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第二話「マッチョと空手少女」

土曜日の昼下がり。


 俺は駅前のベンチでスマホを睨んでいた。画面には神龍寺からのメッセージ。


『ごめん。急用ができた。今日のバイト、一人で行ける?』


 一人で。


 除霊バイトを。


 いや待て。俺は何もできないぞ。いつも神龍寺がお祓いするのを横で見てるだけだ。それで時給五千円。最高の仕事だと思っていたが、まさか一人で行けと言われるとは。


『ムリポ』


 返信を打つ。すぐに既読がつく。


『何もしなくていい。後日状況だけ教えてくれれば、後は僕が対処するから』


 なんだそれ。


『ふええ、霊が出たらどうするの…』


『出ないから大丈夫』


 根拠のない自信だな。いや、根拠があるのか? 神龍寺は本物の霊媒師を自称しているし、そういう霊的な予知能力みたいなものがあるのかもしれない。


 ないと思うけど。しかしマブダチズットモの神龍寺の頼みは聞いてあげたい。


『やれやれ。行ってくる』


『ありがと。お礼は今度する』


 お礼か。何をしてくれるのか少し気になるが、まあいいや。


 俺はベンチから立ち上がり、バイト先の道場へと向かった。



 ◆



 風間道場。


 住宅街の一角にある、意外と立派な建物だ。門構えからして「武道」という雰囲気が漂っている。


 そういえば、ここに来るのは初めてだ。前回の除霊バイトは個人宅だったし、その前はお寺だった。道場は今回が初めてになる。


 インターホンを押し、除霊の依頼を受けた者ですと伝えると、野太い声が返ってきた。


「おう! 開いてるぞ!入れや!」


 うお、ゴリラみたいな声が聞こえた。ゴリラの声わからんけど。


 門をくぐり、玄関で靴を脱ぐ。廊下を進むと、広い道場が見えてきた。


 板張りの床。壁には「空手道」と書かれた額。奥には神棚。いかにも武道場という雰囲気だ。


 道場の中央には、巌のような大男が腕を組んで立っていた。


 身長は百八十センチ以上。鍛え上げられた体格。顔には古傷。いかにも武道家という風貌だ。


「おう、アンタが霊媒師か!」


 大男が豪快に笑った。


風間剛毅(ごうき)だ! よろしく頼むぜ!」


「あ、はい。田口です。よろしくお願いします」


 握手を求められたので手を差し出す。


 握りつぶされるかと思った。


「いやあ、助かるぜ! 実はな——」


 風間さんが声を潜めた。


「——アレが出るんだよ。夜中に」


「アレ?」


「初代師範の霊だ」


 初代師範。つまり、この道場を開いた人物ということか。


「筋肉ムキムキでな。全裸というかマイクロビキニパンツで道場をうろついてやがる」


「…………」


 それは霊というか、不審者では?


「いやいや、マジなんだって! 俺はこの目で見たんだ! あれは間違いなく初代師範——俺の爺さんだ!」


 風間さんが真剣な顔で語る。


 お爺さん。なるほど、血縁者なのか。


「でも、師範なら強いんじゃないですか? 霊が出ても平気では」


「……………」


 風間さんが黙り込んだ。


 あれ? 何かまずいこと言った?


