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第七話「異世界勇者とオリハルコンカツ」後編

ドワーナがハンマーを振り下ろした。


 ゴォォォン!


 学食の窓ガラスがビリビリと震えた。テーブルの上の食器がカタカタと踊る。遅い昼食を食べていた数人の学生が、何事かと振り返った。


 だが——カツは無傷だった。


「……硬ぇ」


 ドワーナが呟いた。


「マジか。ハンマーで負けるのか」


「負けてねえ。今のは挨拶だ」


 挨拶。カツへの挨拶。


 ドワーナがハンマーを構え直した。ゴーグルを下ろす。革のエプロンがバサリと翻る。目が鍛冶師の目になっている。


「素材と対話するんだ。いきなり本気で叩いたら、金属が拗ねちまう」


「カツが拗ねるの?」


「拗ねるぜ。こいつクラスの素材ならなおさらだ」


 カツに感情があるという新説。


 ドワーナが腰を落とした。


「——よし、自己紹介は済んだな。本気を出すぞ」


「ちょ、待て、ここ学食——」


「世界を救うためだ!!」


「——鍛冶神の一撃スミス・インパクトォォォ!」


 必殺技に名前がついてた。


 ハンマーがカツに叩きつけられる。


 ドゴォォォォン!!


 衝撃波が走った。


 テーブルが砕けた。床にヒビが入った。天井の蛍光灯がバチバチと明滅する。


 学食にいた学生たちが悲鳴を上げて逃げ出していく。


「な、なんだ!?」「地震か!?」「逃げろ!」


 混乱の中、俺はテーブルの残骸から顔を上げた。


 そこにあったのは——


 カツだった。


 皿は粉砕されていた。テーブルも砕けていた。しかしカツだけが、何事もなかったかのように床の上に鎮座している。傷一つない。衣のパン粉すら剥がれていない。


 完全無欠のカツ。カツの完全勝利。


「……すごいぜ」


 ドワーナが膝をついた。


 目が潤んでいる。


「間違いねえ。これは——これはオリハルコンだ。いや、それ以上だ……! オリハルコンを超えた、神代の金属オリハルコンだ……!」


 結局オリハルコンなの?


「いや、というかカツだけど」


「黙ってろ。職人が感動してる時に水を差すな」


 黙らされた。


「エリシア、見てくれ。この光沢、この質感、この硬度……こんな素材、俺の世界にもなかった」


 ドワーナがカツを掲げる。窓から差し込む午後の日差しがカツを照らし、衣の表面がキラリと光る。


 ……いや、光るか? カツって。


「ドワーナ、これで剣を作れるか?」


「作れるかだと?」


 ドワーナが鼻で笑った。


「俺を誰だと思ってやがる。異世界一の鍛冶師ドワーナ様だぞ。こんな最高の素材、作らない方が罪だ」


 カツで剣を作らないことが罪。どんな世界観だ。


「ただし、鍛えるには炉がいる。問題は——」


 ドワーナが学食の厨房を指差した。


「あそこに、火を使う設備があるだろう?」


「……厨房のコンロのこと?」


「コンロ? まあ名前はなんでもいい。火が出りゃいい」


「いや、コンロじゃオリハルコンは溶けないだろ」


「心配するな。俺の鍛冶の技は、素材の魂に語りかけるんだ。温度の問題じゃねえ。さっき挨拶も済ませたしな」


 挨拶がここで効いてくるのか。


 学食のおばちゃんは、さっきの衝撃波で全員避難している。厨房は無人だった。



 ◆



 学食の厨房。


 ステンレスの調理台。業務用のコンロ。大きな鍋やフライパンが並んでいる。


 ドワーナはコンロの前に立ち、火をつけた。青い炎が上がる。


「よし、悪くねえ」


 ドワーナがカツをコンロの上に置いた。


 フライパンは使わない。直火だ。カツを直火にかけている。


 料理じゃないんだから。いや、元は料理なんだけど。


「——始めるぜ」


 ドワーナがハンマーを構えた。


 目が真剣だ。さっきまでのサバサバした態度が嘘のように、全身から鬼気迫るオーラが立ち昇っている。


 カァン!


 ハンマーがカツを打つ。


 甲高い金属音が響いた。


 カツから金属音がする。もうこの時点で色々おかしい。


 カァン! カァン! カァン!


