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14.





「まお……さ、ま?」


 ぽっかりと胸に穴が開いた魔人は、一瞬何が起こったのか理解できないような顔をしていた。だけど直ぐにその体は傾いでいき、地面へと倒れていった。


「約束が違うじゃない! 殺さないでって言ったのに!」

「なぁに言ってんだ? オレは”生かすか殺すか”の選択肢しか与えてねぇんだぞ? テメェの中途半端な答えなんざぁ、求めてねーんだよ」


 魔王は言いながら、今度は怯えきった魔獣に稲妻を解き放った。魔獣は全身を痙攣させながら、鳴き声をあげることなく地面へと倒れこんでしまった。


「このっ……クソ野郎ぉッ!」


 自分でも信じられない程の怒りが、腹の底から爆発するのを感じた。身体の痛みなんか感じなかった。ただ気付けば魔王に向かって飛び掛かり、ありったけの力を込めて魔王の醜悪な顔面に拳を叩き込んでいた。


「いった――」


 魔王の顔に叩き込んだはずの拳から激痛が走って、あたしは思わず呻き声を上げてしまった。


「おいおーい。年頃の女が汚い言葉を使うんじゃねーよ。まじで引くわー。あっ、言うほど年頃でもなかったっけ? はははっ!」


 からかうように魔王が言う。咄嗟に離れようとしたけれど、その前にヤツに突き出したままの腕を掴まれてしまった。


「はっ、離してよ!」

「先に手を出してきたのはお前だろ、アンフィー・イアリーナちゃん? んっんー、ワォッ! こんな貧弱な腕で、よくあんな威力のパンチができるもんだわー。あ、貧弱なのは腕だけじゃなかったわー」


 裂けた口をクワッと開いて不躾にあたしの胸元を見る魔王に、あれだけ感じていた怒りが一気に萎んでいくのを感じた。そして代わりにとてつもない羞恥心が湧いてきた。


「なっ、ばっ、馬鹿にすんな! 離せって言ってんだよ、こんのぉ……!」


 拘束されていない方の腕で無意識に殴りつけてしまった。だけどそれすらも魔王に捕らわれてしまう。


「マジでお前手ぇ早すぎんよー。どうりで浮いた噂の一つも聞かねぇはずだわ、納得ぅ!」

「うるさい! そんなのアンタに関係ないし! もう、このっ、ぐぅううう!」


 魔王に掴まれた手首が信じられないほどに痛い。あたしも大概馬鹿力だって自覚はあるけど、コイツはあたしの比じゃない。


「はっ、なーせぇ!」


 ガッ、と魔王の股間を蹴り上げようと足を動かすが、ヤツはまるで玩具の人形を弄ぶように、あたしの手首を上へと引っ張りあげると、その勢いのまま上空へと放り投げた。


「わっ! ちょっ……ぶへっ」


 咄嗟のことで受け身も取れず、あたしは無様にも地面へと顔面から叩きつけられた。氷塊が埋まったままの傷口や、それを引き抜いた太腿が今更のように激痛に見舞われる。


「ちょっと短気すぎねぇかアンフィー・イアリーナさんよぉ? ためらいなく人の股ぐら蹴り上げようとするなんて、とんでもねぇ女だよ。おぉ、怖い怖い」


 全く怖がっていない様子で肩を竦めながら頭を振る魔王は、酷く人間臭い。普段の気味悪いほど整った姿の魔王より、今の化け物じみた姿のほうが人間臭いって、どういう皮肉だよ。


「ま、そんなことよりも、とっととコイツらには退場していただきますかねー」


 地面に転がったまま痛みに耐えるあたしを見下ろし、魔王はケラケラ笑いながらパチンッ、と指を鳴らした。

 すると全身を粘着質な「なにか」が通り抜けて行くのを感じた。


「これ……」


 この感じは覚えがある。だって、毎朝感じる、あの不快なアーチを通る時と、凄く似ていたからだ。


「んー、こんなもんかな。じゃ、さよならー」


 ヒラヒラと魔王が手を振ると、息絶えた魔人と魔獣の身体の周りから、突然無数の灰色の手が地面から飛び出てきた。そしてその手は魔人と魔獣の身体をズルズルと地面へと引きずり込んでいき、ものの数秒で彼らの身体はその場から綺麗サッパリ消失した。