「……俺はな」


 風間さんが小声で言った。


「……霊が怖いんだ」


「え?」


「霊が怖いんだよ! 悪いか!」


 逆ギレされた。


 いや、悪くはないけど。この厳つい見た目で霊が怖いとは思わなかった。


「だから除霊を頼んだんだ。頼む、なんとかしてくれ」


「あ、はい。できる限りのことは……」


 できることなんて何もないんだけど。


「お父さん、お客さんですか?」


 声がして振り返ると、ポニーテールの少女が立っていた。


 切れ長の目。引き締まった体つき。道着を着ている。


「おう、綾乃! こちら防犯の専門家の田口さんだ! 例の不審者対策で来てもらったんだ!」


「防犯の専門家!」


 少女——綾乃ちゃんが目を輝かせた。


「あぁ、不審者の件で来てくれたんですね! ありがとうございます!」


 防犯の専門家。


 なるほど、そういうことにしたのか。確かに「霊媒師」と言ったら、綾乃ちゃんに霊の話がバレてしまう。


 まあ師範の勘違いだと思うが、俺は曖昧に頷いておいた。


「風間綾乃です! よろしくお願いします!」


 綾乃ちゃんが満面の笑みで手を差し出してきた。


 握手か。俺は恐る恐るその手を握る。


 硬い。拳ダコがある。本物の空手家の手だ。父親譲りか。


「綾乃、田口さんにお茶を出してくれ」


「はい!」


 綾乃ちゃんが道場の奥へと駆けていった。


 風間さんが俺に耳打ちする。


「悪いな、話を合わせてくれ。あいつには霊の話は内緒なんだ」


「大丈夫です」


「綾乃もアレを見たらしいが、『不審者だ』と思ってる。霊だとは気づいてない」


 なるほど。確かに、全裸のマッチョなら不審者だと思うのも無理はない。


「俺が霊を怖がってるなんて知られたら、父親の威厳が……」


「わかりました。内緒にしておきます」


「すまねえな!」


 風間さんがガハハと笑った。


 威厳、今ので台無しだと思うけど。



 ◆



「お待たせしました!」


 綾乃ちゃんがお茶を持って戻ってきた。湯呑みを受け取り、一口啜る。


 熱い、なんだこの熱さは……気泡が出ているじゃないか……。


「ありがとう……」


「いえいえ! あの、防犯の専門家ってどういうお仕事なんですか! 私こういうの初めてで!」


「いや、俺は……」


 俺は何もしない。いつもは神龍寺が何かしてるのを横で見てるだけだ。


 でもそう言ったら、この子はどう思うだろう。時給五千円もらって何もしない男。詐欺師だと思われるかもしれない。


「……まあ、色々と」


「おお! かっこいいです!」


 誤魔化せた。よかった。


「それより、ここに出るっていう不審者の話、聞いてもいい?」


「ああ、アレですか」


 綾乃ちゃんの表情が少し曇った。


「最近、夜中になると変な人が出るんです。筋肉ムキムキの、大きい男の人で……全裸で道場をうろうろしてて」


「…………」


 風間さんから聞いた話と一致する。


「お父さんは『気のせいだ』って言うんですけど、絶対違います。私、確かに見たんです」


 綾乃ちゃんが真剣な顔で語る。


 横を見ると、風間さんが目を逸らしていた。娘には霊の話をしていないらしい。


「警察に届けたんですけど、証拠がないからって取り合ってもらえなくて」


「そうなんだ」


「でも今日、専門家の方が来てくれたから! きっとあの不審者も捕まりますよね!」


 不審者。


 綾乃ちゃんにとって、あのマッチョは「不審者」なのか。霊だとは全く思っていないらしい。


 まあ、普通はそう思うよな。俺だってそう思う。


「ところで田口さん」


 風間さんが言った。


「アレが出るのは夜中なんだ。門下生が帰った後、深夜になってからでな」


「夜中……」


「悪いが、それまで待っててもらえるか? 飯は出すから」


 夜中まで。


 つまり、今からかなり長い時間ここにいることになる。


 まあ、飯が出るなら悪くないか。時給五千円で飯付き。破格だ。


「わかりました」


「すまねえな! 綾乃、田口さんに道場を案内してやってくれ!」


「はい! 田口さん、こっちです!」


 綾乃ちゃんに腕を引っ張られながら、俺は道場の奥へと向かった。



 ◆



 それから数時間。


 俺は道場で門下生たちの稽古を見学したり、綾乃ちゃんと話したり、風間さんの手料理(意外と美味かった)をご馳走になったりして過ごした。


 門下生たちが帰り、道場が静かになる。


 時計を見ると、もう夜の十時を過ぎていた。


「そろそろですかね」


 綾乃ちゃんが言った。


「不審者が出るとしたら、この時間帯です」


「じゃあ、見回りでもする?」


「はい! 私が案内しますね!」


 綾乃ちゃんが立ち上がる。


「お父さん、道場をお願いします!」


「おう、任せとけ!」


 風間さんが親指を立てた。


 が、その顔は若干引きつっている。一人で道場にいるのが怖いんだろう。


 まあ、霊が出るかもしれない場所に一人でいるのは、確かに怖いかもしれない。俺は霊なんて信じてないけど。


「行きましょう、田口さん!」


「ああ」


 俺は綾乃ちゃんと一緒に、道場の外へと出た。



 ◆



 夜の風間道場。


 月明かりに照らされた庭は、昼間とは違う雰囲気を醸し出していた。


「こっちが中庭です。あっちが倉庫で、その奥が離れになってます」


 綾乃ちゃんが懐中電灯で照らしながら説明してくれる。


「結構広いんだな」


「はい! 昔はもっと門下生がいて、住み込みで修行してたらしいです」


「へえ」


 歴史ある道場なんだな。初代師範の霊が出そうというのも、なんとなく納得できる。



「あ、あっちが裏庭です。行ってみますか?」


「うん」


 俺たちは裏庭へと向かった。


 古い井戸がある。使われていないようだが、雰囲気がある。


「この井戸、初代師範が掘ったらしいです、手で」


 ……what? 手? ハンド?