 リズミカルにハンマーが振り下ろされる。


 カツの形が——変わり始めた。


 楕円形だったカツが、叩かれるたびに細長く伸びていく。衣が剥がれ——いや、衣が金属のように変質していく。パン粉がメタリックな光沢を帯び始めた。


「……マジか」


 俺は呆然と見ていた。


 カツが、剣の形になっていく。


 ありえない。ありえないんだけど、目の前で起きている。


「エリシア、水!」


「わかった!」


 エリシアが流し台から水を汲んできた。


 ドワーナが真っ赤になったカツ——いや、もうカツとは呼べない何かを掴み、水に突っ込んだ。


 ジュウウウウ!


 蒸気が上がる。


 厨房が白い煙に包まれた。


 そして——


 煙の中から、香りが漂ってきた。


 スパイシーな、食欲をそそる香り。


 カレーの香りだ。


 いや、ただのカレーじゃない。もっと深くて、濃くて、複雑な香り。元々カツカレーのカツだったからか、鍛造の過程でカレーのスパイスが凝縮されて、とんでもない芳香を放っている。


「うお……いい匂い……」


 俺の腹が鳴った。


 さっきカレーだけ食べたはずなのに、もう腹が減っている。あの匂いのせいだ。


「——できた」


 煙が晴れたとき。


 ドワーナの手には、一振りの剣があった。


 金色に輝く刀身。握りの部分には、なぜか衣の名残のような凹凸がある。カツの断面——サクサクの衣と肉の層が、そのまま刃紋のような模様になっていた。


 美しい。


 カツなのに、美しい。


 いや、もうカツじゃない。これは——剣だ。


 そして——剣全体から、あのスパイシーな香りが立ち昇り続けている。カレーの香り、揚げ物の香ばしさ、何かの肉汁の甘み。それらが渾然一体となった、暴力的なまでの芳香。


 嗅いだだけで涎が出る。


「オリハルコンカツソード……完成だ」


 ドワーナが誇らしげに剣を掲げた。


「名前にカツ入ってるのか……」


「当然だ。素材への敬意を忘れちゃいけねえ」


 敬意。カツへの敬意。


「しかし、すげえ匂いだな……」


 ドワーナが鼻をひくひくさせている。


「鍛冶で匂いが出たのは初めてだ。料理の匂い、か?」


「元がカツカレーのカツだからな……」


「へえ。カレーってのは、お前の世界の料理か?」


「まあ、そうだけど」


「いい匂いだ。今度食わせてくれ」


 異世界にカレーを布教する流れか。


「すごい……」


 エリシアがカツソードを見つめている。その目には、まるで伝説の聖剣でも目にしたかのような畏敬の念が浮かんでいた。


 いや、見てるのカツだからね?


