高速空間の先駆者達 後編
うーん、中々進まんなあ。
敵が見えて来た。それは、宙に浮く肉の風船だ。皮膚の裏側に気泡が膨れ上がったような外見だった。
敵は、その身体を若干萎ませていたが、それでも全長50mほどもある。ここまで巨大化したFIBUDが初陣とは、象殺しの英雄だわな。落とせれば。
迎撃してくる辺り、個体のとしての意識が残っているみたいだが、それでも最早生き物の面影は無い。グロい。ただひたすらグロい。
FIBUD。Fusion Invasion body to be Unevenly Distributed(偏在する融合侵略体)。これ暗記するの大変だった。初めての授業からしてハードだ。
FIDとかフェイドとか、略語は色々があるが、まあ、SF系の謎の地球外生命体だ。そんで、こいつに人類が追い詰められた結果、こうして空飛ぶ人型兵器が存在するわけで。
現行兵器の行える有効戦術を全て備えることを前提として開発された人類の技術の結晶、防衛機。人型に戦車級の兵器だったり、戦闘機のエンジンだったりをくっ付けた無茶な代物だが、目の前のフェイドがそれを可能とする原因だ。
可能であるが、人間もその無茶についていく訓練が課せられている。三方位強襲もその一つだ。
戦術としてはセオリー通り。未熟なこちらに合わせてくれたのだろうが、同時に現在の状況での最善手を選んだ結果だ。
フェイドは、流因子と呼ばれるエネルギーの固まりだ。流因子という謎物質が、気体や個体などと同化し、質量を持った結果フェイドが生まれるのだ。
三方位強襲は、その名の通り僅差による強襲戦術だが、62式の携帯兵器である圧縮弾を叩き込むには、相手の質量がデカすぎる。
一度風船を破裂させてからでなければ、あの質量を消滅しきるのは不可能だろう。だからこそ、自分と隊長が空気を抜き、ギリギリ女性な先任が止めを刺す。基本戦術とはいえ、タイミングを合わせなくては風船ごと圧縮弾に巻き込まれる。まあ、いつも通り結構シビアな塩梅だが、問題ないだろう。たぶん。
『抜刀!』
隊長の声に合わせ、三式実対刀を肩に担ぐように構えた。巡航速度とパージの勢いが合わされば、あの巨体でも袈裟懸けで裂く筈だ。
接敵するこちらに、風船は触手を放ってくる。遅い。既に切り込むタイミングだ。突っ込む軌跡を邪魔できる触手は存在しない。
自然と力が入る。僅かに早ければ隊長と衝突、遅れれば風船と仲良く圧縮爆破だ。だが、前提となった操縦に迷いは無い。速度を上げ、触手を置き去りに躱して、
「――おおおっ!」
往った。
○
早見・影子は、先行する二機の防衛機が、斜め十字にフェイドを切り裂くのを見た。
……坊やはタイミングズッポシさね! いい刺し込み! 後でステーキをファックさせてやる!
そんな考えが過るが、実際初陣にしては大したもんだ。そうなるように鍛えたとは言え、アレの質量感による威圧を抑え込み、やるべきことをやり遂げた。次は自分の番だろう。
元々考えるのが苦手だし、操縦も感覚的にやってる部分が多々あり、押し引きも人間関係も適当に勘だ。ズボラな性格なのは軍人だからだ。素ではない。
とは言え、ここまでデカいのを相手にしたのは初めてだ。即時対応を掲げて出撃させられてきたが、これを見逃したのは、自分達の殲滅が追い付いてないのかもしれない。
――何せ、数も人員もまだ整え始めたばかりさね……。
2357年に初めて発見、接触されてから、2362年には搭乗機となる62式が完成している。たった五年の間に劇的に変わった世界は、その変化に追い付けていないのだ。防衛機の配備も、その人員もまるで足りてない。今後は少しずつマシになるだろうが、そうなったときFIDだらけでは手遅れだ。
こいつを殺れば、多少の休暇が欲しいところではある。まあ、無理だろうが。何だ、無理か……。
沸々とした怒りを込めて、圧縮弾頭を7.6㎝戦術砲に設置した。
FIDは物質と融合することで初めて質量を得るが、その中心となるのは流因子の塊であるコアだ。それを破壊することで、物質との結合が断たれ霧散する。
あのサイズでは、正確な位置は解らない。だからこそ、穴を開けて中身をそのまま消し飛ばす。手っ取り早いし触手は接近した二人を追い掛け回してこちらはフリーで楽だ。うん、これがレディーファーストといものだろう。つまり私は現役だ。
FIDに刻まれた斜め十字の傷痕が、果物を裂くように割れていく。後はそこに圧縮弾を撃ち込んで、中身をぶち撒けるだけだ。
銃口を構え、中心に狙いを付けて、――背筋が凍った。
おかしい。何かがおかしい。今、割れていくFIDの目の前にいるのは致命的に不味い。違和感。何故だ。
――何故、傷口から流因子が漏れ出ていない!?
答えは正に、光の矢として放たれた。
○
「――早見さん!?」
自分の悲鳴なのに、聴覚は問い掛けの答えに集中していた。彼女の機体を包んだのは、菱形に開かれたFIDの放った極光だ。
――まさか、霧散する前に粒子砲を放つ準備をしていたのか!?
