第三話「風間綾乃との再会」
月曜日の午後。
俺は大学の図書館で、レポートの資料を探していた。
テーマは「現代社会における迷信の役割」。なんでこんなテーマを選んでしまったのか、過去の自分を殴りたい。
迷信。占い。オカルト。
神龍寺の顔が浮かんだ。あいつなら喜々として語りそうな分野だ。でも神龍寺に聞いたら、レポートが「霊媒師から見た現代社会」みたいな方向に暴走しそうなので、やめておく。
書架の間を歩きながら、目当ての本を探す。
民俗学のコーナー。心理学のコーナー。宗教学のコーナー。
この大学の図書館は無駄に広い。迷子になりそうだ。
「あ」
声がした。
振り返ると、ポニーテールの少女が立っていた。
切れ長の目。健康的な肌。どこかで見た顔——
「田口さん!」
「……綾乃ちゃん?」
風間綾乃。
先週の除霊バイトで出会った、空手少女だ。
「やっぱり田口さんだ! こんなところで会えるなんて!」
綾乃ちゃんが嬉しそうに駆け寄ってくる。
ちょっと待て。なんでここにいる。
「綾乃ちゃん、なんでここに?」
「私、ここの学生ですよ! 一年生です!」
「……マジで?」
同じ大学だったのか。全然知らなかった。
いや、考えてみれば風間道場はこの辺りにあったし、地元の大学に通っていてもおかしくはない。
「田口さんも、ここの学生だったんですね!」
「まあ、一応」
「すごい偶然です! 運命ですね!」
運命。大げさな。
でも確かに、偶然にしてはできすぎている気もする。
「何してるんですか?」
「レポートの資料探し」
「おお! 勉強熱心ですね! さすが防犯の専門家!」
防犯の専門家。
そういえば、綾乃ちゃんにはそういうことになっていたんだった。
「いや、防犯は副業みたいなもので……」
「副業でも立派ですよ! 私なんて、空手しか取り柄がなくて」
空手しか取り柄がない、とは謙遜だろう。あのマッチョを倒す実力があれば、十分すぎる取り柄だ。
空手以外でもパワー系であれば、何かの大会で間違いなく優勝できる。
「あ、そうだ」
綾乃ちゃんが何かを思い出したように手を叩いた。
「この前のお礼、まだちゃんとしてなかったですよね!」
「いや、バイト代もらったし」
「それはお父さんからでしょう? 私からのお礼は別です!」
綾乃ちゃんが真剣な顔で言う。
律儀な子だ。
「お昼、まだですか? 奢りますよ!」
「え、いや、悪いって」
「遠慮しないでください! 私、お礼したいんです!」
押しが強い。
断る理由もないし、まあいいか。
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
「やった!」
綾乃ちゃんが満面の笑みを浮かべた。
元気な子だ。俺とは正反対のタイプ。眩しい。可愛い。
◆
学食に移動して、俺たちは向かい合って座った。
俺の前にはカツカレー。綾乃ちゃんの前には特盛の唐揚げ定食。
「すごい量だな……」
「空手やってると、お腹空くんですよ!」
綾乃ちゃんが箸を手に取る。
「いただきます!」
そして、ものすごい勢いで唐揚げを食べ始めた。
速い。一口で唐揚げ一個を飲み込んでいる。顎の力が強いのか、ほとんど噛んでいないように見える。
……怖い。まさか将来はあのマッチョみたいにならないだろうな。
それだけは勘弁して欲しい。せっかくのスポーツ美少女が…。
俺はカツカレーを食べながら、綾乃ちゃんの食べっぷりを眺めていた。
今日のカツは普通の硬さだ。いつかのようにオリハルコン製ではない。よかった。
「そういえば」
唐揚げを三個ほど平らげたところで、綾乃ちゃんが口を開いた。
「あの不審者、また出たんですよ」
「……え?」
「あの筋肉の人です。また道場に」
マッチョの不審者。
あれ、綾乃ちゃんにボコボコにされて逃げたんじゃなかったのか。
「でも大丈夫です! また倒しましたから!」
「また……」
「今度は回し蹴りで一発でした! 成長してますよね、私!」