「ドワーナ、さすがだな」


「へへ、伊達に鍛冶師やってねえぜ」


 ドワーナがエリシアに剣を差し出した。


 エリシアが受け取る。その瞬間——剣が光った。金色の光が厨房を照らす。同時に、スパイシーな香りがさらに強くなった。


 俺の腹がもう一度鳴った。エリシアの腹も鳴った。ドワーナの腹も鳴った。


 三人で顔を見合わせた。


「……お腹空いたな」


「……ああ」


「……だな」


 全員一致で空腹を自覚した。


 世界を救う前にまず飯を食いたい。


 いや、そんな場合じゃない。


「——軽い。そして、力が漲る。あと腹が減る」


 エリシアが剣を構えた。


「いい剣だ、ドワーナ。ただ、振るたびにカレーの匂いがすごい」


「仕様だ。諦めろ」


 仕様。カレー臭は仕様。


 素振りを一回。風を切る音が鋭い。そして、風に乗ってカレーの香りが厨房中に広がった。


 暴力的にいい匂いだ。


 最強の剣にして最強の飯テロ兵器。


 これ、戦闘中に腹が鳴ったらどうするんだ。


「さて」


 エリシアが俺を見た。


「あとは悪霊を倒すだけだ」


「ああ」


「田口。ここまで付き合ってくれてありがとう。でも——ここからは危険だ。君は逃げてくれ」


 エリシアが真剣な顔で言った。


 またこれだ。


「嫌だ」


「田口……!」


「最後まで付き合うって決めただろ。今さら帰れるか」


 かっこいいことを言った。


 実際は足がガクガク震えているが、ここまで来て帰るのは流石にダサい。それに、見届けたいじゃないか。カツが悪霊を倒す瞬間を。


 人類史上初の快挙だぞ。たぶん。


「……わかった。でも、絶対に前には出るなよ」


「了解。応援担当で」


「応援って……」


 エリシアが小さく笑った。


「さて——問題は、悪霊をどうおびき出すかだな」


 ドワーナが腕を組む。


「来ると思う」


 俺が言った。


「だって俺、最後に『いい人だった』って言っちゃったから。あの悪霊、絶対根に持ってる」


「セクハラした上に煽ってんのかよ……」


「セクハラじゃないって」


「セクハラだ」


 ドワーナが断言した。


 二回目だぞそれ。


 その時——


 学食の温度が下がった。


 さっきと同じだ。空気が凍りつくような、あの感覚。


「——見つけたぞ」


 低い声が響いた。


 学食の入口に、黒いモヤが立ち込めている。


 悪霊(仮)が、そこにいた。


「——貴様ら、よくもあんな真似をしてくれたな」


 怒っている。


 明らかに怒っている。


「特に貴様だ、あの男」


 俺を指差した。


「パーソナルスペースを侵害され、ハゲを疑われ、ローブを臭いと言われ、好みのタイプを語らされ、挙句の果てに『いい人』と呼ばれた……!」


 全部俺のせいだった。


「あれほどの屈辱は、千年の悪霊生活で初めてだ……!」


「千年も悪霊やってんの? 長いね、転職したら?」


「転職先があるか!」


 ないのか。悪霊の就職事情は厳しいらしい。


「もう容赦はしない! 貴様ら全員、消し飛ばしてくれる!」


 悪霊が杖を振りかぶる。紫の宝石が不吉に輝く。


「——呪怨の嵐ォォォ!」


 黒い旋風が巻き起こった。


 テーブルが吹っ飛ぶ。椅子が宙を舞う。


「エリシア!」


「ああ!——行くぞ!」


 エリシアがオリハルコンカツソードを構えて、悪霊に突撃した。


「——覚悟しろ、悪霊!」


 金色の剣が弧を描く。


 悪霊が杖で受け止める。


 ガキィィィン!