「なに……何したの?」

「何って、ココに置いてても面倒なことにしかならねぇじゃん。だから消した」

「消し……いや、その前にもアンタなんかしたでしょ! あれ、城の入り口に設置してあるアーチと同じ感覚したんだけど、もしかしてアレ作ったのアンタなの!?」

「くはっ! やっぱお前は気付いてたのか。ふーん、オレの魔力の癖まで感知できんのかよ。なるほどなるほど」


 ニヤニヤと笑いながら――傍目には顔を歪めて口を一層不気味に引きつらせただけにしか見えなかったが――魔王は地面でいまだ転がったままのあたしの前にしゃがみこんだ。


「あ、あの魔人を消したって言っても、まだ二人残ってるんだから。あたしはその二人を拘束する」


 苦し紛れにそう宣言するけど、実際問題あたしにそこまで出来る余力はない。

 そんなあたしを覗き込んでくる魔王の金色の瞳は爛々としていて、こちらを興味深げに見つめてくる。それが酷くあたしの心をかき乱した。


「そりゃあ残念だったな、アンフィー・イアリーナ。アイツらも、もう消しちまったわ。あぁ、残念」

「そ、そんなわけないでしょ! アンタ、あいつらがどこに居るかも知らないくせに」

「信じられねぇって? だったら探知魔術使ってみろよ。もういねぇからさ」


 愉快げに魔王は言ってのけるが、既にあたしの魔力は空っぽ状態だ。それもこの魔王を魔人たちから庇うために、全ての魔力を使いきったのだから、やり切れない。

 しかし魔王はそれを知っていて、わざとあたしに意地悪く言ってくるのだ。本当にコイツは底意地の悪い魔王だと、あたしは改めて実感した。


「んぅ? どうした、早く探知魔術使えよ。あっ、そっかー。もう魔力切れで使えないのかー、カワイソー」


 もう一度ぶん殴ってやりたい衝動に駆られたが、自分の手が痛くなるだけだとあたしは思い直した。代わりに悔しさでギリギリと歯噛みするしか無い。

 魔王はからかう口調ながらも、不意に声を低くしてあたしに問いかけてくる。


「なんで初めに魔獣に遭遇したとき、あの爽やか坊主とオレに眠りの魔術を使って、自分だけで魔獣を退治しようとした?」

「何でって……そんなの、アンタが魔獣に勝てないって思ったからよ。本当の姿を知ってたんなら、絶対しなかったわ」


 自分を傷付けた魔人たちよりも尚、巨躯の魔王は、その身体のみならず魔力も魔術も桁違いだと知っていたなら、あたしは絶対にあの場で行動などせず、逆に怯えるフリをして逃げていたはずだった。


「それで、結局は魔人たちを無駄に刺激する結果になったと。もしかして、お前は賢いフリをした、本物の馬鹿なのか?」


 顎に手を当てながら、本当に理解できないと言わんばかりに首を傾げる魔王に、あたしの鼻面に皺が寄る。


「魔人がいるなんて思わなかっただけだし! ていうか、魔人なんて本の中で記述されてるような、架空の存在だってあたしだけじゃなくて、みんな思ってることでしょ!」


 実際は魔人どころか、それらを統べる魔王が今目の前にいるのだが、威厳なんて欠片も感じない人間くさい態度のせいで、全く魔王に思えない。


「危機察知能力が低いのか、間が抜けてるだけなのか。それで、どうして自分の魔力を全て使いきってまで、オレに結界をかけようなんて思ったんだ、アンフィー・イアリーナ?」


 魔王の問いに、グッとあたしの喉が鳴る。噛み締めた唇が裂けるかと思うほど、あたしは強く唇を噛み締めた。


「お前はオレのことが嫌いなんだろ? 自分では上手く隠してるつもりだろうけどな、お前がオレの前にいる時は、いっつも死ぬほど目の前のクソ野郎をぶん殴りてぇって面してっからなぁ。そりゃあ、ブサイクでヒデェ顔だったぜ」