綾乃ちゃんが嬉しそうに笑う。
一発で倒せるようになったことを喜んでいるらしい。
いや、それ成長なのか? というか、また出たってことは、あのマッチョは何度でも復活するのか。
しつこい不審者だな。
「お父さんはまだ怖がってますけど」
まだ霊だと思っているのか…綾乃ちゃんが物理で倒したのに。
「風間さん、霊が怖いんだっけ」
「え?」
綾乃ちゃんが首を傾げた。
しまった。口が滑った。
「あ、いや、何でもない」
「霊……? あれ、ただの不審者ですよ?」
「そうそう、不審者。不審者が怖いって言ってたなって」
「そうなんですよ! あんなに強いお父さんが、不審者ひとりにビビってるんですよ! 情けないですよね!」
綾乃ちゃんがぷんぷんと頬を膨らませる。
可愛い。いや、可愛いけど怖い。この子に殴られたくはない。
マッチョでもあれほどダメージを受けるのだから、下手するとあばらの骨がいっちまう…。
「田口さんは怖くないですか? あの不審者」
「怖いっていうか……まあ、近づきたくはないな」
マッチョの筋肉を見せつけられるのは、精神的にキツい。
「ですよね! でも田口さんがいてくれたから、あの時私は勝てたんですよ!正直少し気後れしてまして、本来の実力を出せていませんでした」
嘘だろ、あれで本来の実力ではない!?
「いや、俺は何も……」
「謙遜しすぎです! 田口さんが気を逸らしてくれたから、隙ができたんじゃないですか!」
確かに、俺が話しかけたらマッチョがポーズを取り始めて、その隙に綾乃ちゃんが攻撃した。
でもあれは、俺の功績というより、マッチョが脳みそまで筋肉だっただけだと思う。
「もし田口さんに何かあったら、呼んでくださいね! 私、絶対駆けつけますから!」
「……逆じゃない? 俺が駆けつける側では」
「田口さんは防犯の専門家でしょう? 私は空手家です! 役割分担ですよ!」
役割分担。
俺は防犯の専門家で、綾乃ちゃんは空手家。
つまり、俺が不審者を見つけて、綾乃ちゃんが倒す、ということか。
……俺、本当に何もしてないな。
「あ、そうだ」
綾乃ちゃんがスマホを取り出した。
「連絡先、交換しませんか?」
「え?」
「何かあったときに連絡できるように! あと、また一緒にご飯とか行きたいですし!」
連絡先交換。
美少女から連絡先を求められるなんて、大学生活で初めてかもしれない。
いや、神龍寺とは交換してるけど、あれは成り行きだったし。
「……いいけど」
心の中で天を仰ぎながらガッツポーズする俺。
「やった!」
綾乃ちゃんが嬉しそうにスマホを操作する。
QRコードが表示された。俺もスマホを取り出して読み取る。
「登録しました! 田口拓実さん、ですね!」
「うん」
美少女の連絡先ゲットだぜ!
「私のこと、『綾乃』で登録してくださいね! 『風間』だとお父さんみたいだから!」
「わかった」
俺は連絡先の名前を「風間綾乃」から「綾乃」に変更した。
「えへへ」
綾乃ちゃんが嬉しそうに笑う。
無邪気だ。こういう明るさは、俺にはないものだ。
「あ、そろそろ講義の時間だ」
時計を見ると、午後の講義まであと十分。
「私もです! 今日は楽しかったです、田口さん!」
「こちらこそ。奢ってもらってありがとう」
「また一緒にご飯しましょうね! 連絡します!」
綾乃ちゃんが手を振りながら、学食を出ていった。
俺もトレイを片付けて、教室へ向かう。
風間綾乃。
空手で不審者を倒す、明るい少女。
また会うことになりそうだ。神龍寺の勘は当たったな。
◆
夕方。
俺は大学の校舎を出て、帰路についていた。
スマホが震える。LINEの通知。
神龍寺からだった。
『今どこにいる?』
『大学出たとこ』
『じゃあ駅前で待ち合わせ。話がある』
話。何だろう。
『了解』
俺は駅に向かって歩き出した。
◆
駅前のベンチに、神龍寺が座っていた。
いつものように無表情で、スマホを眺めている。
「よう」
「お待たせ」
俺が隣に座ると、神龍寺がスマホをしまった。
