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13.



 訪れる痛みと熱に耐えられるように、キツく目を閉じるあたしだったが、どうしてだか一向にそれらは訪れない。


 訝しんでいると、あたしの耳にゴポゴポと水が沸き立つような音が聞こえてきた。


 さすがにおかしいと思って目を開けると、何故かローム局長が笑っていた。それも飛びきり悪そうな笑顔で。

 相変わらず頭を踏まれたままだったから、視線だけ必死に上へと向けた途端、あたしは固まった。


「な、なに、アレ……」


 魔人が作り上げた巨大な炎の塊、その周りを水の膜が覆うようにして浮かんでいた。


「これは……どうして」


 あたしを踏みつけたままの魔人ですら、驚愕に固まって動けないでいる。いい加減、頭から足をどかして欲しい。


 水の膜に覆われた炎の塊は、強大な力で押さえつけられているかのように、水の膜と共に小さくなっていく。

 そして最後には、パシン! と音を立てて炎とともに弾けて消えた。


 何が起こっているのか全く分からなくて呆然としていると、突如として辺り一帯に笑い声が響き渡る。

 驚いてローム局長の方を見ると、彼が大口を開けて馬鹿笑いしている。美しい顔を醜く歪めながら、とても愉快そうに笑っている。あまりにもの異様さに、見ているこっちがゾッとする。

 しかも、なんだか変な匂いがする。これは――


「き、貴様……いったい」


 魔人が恐れるように後退る。お陰であたしの頭がようやく解放された。

 だけどローム局長は地面に転がったまま、相変わらず大笑いしていて、しかも彼の横たわる地面から、限りなく黒に近い濃い紫の液体が、泡立ちながら彼の身体を覆っていく。


 異常な光景に身動きすら取れず、ただローム局長の異変を見続けるしか無かった。

 ボコリと泡立つ粘り気のある黒紫の液体が、ついにローム局長の全身を覆ってしまった。

 異様なほど濃い、硫黄っぽい臭い。この臭いは魔獣や魔人たちが、現れるときに発する臭いと同じものだ。だけど比にならないほど臭いがキツい。


 笑い声は途絶え、暫しの間シンッと辺りに静けさが漂う。頭は解放されても身体に掛けられた拘束魔術は切れていないせいで、ろくに周りを伺えないけど、魔人がどんどん後退っているのだけは視界の端に捉えられた。


「この、魔力……いや、そんな、あり得ない」


 震える魔人の声に、なぜかあたしまで恐怖心を煽られる。ローム局長に視線を向けると、ドロリとした液体に覆われたまま、おもむろに立ち上がった。それはさながら巨大な影が動いているようだった。


 キツい臭いに鼻を顰めつつ動向を伺っていると、黒紫の泡立つ液体が今度は地面へと戻っていく。

 そして液体が地面へと吸い込まれていくにつれ、中に包まれていたモノの姿が露わになっていく。


 誰だ、コイツ――初めに浮かんだのは、そんな安っぽい感想。


 液体がついに全て流れ落ちて地面へと消えると、キツく漂っていた硫黄の臭いが薄くなる。浅くしていた呼吸を元に戻しながら、突然姿を表した人物――なのかどうかもわからないけど、人の形に近いなにかが立っていた。


「はあ……久々に馬鹿笑いしちまったじゃねーか」


 低く轟くようなザラザラとした声で言うソイツは、燃えさかる炎のような真っ赤な肌の色をしていた。


 それだけでも異様だけど、その真っ赤な肌の下の筋肉は異常ななまでに発達していて、手から肘のあたりまで鈍く光る鱗のような物に覆われている。

 それだけじゃない。下半身を覆う真っ黒な布で纏うそこから見える足が、どう見ても人の足じゃなくて動物っぽい足に見える。なんだろう、ライオン? それをもっと大きくして爪を巨大化した感じだ。


 呆気にとられて口を開けたまま上を向くと、歪な形の大きな口と横幅の広すぎる鼻、それに眉のない窪んだ金色の瞳が見える。

 耳なんて魚のヒレみたいな形してるんだけど。おまけに額から二対の真っ黒な角が生えてるんだけど。ていうか、光も反射しないくらい髪が真っ黒なんですけどぉ!