 知られていたのなら、一発本当にぶん殴っておけばよかったと、今になってあたしは後悔した。


「で? どうして結界をオレに掛けた。自殺願望でもあんのかお前は」

「そんなわけないでしょ! ただ……」


 言葉に詰まるあたしを、魔王はからかうでもなく黙ってジッと見つめてくる。白目のない全てが金色に染まる瞳は、肉食獣の様に瞳孔が縦に細く伸びている。そしてその目で見つめられると、いつも自分を皮肉げに見つめる紫の瞳よりも、よほど気持ちが落ち着かなくなるのはなぜなのだろうか。


「ただ……あたしのせいで、目の前で人が死ぬのが嫌だっただけ。たとえ、死ぬほど嫌ってるヤツだとしてもね」


 あたしの陳腐な答えに、魔王の瞳孔が僅かに広がる。しかしまた直ぐに細く縦に伸びてしまった。


「ふぅん。アンフィー・イアリーナという人間は、普段冷静で知性的な風を装っているが、じつは先のことも考えずに行動するお馬鹿さんで、そのくせ打算的で、なのに肝心のところでとんでもねぇお人好しだってことか。こりゃじつに複雑怪奇な性質じゃねーか」


 低くガラガラと笑いながら、魔王はあたしの額を指先で弾いた。それがとんでもなく痛くて、おまけに魔王の指先には鋭く尖った真っ黒な爪が生えているのだ、あたしは痛みに額を抑えながら喚いた。絶対血が出てるはずだ。


「痛いじゃない! なにすんのよこの馬鹿!」

「このオレを馬鹿だと罵る命知らずな馬鹿は、この世界でお前だけだろうさ」


 何が楽しいのか、魔王は笑いながらあたしの傷口に手を寄せてくる。


「な、なにするつもり?」

「そう警戒すんなって。どうせお前、自分の怪我が治せねぇんだろ? いや、正確に言えば”自分に対して”魔術を掛けられないってところか」

「どうしてそれ……」


 言った瞬間あたしは後悔した。仮にも、この目の前の禍々しい存在は魔王なのだ、なのに自分の弱点を白状してどうするのだと慌てたが、出てしまった言葉は拾い戻すことなどできなかった。

 案の定、魔王はまた轟くような笑い声を上げた。


「マジでそういうところが間抜けだな、アンフィー・イアリーナ。つーか大人しくしてろ。このオレが人を治癒してやるなんざぁ、滅多にねぇんだからな。感謝して咽び泣きながら、地面に額を擦りつけて土下座しても足りねぇくらいだぜ?」

「誰がするか!――ん?」


 あたしが抗議の声を上げるなか、魔王の手があたしの傷口を一瞬過ぎった瞬間、痛みを通り越して感覚が麻痺していたのがすっと収まり、なぜかジワリと温かさを感じた。


 ふと視線を下げて自分の身体を見ると、肩口に埋まったままだった氷塊はすっかり無くなっており、それどころか傷痕さえなくなっていた。

 驚くあたしを無視したまま、魔王が次々とあたしの体にある傷へと手をかざしていく。たったそれだけで、痛々しく醜かった傷が綺麗に無くなっていく。


「なにこれ……治療術師でもこんなに早く治せないわよ」

「だーかーらー、オレを誰だと思ってんだよ。魔王様だぜ? すげー存在なんだぜ? アンフィー・イアリーナなんて足元にも及ばないくらい、尊くて美しく素晴らしい存在なんだぜ? その覚えの悪い脳みそに叩きこんどけよ」


 普段のローム局長の姿ならまだしも、この醜悪な化物の姿のどこが美しいのか。普通の人なら、そう言うだろう。

 だけど残念ながら、ホラーやオカルト好きのあたしは、本当に――本当に! 悔しいけれど、コイツの今の姿を恐ろしくもどこかで格好いいなどと、馬鹿げた感想を抱いている。


 そういえば、とあたしは思い出す。前世で小さい頃に見た映画の中で、残酷で冷徹な宇宙人を見た時に、恐怖を感じながらも格好いいと思ったのを思い出した。映画を見終わった後、興奮のままに隣で一緒に観ていた兄にこう言ったのだ。「あたし、ぷれでたーみたいな人とケッコンしたい!」