「話って?」
「来週のバイトの件」
「また道場?」
「ううん。今度は別の場所」
神龍寺が言う。
「廃病院」
「……は?」
「廃病院。心霊スポットとして有名なところ」
廃病院。心霊スポット。
嫌な予感しかしない。
「何で廃病院なんかに……」
「依頼があったの。オーナーが建物を売りたいんだけど、『幽霊が出る』って噂のせいで買い手がつかないらしくて」
「なるほど」
つまり、噂を払拭するために除霊を依頼した、ということか。
「私が除霊して、『もう大丈夫です』ってお墨付きを出せば、売れるようになるかもって」
「ふーん」
商売上手なのか、それとも藁にも縋る思いなのか。
「嫌かい?」
「いや、別に。時給五千円だし」
「ふふ、相変わらずだね」
神龍寺が小さく笑った。
珍しい。この女、たまに笑う。
「でも今回は、ちょっと手強いかもしれない」
「手強い?」
「廃病院の霊って、割と強いことが多いから」
強い霊。
意味がよくわからないが、神龍寺が言うならそうなのかもしれない。
「まあ、僕がいれば大丈夫だけどね」
神龍寺が自信ありげに言った。
そういえば、この女は本物の霊媒師を自称している。除霊ができるらしい。
俺は霊なんて信じていないけど、神龍寺が「大丈夫」と言うなら大丈夫なんだろう。たぶん。
「あ、そうだ」
俺は思い出したように言った。
「今日、綾乃ちゃんに会った」
「綾乃……ああ、空手の子?」
「そう。同じ大学だったんだ」
「へえ」
神龍寺の声が、一瞬低くなったような気がした。
気のせいか。
「偶然図書館で会って、一緒に昼飯食った」
「ふうん」
「連絡先も交換した」
「……そう」
神龍寺が俺をじっと見る。
何だその目。
「……何?」
「別に。仲良くなったんだね」
「まあ、一応」
「そう」
神龍寺が視線を逸らした。
窓の外を見ている。いつもより無表情に見える。
「神龍寺?」
「何?」
「機嫌悪い?」
「別に、全然、全く」
別に、と言いつつ、明らかに機嫌が悪そうだ。
何か悪いこと言ったか? 綾乃ちゃんと仲良くなったことが気に入らない?
……いや、まさかな。神龍寺がそんなことで機嫌を悪くするわけがない。
「来週のバイト、土曜でいい?」
「ああ、いいよ」
「じゃあ、詳しくはまた連絡する」
神龍寺が立ち上がった。
「今日はこれで。また」
「お、おう」
神龍寺がさっさと歩いていく。
いつもより足が速い気がする。
俺は首を傾げながら、その背中を見送った。
なんだったんだ、今の。
まあ、神龍寺はたまに機嫌の悪いときがある。理由を聞いても「何でもない」で済まされるから、深追いはしない。
俺はベンチから立ち上がり、家に向かって歩き出した。
◆
帰宅して、スマホを確認すると、LINEの通知が来ていた。
綾乃ちゃんからだった。
『今日はありがとうございました!楽しかったです!!』
絵文字が大量についている。元気だ。
『こちらこそ。奢ってもらってありがとう』
返信を打つ。すぐに既読がついた。
『また一緒にご飯しましょうね!!次は私のおすすめの定食屋に行きましょう!!』
『了解』
『楽しみです!!!』
感嘆符が多い。元気が溢れている。
俺はスマホをテーブルに置いて、ため息をついた。
綾乃ちゃんは明るくていい子だ。俺みたいな陰キャと仲良くしてくれるなんて、物好きだと思う。
神龍寺のことが、ふと頭をよぎった。
さっきの態度、やっぱり気になる。何か怒らせるようなこと言ったかな。
まあ、神龍寺のことだ。本当に怒ってたら言ってくるだろう。「何でもない」と言ったんだから、何でもないんだろう。
俺は冷蔵庫から麦茶を取り出して、一口飲んだ。
来週は廃病院か。
心霊スポット。
正直、あまり行きたくはない。幽霊は信じてないけど、単純に怖い場所だ。暗くて、古くて、不衛生そうで。
でも時給五千円だしな。
結局、金には勝てない。俺は金の亡者だ。
そんなことを考えながら、俺は夕飯の準備を始めた。




