9.
現れた魔獣に真っ先に反応したのは、魔王だった。
「なるほど、なかなか強い魔力を持った魔獣ですね」
そう言って右手を上げると、薄青色の光の玉が浮かび上がる。一方アランはあたしの方を見ずに、「俺が合図したら逃げて下さい」と低く唸るように言った。
魔王の右手に浮かぶ光の玉は野球ボール程の大きさになり、それを見た魔獣は何かを察知したかのように、地面を蹴ってこちらへと走り寄ってくる。
魔獣が魔王の目前に迫ったそのとき、光の玉が魔獣の横っ腹を殴るようにしてぶつかり、その勢いのまま魔獣が吹き飛ばされていった。
「しかしどれほど魔力を持とうとも、所詮は獣と同じということですね」
あたしの目ですら魔王の手からどうやってあの玉が正面ではなく横から放たれたのか、まったく分からなかった。まるで瞬間移動したみたいに、魔王の手から一瞬にして魔獣の側面に現れたようにしか見えなかった。
「アンさん! 今のうちに早く逃げて下さい!」
「え、あの、でも……」
「早く!」
地面に伏したままの魔獣へと向かっていくアランに、あたしはその場で立ち尽くすしかできなかった。年頃の乙女のように、恐怖で動けなくなったとか、そんな可愛らしい理由からではない。動かないままの魔獣の動向が気になっていたからだった。
案の定、アランが魔獣にとどめを刺そうと剣を振りかぶった瞬間、血のような真っ赤な瞳を開けた魔獣は、素早く身を起こしてアランへと飛びかかろうとした。
『動くな!』
咄嗟にあたしは「前世の」言葉を口にしていた。すると魔獣がピタリと動きを止める。アランは剣を振りかぶったままの体勢で、呆然と魔獣を見下ろしていた。
「アラン! 下がって!」
あたしの言葉にアランはハッと我に返り、直ぐ様後退した。直後、金縛りが解けたように、魔獣が再びアランに向かって飛びかかろうとする。
しかし今度は魔王が放った魔術によって、アランへと辿り着く前に魔獣はまた吹き飛ばされた。目に見えなかったけれど、感じる風圧から考えると、恐らく魔王は風の魔術か何かを使用したのだろう。
普段の魔王と接していると忘れがちになるけれど、この魔王は魔術師としては天才だと呼ばれていたのをこの時ようやくあたしは思い出す。
魔獣が自分の体を覆う霧を触手のように魔王の方へと伸ばした。魔王はそれを弾き返すように、また光の玉をぶつけると、真っ黒な霧の触手は霧散する。
そういえば、と思い出す。魔術師はよほど力量のある者でなければ、大抵は呪文か術式を用いて魔術を発動させるという事を。
目の前でさっきから大盤振る舞いで魔術を発動している魔王を見ていると、さもそれが普通のように思えるけど、コイツのやってることは異常とも言えるのだ。なるほど、たしかにこうして魔王が魔術を使う姿を見れば、コイツが普段誰よりも高慢な態度を取るのも頷ける。納得はしないけど。
アランも隙を見ては剣を魔獣へと振るうけど、図体の割には驚くほど俊敏な魔獣は斬撃をスイスイ避けている。
感心しながらボサッとその場で立ちすくむあたしの前で、アランと魔王はそれぞれ打ち合わせしたわけでもないのに、結構上手く連携を取りながら戦っているように見えた。しかし――
「しつこい魔獣ですね」
人の手が入っていない森の中では、さすがの魔王もやり辛いのだろう、珍しく魔王の言葉に焦りの色が滲み出ていた。普段はシミひとつ無い、魔術管理局局長の証である真っ白なコートが、今はあちこち草花の汁や土で汚れている。
魔獣は何度も魔王の魔術をぶつけられたのにも関わらず、さほどのダメージも受けた様子もなく、まだしっかりと立っている。
あたしはほんの僅か逡巡したのち、ある決断を下す。
魔王はあたしに背を向けていて、こちらを振り返る余裕も無いようだった。だからあたしは音を立てずに魔王へと近づくと、その背中に触れて”チカラ”を使った。
ハッとした魔王があたしの方を振り向くのと同時に、魔王の体が糸が切れた人形のように、その場に崩れ落ちる。別に殺したわけじゃないからね、腹立つ男だけど。たんに眠らせただけだ。
アランは魔獣に気を取られていて、まだこちらの様子に気付いていない。好都合だ。
素早くアランの方に近づいていくと、アランはあたしの姿を視界の端に捉えたのだろう、怒鳴り声のような調子であたしに注意してきた。
「なにやってるんですかアンさん! 逃げろって言ったじゃないですか!」
魔獣から視線を外さない――いや、外せないアランの横にたどり着き、あたしは彼の腕にそっと触れた。
「ごめんね、アラン」
途端、アランは持っていた剣を落とすと、そのまま地面へと倒れそうになる。そこであたしはアランの体を支えて、そっと地面へと横たえさせた。
