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残暑厳しい8月下旬。
夜、部屋でゴロゴロしていると電話がかかってきた。
『土曜日、水族館行こっか』
夏休み最後の土日を前に先生が言う。
「水族館……ですか?」
『そ。行ったことないでしょ? ちょっと遠いんだけど、一緒に行こう? イルカとかペンギンとか可愛い生き物がいっぱいいるよ」
イルカ! ペンギン!
天界にはいなかった生き物に心がときめく。
見てみたいと思っていた可愛らしいと噂の生き物たち。
「行きます!」
私は即答した。
初めてのデートの約束が嬉しかった。
***
土曜日。
最寄り駅から少し離れたところにある、電車の乗換駅で、私は先生を待っていた。
人がたくさん通って行く改札前。
初めての場所。
先生……早く来ないかな……
なんとなく、心細くて下を向いてしまう。
頭をぽんっとたたかれた。
驚いて顔を上げる。
そこにいたのはカジュアルな服装に、キャップをかぶっている男の人。
「愛奈、お待たせ」
先生!? 若い! かっこいい!
すぐ気づかなかったのはいつもの眼鏡がないからのようだった。
「どう? 変装完璧?」
「いつもと全然違います! かっこいいです!」
「そう? ありがとう」
以前、二者面談の時にも思ったけど眼鏡がないだけでだいぶ幼く見える。
高校生まではいかなくても大学生1、2年生には間違えられそう。
「いこっか」
自然に差し出された手。
ドキドキしながら、そっと繋いだ。
乗り継ぎの改札に向かいながら先生が言う。
「今日は先生は無しね」
「?」
「呼び方」
確かに変装してるのに先生って呼んだらばれるよね……
「なんて呼べばいいですか?」
「翔」
「……呼び捨てですか?」
「もちろん」
にっこり。
大好きなその笑顔で微笑まれて、期待されていると感じた。
「しょう……」
小声で呼んでみる。
聞こえたみたいで先生は嬉しそうに笑った。
「まぁちょっとずつ馴れていこう?」
……満足はして貰えなかったみたいだけど。
***
待ち合わせ場所からさらに1時間。
やってきたのは海の見える水族館だった。
そっと吹いてくる海風が気持ちいい。
「後で砂浜にも行ってみよう」
海をじっと見てた私に気を使ったのか先生が提案してくれた。
チケットを買って、入り口を抜ける。
待っていたのは海の中のような、光景だった。
横だけじゃなく上にもお魚が泳いでる。
光を受けて輝く魚たち。
その光景はとても綺麗で。
「凄い……」
「みんな仲良く泳いでるね」
先生も同じように上を見ている。
小さい魚も大きな魚も同じように楽しそうに泳いでいて、先生の言うとおり仲が良さそうだなと思った。
次の空間にいたのは、ラッコとアザラシ。
見たことのない生き物。
水中を泳いでいる姿をじーっと観察してしまう。
「愛奈、そんなに見つめてるとアザラシが照れちゃうよ」
ラッコを見終えて、アザラシを見ていると先生が言った。
「ごめんなさい、長かったですか?」
「いや、それはいいんだけど。あまりに真剣に見ているからおもしろいなって。何考えてたの?」
「大したことじゃないですよ。可愛いなって思って」
くるるんとして真ん丸な目。
ぽにょっとした身体。
どこを見ても可愛い。
そういうと先生は顔を近づけてきた。
「愛奈も可愛いよ」
小声で言われた内容に驚いて飛び上がりそうになる。
「な、なっ、なにを」
なにを言ってるんですかーっ!