「相変わらずバカ面晒してんなぁ、アンフィー・イアリーナ」

「誰が馬鹿だ! ていうか誰だお前!?」


 突っ込まずにはいられない。本当に誰だコイツ。あたしの勘違いじゃなければ、この魔人っぽいヤツは、あのローム局長だよね!?


「はっ! なるほど、お前の素はそっちか。いつものキメェ笑顔と敬語よりマシだな」


 あぁ、コイツローム局長だわ。紛うことなき魔王だわ。


「き、貴様は誰だ? お前も俺たちと同じ魔人か?」


 火星人があたし達から、だいぶ離れた場所から問いかけてくる。魔王は魔人を鼻で笑い飛ばした。


「オレが誰かも分からずに、人の支配する大陸までノコノコやって来たってのかぁ? おいおい、世間知らずにも程があんだろ? つーか、そもそもテメェらオレを探しにここまで来たんじゃねーのかよ。馬鹿なの?」


 ちょっとキャラ違い過ぎない? もうあたし混乱の極みにいるんだけど、誰か説明して!


「まさかっ! それじゃあ、お前は――いや、貴方様は……!」


 魔人が急に敬語になる。どうやら魔王は、なんだか凄いヤツらしい。ていうか、本当に何者だよお前。


「遅すぎぃ! 今更気付くとか、やっぱ馬鹿だろお前。あー、つーかもう面倒だから、とっとと帰れよ」


 魔王がヒラヒラと手を振って邪険にする。魔人はさっきまでの殺意はどこへ行ったのか、あたしの存在などすっかり綺麗に忘れて魔王に縋っている。


「なにを仰るのですか! 貴方様がここにおられるということは、人への侵攻をついに決断なさったということではないのですか!?」

「そんな面倒くせぇことすっかよ。いいから早く帰れ。うぜぇなぁ、まったく」

「そんな、どうか我々を導いてください! 我ら魔人たちの王であられる、魔王様!」


 そうだね、魔王だねコイツ。普段から魔王のごとく振る舞ってるから、魔王と呼ぶのに差し支えないレベルで魔王だからね……あれ?


「おいー。なに勝手に正体バラしてくれちゃってんのー? 折角このバカ面晒してるコイツを驚かせてやろうと思ってたのにさー、腹立つわー」


 そう言って魔王(本当らしい)が、あたしを指差してくる。おい! 人を指差すなって教わらなかったのか、この野郎!

 思考停止に陥りそうなあたしを魔人が見てきた。その目が剣呑さを帯びているように見えるのは、多分気のせいじゃない。


「なるほど、この人の女に何か良からぬことを吹きこまれているのですね魔王様。でしたら、この私が今すぐその女を処分しましょう」


 言いながら、魔人が右手をクイッと捻った途端、あたしの身体に突き刺さったままだった氷塊から強烈な痺れが走る。


「あぁッ!」


 まるで雷に打たれたかのように、全身が激しい痺れと痛みに支配される。あたしは為す術もなく、地面の上でのたうち回るしか無かった。


「おい」


 ザラザラした魔王の声が唸るように何かを言っている。でもその声が聞こえると同時に、あたしの身体に走っていた痺れが突然収まった。そしてなぜか、あたしのではない叫び声が聞こえる。


「なに勝手に早とちりして、コイツに手を出しちゃってんの? 誰が、いつ、そんな許可を出した?」


 痛みに喘ぎながら叫び声のした方を見ると、魔人が地面に膝を付いていた。右肩から大量の灰色をした血を流しながら。


「マジでうぜぇなお前。このオレが、こんな馬鹿女の言うことを聞くとでも思ってんのか? あぁ?」


 それに対して反論しようとした魔人だったが、口を開くよりも先に、今度は左腕が宙を舞う。

 あたしは魔王の方を慌てて見た。魔王はさっきから一歩もその場から動いていなかったし、指先ひとつ動かしていない。なのに魔人の両腕は、鋭利な刃物で切り落とされたかのように、地面に転がっている。


「魔王様ぁ! 何卒、何卒ご慈悲を!」


 魔人が悲鳴のような叫び声で懇願する。あまりにもの異様な光景に、吐き気がしてきた。前世でスプラッタ映画を見慣れていたあたしでも、生で人の腕が飛ぶ瞬間は見たくなかった。


