第1章2節 「その旅人の職務」
第1章2節 「その旅人の職務」
体の中に流れるあらゆる水分は何処へ行ってしまったのだろうか。足取りは重くもなく軽くもない。いや、そういった体感を表現する一般的な言葉は適さないのかもしれない。私の体そのものが乾燥しきって瞬間瞬間に一時停止、巻き戻し、再生を繰り返しているようなのだ。そんな感覚は言葉にするのではなく、白い紙にでも色の付いた液体を垂らして表現した方が適切に伝えられるだろう。ああ,それにしてもしかし、私は幾ばくか目的地へと進めているのだろうか。景色が変わっていないような気がする。思考はそこまで狂いを生じてはいないはずだが、こうも変わらぬ景色の不動と、極度の乾燥がもたらす不可思議な感覚。それらが私にとある勘ぐりを延々と呟かせる。この砂漠には呪術師か魔術師、あるいは占い能力を遠隔装置に特化させたマホロバ幻術士がいやしまいか・・、もしもそうならば厄介な事になる。私の能力といえば、精神的順応性と環境適応能力だ。なんとも恥ずかしい。まあ、特質的な力でもなければ超常的能力でもなんでもない。言ってしまえば私のような人間はいくらでもいるだろう。努力の賜物という名づけも相応しくないわけだし、天性のなんたらという響きも使えない。そういう性格なんだね、頑丈な体なんだね、そう言われれば言い返しはしない。ただ、旅をする上では充分な事なのだ。重要な能力なのだ、と程良い自画自賛に私の勘ぐりはなぜか帰結した。
私が途方も無く歩き続けているこのメラニック砂漠は非情な程に広大で、通称“影の遊び場”などと呼ばれていたりもする。確かにここまでの広さが続くなら、決して追いつけないと分かっている影を追いかける時間もあるだろう。私の目指す第一のその国は、この砂漠を抜ける直前の位置に関所を設けているはずだ。目的地であるその国は水色の国、国名は「アントレ・ウォータ」。 アントレ国では聖水と神水、それから黄金水と貴重なる白銀水が豊富に湧き出ている。まさに水色の名にふさわしい国である。私はそこへ今まさに向かっているわけなのだ。
生きとし生ける者達が住まわしこの世界は、七つの流星形をした大陸が並んでいる。その七つの大陸は七色の国がそれぞれ自治しており、各国はその国におけるカラーを一丸と固執しているのだ。赤色の国・水色の国・橙色の国・黄色の国・緑色の国・藍色の国・紫色の国、この七色の国による世界は言うなれば虹の世界、色彩がいついかなる時も共にある世界と言えるだろう。7国それぞれでは、その国自身が心棒するカラーに衣食住の関わる全ての物が染色されている。カラーの一色化は、その国自身の統率力を維持すためには最適であるし、その国で生きる人々にとっての精神的支柱ともなる。災難や天災に襲われた時、人々は自分達が信ずる色に生かされていると再認識し続ける。そのため、自分達の信奉するカラーの維持ための工夫や儀式、崇める対象がそこには存在していたりもするのだ。七つの大陸は放物線を描くように横たわっており、もしも、この世界の物語を俯瞰地点から読み解く観測者が表れたならば、研究名を「虹の行く末」とでも名づけているのではあるまいか。
視界が途切れた??そうじゃない、関所だ。関所に辿り着いたのだ。さっきまで砂漠地帯が続いていたとは到底思えない光景を私は目にする。関所の外壁からは水が染み出している。正門に構えている二つの塔からも水が染み出している。一体どこから水が湧き出ているのだ?とにかくその関所に近づけば近づくほど水浸しなのだ。関所の左右に立ち広がる厚く高い国境の壁、外壁は鮮やかに全て染色されていた。水色に。外壁の上部を等間隔に並ぶ鉄格子も水色に光っている。この国で使われるカラーの原材料はどういったものが使われているか、それはもちろん染色する対象物によって異なるだろう。ましてや国によって採取可能な資源も多種多様だから、水色に染色するために用いられる材料は様々だろう。大事なのはそのカラーに染め上げることなのだから。布類や木材、あるいは食料品などの染色には、このアントレ国の中心部に位置する水源、テフタターミナルで常時湧き出ている“コールドテフタ”と言われる液体が使われる。カラーの原液としては農度が高いため、薄い水色で色付けしたい時は原液を薄めて使用したり、乾燥させて粉末状で降りかけて染色を行ったりもするらしいのだ。私は関所の内部にある通過審査室で書類の提出を済ませた。建物の内部はかなり高湿度なようだ。
流線型の大陸それぞれの境界には厳重な関所が必ず配置されており、この関所を通過して別の国へと入国する際には厳しい審査が必要となる。私は今回の旅において、表向きは古文書管理守護者として行動していくつもりである。この管理守護者という職種は、7国の共通エージェントとして雇われている職務なのだ。7国には共通して管理している財物や特異資料、非公開に保管されている歴史的出土物などがあり、それらが盗難や紛失、あるいは破損や改竄がされていないかを定期的にチェックして廻るウォッチャーが必要とされる。その任務を遂行するのが管理守護者である。管理守護者である者は七国の共有人材とされるため、どの国にも属さない者として扱われる。なので服装はカラー一色に染色する必要はない。ほとんどが長旅に耐えうる服装に身を包むため、私のように革製品で覆った管理守護者が多数であろう。中には入国した国によってカラーの服装に着替える管理守護者もいるらしいが。私は管理守護者の中でも古文書管理守護者の職に就いている、各国それぞれには色彩古文書という古文書が一冊ずつあるようで、それら古文書は七冊とも中身が同一でなければならないとされている。もしも相違点等を散見されるようであれば大問題となり、そういった場合には国を跨いだ大規模な捜査隊が組まれるであろうという話も以前に聞かされたりもした。
さて、そうこうしているうちに管理守護者証明書とウォッチャー公事開示書の書類審査が終了したようだ。待たされている合間に受付の事務行員から飲んでいいと言われた飲料水用の聖水を一気に飲み干す。いやはやさすがだ、アントレ国の水はこんなにも喉ごしが良く、臭気や混じりっ気も一切感じない。素晴らしい。もう一杯と申し出たい気持ちを抑え、私は入国審査官に渡された入国通過許可証とアントレ国の簡易地図をカバンにしまい込む。どちらも水色に染色されている紙だ。
関所の通行出口付近でふと立ち止まり、高らかに深呼吸を試みた。吸い込んだ空気がみずみずしい。そう、この国は潤いの国、水色の大地たる大陸なのである。私は関所を抜け、アントレ・ウォータ国の地に足を踏み入れた。
=pixiv、小説家になろう同時掲載中=