12.
「……は?」
あたしの一世一代のお願いに対し、魔王はじつに気の抜けた返事を寄越した。
「説明してる時間はないんです! このままアイツらの手に掛かって死にたいんですか?」
あたしは死にたくたい。少なくとも、この世で一番嫌っている相手に口付けを頼み込むほどには、生きたいと願っている。
「イアリーナさん、気でも触れたのですか? こんな時にそのような事を――」
「あたしは至って正気ですし、こんな時だからお願いしてるんです! もう、つべこべ言ってないで、さっさと口付けて下さい! 触れるだけで良いですから!」
「しかし……」
「しかしも、へったくれも無いって言ってんだ! 早くしろ馬鹿!」
普段被っていた猫の皮を見事に引き千切って投げ捨てたあたしの剣幕に驚いたのか、それともこの状況に臆しているだけなのか、兎にも角にも魔王はあたしに近づき、そして顔を寄せてきた。魔王の香水の匂いが、なぜか一段と濃くなった気がした。
「後で乱暴を働かれたなどと、騒がないと約束できますか?」
「死なずに生きてたらね! 早く!」
もう結界は限界だ。氷塊がガリガリとその身を削られながらも、いくつかあたしの一番手前の結界から顔を覗かせている。
「イアリーナさん」
魔王の信じられないくらい綺麗な顔が、あたしに近づく。泣きそうになった。
金にがめつくて現実主義者のあたしだけど、初めてのキスは好きな人としたいって、柄にもなく夢見てたのに。よりにもよって、この魔王がファーストキスの相手なんて。
悲しみと悔しさと、いくらかの恐怖を感じながら、キツく目を閉じたあたしの唇に、ひんやりとした触感がする。
それが魔王の唇が触れているのだからとは直ぐに気付けなかった。結界を張り続けなきゃいけないから、そっちに意識が持って行かれていたのもあるけれど、想像していたよりもキスってものが呆気無いものだったからだ。
だけど異変は直ぐに訪れた。魔王の口から今まで感じたことのないほどの量の、魔力が流れ込んできたからだった。
「!」
驚いて思わず目を開けると、なぜか魔王は目を開けたまま、ジッとあたしを見つめていた。どうしてだろう、なんか魔王の目が――
疑問を感じる間もなく、全身に満たされる魔力を早速使って、あたしは結界をより強化する。魔王め、こんなに無駄に魔力を持ってるくせに、肝心なときに生かせないなんて、宝の持ち腐れじゃないか。
勝手に理不尽な怒りを感じていると、魔王の唇があたしから離れた――と同時に、魔王の体がその場に崩れ落ちていく。急に魔力を失ったから、体が対応できないのだろう。というかもしかすると、あたし魔王の魔力、全部奪い取っちゃった?
後で文句を言われたらどうしようかと青くなりつつ、結界を強化しつつ反撃に出る準備を始める。
「おい、見たか! こんな時に人の女は恥ずかしげもなく、男と口づけをしているぞ!」
あたしに氷塊を投げ続けている骨男が大声で仲間に言った。他の魔人も嘲るようにあたしを笑ってくる。許さん、あたしだって好きでしたわけじゃないんだからな!