残ったのはあたしと魔獣だけだ。おとなしくあたしの動向を見ていたのは、きっと何か感じるものがあったのだろう。
動物や魔獣は”魔力”に敏感だ。あたしから感じるそれは、彼らには酷く異質に感じるのだろう。だから警戒する。
魔獣と向き合ったあたしは、これは好機かもしれないと考えていた。植物から得られる”チカラ”は少ないけど、生きた動物――ましてや魔獣から得られる”チカラ”は植物の比ではない。
「大丈夫、あたしはアンタを殺したりしないからね」
分かっているのかそうでないのか、真っ赤な目でジッとあたしを見つめる魔獣は、どことなく不思議そうな顔をしているように見える。
だけどあたしが一歩踏み出した途端、一気に警戒心も露わに唸り声をあげて威嚇してくる。
あたしは昔、よく故郷の森でやっていた方法を使うことにした。
そのためにも先ず、そっと蹲り地面に手を置く。その間も魔獣からは決して目を逸らさない。
掌から”チカラ”を植物へと流しこむ。するとたちまち植物たちが、通常ではありえない速度で成長していく。あたしはその植物たちにさらに”チカラ”を流し込み、強靭な縄のごとく互いを絡ませあい、地面を蛇のように這わせていく。
魔獣が異変に気づくが、もう遅い。自分の足元へと這いよって来た草花で出来た縄は、その場から飛び退こうとする魔獣を逃すまいと、その足へと絡みついていき、そして胴体や首へと巻き付いていく。
その場に縫い止められた魔獣は、グルグルと唸りながらあたしを憎々しげに見上げてくる。魔獣にも感情はあるのだろうか? 多分あるのだろう。実家のクマゴロウの事を思い出すと、あるとしか思えない。
「ごめんね、アンタから”チカラ”を貰うよ」
あたしは身動きの取れない魔獣の口元に手を近づけるが、最後の抵抗とばかりにガチガチと歯を鳴らして噛み付こうとしてきた。
「おっと、危ないなぁ」
草花の縄を魔獣の口へと絡みつかせると、ついに魔獣の攻撃手段が全て封じられた。黒い霧が最後の抵抗だと言わんばかりにあたしへと触手を伸ばすけど、それらを全て防ぐようにして自分の周りに薄く結界を張る。
あたしはもう一度魔獣の口元へと手をかざし、浄化の”チカラ”を使って一応消毒する。大丈夫だと思うけど、前世のあたしの記憶が衛生観念というものをどうしても訴えてくるのだ。
綺麗になった魔獣の口元へ、あたしはそっと自分の口を近づける。
魔獣と言えども、鼻先はやっぱり犬と同じで濡れてるんだなぁ、なんてどうでもいい感想を抱きつつ、あたしは彼(彼女?)の口から”チカラ”を吸い取っていく。
魔獣の目が驚いたように見開かれている。やっぱり魔獣に感情がある説は濃厚だわ。
あたしの中に”チカラ”が満たされていくと、ずっと感じていた「飢え」は無くなっていき、満たされた気持ちになっていく。
そして”チカラ”を吸い取られた魔獣は、目がだんだんと虚ろになっていき、体を覆っていた黒っぽい靄が綺麗に無くなっていく。
そして魔獣の中にある”チカラ”――いや、”魔力”を全て吸い取り終わったあたしは、魔獣の身体に巻き付かせていた草花の縄を解いた。
「もうこれで悪さはできないはずだよ。ねぇ、これからは家畜や人を襲ったりしないで、森の中で大人しく生きていきなよ?」
言い含めると、魔獣は情けなく「きゅーん」と鳴く。魔力がなくなった魔獣はもう魔獣ではなく、容姿以外はただの獣と変わりがない。
「分かったら早く行きな。ここにいたら誰かに見つかって、殺されちゃうかもしれないんだか――」
その時、広げたままだった探知網に、数体の魔獣を感知した。あたしが立ち上がると、魔獣、もとい狼モドキも警戒するように、再度唸り声を上げ始めた。
「ねぇ、もしかしたアンタ、仲間と一緒に来てたの?」
尋ねるあたしに応えるように、狼モドキはキュンキュン鼻を鳴らす。
「マジで? もう、面倒くさいなぁ!」
でもこのまま放っておいても面倒事がさらに増えるだけだ。なによりまた行商人や家畜が襲われでもしたら、それこそ”魔力”の補充が面倒になる。
「仕方ない、行くか」
あたしはチラリと後ろを振り返った。地面に倒れたままのアランと魔王。目覚めるまでにはまだ時間がかかるだろう。
スッと目を閉じ、深呼吸をする。体中に巡る”魔力”を感じる。目を開け、あたしは腰を低くする。そして足に力を込め、抉るように地面を蹴って走りだした。
森の中はあたしの領域みたいなものだ。生まれ育った故郷の森は、ここよりもっと厳しい自然に溢れていた。