 黒歴史である。あたしの唐突な告白に、兄が本気で引いていたのを覚えている。でも当時のあたしは本気であの醜悪な宇宙人を格好いいと思っていたのだ。そしてそれ以降も、あたしは禍々しくて化物のような存在に惹かれていった。

 勿論、現実世界にそんなものは存在するわけがないから、もっぱら映画や小説の世界であたしは自己欲求を満たしていた。こうして考えると、前世のあたしは(間違った方向の)夢見がちで寂しく孤独な女だったんだな。恥ずかしくて全身の毛穴から血が吹き出そう。


 チラリと魔王の顔を見ると、ヤツはやっぱり醜い顔で、目を眇めておかしそうに笑っている。ドキリと鼓動が跳ねるのを感じ、そんな自分自身にあたしは酷く動揺した。


「本当にお前はチビで貧相だな。一体どうしたらあんな化物じみた力が出てくんだか」

「おい、どこ触ってる魔王」


 手当を終えたはずなのに、魔王の手は傷のない場所にまで及んでいる。しかも直に触ってきている。心臓が破裂しそう。


 だめだ、あたしはアランみたいな人が好き。アランみたいな爽やかで筋肉質な人が好き。決して筋骨隆々の真っ赤な肌で黄金色の目をした醜悪なバケモノが好きなワケじゃない。ちょっと――そう、ちょっとだけ前世の好みを引き摺っているだけで、この身勝手で傲慢不遜な魔王がカッコイイなんて断じて無い!


「離せ馬鹿!」


 自身の信じがたい気持ちを振り払うためにも、あたしは目の前の魔王の横っ面を引っ叩いた。そしてやっぱり、あたしの掌が痛くなるだけで、魔王の頬には傷一つすら付いていない。なんだ、コイツの肌は鋼鉄製か?

 あたしはよろけながらも立ち上がり、座ったままの魔王を見下ろしながら人差し指を付き出した。


「アンタが魔王だろうがなんだろうが、とにかくこのまま人の姿で今までどおりにいくと思わないことね。アンタが魔王だってことを国に報告して、直ぐにでもひっ捕まえてやるんだから!」

「わー、勇ましいなぁアンフィー・イアリーナちゃん。ところで下着見えてるけど?」

「え!? 嘘、やだ……」


 慌てて下を向くと、そこかしこが汚れているズボンが目に入った。いつも制服でスカートを穿いているから、思わず反応してしまった自分が恥ずかしい。

 キッと魔王を睨みつけると、ヤツは小学生男児のような表情で(と言っても、やっぱり厳つい顔の筋肉は僅かしか動いてないけど)、あたしを指差していた。


「やーい、引っかかってやんのー。つーかお前みたいな貧相な女の下着なんか見ても嬉しくねぇしー」


 馬鹿じゃねーのー、と苛つく語尾の伸ばし方をしながら言うヤツに、あたしのそう高くはない沸点が一気に上昇する。


「ざっけんな! マジでアンタなんなのよさっきから! ていうか、その気持ち悪い口調やめなさいよ! 普段の不気味なくらいの敬語の方がまだマシだわ!」


 あたしが肩を怒らせて言うと、魔王はいきなり立ち上がった。それにしても、立つとあたしの何倍も大きい魔王は、それだけで迫力が尋常じゃない。


「な、なによ。あたしを殺す気? だったらあたしもタダでは殺られないからね」


 思わず後退って戦闘態勢に入ると、魔王は呆れたような溜息を零した。


「あのさー、その妙なところで血の気が多くなるのやめてくんない? つーか、お前みてぇな貧乳のちんちくりんが、オレに勝てると本気で思ってんの? アンフィー・イアリーナさんは相手の実力も計れないお馬鹿ちゃんなんでちゅかー?」