 聞き間違いだよな……?


「そうなんだ」


「お父さんが言ってました。初代師範はすごい人だったって。空手だけじゃなくて、何でもできたって」


 綾乃ちゃんが懐かしそうに語る。


「会ったことあるの?」


「いえ、私が生まれる前に亡くなったので。でも写真は見たことあります。顔の部分は古くてよく見えなかったけど、筋肉がすごくて——」


 その時だった。


「ぎゃあああああああ!!」


 道場の方から、悲鳴が響いた。


 風間さんの声だ。


「お父さん!?」


 綾乃ちゃんの顔色が変わった。


 俺たちは全速力で道場へと駆け戻った。



 ◆



 道場の扉を開けると——


「お父さん!!」


 風間さんが床に倒れていた。


 白目を剥いて、完全に気絶している。あの厳つい風間さんが、完全にノックアウトされていた。


「お父さん! しっかりしてください! お父さん!」


 綾乃ちゃんが風間さんを揺さぶる。


 だが、風間さんはピクリとも動かない。


 俺は周囲を見回した。


 何があった? 誰かに襲われたのか? それとも——


「——筋肉」


 声がした。


 低く、重い声。


 道場の奥——神棚の前に、それはいた。


 筋肉の塊。


 身長は二メートル近い。全身の筋肉が異常に発達していて、まるでボディビルダーのよう。いや、ボディビルダー以上だ。人間の限界を超えている。


 そして——全裸。


 いや、正確には極小のビキニパンツを履いているが、筋肉がデカすぎてほぼ見えない。実質全裸だ。


「——鍛えているか」


 マッチョが口を開いた。


 何を言ってるんだこいつ。


「不審者!」


 綾乃ちゃんが叫んだ。


「やっぱりいたんですね! お父さんに何をしたんですか!」


 綾乃ちゃんが立ち上がり、構えを取る。


 目の前で父親が倒れているのに、恐れることなく不審者と対峙している。度胸がある。


「——ほう」


 マッチョが綾乃ちゃんを見た。


「——いい構えだ」


「質問に答えてください!」


 綾乃ちゃんが突っ込んだ。


 正拳突き。胸板を狙った一撃。


 ドゴンッ!