 凄まじい金属音が響いた。衝撃波で俺の前髪が揺れる。


「——何だ、その剣は……!」


 悪霊が驚愕している。


「なぜ私の杖と打ち合える!? 普通の剣なら一撃で砕けるはず——」


「普通の剣じゃない!」


 エリシアが叫ぶ。


「これはオリハルコンカツソード! 伝説の金属で鍛えた剣だ!」


「オリハルコン……だと!? 馬鹿な! オリハルコンはとうの昔に枯渇したはず——」


「この世界にあったんだ! 学食に!」


「学食ぅ!?」


 悪霊が困惑している。


 そりゃそうだ。俺だって困惑してる。


 エリシアが追撃する。上段から振り下ろし。悪霊が杖で防ぐ。右からの横薙ぎ。悪霊がローブを翻して回避する。下からの突き上げ。悪霊が後ろに飛んで距離を取る。


 エリシアの剣筋が鋭い。前半戦とは比べものにならない動きだ。カツソードを手にしたことで、自信が漲っているのがわかる。


「——舐めるな! 呪怨の刃ァァァ!」


 悪霊が無数の黒い刃を放つ。


 エリシアがカツソードを振る。


 金色の軌跡が、黒い刃を次々と切り裂いていく。


 綺麗だ。金色と黒の対比が、まるで——


 ——いや。


 それより。


 気づいた。


 エリシアがカツソードを振るたびに、あのスパイシーな香りが学食中に拡散している。


 カレーの匂い。揚げ物の香ばしさ。凝縮されたスパイスの芳香。


 風圧で香りが広がっているのだ。


 剣を振れば振るほど、学食がカレー屋になっていく。


「——呪怨の……呪怨の……」


 悪霊の動きが——おかしい。


 杖を構えているのに、技名が出てこない。


 フードの奥で、何かを堪えているような動きをしている。


「……な、何だ……この匂いは……」


 悪霊が呟いた。


 やっぱり。


「き、貴様の剣……何か、いい匂いがするぞ……!」


「仕様だ」


 エリシアが真顔で答えた。


「仕様ってなんだ! 剣がいい匂いって何だ! おかしいだろう!」


「おかしいのはお前だろ、世界を滅ぼすとか言ってるやつが」


 エリシアのツッコミが冷静だ。


 しかし悪霊は、ツッコミどころではないようだった。


「い、いい匂いだ……すごく、いい匂い……腹が……」


 悪霊の声が震え始めた。


 怒りじゃない。もっと根本的な、生理的な何かに揺さぶられている。


「……腹が、減る……」


 悪霊が腹を押さえた。


「腹!? 悪霊なのに!?」


 俺が叫んだ。


「悪霊だって腹くらい減る! 千年食べてないんだぞ!」


 千年食べてない。


 それは確かに腹が減るだろう。千年は長い。俺なんて三時間前にカレー食べたのにもう腹が減ってるのに。


「——呪怨の……ぐ……呪怨……の……」


 悪霊が技名を唱えようとしている。でも、集中できていない。


 鼻がひくひく動いている。フードの奥から、鼻をすする音が聞こえる。


 完全にカレーの匂いに負けている。


「エリシア! もっと振れ!」


 ドワーナが叫んだ。


「匂いで攻めろ!」


「匂いで攻めるって何だ!?」


 エリシアが困惑しながらも、カツソードを大きく振り回した。


 ブンッ! ブンッ! ブンッ!


 風圧とともに、スパイシーな香りが暴風のように吹き荒れる。


 学食全体が、高級カレー店のような芳香に包まれた。いや、高級どころじゃない。神話級のカレー屋だ。


「ぐ……ぐうぅぅ……!」


 悪霊の腹が鳴った。


 ものすごい音で鳴った。


 学食中に響き渡るほどの、壮大な腹の音。


 千年分の空腹が詰まった、魂の叫びのような音だった。


「……聞いてない! こんなの聞いてない!」


 悪霊が狼狽している。


「武器から、いい匂いがするなんて! 剣は、こう、もっと冷たくて、怖くて、殺意に満ちたものであるべきだろう! なぜカレーの匂いがするんだ! 意味がわからない!」


 正論だ。俺もそう思う。


「——呪怨の……呪、怨……ぐぅぅぅぅ!」


 また腹が鳴った。今度はさっきより大きい。学食の窓ガラスが震えた。腹の音で。


「お腹空いちゃったのか?」


 俺が聞いた。


「空いてない!」


「嘘つけ。腹鳴ってたぞ。学食中に響いてた」


「う、うるさい! あれは……あれは呪怨の咆哮だ!」


「いや、それ腹の音だろ」


「呪怨の咆哮だと言っている!」


 腹の音に技名つけるな。


「つーか、千年食べてないんだろ? もう戦ってる場合じゃなくない? まず飯食えよ」


「飯なんか食わない! 悪霊だぞ!」


「いや、お前さっき自分で『腹が減る』って言ったじゃん」


「言ってない!」


「言った」


「言ってない!」


「録音しとけばよかったな」


「するな!」


 ドワーナが横から口を出した。


「なあ、悪霊。カレーって食ったことあるか?」


「……ない」


「そりゃそうだ。お前の世界にはないだろうしな。でもこの匂い、気になるだろ?」


「き、気になんか……」


 悪霊の声が小さくなった。


「……気になんか、ない……」


 嘘がバレバレだ。フードの奥から涎を飲み込む音がした。


「ほら、もう正直になれよ」


「……少し、気になる」


「少し?」


「……かなり」


「だろうな。俺だって腹減ったもん」


 ドワーナが笑った。


「いいか、悪霊。いいことを教えてやる。カレーってのはな——」


 ドワーナがエリシアに目配せした。


 エリシアが頷く。


 そしてカツソードを——


 悪霊の鼻先に向けて、ゆっくりと突き出した。


 剣先から立ち昇るスパイシーな香りが、悪霊のフードの中に直撃する。


「——!!!!」


 悪霊が硬直した。


 完全に、固まった。


 杖を構えたまま、微動だにしない。


 フードの奥から——じゅるり、という音が聞こえた。


 涎だ。千年分の涎だ。


「——お、美味しそう……」


 悪霊が呟いた。


 千年の威厳が、カレーの香りの前に崩壊した瞬間だった。


「——今だ!」


 エリシアが叫んだ。


 カツソードを引き戻し、そのまま——


「——オリハルコンカツ・フルスイング!」


 横薙ぎの一閃。


 金色の軌跡が、悪霊を真横に両断した。


 スパイシーな風圧が吹き抜ける。


 ザシュウッ!