実対刀の伝えた手応えは、肉の質量感ではなく、布を裂く薄いものだった。つまり、こちらが仕掛ける前に、敵は既に己の質量を粒子砲へと変換していたのだ。仕掛けるとき、触手による抵抗が薄かったのもそのせいだろう。
戦術の裏を掛かれた。あの肉の塊には、それだけの理性があったのだ。
「く、そっ……!」
花弁のように開かれたFIDを睨む。あの形態は、霧散した流因子を回収するためのものか、さながら植物の光合成のようだ。
高度を戻すために頭角を上げる。無意識に操縦桿を強く握りしめて、
「てめええええ――!!」
重りになる実対刀を廃棄し、圧縮弾を設置する。
対戦車ミサイルと化した戦術砲を、奴のど真ん中に叩き込んでやる……!
インターバルに入った奴に抵抗する術はない。今や触手の抵抗すら覚束無い様子だった。好都合、そのまま跡形も無く消し去ってやる。
上昇中、通信が入った。女性の声だ。
『甘いわ――!』
「ッ!? 早見さん!? 何で生きてるんですか!?」
『おいコラ、どういう意味だ』
「いや、だって、ええ? 死んでなきゃおかしいし……」
『アンタも外道に染まったねえ……。――まあ、その予想もすぐ現実になるだろうよ』
「死ぬんですか!?」
『何で嬉しそうな声さね!?』
その通りだ。いかんいかん、危うく外道に染まって人生死刑宣告されるところだった。まだ自分は純粋な筈。敵討ちしようとしてたし。
――うん! 俺はまともだ!
理論武装を済ませ、早見さんを確認する。
「……っ」
『一瞬早く粒子砲に圧縮弾ぶち込んだんだけど、流石に逃げ切るのは無理だったさね』
居た。位置はFIDの上空。え、何故正面の直線ルートからそんなところに? いや、それよりも、飛翔器が半壊してんじゃねえか!?
『いや、下に抜けようと思ったんだけど、この塩梅だと爆風で吹っ飛ばされたかねえ』
「それよりも、飛べますか?」
『んにゃ、うんともすんとも』
つまり、あの人は今、真っ直ぐFIDに向けて墜落中というわけだ。
「――っ! 今行きます!」
『お、今のは高得点。坊主にしてはまあまあさね。でも、まあ、解るね? 隊長殿』
『こちらジーン1、……やれるのか?』
『搭載してる弾頭は無事。連射砲が逝っちまってるけど、――幸い、機体は奴に向かってるからね』
『了解。援護しよう、お前は出来る女だ』
『期待してな、しっかり活かす』
「な、にを……!」
何を言ってんだ。まるで、まるで遺言のような……!
理解してる。もう、解ってる。だが、湧き上がる怒りを抑えきれない。それは、彼女達ではなく、状況を正しく理解している自分へと向けたもの。
さっきまでの機動の総ては、先任の彼女に叩き込まれたもの。それ故に生き残ったというのに、
「俺が、俺はどうして、貴女を救えないんだ!」
『――――自惚れるな』
通信越しに、気迫のこもった声が届く。隊長の声だ。
『貴様に教え込んだ機動など、基礎中の基礎に過ぎん。自分で考え、動くには到底足りない』
常に想定外、それが自分達が対峙してるなのだ。火山地帯周辺から侵食を続けるFIDの速度に人類は追い付けない。その結果が、日本の国土の約半分を不毛地帯と化すという現状だ。
『いいか? 奴は人間だ。非戦主義の奴隷ではない。奴は死ぬために行くのではない。生き切るために、選び、いつも通り先を往くのだ』
落下する早見さんを迎撃しようとする触手を、隊長は実対刀で刈り取り、連射砲で薙ぎ払っていく。ポッカリと開いたFIDへの直行軌道に、早見さんは落ちていく。いや、向かっていく。
通信を開いた。画面には、哄笑に口端を歪める早見さん。うわあ……、完全に『勝つか負けるか! 生死はその結果に過ぎん!』とか言い出しそうな博打中毒者の顔だ。
実際、その通りなんだろうなー、と思いつつ、
「早見さん」
『何だい坊主』
「有り難う御座いました」
『情けない顔するんじゃない。私は、いつも通り勝つんだからね。勝って、――そして護るさね』
直後、衝撃が駆け抜けた。遅れて、機体を揺るがしてこちらにも届く。だが、俺はただ見ていた。
画面の先には、肉片となったFIDが流因子として霧散していくところだった。そこに、数瞬前に会話していた彼女は居ない。もう、居なかった。
まだ、瞼の裏にはボロボロの機体の姿が残ってる。耳の奥には、弾んだ声を憶えている。
実感を得るには、時間が必要なのだろう。落ち着いて宿舎の部屋で座ったときか、或いは食事中か、誰かを失ったことを理解する。
だから、今はまだその時ではない。
『……ジーン2の消失を確認。同時に、超大型FIDも霧散。これより帰投する』
『CP、了解。任務完了を確認。34分隊は帰投後、司令部に報告せよ』
『ジーン1了解』