「いちいち胸のことを挟んでくるな! この『セクハラ』魔王!」

「『しぇーくぁら』? なんだその言葉」


 魔王が訝しげに首を傾げる。あたしはハッと我に返る。


 この世界とあたしがいた世界。全く違う世界だからか、前世で使っていた言葉に相当するものがない時がたまにある。

 そういった時、あたしがその言葉を使うと、どうしてだかこの世界の人には上手くその単語が聞き取れないようで、奇妙な発音で聞き返されることがあった。

 そしてそれは相当する言葉がない場合だけではなく、あたしが前世で使っていた日本語も同じように聞き取れないようなのだ。


「そういやぁ、お前さっきもワンコロに向かって奇妙な言葉を使ってたな」


 ありゃ、一体なんだと魔王があたしを威圧感たっぷりに見下ろして尋ねてくる。だけど答えるわけにはいかない。

 だからどうにかして誤魔化そうと、無い知恵を振り絞っているあたしの頭上から、魔王が真剣な声で「おい」と話しかけてきても直ぐには反応できなかった。


「おい、不細工な顔で考えこむなアンフィー・イアリーナ」

「だれが不細工よ!」

「そんなこたぁ、どうでもいい。それよりそろそろ別行動してた追跡班がココに来るぞ」


 言われてあたしは慌てて魔王を見上げた。魔王は小難しい顔で(表情が動かないけどそう見える)、なにやら虚空を見つめている。

 するとその視線はあたしの方へと向いた。


「お前のその服をどうにかしねぇとなぁ。さて、どうすっかな」


 ジロジロと不躾にあたしの身体を眺め回す魔王に、あたしも自分の服の惨状を思い出す。

 土や草花の汁で汚れ、魔術のせいで所々が焦げたり穴が開いたりしている。どう見ても普通の状態には見えない。


「どうせお前の奇怪な魔法で、服の修復なんてお手の物なんだろ? だったら今すぐやって元に戻せよ」


 なんでコイツはそんなことまで知っている。確かに、あたしは自分の”チカラ”でよく服の修復をしているけど、コイツの前でそんなことをした覚えなど一度もない。

 なにより、今はそれをできる状態じゃないことは、コイツも分かっているはずだ。その証拠に、目の前の魔王はあたしを見下ろしたまま、鋭く尖った歯をむき出しにしながら、ニヤニヤと底意地悪く笑っている。


「なーなー。魔力がなくて困ってんだろ? オレの魔力を分けてほしくねぇの?」


 黒く尖った爪先であたしの額を突きながら馬鹿にする魔王は、どこまでも性根の腐った男だと思う。そしてそんな魔王に、些か胸を高鳴らせてしまったあたしは、それ以上に最低だと思う。


「アンタに分けて貰うくらいなら、ドブネズミに分けてもらうほうが何百倍もマシよ。それかアンタに乱暴されたって、追跡班のメンバーに訴えてやる」


 あたしが言い切ると、魔王は機嫌を損ねたのか、顔を顰めたように見えた。


「本当にテメェはどこまでも可愛げのねぇヤツだな。ま、いいや。それより早くどうにかしろよ、その服」


 そう言うと、魔王の体からまた、あの時感じた異様な程の濃い硫黄の匂いが漂いだす。

 すると魔王の足元の地面から、あのドロドロとした黒紫の液体が、泡立ちながら魔王の体を足先から頭上まで、這うように覆っていく。


 あまりの臭さに鼻をつまみながら後退っていると、次第にその泡立ちは収まっていき、頭の先から白金の髪が見え始めてくる。

 まったくどういう原理なのか分からないけど、ドロリとした液体の中から現れ始めたのは、普段の魔王だった。要するに、人間離れした美しさを持つ、あのヒョロリと背の高いウィル・ロームだ。


「おら、なにボケェっとしてんだ。早くしろよアンフィー・イアリーナ」


 美しすぎる容姿だが、出てくる言葉はもう取り繕う必要がないと判断したためか、あの醜悪だった姿の時と同じ口調である。こんな姿をあの鑑識の子が見たら、絶対ショックで泣くと思う。


 辺りに漂っていた硫黄の匂いは薄れていき、それと同時にいつもの不快な香水の匂いがしてきた。魔王の足元を見れば、黒紫の粘着質な液体が地面へと吸い込まれて消えていくのが見えた。