奴らに文句を言いたいのは山々だけど、あたしはグッと唇を噛み締め我慢する。そして奴らが馬鹿笑いしている間に、結界の範囲を大きく広げ、魔力を辺り一帯に分散するようなイメージを頭に浮かべる。
「今更結界を広げてどうするつもりだ。俺の攻撃を防ぐのも手一杯のくせに」
火星人が馬鹿にしたように顎を上げて言った。
「おい、そろそろ飽きた。それに早くランメに行って、あの方を探すのが先だろ」
口裂け男が首をぐるりと回しながら、片手を上げて炎の塊を作り出していく。
あたしはかなり広がった結界を確認し終えると、まずは自分の服とブーツにさらなる強化を施していく。さっきのでダメージが与えられなかったんだから、もっと硬く、もっと速く。
あたしの身の丈ほどの巨大な燃えさかる炎の塊を、口裂け男が解き放つために手を翻したその時、あたしは全身の力を振り絞って魔人たちに背を向けて走りだした。氷の塊がいまだ突き刺さった状態の全速力。痛いのを通り越して火傷をしたように熱く感じる。
「女が逃げたぞ! 早く殺せ!」
魔人が叫ぶのと同時に炎を解き放つ。しかしあたしの背後の地面から分厚い土の壁が現れ、迫り来る炎からあたしを守ってくれた。
「大地の魔術を使うぞ、あの女!」
あたしは土壁に守られながら、今度は姿を隠すための反射の膜も張っておく。その間に急いで右太腿に成長させた植物を硬く縛り、突き刺さっている氷塊を思い切って抜いた。
「ぐぅっ! ったぁ……!」
幸いにも想像していたような血は吹き出さなかったが、放っておいたらどうなるか分からない。とにかく応急手当てとして、さっきアラン達の前で口に含んでいた薬草を辺りから探して、それを傷口にあてがって”チカラ”を込める。
成長を極端に促し、その上からきつく植物の茎を幾重にも絡みつかせる。幸い、この森は偏りがあるけど、薬草が豊富だ。痛み止めの効果のあるこの稲に似た薬草で今は凌ぐしか無い。
肩と脇腹に刺さっている氷塊を抜くのは流石に不安で、取り敢えず先端を風の”チカラ”を纏わせた指先で切り落とすだけに留めた。それにしても、氷のくせに全く溶ける気配がないところが、あの魔人たちの魔術のレベルの高さを物語っている。
ただそれが幸いしているというか、その氷のお陰で傷口からの出血が、最小限に留まっているのも事実だ。
あたしは次に足元の植物を自分と同じくらいの背丈に成長させ、人の形に似せて変形させる。
植物で作った人形の周りに、あたしと同じように見える幻覚の”チカラ”をかける。すると緑色の植物の塊は、不気味なほどあたしにそっくりな姿に変化した。
魔人たちの怒声を背後に感じながら、反射の膜の上に自身の魔力を遮断する結界も張っておく。初めて作った類の結界だから、上手くいってるかどうかは不安だけど、実地で確かめるしか無い。
直ぐ後ろに魔人たちの足音が聞こえてきた。あたしは急いでその場から走り去り、地面を蹴って木の上へとひとっ飛びした。色んな場所が痛むけど、死ぬよりましだ。
結構な分厚さの土壁を拳で破壊して現れたのは、火星人だった。
「こざかしい真似をしやがって! その頭を引きちぎってやる!」
そう言って魔人が本当にあたし(に似せた植物人形)の頭を片手で首から引きちぎった瞬間、幻覚の”チカラ”が解けたと同時に、ボンッ! と爆発した。
爆発から身を守ろうと結界を張ったのだろうけど、頭の無くなった植物人形は触手のように全身から草花を伸ばして、魔人の身体に絡みつく。
「くっ! これは……なんだ!?」
火星人が草花まみれになりながら、怒りと困惑の表情を浮かべている。さっきのように魔術で焼き尽くそうともがいているけど、その表面は焦げ付きすらしない。
当たり前だ、表面は草花に見えるそれの中身は、地中から吸い出した石と砂が詰まっている。ついでに表面にも一応強化の”チカラ”を掛けておいた。
それにしても、本当に頭を引きちぎられるとは思ってなかったから、あたし自身驚いてる。植物人形とはいえ、自分にそっくりなソレの頭が引きちぎられる光景は気分のいいものではないし、魔人たちが本気であたしを殺そうとしているのだと、改めて実感して背筋が寒くなる。
木の上で息を潜めながらも、拘束された魔人を助け出そうとしている残りの魔人たちを見つつ、あたしはそっとその場から飛び立った。
ある程度離れた場所まで来てから、今度はあたり一面に光の玉を出現させる。あの使えない魔王がさっき使った魔術を見様見真似で再現したけど、ただ光らせてるだけだから、なんの威力もない。手で触れると簡単に消えるほど適当な作りだ。