「——————」


 悪霊が、動きを止めた。


 黒いモヤが——散っていく。


 ローブが裂け、杖が砕け、紫の宝石が粉々に砕ける。


「……やられた」


 悪霊が呟いた。


「まさか……食欲に負けるとは……千年の悪霊生活で、最も情けない敗因だ……」


「いや、千年食ってなかったら仕方ないだろ」


 俺が言った。


「……それは、そうだが……」


 悪霊の体が薄れていく。透明になって、消えていく。


「……ひとつ、聞いていいか」


「何?」


「カレーとは、どこで食える?」


「学食」


「がくしょく……」


 悪霊がその言葉を噛みしめるように呟いた。


「……覚えておこう。もし生まれ変わったら、最初にそこに行く」


「カツは残すなよ。今日のは硬いけど、普段はもうちょっと柔らかいから」


「……柔らかいカツ、か」


 悪霊の声が、ほんの少しだけ——穏やかになった気がした。


 最後に——小さな声が聞こえた。


「——次は、ちゃんと食事してから戦う」


 そう言い残して。


 悪霊(仮)は——消えた。


 学食に、静寂が戻った。


 そして——カレーの匂いだけが残った。



 ◆



「……やった」


 エリシアが呟いた。


 カツソードを下ろし、肩で息をしている。いい匂いの中で。


「やったぞ、ドワーナ」


「ああ。まさか匂いで倒すとはな」


「匂いで倒したわけじゃない。剣で倒した」


「いや、九割方匂いだったぜ」


 エリシアが渋い顔をした。勇者として複雑なのだろう。伝説の悪霊を、カレーの匂いで腹が減った隙に倒したなんて、武勇伝として微妙すぎる。


「異世界に帰って聞かれたらなんて答えるんだ?」


 俺が聞くと、エリシアが真顔になった。


「……オリハルコンの剣で、正々堂々と倒した。それ以上は語らない」


「嘘じゃないけど真実でもないな」


「黙れ」


 ドワーナが腹を抱えて笑っている。


「いやあ、最高だな。異世界一の武勇伝だ。悪霊、カレーの匂いで食欲に負けて敗北。吟遊詩人が歌にしたら全世界で笑いが取れるぜ」


「歌にするな。絶対にするな」


 エリシアが真剣に釘を刺している。


 勇者の威厳は、カレーの前には無力だった。


「それにしても」


 ドワーナが俺の背中をバンバン叩いた。痛い。力加減。


「お前がカツを教えてくれなかったら、こうはいかなかったぜ。ありがとよ」


「いや、俺はカツの場所を教えただけだし……」


「それだけじゃないだろ」


 エリシアが言った。


「悪霊をセクハラで足止めしたし、千年食べてない話を引き出したし」


「あれがなかったら、匂い作戦は思いつかなかったぜ」


 ドワーナがニヤリと笑う。


「全部お前の手柄だ」


 全部俺の手柄。


 セクハラと、カツの場所案内が手柄。


 嬉しくない。嬉しくないんだけど、まあ、悪い気はしない。


「田口」


 エリシアが俺の前に立った。


 近い。顔が近い。


「ありがとう」


「いや——」


「聞いてくれ」


 エリシアの声が、真剣だった。


「私は——ドワーナ以外で初めて信じられる人間に出会った」


「…………」


「私の世界では、仲間と呼べるのはドワーナだけで、それ以外の人間は、勇者という肩書きにしか興味がなかった」


 エリシアの目が、伏せられた。


「でも、君は違った。勇者だとか、異世界だとか、関係なく——ただ、カツの場所を教えてくれた」


「……ふふ」


 エリシアが笑った。


 青い瞳が細められて、金髪が日差しに揺れて——


 美人。


 圧倒的に、美人。


 カレーの匂いの中でも、美人。


「さて」


 ドワーナが咳払いした。


「エリシア、そろそろだな」


「……ああ」


 エリシアの表情が、少し曇った。


「帰るんだ。俺たちの世界に。使命は果たした」


 ドワーナが淡々と言った。


 帰る。異世界に。


「……そっか」


 俺は言った。


 出会ったばかりだ。数時間しか一緒にいない。カツで世界を救っただけの関係だ。


 でも——なんか、寂しいな。


「田口」


 エリシアが俺の手を取った。


 鎧越しの手。硬くて、でも温かかった。


「君には、君の世界がある。大切な人たちがいるだろう」


「……まあ、変な友達と、変な後輩と、変なお姉さんと、生意気な妹がいる」


「いい仲間だな」


「変な、って言ったんだけど」


「同じことだ」


 エリシアが微笑んだ。


「——でも」


 エリシアが、少し考えるように宙を見た。


「この世界と、私の世界は繋がっている。それは今日、証明された」


「ああ。カツで」


