食べる男
「あなた、女を食べたでしょう」
彼女はコーヒーが運ばれてくるなり、怒気をはらんだ声で切り出した。
僕は先に注文したホットケーキと、格闘していた。甘い物が食べたいからといった単純な理由で頼んだのだった。
糖分はいい。頭を正常に働かせてくれる。そうして一口を放り込めばバターとシロップの二重奏の甘さが押し寄せる。いまの彼女にはその甘さが足りなくて、あまり楽しくない。
そんな午後の喫茶店。
「食べて何が悪いの」
「開き直るつもり? だったら何処で女を食べたのか洗いざらい話してもらうわよ」
彼女は手をつけていなかったコーヒーを傾けて、くちびるを湿らせる。そしてカップをソーサーに戻し、親指で滴に濡れた縁を拭う。彼女が飲んでいるコーヒーの濃い色が目に飛び込んできて、まるで黒星を示しているようでいまいましかった。
僕は重い口を開いた。
「最初は図書館で若い娘を食べた。まったくカロリーを気にしていないような、とにかく現代的な味だった」
それで、と催促する冷めた目に息も吐けない。
「次に僕のベットで婦人を食べた。実家の慣れた、懐かしい味で涙が出そうだった」
おおよそ喫茶店で話すような内容ではない。僕は時折、周りに目をやって、お客さんも店員も平穏な様子であることを確認する。自分たちの会話が、聞かれていないことにほっとする。もし聞かれているとなると僕の人生を脅かされているようで、恐ろしかった。
「まだあるでしょ」
彼女の泣きたいのに我慢しようとする表情。強く瞬きを繰り返して、くちびるを噛み締めている。
泣きたいのはこちらだ。だけど泣くにも泣けず、僕は観念した。
「それから僕は公園で才媛を食べた。格式のある上品な味で突き抜けるような香りがたまらなかった」
僕は両手を、テーブルの上で擦り合わせた。一瞬だけそれが空気の流れなのか、僕の吐息なのか分からないくらい甘い香りが双方に満たされる。
僕は話を続けた。
「そして僕は電車で孀を少しだけつまみ食いをした。控え目な味だった。人目を気にしたせいで物足りなさを感じて、自分の部屋で好きなものを貪った」
「次はどうするつもりなの」
「興味があるのは妊婦かな。いまより倍で味わえるから。きっと想像以上に美味しいはずさ」
「ふざけるな」
彼女は大きな声を出した。
ちらり、とこちらを向き、数人のお客さんの視線が僕たちの席に集まる。近くにいた店員も僕に意味深な視線を送りつつ注文の品を運んでいくのが見えた。
ちょっとした一体感が喫茶店を支配している。それでもなお、彼女は構わず声を荒げた。
「あなた、どれだけ女を食べたと思っているの」
「あまりにも美味しそうに見えて、つい食べてしまったんだ。ごめんよ」
「あなたは最低な人ね」
彼女が冷たい訳ではない。僕の僕自身を律せられない心がいけなかった。僕は深々と頭を下げた。
「この通りだ。許してくれ」
頭を垂れ、テーブルの木目を眺め、自分の生暖かい息が顔に当たるのを耐え、ふと顔を上げれば、そこに彼女の姿はなかった。その代わりに冷め切ったコーヒーと二人分の食事代の傍ら、二段に分けて平積みにされた本と一番上にメモが置かれている。
僕はメモに視線を落とした。
『あなたに貸した本たちです。あなたが女の文字を食べたせいで内容がすかすかなのです。弁償してください』
参ったな。僕は頭を抱える。さすがに今日は控えようと思った。