探知網を広げると、二つの物体があたしに近づいてくる。拘束された仲間を解放するのは、後回しにしたのだろう。
魔人は直ぐに現れた。先頭を切って現れたのは、予想していたとおり、骨男だった。
「女! どこだ!」
どこだと言われて出て行く馬鹿はいるのだろうか。あたしは木の上で、怒り狂っている魔人二人を息を潜めて見下ろしていた。
「それにしても何だこの光は! やたらと魔力がこもっているぞ、この光の玉……ん?」
苛々しながら纏わりつく光の玉を振り払う口裂け男が、ふと動きを止めて自分の腕を見ている。
人とは違う青い腕に、小さな羽虫が群がっているのに気付いたのだ。
「ちっ! 鬱陶しい!」
腕を振り回して羽虫を振り払おうとすると、また光の玉に腕がぶつかる。するとそこから羽虫が、魔人に吸い寄せられるようにして群がっていくのだ。
「なんだこれは! おい、変だぞこの光の玉! 気をつけろ!」
口裂け男が自分の腕のみならず、体中に群がり始めた羽虫に警戒して後ろにいた骨男を振り返り、目にした光景に思わず叫び声を上げた。
「お、お前、その顔……!」
戦慄きながら、口裂け男が骨男の顔を指差した。
震える指先が示す先には、顔中を羽虫に覆われ、皮膚がドロドロと溶け出している骨男がいたのだった。
口裂け男は慌てて自分の腕を見る。羽虫に覆われた部分が、まるで酸で溶かされたように爛れている。
「うぁああああああ! やめろ! 離れろ!」
パニック状態に陥りながら、口裂け男がその場で暴れ回る。しかし暴れれば暴れるほど、辺りに浮かぶ光の玉に体がぶつかり、その中から羽虫たちが飛び出してきて、自分の身体に襲い掛かってくる。
「助けてくれ! 早くこの虫をなんとかしてくれ!」
立っているのもままならず、ついに口裂け男は地面をゴロゴロと転げ回り始めた。
「なにしてるんだお前! 虫なんてどこにもいないぞ!? おい、聞いてるのか、おいっ!」
顔中が溶けて爛れた骨男が、突然の仲間の恐慌に驚いて近づくも、その恐ろしい容姿のせいで更なるパニックを引き起こすだけだった。
あたしは木の上でその様子を伺いながら、想像以上に上手くいったことにほくそ笑んでいた。
ここから見える魔人たちは、光の玉に囲まれて見えない「なにか」に発狂しているようにしか見えない。
それもそうだろう、あたしはあの光の玉に幻覚を見せるように”チカラ”を込めておいたのだ。前世でちょっとしたオカルトマニアだった、あたしの渾身の恐怖演出を舐めないで欲しい。
しかし思った通り、あの魔人たちにはそれぞれ突出した能力があると確信した。
まず土壁をぶち破ってあたしの植物人形に拘束された火星人。あいつは結界を見破る能力に秀でている。多分首都の結界を破ったのもアイツだ。
次に今、下で仲間の奇行に困惑している骨男。こいつは魔力に異常に反応する。だから無数に浮かぶ光の玉の魔力を感知して、迷うこと無くここにたどり着いたのだろう。
そして地面を転げまわってパニックになってる口裂け男。こいつは魔術が発動するのを敏感に察知する。そしてそういうヤツは、厄介なことに魔術に掛かりやすい。おじさんの持ってた本の中で、そんな記述を昔見た記憶がある。
あたしはそっと別の木へと飛び移りながら、その場を後にした。向かう場所は勿論、置き去りにしたままの魔王の所だ。
取り敢えず魔王を回収して、その後アランを起こして森のどこかにいる別の追跡班と合流するか、もしくは森を出てすぐに魔人たちの事を上の人間に伝えて応援を頼まないといけない。
少しだけ気が緩んだせいか、傷口がジクジクと痛み始める。だけどもう少し我慢しなくちゃ。
木の上を魔人が言ったように猿のごとく飛び移りながら、あたしは魔王のいた場所まで急いで戻った。
そして元の場所へと戻ったあたしが見たのは、いまだ地面で臥せっている魔王の姿だった。
慌てて魔王に駆け寄り、その身体を仰向けにした。
「まお……ローム局長、大丈夫ですか? 動けます?」
あたしの問いに、魔王のプラチナ色の長い睫毛が震える。そして薄っすらと瞼が持ち上がった。
「あ……い、ありーな、さん?」
どこか舌っ足らずな物言いに、魔力を奪いすぎたかと冷や汗が出てくる。人から魔力を吸い取ったのは初めてだから、どんな影響が出るかあたしは知らないのだ。
「そうです、イアリーナです。動けますか局長? 早くここから移動しましょう。アイツらが来るま――」
その時、突然後頭部に激しい衝撃を感じた。そして次の瞬間には、あたしは地面へと顔面を擦りつけていた。