「……カツで」


 エリシアが苦笑した。


「だから——また、来られるかもしれない。いつになるかはわからないけど」


「その時は学食に来いよ。カレー奢ってやる、今度は食べられるカツを用意するから」


「ふふ、楽しみにしてる」


 エリシアが笑った。寂しさのない、晴れやかな笑顔だった。


「おいおい、エリシア」


 ドワーナが横から口を出した。だが、その声はいつものサバサバした調子ではなく、どこか優しかった。


「あんまり別れを惜しんでると、日が暮れちまうぜ」


「……そうだな」


 エリシアが俺の手を離した。


 一歩下がって——手を差し出してきた。


「——またな、田口」


 俺はその手を握った。


「ああ。またな」


「お前もな! カツ、ありがとよ!」


 ドワーナがこちらに拳を突き出す。俺も拳を合わせた。


「世界、救えよ」


「任せとけ。カツソードがありゃ無敵だ。匂いでな」


「武勇伝として語るなって言っただろう!」


 エリシアがドワーナに怒っている。


 いいコンビだ。


 エリシアがカツソードを天に掲げた。


 金色の光が溢れる。


 光が二人を包んでいく。


 エリシアが、最後にもう一度俺を見た。


 口が動いた。


 声は聞こえなかったけど——たぶん、「ありがとう」と言った。


 いや——もしかしたら、違うことを言ったのかもしれない。


 光が眩しくて、目を閉じた。


 瞼の裏に、金色の残像が焼きついている。


 光が収まって、目を開けると。


 二人はいなかった。


 半壊した学食に、俺一人だけが立っていた。


 カレーの残り香だけが、まだ漂っている。


 手の中には——カツが一切れ、残っていた。カツソードの欠片。ドワーナが鍛えた時にこぼれ落ちた、小さな破片。


 ……いや、よく見たらただのカツの衣だな。普通の。食べられそうな硬さの。


 俺はそれをポケットにしまった。


 なんとなく、捨てる気になれなかった。


 ◆



 夕方。


 俺は大学の正門を出て、帰路についていた。


 学食は半壊していたはずなのに——さっき通りかかった時には、普通に営業していた。壁のヒビもない。窓ガラスも割れていない。テーブルも椅子も、元通り並んでいた。


 カツカレーも普通に売っていた。試しに食べてみたら、カツは普通の硬さだった。オリハルコンではない。噛み切れる。涙が出そうなほど嬉しかった。


 いや、ポケットの中のカツの衣が現実だと証明している。たぶん。


 それに、手のひらにはまだ、エリシアの手の感触が残っている。鎧越しの、硬くて温かい手。


 スマホが震えた。


 神龍寺からのLINE。


『今日、大学で何かあった?』


 何かあった、どころの騒ぎじゃない。異世界の勇者と鍛冶師に出会い、悪霊(仮)に追いかけ回され、カツで剣を作り、セクハラで時間を稼ぎ、カレーの匂いで悪霊の腹を鳴らして世界を救った。


 ……書いてて自分でも信じられない。


『カツが硬かった』


 結局、それだけ送った。


『……いつものことだね』


これが日常になるのは嫌だなぁ…。


『まあね』


 少し間が空いて、もう一通来た。


『今日、大学の近くを通ったんだけど、すごくカレーの匂いがしたんだ。学食の新メニュー?』


 カツソードの残り香だ、とは言えない。


『たぶん。カレーフェアでもやってたんじゃない?』


『ふうん。……今度一緒に食べに行こうか』


『おう』


 いつもの会話。いつもの日常。


 俺はスマホをポケットにしまった。


 夕日が沈んでいく。オレンジ色の空が綺麗だ。


 エリシアのことを思い出した。


 金髪。青い瞳。真剣な顔。寂しそうな笑顔。


 『またな』


 また会えるのかな。


 いつか、この大学の学食に、銀色の鎧を纏った金髪の美女が現れたら——


 そのときは、普通の硬さのカツカレーを奢ってやろう。


 まあ、そんな日が来るかどうかは、わからないけど。


 ——でも、きっと。


 きっと来る気がする。根拠はない。俺の勘だ。神龍寺の勘ほどは当たらないけど。


 明日からはまたいつもの日常だ。


 神龍寺と学食で飯を食って。綾乃ちゃんに「田口さん!」と声をかけられて。風香さんに癒されて。茜に説教されて。


 騒がしくて、面倒くさくて、でも悪くない。


「……よし」


 俺は伸びをして、歩き出した。


 ポケットの中のカツの衣が、ほんの少しだけ温かかった。


 気のせいだろう。きっと気のせいだ。


 でも——気のせいでもいいか。


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