私の叫びは動揺のあまり言葉にならず。
先生は楽しそうにくすくすと笑う。
「そんなに真っ赤になって動揺しなくても。面白いなぁ」
「か、からかったんですか?」
「思ったことを言っただけだよ。ほら、落ち着いて」
「先生が落ち着かなくしてるんですー」
私の言葉に先生の目がキラリと光った気がした。
「先生?」
「あ…………」
「次言ったらお仕置きね」
その顔は本気でやるぞと言っていて。
私はこくこくと頷いた。
***
珊瑚礁にすむ色とりどりの魚。
深海にすむ、少し気持ち悪い魚。
群れをなしてきらきら輝きながら回っている魚。
いろんな魚がいた。
他にもでっかい亀やペリカンがいたりして楽しかった。
最後の空間を抜けると、そこは外。
ショーが行えるようにスタジアムみたいになっていた。
ちょうどショーの時間なのか席は結構埋まっていて。
前の方の席には小さな子供たちがいっぱいいた。
「せっかくだし、ショー見ようか」
「はい」
わくわくする。
後ろの方でできるだけ真ん中の方に仲良く座った。
ショーはとっても楽しかった。
イルカが人を乗せて泳いだり、ジャンプしたり、アシカがポーズしたり、拍手したり。
ペンギンがトコトコお尻を振りながら歩いていったりして、30分程あったショーはあっと行う間に過ぎていった。
「凄かったですねっ! イルカもペンギンも本当に可愛かったです! 想像以上でした!」
興奮して話す私に、先生は優しく笑ってくれた。
「満足いただけたみたいで何よりです。愛奈、喜ぶと思ったんだよね」
「ありがとうございます! 本当に楽しかったです」
「俺も楽しかったよ。ショーもだけど楽しそうに見ている愛奈が面白かったし」
お、面白かった……?
「へ、変な顔してました? っていうか見てたんですか?」
「見てたよ。変な顔はしてなかったけど……」
「けど?」
「イルカが輪をくぐる時とか凄い心配そうな顔してたのに、ちゃんとできた瞬間ぱぁっと笑顔になって見てて面白かったよ」
は、恥ずかしい……
ショーに夢中になり過ぎて見られていることに気づかなかった。
また紅くなったであろう私をみて先生がくすくすと笑った。
***
「美嶺と結にお土産買ってもいいですか? ぬいぐるみ買おうと思って」
お土産屋さんを見つけて先生に声をかける。
あんなに可愛かったイルカ。
二人もきっと喜んでくれるはず。
「愛奈はぬいぐるみいいの? 買おうか?」
「私にはクマのぬいぐるみがいますから」
先生が夏祭りに射的でとってくれたクマさん。
私の大事な宝物。
ぎゅっとすると落ち着くし、先生を思いだしてどきどきする。
今、ぬいぐるみを買ってもクマさんほど可愛がってあげられないなと思った。
「じゃぁなにかぬいぐるみ以外で記念になるもの買おうか」
「そうですね」
お店の中はぬいぐるみや小物でいっぱいだった。
マグカップやTシャツ、ネックレスやキーホルダー。
どれも可愛くて欲しくなっちゃう。
まず、ぬいぐるみ売場に向かって、二人へのイルカを選ぶ。
「これなんかいいんじゃない? 机に飾れるし」
先生が選んでくれたのは、15cmくらいの目がくりくりしたイルカさん。
ピンクと水色の二色売っている。
「水色を井上さんに、ピンクを大迫さんに」
性別的には逆な色なのが普通だけど、二人にはその組み合わせがぴったりな気がする。
美嶺ならピンクで大喜びしそうだし。
「それにします。喜んでくれるといいな」
「二人なら愛奈が贈れば何でも喜んでくれると思うよ」
「そうですか? よくわかりますね」
「愛奈のことが気になって教室でよく見ていたからね、三人仲良しなところ」
私も先生をよく見ていた方だと思うのだけど、そんなに見られていたなんて知らなかった……
「……なんか恥ずかしいです」
「そう? 愛奈もよく俺のこと見てたよね」
「気づいてたんですか!?」
さらに恥ずかしくなる。
穴があったら入りたい……
「もちろん。嬉しかったよ」
嬉しい気持ちと恥ずかしい気持ちから、無言になってうつむいてしまう。
そんな私に気づいたのか、先生が話題を変えてくれた。
「愛奈のお土産はどうする?」
「ストラップにしようかなと思っています。携帯何もついてないし」
買ったはいいけれど先生との連絡以外使われていない携帯。
つきあう前は使用機会もほぼなかったので、買った当時のまま。
使うようになってからは、可愛くしたいと思っていた。
「じゃぁこっちだね」
ストラップ売場に移動する。
「これなんかどう?」
先生が選んだのは、イルカモチーフのシルバーのストラップ。
携帯につけるにはぴったりな大きさ。
シンプルだけど可愛い。
「可愛いです。これにしようかな」
「そんなすぐに決めちゃっていいの? まだ色々あるよ?」
「先生が選んでくれたのが嬉しいのでいいんです」
「……」
そういうと先生が急に無言になった。
「先生?」
「愛奈、可愛いこと言うね。でもお仕置き決定だから」
2回も言っちゃったね。
そういわれて先生と呼んでいたことに気づいた。
急に不安になる。
「お、お仕置きって何ですか……?」
「お願い聞いてくれればいいよ」
お願い……?