 鈍い音が響いた。


「——ほう」


 マッチョが感心したように呟く。


「——いい拳だ」


「効いてないんですか!?」


 綾乃ちゃんが驚愕する。


 確かに、マッチョは微動だにしていない。あの筋肉の鎧を貫くには、正拳突きでは足りないのか。


「——だが、まだ足りない」


 マッチョが腕を振りかぶる。


「——筋肉が足りない」


「うるさいです! 筋肉バカ!」


 綾乃ちゃんが回し蹴りを放つ。


 マッチョの側頭部を狙った一撃——が、マッチョの腕に受け止められた。


「——いい蹴りだ」


「離してください!」


「——だが、まだ筋肉が足りない」


 だから筋肉はいいって。


 俺は道場の隅で、この異様な光景を呆然と眺めていた。


 なんだこれ。


 マッチョの不審者と、空手少女の戦い。シュールすぎて現実感がない。


「——よし」


 マッチョが綾乃ちゃんの脚を離した。


「——お前には素質がある」


「はあ?」


「——俺が鍛えてやろう」


「いりません!」


 綾乃ちゃんが後退する。


 マッチョが追いかける。


「——筋肉は裏切らない」


「知りません!」


「——筋肉は全てを解決する」


「解決しません!」


 追いかけっこが始まった。


 道場の中を、マッチョが綾乃ちゃんを追い回している。綾乃ちゃんは必死に逃げながら、隙を見て攻撃を仕掛けている。


 正拳突き。蹴り。肘打ち。


 全部、マッチョの筋肉に弾かれている。


 強い。あのマッチョ、異常に強い。


 綾乃ちゃんも相当な実力者だと思うが、マッチョの筋肉の前には通用していない。このままでは——


「——観念しろ」


 マッチョが綾乃ちゃんを追い詰めた。


 壁際に追い込まれた綾乃ちゃんが、荒い息をつきながらマッチョを睨む。


「——さあ、筋トレの時間だ」


「ふざけないでください……!」


 綾乃ちゃんが歯を食いしばる。


 まずい。このままでは綾乃ちゃんが——


 俺は立ち上がった。


 何をすればいいかわからない。でも、何かしないと。


「おい、マッチョ!」


 俺が叫ぶ。


 マッチョがこちらを振り向いた。


「——なんだ」


「その……あー……いい筋肉だな!」


 何を言ってるんだ俺は。


「——ほう」


 マッチョの目が光った。


「——わかるか」


「わ、わかる。すごい筋肉だ。大胸筋とか、やばい」


「——そうだろう」


 マッチョが嬉しそうにポーズを取る。


 サイドチェスト。胸の筋肉を強調するポーズ。


「——これが俺の大胸筋だ」


「おお……すげえ……」


 正直、引いてるけど、話を合わせておく。


「——触ってみるか」


「いや、遠慮しとく」


 普通にキモい。


「——そうか。残念だ」


 マッチョが肩を落とす。


 なんだこの空気。


 でも、綾乃ちゃんから注意が逸れた。これはチャンスだ。


「綾乃、今のうちに——」


「——はい!」


 綾乃ちゃんが跳んだ。


 跳躍。回転。


 そして——踵落とし。


 マッチョの後頭部に、綾乃ちゃんの踵が叩き込まれた。


 ゴッ!


 鈍い音。


 マッチョが——よろめいた。


「——ぬ」


「効きました!」


 綾乃ちゃんが着地と同時に追撃する。


 正拳突き。喉元を狙った一撃。


 ドゴッ!


「——ぐ」


 マッチョが膝をつく。


「いきます!」


 綾乃ちゃんが叫びながら連続攻撃を仕掛ける。


 突き、蹴り、肘、膝。


 怒涛のラッシュがマッチョを襲う。


「——ば、馬鹿な……筋肉を緩めたスキをついて……!」


 マッチョが悲鳴を上げる。


 綾乃ちゃんの攻撃は止まらない。


「これが! 風間流の! 空手です!」


 渾身の正拳突き。


 マッチョの顔面に——直撃。


 ドゴォォン!


 マッチョが吹っ飛んだ。


 壁を突き破り、外に放り出される。


 ……これは漫画か? てか俺いる?


「——筋肉……が……」


 道場の外からマッチョのうめき声が聞こえる。急いで外に出ると、そこにマッチョはいなかった。


 ……消えた?逃げたのか?