「慈悲。慈悲ねぇ……。おい、アンフィー・イアリーナ」


 突然あたしを振り返った魔王は、金色の瞳であたしを射るように見つめてきた。


「お前に決めさせてやる。コイツを生かすか、殺すか。どっちがいい? あ、ついでにあのワンコロもな」


 そう言って鋭い爪が生えた魔王の指す先には、あの魔獣が地面に頭を擦り付けんばかりに姿勢を低くして唸っていた。それは今すぐ飛び掛かろうという意志からじゃなく、完全に怯えきっているのが垂れ下がった尻尾と耳で分かった。

 それにしても今日の昼食は何にしようか、そんな気軽さで問いかける魔王は、恐ろしいほど無表情だった。


「そ、んな……そんなの、あたしは……」

「おいおい、今更イイ子ぶるなって。あんだけ派手にやらかしてたクセによぉ。ほら、さっさと決めろ。お前だってコイツが憎いだろ? 散々傷めつけられたんだから。あ、残りの二人も同じ目に合わせてやるからな。オレからの温かいサービスだ。喜べ」


 大袈裟に両手を広げて笑顔を浮かべているのだろう魔王。だけど顔の造りが人と違いすぎて、笑うというよりも耳まで口が裂けただけだった。

 あたしは震えそうになる身体を必死に押しとどめながら、魔王を睨み返した。


「いやだ、殺さないで」


 元はといえば、あたしがここまで騒ぎを大きくしたのだ。殺されかけたとはいえ、今ここで魔人を殺しても意味が無い。さっき魔人が言った事が気にかかっているのもある。人への侵攻云々の話し。


 急に女神の言葉が蘇る。この世界を救って欲しいと、あたしに言った女神の言葉が。


 今まで欠片も信じていなかった世界の危機が、じつはあたしが知らなかっただけで、本当はすぐそこまで迫っていたのだとしたら? そしてその根源が、この人のフリをしていた魔王だったなら?


 だったら尚更、この魔人を殺すわけにはいかない。善意なんかじゃない。あれだけ傷つけられたんだから、滅茶苦茶腹が立ってる。だけどそれとこれは別。なんの情報も得ないまま、魔人を殺すことも逃がすこともできない。


「やっぱお前のそう言うトコロがオレは気に入らねぇわ。普段誰にでもイイ顔してるクセによぉ、本当は誰よりも打算的で冷静なトコロがさぁ」


 ドキリと心臓が跳ねる。魔王はわざとらしい溜息をついた。


「可哀想だから殺さないで! なら、まだ可愛げもあんのによぉ、お前はそうじゃねぇだろぉ? どーせ、コイツから情報を引き出してやろうとか、くだらねーこと考えてんだろ?」


 魔王の言葉に反論すらできなかった。事実、あたしは可愛げのない打算的な人間だし、こんな状況に陥っているのに、どこか冷めた目で事態を観察している自分がいる。


「さあさあ、早く決めろ。オレの考えが変わんねぇうちにさー。あ、生かす場合は、そのままコイツらを逃がすって意味ねー」


 魔王が人差し指を自分のこめかみの辺りでクルクルと回しながら、あたしを急かしてくる。


 あたしはどうすればいい? 魔人を拘束できるほどの魔力はもう、全く無い。じゃあ魔王と闘う? 無理だ。”チカラ”なしで闘うには、あまりにもリスクが高すぎる。そもそも勝てる気がしない。


 ふっ、と息を浅く吐き出し、あたしは魔王を見つめ返した。


「殺さないし、逃がさない。それが答えよ」


 きっぱりと言い切ると、魔王がこれみよがしに溜息をついた。


「はぁー。オレはよぉ、アンフィー・イアリーナって人間は、もうちょっと賢いヤツかと思ってたんだけど、期待外れっつーか。まぁ、いいや」


 そう言うと、魔王は片手を上げて、人差し指を両腕を失った魔人へと向けた。


「もう、つまんねぇから、お前もいらね」


 その瞬間、魔王の指先からどす黒い血のような色をした稲妻が迸った。止める間もなくそれは魔人へと一直線に向かい、そして稲妻は魔人の胸を貫通した。





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