プロローグ
とある惑星のとある国のとある街に、とある女性がいました。
女性はとある事情で居酒屋でしこたまお酒を飲み、前後不覚になるほど酔っ払ってしまいました。
女性はへべれけなまま、終電に間に合わせようと、慌ててとある駅に向かいました。
そしてとある駅のとある階段に差し掛かった時、酔っ払っていた女性は足を滑らせスッテンコロリン、見事な転がりっぷりで階段から転げ落ちました。
不幸なことに、打ちどころが悪すぎた女性は、ほぼ即死状態。それでも僅かに残った意識の中、女性はこう思うのでした。
「ケチケチしないで、高い方の日本酒頼めば良かった……」
そうして女性は死にました。
と、そこで終わるかに見えた女性の人生、いえ、確かに女性は死にましたが、その魂は向かうべき場所へと向かっていませんでした。
なぜなら、彼女の魂が天へと向かう前に、なんと遠い遠い別の星の神が、女性の魂を掻っ攫って行ってしまったのです。
何も知らない女性の魂が目覚めると、やたらと全身が発光している人と思しきものが目の前に立っていました。
あまりにもの眩しさに目も開けられず、女性が光を抑えてくれと訴えると、その人は不服そうにしながらも、光を抑えてくれました。
強烈な太陽光だったのが、間近で投光器を当てられたくらいの明るさになり、ようやく女性が目を開けると、そこにはこの世のものとは思えないほどの美しい姿をした女が立っていました。
その美しい女が、重々しく女性にこう告げました。
「我は女神である。哀れなお前の魂を我が救い出してやった」
やたらと上から目線の自称女神に、女性は胡散臭いものを見る目で見つめました。
女神は不遜に女性を見下ろしながら、なおも言いました。
「お前に頼みがある。我の世界を救って欲しい」
女性は僅かに黙りこんだ後、しっかりとした口調で言い返しました。
「嫌です」
女神は激昂しました。人間の分際で、神である自分に反抗するなど、とんでもないことだと。
しかし女性は動じません。死んでしまった今、いつ職を失うかと、いつ病に倒れるかと恐れることもなく、孤独な余生を安定して過ごすために毎月預金通帳を見る必要も、孤独死を覚悟する必要も、全て無くなったのですから。
ある意味、女性はこの瞬間、宇宙で一番自由で強かったのです。
女性は怒り狂う女神を冷静に観察しながら、ある予想を立てました。
そして女神が尚も自分を非難し続けるなか、それでも女性に対して何ら危害を加える素振りを見せないことに、予想は確信へと変わりました。
「あたしは救って欲しいなんて頼んでないし、そもそもアンタは私の世界の神様じゃないんでしょ? なのにあたしの魂とやらを勝手に誘拐してきてマズイんじゃないの」
激怒していた女神が、一瞬にして沈黙しました。図星を突かれて動揺する女神を見て、女性は呆れ返りました。
どうやらこの女神は、自分の魂を勝手にどこかに連れてきたらしいのです。
女神は一転して、目を泳がせながら言い募ります。
「し、しかし、人間が神を敬うのは当たり前のことで、それにこの我がお前のような者に力を与えてやると言っているのに――」
「自分の国の神様ならまだしも、なんで何処かも分からない世界の神を敬わなくちゃいけないわけ? 誘拐犯のくせに厚かましい。それに力とかいらないから。面倒くさい」
もう完全に涙目な女神は、切れかけの電球並の明るさで発光しながら、女性に頼み込みました。
「だって、このまま放っておいたら、我の世界が大変なことになるのだ」
「そんなもの、知ったこっちゃないし。ていうか、誘拐してきたことをまず謝るべきじゃない? それからさっさと元の世界にあたしを戻してちょうだい」
グズグズと鼻を鳴らし始めた女神に女性は容赦なく言い放つと、女神は聞き取れないくらい小さな声で謝罪をしました。しかしその態度が気に入らない女性は女神を叱責すると、渋々といった感じで、ようやく「すまなかった」と謝ってもらいました。
「しかしお前の魂は、もう元の世界には戻せん。この世界に適応できるように、作り変えてしまったのだ」
その言葉に、女性の顔からスッと表情が無くなりました。あまりにもの恐ろしさに、女神は思わず女性から距離を取りました。
「ででで、でも! その代わりに、お前には素晴らしい力を授けてやるのだぞ? 人には過ぎる程の力だ。あらゆる魔法を無限に使い続けられる、まさに神の如き力だぞ?」
「魔法とかいらないし。あたしが欲しいのは、死ぬまで生活に困らないだけのお金と、病気に罹らない体と、あとついでに孤独死しない環境よ」
女神は愕然としました。かねてから女性の星の――特に女性の生きた国の――文化を覗き見していた女神は、てっきり皆が剣と魔法の世界に憧れているものだとばかり思っていたのですから。
それなのにこの女性ときたら、夢も希望もない願いを口にするのです、女神は失望と人選の失敗を痛感していましたが、今更女性の代わりを連れてくることは出来ません。
ちなみに女神はここで一つ、間違いを犯していました。女性はファンタジーよりもオカルトやホラーを好むタイプだったのです。
なので、「未知のウィルスに冒されたゾンビから世界を救う」や、「伝播する呪いから人類を救う」などと言っておけば、女性は喜々として了承してくれたことでしょう。
女神は虚ろな目で女性を見つめます。そして必死に考えました。
「お前の望みを全て叶えることはできぬが、それに近い形で叶えてやれる」
女性はそこで初めて、女神の言葉に興味を持ちました。
「魔法は譲れぬ。だがその他にも、お前には普通の人間よりもはるかに頑丈な体を与えてやろう。そして孤独にならぬよう、祝福も授けてやる」
女性は眉をしかめました。どうにもあやふやな物言いに、不信感が拭えません。
ですが女神は女性が深く追求する前に、大きく両手を掲げて宣言しました。
「お前は、女神フラーシェが与えた力により、世界を救う役目を負った!」
女性が抗議しようと口を開けましたが、なぜか声が出ませんでした。それどころか、体の周りに光の玉が浮かび上がり始めたのです。
自分の体が光の泡に包まれ始めた女性は、慌てて女神を見返しました。女神はどうしてか、出会ってから初めて、深刻な表情で女性を見つめていました。
そして女神は最後にもう一度、女性に頼みました。
「どうか――を助けて」
どことなく悲痛さを滲ませる女神に、今まで反抗的な態度しか取らなかった女性ですら、言葉を飲み込んでしまいます。ただし、それでも女性は最後まで、女神の言葉に頷くことはしませんでした。
そうして、女性の魂は新たな生命へと生まれ変わるのです。
地球とは違う星の、どことも知れない遠い世界へと。