 あたしは溜息をつき、周りの木々を見渡した。さっきの戦いでダメージを負っていない木に近づき、目の前に立つ。そして息を深く吸い込み、拳に力を込める。


「はぁッ!」


 木の中心部に向けて拳を叩き込むと、拳の当たった部分に綺麗な円形の穴が空き、向こうの景色が見えた。


「うわー引くわー。マジ引くわー。拳で木に穴開けるとか、テメェの方がよっぽどバケモンじゃねぇか。うわー」


 うるさい魔王を無視し、あたしは傷のついた木の断面に口を付ける。すると口から魔力がスルリと入り込んできて、全身に染み渡っていく感覚がし始める。

 しかし木一本分だけでは服の修復には足りない。仕方なくあたしは辺りにある木を手当たり次第に破壊しては、中から魔力を吸い出していった。環境破壊? この世界にそんなエコロジーな思想はない。


 魔王が後ろで「こうやって見ると、木に欲情してる変態女にしか見えねぇな」とか、「独り身の寂しい女が木を相手に自分を慰めてる光景って、スゲェ絵面だな」などと散々囃し立ててきたが、あたしはそれらを綺麗に無視した。少々拳に力が入りすぎて、穴を開けるどころか木っ端微塵に粉砕してしまった木もあったが、それは許して欲しい。


 魔力をある程度補充し終えたあたしは、直ぐに服の修復に取り掛かる。イメージするのは草花を成長させたときと同じような感じ。服も元は植物や動物の毛からできている物だ。既に命は無くとも、あたしが再度成長を促すようにイメージして”チカラ”を込めれば、あら不思議、あれだけボロボロだった服は生き物のように繊維同士を互いにくっつけあって元に戻っていく。


 多分、これは前世で出回っていた合成繊維製の服だと、出来ないことはないだろうけど修復は難しいと思う。自分でやってることだけど、どうしてだかあたしの”チカラ”は自然に根付いた物質に効きやすい。


「……マジでお前は、自分の力の使い方が分かってねぇんだな」


 ボソリと魔王がつぶやくので振り返ると、ヤツは美しい顔を何故か顰めていた。

 どうせ話しを聞いたところで、まともな答えが返ってくるとは思えないから、あたしは余った魔力を使って探知網を張った。


 あたしが先ず探したのは残り二人の魔人だが、どういうわけだか二人の存在を探知できなかった。さっき見た灰色の手が、魔人と魔獣を地面に引きずり込む光景を思い出し、思わず背筋に冷たいものが走る。

 探知網をもう少し広げると、魔王の言うように一定量の魔力を持つ幾つかの生命体が、こちらに向かってくるのを探知した。


「どうだ? オレの言ったとおり、残りの魔人はいなかっただろ?」


 魔王がそれみたかと言わんばかりに口角を上げる。さっきの姿よりこっちの姿の方が人間味がないって、本当に皮肉だ。

 あたしは魔王の動向を伺いながら、ヤツに問いかけた。


「アンタが変な真似したら、あたしは容赦しないから」


 魔王は流麗な眉を片方だけ器用に上げて、あたしを見返した。


「アンタの魔力を根こそぎ奪い取って、アンタをあの世に送ってやる」

「ほう、そりゃあ怖い。だが何度でも言うが、テメェにゃあできねぇよ」

「できないじゃない、あたしは”やる”って言ってんの」


 あたしの言葉に魔王は目を細める。


「自分の命を掛けてまでもか?」

「そうよ。アンタを道連れにしてやるから、絶対におかしな真似はしないで」


 強い口調で言い放つ。正直、あたしは死ぬ気なんて全く無いし、魔王を積極的に倒してやろうなんて意気込みもない。

 ただコイツを放置して何かが起こったら、あたしの安寧な生活が台無しになるのだ。それだけは許せない。


 だから抑止力が必要なのだ。コイツ相手に抑止力になってるかどうか、微妙なところだけど。

 魔王はあたしの言葉をどう受け取ったのか、美しい顔を醜く歪めながら言う。


「そうですか。ご忠告どうもありがとうございます、イアリーナさん」


 嬉しそうに笑う魔王は、もう既にいつものウィル・ロームの顔をしていた。





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