邪魔な障害物を飛び越え、時に木の枝に掴まり、そのまま勢いをつけて別の木の枝へと飛びつく。まるで野生の猿のごとく森を突き進んでいくと、あっという間に魔獣の元へと辿り着いた。本当にズボンを履いてきて良かったと思う。
あたしはそっと木の上から魔獣の様子を観察する。五体もさっきの子と同じ狼型の魔獣がいて、ウロウロと何かを探すように辺りを散策している。
同じ場所にこんなにも魔獣が集まるなんて異常だ。理由は知らないけど、魔獣は単独行動が多い。他の獣と違って、魔獣はそれぞれの個体が強靭な肉体を持っているからだと言われている。
疑問を感じても、魔獣や魔物に魔術師ほど詳しくないあたしは考えるのをやめて、取り敢えず足元でうろつく魔獣をおとなしくさせることに決めた。
さっきの狼モドキから貰った魔力で、まずは自分の姿を隠すことにする。体の周りに景色を反射する鏡のような膜を纏うのだ。そして音を立てないように、そっと地面へと降り立つ。
さっきしたのと同じように、地面へと両手を置く。今度は数が多いから、一匹たりとも逃がさないように、同時に拘束しなきゃいけない。ちょっと難しいかもしれない。
それでもやるしかないから、あたしは神経を集中させて、草花たちに魔力を流しこむ。
草花たちはあたしの思うままに、するすると魔獣たちの足元へと忍び寄っていく。あたしの一番近くにいた魔獣は自分の足に絡みつく草の縄に気づくが、その時点でもう遅い。次々に魔獣の身体に草の縄が絡みついて拘束していく。
だけどあたしから一番遠くにいた魔獣は仲間の異変に気付いて、その場から素早く飛び退いて草の触手の届かない範囲へと走り去っていく。
「くそっ! 逃げないでよ、もう!」
一度に五体も相手にしたことが無かったから、あたしは他の四体の拘束を終えると直ぐに立ち上がって辺りを見回した。
逃した魔獣は既に遠くへと走り去っていくのが探知網で分かった。
あたしは取り敢えず拘束したままの魔獣たちから魔力を頂くことにした。
そうして一体ずつ魔力を吸いとったあたしは、もうかなりの魔力が自分の中にあるのを感じて、我知らずとほくそ笑んでいた。これは思わぬ収穫だわ。これだけ魔力があれば、魔術具の製作も捗るってもんよね。
こんな時でさえ金勘定のことを考えるあたしは、相当金に汚いのかもしれない。だけどお金はあって困るものじゃない。だってそうでしょ? こんな魔術や剣の世界では、社会保障も何もないんだから、自分でどうにかするしかないじゃないか。そのためにも、お金を溜めておくに越したことはない。
あたしは探知網の輪を広げていき、逃げた魔獣の行方を追った。魔力で満ちているあたしの探知網は、さっきの比じゃない範囲で広がっていく。
「見つけた!」
魔獣が勢い良く森の中を駆けているのを感じた。しかしあたしは広がるままにしておいた探知網に、新たなものを発見した。
「は? なにこれ……魔獣? いや、にしても魔力が多すぎる」
今広げてる探知網は、一定量の魔力に反応するようになっている。だから森に住む動物の微力な魔力には反応しない。
だけど新たに感じた魔力の塊は、魔獣にしてはあまりにも魔力が強すぎる気がする。いや、気じゃなくて本当に大きい。
なんだか凄く嫌な予感がする。これ以上の追跡はやめて、おとなしく他の追跡班が来るように信号を出すべき? でもあたし一人で信号を出したら、絶対不審がられる――というか、信号はそもそも魔術師が魔力で作り上げた花火のような物を打ち上げるから、魔術が扱えないことになってるあたしが信号を出したら、絶対に怪しまれるでしょ。
一人で忙しなく表情を変えていると、探知網に掛かっていた魔獣が、新たに感じた魔力の塊の元へとたどり着いてしまった。
すると魔力の塊たち(数えたら三体いた)は、あたしがいる方向へと物凄いスピードで近づいてくる。
慌ててあたしは木の上に飛び乗り、そのままさっきのように全身に反射の膜を掛けた。ついでに魔術を跳ね返す結界も薄く掛けておく。
息を潜めて待ち構えていると、すぐに魔力の塊は現れた。そしてあたしは目にした光景に愕然とした。
「人……?」
眼下に現れた三人の人――にしては姿形があまりにも歪なその者達は、昔父の蔵書に書かれていた”あるもの”とよく似ていた。
”人に似た形をしているが、おおよそ人と違っておぞましい特徴を持つそれらのことを、「魔人」と呼ぶ。”
本の一節を思い出した途端、ゾワリと背筋が粟立つのを感じた。本にはまた、こうも書かれていた。
”魔人は魔獣や魔物とは違い、強力な魔術を使って人に害をなす存在である。”
どうしよう、あたしはとんでもない者たちを引き寄せてしまったかもしれない。




