悪して排除しようとする輩、逆に人に興味なんぞなく大人しくしてる輩、まぁ姿形は違っても、魔人の性格も人とそう変わらねぇ」
「それで? 自分は人には害をなさない安全な魔王だって言いたいわけ? ふんっ! 生まれたばっかりの赤子でも、そんなの信じるわけないでしょ」
動かない身体の代わりに、目一杯視線を下げて魔王を見下ろしながら嘲笑する。
だけど魔王は怒るわけでもからかうわけでもなく、やっぱり笑みを湛えたままあたしを見つめるだけだ。昨日の化け物じみた姿より、今の作り物めいた美しい姿のほうが、どうにも不気味に感じるのは何故なのだろう。
あたしは魔王から視線を外すと、魔王が堪え切れないといった風に吹き出した。
「な、なによ!」
「いや、お前は本当にお人好しの大馬鹿者だと思ってな」
「馬鹿って言うな! 馬鹿って言った奴の方が馬鹿だってのよ!」
まるで小学生のような幼稚な言い返ししかできず、知らず頬に熱が集まる。
「お前がオレとの取り引きを拒否すれば、お前の大切な人間が死ぬと知っても、まだ拒否するのか?」
魔王の言葉に反らせていた視線を元に戻した。睨み返した魔王の瞳は、いつもの冷たい紫色の瞳で、そしてそこには初めて無感情ではない何かが宿っていた。
「アンタ……脅しのつもり?」
「いいや、事実を言ってるだけだ」
ほんの少し前までのふざけた調子ではなく、低く囁くように魔王は言った。
あたしの大切な人――あたしを無償の愛で育ててくれた、養父母の姿が脳裏によぎる。二人が死ぬ?
「あたしの大切な人は、あたしが……守る」
故郷の森に帰って、魔力をもっと補充して、それからおじさんにもっと稽古を付けてもらって、今より強くなれば――
「守りたいなら、オレがお前を強くしてやる。その代わり、お前はオレの正体を誰にも言わず、黙ってオレの言うことを聞くのが取り引きの内容だ」
「あ……アンタ馬鹿じゃないの! 誰か敵の大将の言うことを聞くヤツが居るってのよ。絶対にお断りよ」
強く射抜くように魔王を見返すと、ヤツはニヤリと顔を歪めた。それは意地の悪い笑顔だった。
「お前に拒否権はねぇってのが、いつになりゃあ分かんだ。オレにはお前を今すぐどうこうできる力がある。だがそうはしねぇ。ただし――」
勿体ぶって言葉を切り、部屋を見回す魔王に嫌な予感がする。
「知ってるかアンフィー・イアリーナ。ここ最近、金持ちの間で有名な魔術具製作者がいるらしい」
魔王の言葉に心臓が跳ねる。
「だがソイツが作る魔術具は変わった物が多い上に、どんなヤツが作ってるのか、誰も知らねぇ」
おもむろに魔王は席を立つと、本棚に近づいた。
「ピチェーレ商店の店主が代理人として、魔術具の登録申請をしているが、ヤツも製作者が誰なのかを誰にも言わないらしい。まぁ、あそこはランメでも一二を争う有名店だからな、口が固いのも仕方ない」
魔王の白魚のような指先が、そっと本棚からその隣にある戸棚へと移動する。
「製作者の名前は”トーコ・オーツカ”。変わった名前だと思わねぇか? 女ってのは判明してるが、一体どこの生まれのヤツなんだろうなぁ」
ついに魔王の手が戸棚の一番下へと辿り着く。
「ちなみに、謎多きその魔術具製作者は、こうも呼ばれてる。”無名の魔女”ってな」