「あっぐ……な、に」
視線だけを動かしてみると、あたしの頭を踏みつける火星人の姿が見えた。
「よくもこの俺たちをコケにするような真似をしてくれたな、女ァ!」
「あぁっ!」
頭蓋骨が割れるかと思うほど、強く踏みつけられて、視界がチカチカと明滅する。
「もう許さんぞ、お前を死ぬ寸前まで傷めつけた後、国に連れて帰ってその奇怪な魔術をどう扱っているのか、全身を切り刻みながらじっくり死ぬまで調べ尽くしてやる」
怒り狂う魔人は、さっきの比じゃない魔力を放出しながら、炎の塊を作り上げていく。
「どうして……あたしの場所が……?」
「馬鹿か! コイツの嗅覚を持ってすれば、貴様の血の匂いで居場所など直ぐ分かるわ!」
そう言って魔人が指差した先には、あたしが拘束していたはずの魔獣が姿勢を低くして唸っている。どうやってあの拘束を解いたんだろうと疑問に思うが、よく考えないでもあたしの魔力が弱まると、当然かけていた”チカラ”も弱まるわけで、魔王から魔力を奪う前に拘束を振り切ったのだろう。
そんな呑気なことを考えている間にも、魔人が作り上げている炎が尋常じゃない大きさに成長している。これをぶつけられたら、あたしどころか魔王も巻き添えを食らって死ぬだろうし、それどころかこの一帯が焼け野原になるレベルだろう。
反撃のチャンスを伺いながら、あたしは地面に魔力を流し込んで植物を操ろうとした。だけど、何故か思ったように”チカラ”がかかってくれない。というよりも、また魔力の減りが早い気がする。さっき使った魔力の量で、あれだけ大量に貰った魔王の魔力がこんなにも早く無くなるなんて、ちょっとおかしくない?
あたしの疑問に応えるように、あたしの頭を踏みつけたまま魔人が嘲笑う。
「魔術が上手く使えないと焦っているんだろう? 当然だ。アイツの作った氷の魔術には、対象の魔力を流出させる魔術も掛けられているのだからな」
何それ、反則じゃない? どうりで結界を張ってる時、魔力の消費が激しいと思ったんだよ!
頭を踏みつけられるだけでも屈辱なのに、拘束の魔術でも使っているのだろう、さっきから体が鉛を付けられたかのように、ほとんど動かせない。
さっき魔術を反射する結界を張ったのに、拘束の魔術に掛かってるのは、あたしの魔力が弱くなってるせいか。魔術に敏感な人は魔術にかかりやすい、それは当然のようにあたしにも当て嵌まるわけなんだよね。
それにしてもどうしよう、どうしたらいい? あたしはチラリと倒れたままの魔王を見遣った。すると魔王の紫色の瞳と目が合った。
ガラス球のように透明な瞳には、今は何の感情も浮かんでいないように見えた。いつもあたしを馬鹿にするときのような意地悪な色も、今はなにも浮かんでいない。ただあたしをジッと見つめ返してくるだけだった。
まるで全てを諦めたかのような、ともすればあたしを責めているかのようにも見えてしまう。
すると途端に後悔が押し寄せてくる。あたしが自分の”チカラ”を過信しすぎたせいで、こんな事になってしまったのだと。
魔人を刺激しないで、そのまま黙って他の追跡班に助けを求めていれば良かったんだ。いや、それ以前に、無理に魔力を補充しようと壁の外に出なければ良かったんだ。魔術具で得られるお金に目が眩んだ、強欲な自分のせい。
「安心しろ、死ぬ直前で治癒してやる。そして俺の気が済むまで、何度でも業火でその身を焼いてやる」
あたしは力を振り絞って魔王へと手を伸ばす。魔王は動かない。それでもあたしは魔王の頭に指先を触れさせた。
「なんだ、最後の別れの挨拶のつもりか? いじらしいなぁ、女」
残り全ての魔力をかき集めて、あたしは魔王の身体に掛けられるだけ結界をかけていく。それに気付いた魔人が鼻で笑う。
「自分に結界をかけずに他人にかけるとは、そんなにこの男が大切か? だが無駄だぞ女。俺の炎はそんな脆弱な結界など、簡単に焼き尽くすぞ」
それでもあたしは結界を魔力が切れるまでかけ続けた。そしてついに、あたしの中の魔力が全て無くなるのを感じた。
「イアリーナさん……」
魔王が掠れた声であたしを見つめる。あたしがこの男の魔力を全て吸い取らなきゃ、もう少しなんとかなったかもしれないのに。
せめて、魔王に――ウィル・ロームに掛けた結界が壊されませんように。
「……ごめん」
無意識に言葉が滑り出ていた。ローム局長の瞳が、僅かに、本当に僅かにだけど見開かれた気がした。
どうしようもない飢餓感を感じながら、あたしは全身に感じる熱さに眉をしかめながら、そっと瞳を閉じた。