どんな内容を言われるのかと思わず身構える。
「大したことじゃないよ。愛奈のイルカストラップは俺が買うから、愛奈は俺にペンギンストラップ買ってくれない?」
イルカストラップの横にある、同じシリーズのシルバーのペンギンストラップ。
先生はこれが欲しいらしい。
「プレゼントしあおう? ダメかな」
「むしろ嬉しいです。でもそれじゃお仕置きになりませんよ?」
「いいんだよ。俺が嬉しいから」
商品を取って、二人で仲良くレジに向かう。
なんだかとっても嬉しかった。
***
砂浜いこう?
その言葉に連れられて水族館の近くの海岸に降りる。
やっぱり海風は気持ちいい。
波打ち際まで行ってみる。
ちょっと足が濡れたけど、それもまた気持ちよくて。
足元を見ると、白い貝殻が落ちていた。
3cmくらいのかけていない丸い貝殻。
思わず拾い上げる。
今日の記念にしよう。
そっとハンカチに包んでポケットに入れた。
「愛奈、とりあえずストラップ交換しちゃおう」
すこし離れたところで見ていた先生が言った。
「あ、はい」
ぱたぱたと先生のところに戻る。
入れてもらった袋からストラップを取り出して、先生に手渡す。
「どうぞ」
「ありがとう。はい愛奈にも」
「ありがとうございます」
差し出されたものを受け取る。
よく見ると、イルカのストラップの他に、もう一つラッピングされた袋があった。
だいたいストラップと同じ大きさの袋。
「? これなんですか?」
「愛奈へのプレゼント。対したものじゃないけど」
「え……いいんですか?」
突然のことにとまどう。
「開けてみて?」
言われるがままに封を切った。
そこに入っていたのは、白い革でできたキーケース。
その中には鍵が1本ついていて。
「これって……」
「俺んちの鍵。いつでもきていいから」
「いいんですか?」
「もちろん。ご飯作って帰り待っててくれてもいいよ。料理、上手いんでしょ?」
4月の自己紹介の時に言った言葉を思い出す。
覚えてくれていたんだ……
「今度作りに行きますね。私の合い鍵もそのときに渡します」
「俺にもくれるの? 女の子なんだから警戒した方がいいんじゃない?」
警戒?
「先生をですか?」
「そ。夜中に襲いにいくかもよ」
襲いにって……そういう意味だよね……
でも……
「先生のこと信用しているので大丈夫です」
「え……」
「それに私にわざわざそう警告するってことは、先生はしないと思います」
私がはっきりとそういうと先生はちょっと困った顔をした。
「そうはっきり言われたら襲いにいけないな。半分本気だったんだけど」
「本気だったんですか!?」
「ところで、また先生っていったね」
「え」
「お仕置き、だね」
先生の目が、楽しそうに笑う。
「私……言ってました?」
「そりゃもう、何回も。何してもらおうかな」
緊張してしまう。
さっきは簡単なお仕置きだったけど今度はそうはいかないよね……
先生がにっこり笑っていった。
「キス、して」
「え」
「キス」
キスって……あのキス!?
「む、む、む、無理です!」
恥ずかしすぎる!
絶対無理!
おもいっきり動揺する私に先生が苦笑する。
「じゃぁほっぺでいいよ」
「ほっぺ……」
それなら……恥ずかしいけどできる……かな?
「わかりました……絶対動かないでくださいね」
「わかった、動かないよ」
先生が私の高さに合わせてしゃがんでくれる。
どきどきしながら、顔を近づける。
先生の頬に唇が触れた。
「これで、いいですか」
恥ずかしくて先生の顔が見れない。
「もちろん、ありがと」
そういうと、先生は下を向いている私の頭をそっとなでてくれた。