「やりました!」


 綾乃ちゃんが両手を突き上げた。


「不審者を倒しました!」


 喜んでいる。


 うん、まあ、確かに倒した。倒したんだけど——


 あのマッチョ、どこに行ったんだろう。


「田口さん!」


 綾乃ちゃんが俺の方を向いた。満面の笑みだ。


「私、やりましたよ!」


「あ、ああ……すごかった」


 というか恐ろしかった。綾乃ちゃん美少女なんだけど、エッチな目で見るのはやめておこう。命が惜しい。


「えへへ」


 綾乃ちゃんが照れくさそうに笑う。


「あなたのおかげです! 気を逸らしてくれたから、隙ができました!」


「いや、俺は何も……」


 綾乃ちゃん一人でよかったんじゃないかと思う強さだった。


「謙遜しないでください! 田口さん、すごいです!」


 マジで何もしてないんだけど……。


 まあ、綾乃ちゃんが嬉しそうだし、結果オーライだ。


「……う、うぅ……」


 風間さんが目を覚ました。


「お父さん! 大丈夫ですか!」


「あ、綾乃……? アレは……アレはどうなった……?」


「不審者なら倒しましたよ! 私が!」


「な、なんだと……!?」


 風間さんが目を見開いた。


「お前が……あの初代師範を……?」


「初代師範? 何を言ってるんですか? 不審者ですよ、不審者」


「あ、いや、その……そうだな、不審者だな。うん」


 風間さんが慌てて誤魔化す。


 綾乃ちゃんは首を傾げていたが、それ以上追及しなかった。


 俺は黙ってその様子を見ていた。


 初代師範。


 風間さんはあのマッチョを「初代師範」と呼んだ。つまり、あれは本当に——


 いや、考えるのはやめよう。


 世の中には、理解できないことがたくさんある。深く考えても仕方がない。



 ◆



 その後、風間さんからバイト代をもらった。


 五千円。プラス、「娘を助けてくれた」ということで追加の五千円。合計一万円。


 いい仕事だった。


「また来てくださいね、田口さん!」


 帰り際、綾乃ちゃんがそう言った。


「あ、ああ。また機会があれば」


「約束ですよ!」


 元気よく手を振る綾乃ちゃん。


 俺も軽く手を振り返し、道場を後にした。



 ◆



 帰りの電車の中、俺は神龍寺にメッセージを送った。


『バイト終わった。色々あった』


 嘘はつけなかった。色々あった。マッチョの不審者と、空手少女の死闘。気絶した父親。


 でも、どう説明すればいいかわからない。


 すぐに既読がつく。


『お疲れ様。色々って?』


『筋肉バカが出たけど、空手少女がボコボコにした』


『…………』


 既読がついたまま、しばらく返信がなかった。


 やっぱり意味不明だったか。


『……詳しくは今度聞くよ』


『おう』


『来週、また一緒に行けるかい?』


『もちろん』


 来週か。


 また道場に行くのかな。それとも別の場所かな。


 正直、今日みたいなことはもうごめんだ。マッチョと空手少女の戦いを見守るだけで、精神的にかなり疲れた。


 でも——まあ、時給五千円だしな。今日は一万円だったし。


 俺はスマホをポケットにしまい、窓の外を眺めた。


 深夜の電車は空いていて、静かだった。


 あのマッチョ、結局なんだったんだろう。不審者? それとも——


 風間さんは「初代師範」と言っていた。


 でも、初代師範はもう亡くなっているはずだ。綾乃ちゃんもそう言っていた。


 なら、あれは——


 いや、考えるのはやめよう。


 俺はそう自分に言い聞かせ、目を閉じた。



 ◆



 数日後。


 大学の学食で、俺は神龍寺と向かい合っていた。


「——で、マッチョが消えたって?」


「いや、消えたっていうか……どっか行った」


「…………」


 神龍寺がじっと俺を見る。


「君、本当に見えてるのに気づいてないんだね」


「え? 何が?」


「何でもない」


 神龍寺がため息をついた。


 またこれだ。神龍寺は時々、意味深なことを言う。でも詳しく聞いても「何でもない」で済まされる。


「それより、その空手少女」


「綾乃?」


「うん。マッチョをボコボコにしたって?」


「ああ。すごかった。踵落としとか、プロかと思った」


「…………」


 神龍寺が考え込むように顎に手を当てる。


「空手で霊を……?」


「霊?」


「何でもない」


 また「何でもない」だ。


「その子、また会うかもしれないね」


「え? なんで?」


「……勘だよ」


 神龍寺はそう言って、醤油ラーメンをすすり始めた。


 勘か。神龍寺の勘はよく当たる。というか、神龍寺が言うことは大体当たる。


 風間綾乃。


 空手で「不審者」を倒す少女。


 また会うのかな。


 正直、ちょっと怖いけど——まあ、悪い子じゃなさそうだった。むしろ、いい子だと思う。元気で、明るくて、まっすぐで。


 俺みたいな陰キャとは正反対のタイプだ。


「どうしたの、ぼーっとして」


「いや、別に」


「その子のこと考えてたかい?」


「……まあ」


「ふうん」


 神龍寺が意味深に微笑んだ。


 気のせいか、ちょっと不機嫌そうに見える。


 いや、気のせいだな。神龍寺はいつも無表情だし。


「来週のバイト、道場かい?」


「ううん。別の場所だよ。詳しくはまた連絡する」


「了解」


 俺はカツカレーを口に運んだ。


 今日のカツは普通の硬さだ。オリハルコンじゃない。よかった。


 来週のバイトはどこだろう。また変なことが起きなければいいけど。


 ……まあ、起きるんだろうな。なんとなくそんな予感がする。


 俺の周りには、なぜか変な人が集まってくる。神龍寺もそうだし、今回の綾乃ちゃんもそうだ。


 類は友を呼ぶ、というやつか。


 俺も十分変人だしな。


 そんなことを考えながら、俺はカツカレーを食べ続けた。




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